彼の声91

2012年

7月31日

 静かな夜だ。数日前の夜か。四日前かもしれない。そう感じているらしい。誰かがそう感じている。そういうことにしておきたのだろう。面倒だからそうなってしまう。いくら言葉を付け加えても文章がおかしくなるだけだ。またそれでもかまわないと思いたいのか。君はそこから何を説明したいのだろうか。ただの風景だ。何を描いているわけでもない。空間を横切る平面に何が描かれているわけではない。では誰が何を眺めているのか。こちらを見ているようだ。川面を何かが流れてゆく。どうせそんなことを空想しているだけだろう。他に何を空想しているわけでもなく、思い描いているのはそれらの光景に違いない。ならばそれらとは何なのか。まさかそれが思い出せないわけではないだろう。どうせそんなのは嘘だ。君は鈍いようだ。愚鈍なのだろうか。聡明であるに越したことはないが、都合の悪いことまで気づくほど聡明であってはらないのか。導き出そうとしている何かをどう捉えたらいいのかわからない。それではとても聡明だとはいいがたいか。そこに何もないことはわかっているつもりだが、他に何か持ち合わせがあるとも思えない。だからそんなことを延々と記しているのだろう。それではだめか。だめならどうすればいいのだろうか。語らなければいいのか。それでは話が前に進まない。進めるつもりがないのかもしれない。何だか今回はハズレの予感がする。ではこのまま空疎な言葉の羅列で押し通すしかないのか。いったい君は何に幻惑されているのか。それは空想でも妄想でもなく、直面している現実そのものなのではないか。これまでのところは、うまくいっていないことがわかりきっている。それなら別にいいではないか。わかっているに越したことはなく、これからもそういうことにしておけばいい。

 何もしないうちに、さらに何かが過ぎ去ってしまったらしい。いくつかの出来事が一段落ついてしばらく経つが、それに触発されて何かひらめいただろうか。何かを思いついたとして、その何かが何のために存在しているのかわかるだろうか。君はまた冗談でそんなことを述べているのか。そこから逃げないでほしいか。だがそれについてはまだ何も思い出せないようだ。思い出す必要はないのかもしれない。もともとそこには何もなかったのだから、嘘の記憶など思い出さなくてもかまわないのか。とりあえず人にこの世界で果たされるべき使命などありはしない。誰かが記しているフィクションの中ではそういうことか。それはどういうことなのか。ただのでたらめか。そこから先は意味の通った文章になっていないようだ。別に何かの古文書などを読んでいるわけでもない。では何を読んでいることになっているのか。どうも途中からよくわからなくなり、ひょっとするとはじめからかもしれないが、まあ支離滅裂なことしか述べられないような状況なのだろう。突然のアクシデントで気が動転しているわけでもないが、とてもじゃないがやりきれない。できれば何もかも投げ出して、勝手気ままに放浪でもしながら生きてゆきたいが、宝くじにでも当たればそれが可能となるだろうか。仮に当たったとしても現状では実現しそうにない。いろいろなしがらみでがんじがらめで、それらをすべて断ち切るほどの力がないし、本当に放浪でもしたら、たちまち年老いて寿命をすり減らしておしまいとなってしまうだろう。では今のままが一番いいのだろうか。良くはないが、良くないなりにも、周りの人たちに支えられながら、しがらみとともに不自由に暮らしていれば、それなりに生きてゆけるのかもしれない。要するに身の程をわきまえなければならないということか。

 それにしても面倒な立場で面倒くさいことに関わっている。何かからの執拗な攻撃に晒され、まるで嫌がらせを受けているみたいに感じられるが、その何かが自然現象のたぐいだったらどうしようか。猛暑から影響を受けた突発性の何かなのか。そうだとしてもこちらの盲点を突いているところがいかにも人為的な感じがして、何だか薄気味悪いが、とりあえずこちらも完全とまでは行かないが一応の対処はしたつもりだが、これからどうなってしまうのか。何だか不意を突かれて嫌な感じがしたが、一息ついたところか。しかし一筋縄ではいかないところがいかにもな感じで、先が思いやられて、時にはあきらめが肝心なことも承知しているが、何だかやりきれない思いがする。なぜこれまでの努力を水の泡にするような成り行きになってしまうのか。それともそう思うことが大間違いで、これも成功に到達する途中の試練だと思えば、また前向きに努力を続けられ、運がよければ、やがてうまくいく場面にも遭遇することがあるのだろうか。そうなることを期待して、腐らずに日々努力を続けるしかないのだろうか。現にそうやっているはずで、君は次々に降りかかってくる災難や試練に立ち向かう運命の中にいるのかもしれず、ここががんばりどころなのだろうか。今さらながらの気休めには違いないが、記述の方もやっと先月が終わろうとしていて、何とか次の月へといけそうな雰囲気になってきている。どういうわけか知らないが、神はまだ君を見捨てていなかったということになりそうで、別に見捨ててもらってもかまわないような気もしないではないが、やはりそんな罰当たりなことは述べるべきではなく、こうして言葉を記す機会が与えられていることに感謝すべきなのだろうか。でも疑念を抱かざるを得ず、こんなところでこんなことを記して何になるのか、ということなのだろうが、一方ではそれでもかまわないとも思っているらしい。


7月30日

 どんなに思案しても何が導き出されるわけではない。それは何かのフィクションだろうか。では架空の作り話の中で、君はいったい誰に励まされているのか。何はなくとも、とにかく続けようとする意志だけは捨ててはならないらしいが、そこには絶えず疑念がつきまとうようだ。まだやる気があるのか。そこでは何かが形骸化しているのかもしれないが、まともに語ろうとするなら、それを打破しなければならないようだ。できるだろうか。できなければどうなるのか。誰かは自らの内に欠陥を抱えている。気のせいかもしれないが、そんな自覚があるらしい。いつもの冗談でそんなことを述べているのだろうか。わかるわけがない。本当にわからないとしたら、君はおかしい。それが欠陥から生じている意識なのではないか。そしてそれが致命的だとは思われないところが、君を救いがたい愚かさの中に押しとどめている。わざとそんなふうに述べているだけか。本当は何でもなく、そこには何もないのだろう。だんだん面倒くさくなってゆくと、どうでもよくなってしまうのだろうか。そしてそれ以上は語れなくなり、気分がどうかしてしまったように思うようになるわけか。でもここまでやってきたではないか。でもこれ以上は無理か。何もそうだとは思わない。ではいったんやめることとしようか。やめたらおしまいか。おしまいでもかまわない。かまわなくともおしまいになってしまうだろう。ではどうしたらいいのだろうか。おしまいにすればいい。

 案の定しばらく間が空いてしまったので、完全にやる気を失い、どうでもよくなってしまったらしい。でもまだ先月が終わっていないではないか。どうやらノルマを果たせずに眠ってしまいそうだ。まだ起きているではないか。起きていても何もできない。笑っている場合ではないだろう。でもこれが笑わずにいられようか。結局何も語っていない。何かのわだかまりが解消していないようだ。そして嘘かもしれないが、わだかまりの意味がわからなくなり、そういう言葉の使い方ではないような気がしてくる。なぜそう思うのだろう。しかし何をわだかまっているのか。心が曇っている原因は何だろう。そんなふうに記せば何となく意味がわかってくるようで、ようやくわだかまりの意味を理解したところで、わだかまりも解消されてしまうのか。だがそれで何を述べていることにもならないみたいだ。とりあえずもう夜で、何となくテレビをつければ、相変わらずのオリンピック中継だ。たぶんそれについては何も語れない。嫌なんだろうか。わからないだけか。何がわからないのかわからない。かなり強引に意味不明なことを述べているわけだから、嫌なのであり、嫌がっている自らを理解できないのも無理はない。自分が理解できないものを他人に理解させようとするのにも無理があるか。実際には何が無理であるわけでもなく、それらの内容が理解できなくても、一応は読めるはずで、読めばそこから何らかの空想やら推理やらが生じるのではないか。それで理解したふりを装えばいいというわけか。別にいいわけがないか。では何なのか。何でもない。

 たぶん何でもないというのは嘘だ。どこかで何かがくじけているようだが、急に走り出して足でもくじいたのか。そういうことではないが、ただ疲れている。暑すぎるのだろう。生まれてこのかた何十回も体験しているのだろうが、とにかく夏は最悪の季節だ。気がつけば否定的なことばかり述べてしまっているらしい。ではもうだめなのだろうか。何がだめなのか。それがわからなくなっているようだから、実際にはだめではないのだろう。わざと弱音を吐くことばりに興じて、何だか冗談のような感じになってきたが、無理に言葉を記しているのだから、おかしくなって当然か。おかしくなるのが嫌なら、無理に言葉を記さなければいいのではないか。ならばもうあきらめた方がいい。今さら何をあきらめればいいのだろうか。そんなああ言えばこう言う状態から脱したいのだろうか。そして気がつけば昼になっている。今日は仕事の合間に言葉を記してみるが、そういうわけにはいかないらしい。気持ちが意識から遠ざかり、何も語れなくなっている。そのとき何を語ろうとしていたのか忘れてしまったらしく、必死に何かを思い出そうとしているみたいだが、そういうわけにはいかないようだ。ではどういうわけなのだろうか。たぶん君はそこで何かを語ろうとしていたのだ。それはさっき記したことだろう。どうもその辺で同じことの繰り返しになっていて、話が前に進まないらしい。しかしなぜ行き詰まってしまったのか。君の態度に問題でもあるのか。態度ということではないだろう。そういうことではなく、では何なのかと問うばかりで、それ以外はいくら考えても何も出てこない。またそれでかまわないと思い込もうとするのか。いい加減にそういうごまかしはやめた方がいい。


7月29日

 そこで何が繰り返されているのか知らないが、もうこんな時間だ。翌日の朝らしいが、どうせまた夕方になってしまうのだろう。時が経てば嫌でもそうなる。しかしまだ日付は先月ではないか。たぶんそれでも何とかしようと努力している最中なのだろうが、どうもはかどらない。数日後の今日も晴れて暑い。そんなことでしかないのだろう。他に何もないのはいつものことだ。蒸し暑いのはもう少しの辛抱で、それより勝ったり負けたりしたがる人たちの方が、早くテレビ画面上からいなくなるか。その種のイベントは年がら年中やっていて、入れ替わり立ち替わり現れては消える人たちなのだろうが、それを見るのが気休めになったり気晴らしになったりして、暇を持て余している人にとってはありがたいことなのかもしれない。もしかしたら君もそんなことを記しながらも、最終的には何らかの価値基準において勝ちを収めたいのではないか。しかしそれを続けることによって、何に勝とうとしているのか。誰かの歌詞で、いつかノーベル賞でももらうつもりでがんばっているんじゃないのか、というのがあったと思うが、現状ではあり得ないことか。冗談でならかまわないのではないか。ではいつかノーベル賞でももらうつもりでがんばってほしいか。たぶんがんばれないと思う。どうせ途中で中途半端のまま投げ出してしまうのだろう。いったいここからどうしろというのか。まったくあてがない。たぶんどうにもならないだろう。だから勝ち負けとは無関係に続けるしかないわけか。そしてどこへも至らないだろう。これらの試みは永久に未完成のまま終わるしかない定めなのか。始まりも終わりも定かでないのが本来の在り方か。何も残っていないし、何もありはせず、何かの断片の集積と記されるだけだ。そういう在り方でかまわないと思う。それ以外にどんな可能性があるというのか。達成感とは無縁か。人は幻想を抱き、そこにあり得ない勘違いが介在しているわけだ。そしてそれを肯定しようとしている。何やらすごい結果を導こうとしているわけだ。自らが立派な行いをやり遂げようとしている。実際にそうではないのか。だからそれがあり得ないことなのか。

 でも君はそうなることを頑なに信じているのではないか。希望がなければやり遂げられないか。では結果的にどうなることを期待しているのか。しかしひねくれたことを歌っていた頃の井上陽水は『氷の世界』からどんな影響を受けていたというのか。時代の流れなのか、ある時期からひねたことを歌わなくなった彼は、今やモノマネ芸人のネタにしかならないのはどういうわけなのか。要するに優しいことしか歌わなくなったとたんに人から尊敬されなくなってしまったということか。そんなことはないと思いたい人もいるだろう。君の勘違いかもしれず、今でも彼はモノマネ芸人のネタにならない頃の歌を歌っているのかもしれない。だが君はかつての彼をそれほど評価しているわけでもないのだろう。まるで上から目線で述べていること自体が勘違いもいいところか。ふと車窓から外を見れば、目の前には郊外の田園地帯が広がっている。聴いているのはマーカス・ミラーのライブか。皮肉な結果ばかりを取り上げて、したり顔をしているようではだめなのか。過ぎ去った時は永久に戻ってこない。人は成長してしまう。今では魅力を感じないことも多い。新幹線の高架下に祭りの提灯が並んでいる。夏祭りの準備でもしているのか。田んぼの中に同じような型の一戸建てが数十軒密集している辺りを通り過ぎ、さらに北へと向かっているようだ。意識が完全に置いてきぼりを食っているのかもしれない。なぜそう思うのか。メインストリームが今どこにあるのか知らないが、どこかでヒット曲が歌われているのかもしれず、48人の団体で歌われている姿に心奪われる人たちも確実にいるはずか。だがそんなことはまったく知らないチベット人とかインド人とかによって歌われている歌もあるらしい。世の中のほとんどはその手の勝ち負けとは無関係なことでしかないわけか。宇宙のほとんどは未知の暗黒物質で満たされていたりするらしい。それとこれとは無関係だろうか。決まっているではないか。自らが何を決めようとしているのでもなく、その場の成り行きに流されながらも、かろうじて見出した何かをつかもうとするが、その大半は空振りに終わるしかなく、結局何も成し遂げられぬまま、忘却の彼方へと消え去ろうとしているわけか。今ではその存在すらなかったことになりそうな気配だ。


7月28日

 いくら記しても終わりにはたどり着けそうにない。どうやらこの辺で息切れか。ところで君は何か壮大な計画でも持ち合わせているのか。冗談でなら世界征服とかいうことになるだろうか。無理に決まっているのに、あえてそういうことを口走ってみせる蛮勇でも持ち合わせているわけか。蛮勇でも何でもなく、ただの冗談として片付けられて、その場はおしまいか。まったく冗談にもなりはしない。征服ではなく制覇ならどうなのか。そういう携帯ゲームか何かにはまっているわけか。それも想像できないことだろうか。ボクシングか何かで世界制覇した人なら少しはいるのではないか。少なくとも君ではないだろう。では何なのか。気まぐれか何かでそんなことを述べてみたまでのことか。たぶんそういうことだろう。本気でそんなことを思っているわけでもなく、またいつもの苦し紛れの何かかもしれない。他に語ることがないのか。図星かもしれないが、何だかそれでもかまわないような気がしている。何を記してもどうということはない。たぶんそれでも正気なのだろう。他に何がどうなっているわけでもない。どうにもならないからそんな具合になっているわけか。たぶんそうだろう。今の君にはそんなことしか語れないのか。そうかもしれないが、何だか大げさなことをやりたがる人がいないと、それらの物語は成立しがたいのだろう。要するに世界征服に乗り出すような人がいないと、それに立ち向かう正義の徒が存在できないというわけだ。そんな漫画を読み、そんな映画をテレビで見て、何かおかしいと感じるのはそういうことか。もしかして本当に必要ないのは、その手の漫画や映画なのかもしれないが、反感を買うのでそんなことは口が裂けても言えないか。すでにここで述べているではないか。でもそれは冗談のたぐいだ。それに別に世界征服の野望を抱いている輩が出てこない映画や漫画などいくらでもあるし、むしろそちらの方が多数派だろう。だから何だというわけでもなく、それを語る理由などありはせず、何だかどうでもよくなってきたようで、その辺でやめたくなってくるらしいが、どうしたものだろうか。まだだめか。いったい何がだめなのか。とりあえずまだ途中の段階か。

 とにかくやれるうちに前へ進んでおかなければならず、内容がどうであれ、言葉を記しておくべきだ。でももう時間がないか。焦っているのだろうか。そうに決まっている。焦らなければやる気がでないのではないか。それもそうか。では焦ったついでにさらなる記述を継続させてみよう。できるかな?その時点で頭がおかしくなっている。ヤバいのではないか。たぶんそうだ。世界征服の野望はその後どうなったのか。たぶんどうにもなっていない。漫画の中では誰かと誰かが戦っている。この世界の中では誰がどうあるべきでもなく、その存在がどうしたわけでもなく、たとえ不在であっても関係ないだろうか。何と何が関係ないのか。必死になる必要がないということか。しどろもどろになっているかもしれないが、別に酒を飲んで酔っぱらっているわけでもなく、あまりに蒸し暑いので、烏龍茶をがぶ飲みしているだけか。腹をこわすだろうか。つい今しがたアイスを二つ食べた後だ。いつまでも扇風機にあたって風邪を引かなければいいが、その程度のことで済むなら万々歳か。ではヤバいのはどういう風になったらそうなるのか。死ぬ間際に自分がもうすぐ死ぬことを知ったら、本当にヤバいか。絶望のあまり自殺してしまったら、もうすぐ死ぬことを知ったのは、それが自殺だったということか。何だか話の内容が見えてこない。そんなはずではなかったのだろう。でもおかしいことに変わりなく、急に破れかぶれになりがちになり、馬鹿げたことを記している自らが恥ずかしくなり、やめてしまいたくなるか。冗談でならそれでもかまわない。では本気ならどうなのか。今さらなんなのか。何でもなければ、今さらでもないだろう。朝方に急に起きて、翌月になったことに気づき、それらが絶望的な遅れを伴っていることに愕然とするのか。それでも大したことはない。ここから巻き返せばいい。今までもそういうことの連続だったはずだ。要するに君はそんなことしかできないのだ。そう思うならそれをやればいい。だから今も黙々と言葉を記しているはずだ。そんなことの繰り返しの中から、君が君であることを見出せばいいのか。だがそれで何を見出していることになるのか。どうやら君はまだそれに気づいていないようだ。


7月27日

 まだやる気になっているのだろうか。どうやら懲り懲りなのに懲りていないらしい。わざと矛盾したことを述べていたいのか。たわいない強がりのたぐいかもしれず、無理なのに無理を押し通して、それでしてやったりとまではいかないにしても、どうにかこうにか少しでも言葉を記してしまいたいらしく、そんな衝動に駆られながらも、まともなことを記すきっかけをつかみたいようで、無駄で無為なこととは重々承知で、強引にひたすら言葉を記すモードに入ろうとしている。それで何とかなったと勘違いすることができるだろうか。なぜ勘違いしなければならないのか。それは自己暗示の一種だろうか。君はできると思い込みたいのか。危機をうまく切り抜けた先にバラ色の未来が待っていたりするわけか。そのすべてにご都合主義が介在して、くだらぬ妄想に取り憑かれているのだろうか。そうだとしてもなおのことやり遂げようとしてしまうのはなぜなのか。ただ遅れていると事実におびえ、終わってしまうのが怖くて、そんな切羽詰まった状況に追い込まれているわけか。だがそうならなければやろうとしないだろう。時間がないだの何だのといいわけを並べることは簡単だが、それでは済まないと感じるから、小心者特有の焦燥感とともに矢鱈めったらと言葉を記すはめに陥り、そのあげくにどうなってしまうのか。こうなっている現状があるわけか。そんな現実がもたらされていて、君はそれが気に入らないのだろうが、それ以外にはやりようがないので、渋々それを継続させているわけか。しかしそうやって何を説明しているのだろうか。現状を説明しているのだろう。どうにもならない現状を、どうにもならない語り方で説明している。そしてそれでかまわないと思いたいわけか。そんなことはない。難儀なことだが、そんな状況を切り抜けなければならない。そう思ってそういうことを述べているわけだが、それも矛盾しているだろうか。述べていること自体がそういう状況を招いているからか。でもそれ以外にやりようがない。それはどうにもならない袋小路にはまっている現状を示していることにでもなるのだろうか。そう思うならそういうことでもいいのではないか。別に何があるわけでもない。

 そんなわけで延々とそんなことを記しながら、ここまでやってきた。それも自己言及のたぐいだろうか。孤独な作業に熱中しているわけでもなく、冷めた感じでそれらとの距離感を醸し出したいのだろうが、うまくいくはずもなく、だいいちそんなものを醸し出したいと思っているわけでもないのに、そう記している現状がおかしくてたまらないわけでもなく、何だか苦し紛れの悪あがきということかもしれないが、なおのことそんな記述を繰り返したくなるらしく、本当か嘘かわからないが、そういうやり方がどこで通用するとも思っていないのに、苦渋の選択としてそう語っているとも思えるのかもしれず、それが逆に何かの糧となり、それらの継続を許しているのだろうか。そうだとしても、たぶんそれは何の救いにもならず、そんなことを続ければ続けるほど、よりいっそう苦しくなって、やがて本当に何も記せなくなってしまうのかもしれないが、たぶんそうなった時のために、都合良く外部という存在に気づかせられ、心の内部を空疎な言葉で語り尽くしたら、今度は外部について実りある言葉で語り尽くそうとするわけか。それは冗談に違いない。それこそ御都合主義の極みか。空疎な抜け殻でしかない君に語れるはずがないだろう。だから君が語るのではなく、他の誰かが語ったらいいというわけか。しかし具体的に誰がそんなことを語るのだろうか。心当たりはなく、思い当たる節もなさそうだが、誰かそんなことを語ってくれないか。冗談とともにか。なぜそこに冗談が必要なのか。くだらぬ内容を伴いたくないからか。絶えずわけがわからないような内容で、読む者を戸惑わせなければならず、決して安心させるような内容であってはならないだろうか。なぜそうしなければならないのか。それがこの世界の本質に触れているからか。君は読んで安心させるような内容であってはいけない理由を知りたいのか。誰がそれを知り得るだろう。知る必要さえ感じない人たちが世の大部分を占めているのではないか。それこそ君の勘違いだろうか。たぶんそうかもしれない。たぶんこの世には読者を安心させる内容の書物が必要なのだ。たぶんそれは人の存在を肯定させるためには必要なことなのだろう。


7月26日

 どうもここからができなくなり、気がつけば翌朝になっていることが多い。眠ってしまったわけか。客観的に考えればそういうことになりそうだが、他に何を考えているわけでもなく、この際客観も主観も関係ないように思える。しかし何がこの際なのだろうか。またやる気を失って、心がこの世界から外れてしまいそうになる。笑っている場合なのか。危うく言葉を記すのを忘れて眠ってしまうところだった。でももう間に合わないだろう。実際に眠ってしまったのだから、さらに一日遅れとなる。何だか知らないが、仕事がトラブル続きで疲れてしまったようだ。果たしてこの停滞から抜け出せるだろうか。無理なような気がする。ではもう終わりなのか。そうなったらなったでかまわないか。どうもここで終わりの気配を感じるらしい。何に苛まれているのか。暑さと何か。本気ではない。どうも誠実な対応ができないらしい。面倒くさいのだろうか。馬鹿げたことかもしれず、どういうことはないのだろうが、それでも疲労感が増してくる。今はできなくても、いずれは何とかしなければならないのだろう。今も何とかしている最中なのだろうか。わからないが、うまくいかないことだらけというわけでもなさそうだ。きっちりと対応できている時もあるだろう。しかし現状はとりとめがない。何が欠けているかはわかっているはずだが、欠けているそれを埋める方向へは力が働かないらしい。たいていの場合は放置されるがままで、そのまま風化され、浸食を被り、もうしばらくしたら跡形もなくなっている。そんな光景を眺めながら、君は何を思うのだろう。君に訊いてみなければわからないことか。実際には何を眺めているわけではなく、言葉を記しながら、ふと目を上げれば、辺り一面に夕闇が迫ってきているだけか。おかしなことか。そういう成り行きがおかしいのか。たぶんそうではない。どうもこの世界は君の存在を遠ざけながら、同時にその不在を顕在化させるような成り行きで、それらの話を進行させようとしているらしい。

 またそんな嘘をついて、自意識を戸惑わせようとしているのかもしれないが、話の筋が一向に見てこないようで、この先に何を記したらいいのかわからなくなり、ただ途方に暮れるばかりのようだが、本当に語るべきことを見出せず、すでに終わっているような気分を味わっている。それも嘘の類か。何とかしようとすると、必然的にそうなってしまうのかもしれず、それは無理に語ろうとしている証拠か何かか。そんなことはないだろう。今さら何をやっても無駄だとかだめだとかというわけではなく、とりあえず語ろうとすればいいのであって、結果が思わしくないとしても、それは避けては通れぬ過程なのかもしれない。しかし何なのだろうか。何でもないに決まっているか。だがいくら強がってみても、結果はこんなていたらくか。それが理解不能なところなのか。一方ではそれでかまわないと思い、もう一方では何とかしなければと思い、実際にやっていることは、中途半端の箸にも棒にもつかないことか。だからそれでもかまわないのだろう。そうなるしかないような成り行きの中で、流れに身をまかせているのだから、それは当然の結果なのだろうか。だからどうしたらいいのかと問い続けても、何ら答えを導き出すには至らないのか。たぶん冗談なのだ。だからもっと割り切るべきだ。ここはくだらぬことを延々と述べておくべきだ。ようは開き直りが肝心か。それは本当だろうか。本当も嘘も関係なく、ただそうすればいいだけかもしれず、いつまでも迷っているなら、さっさとやめて別のことをやればいい。しかし誰がそう勧めているのか。それも冗談のたぐいだろうか。冗談であろうとなかろうと、今やっていることをとにかく続けるしかないのだろうか。そうに決まっているだろう。またずいぶんとくどくどと繰り返し述べている。この期に及んで何を迷っているのか。その辺がよくわからないところだろうが、これも迂回のたぐいで、どんどん遠回りしながら、無駄に言葉を記しているようで、どうしてもまっすぐに語れないらしい。要するに語る必要がなく、何も語ることがないから、こうしてぐだぐだとつまらぬ言葉を連ねて、自己満足に浸るまではいかないにしても、最低限のノルマを果たしたような気になりたいらしく、時折ため息をつきながらも、やっとのことでここまで記してきた感じがする。


7月25日

 まだ雨が降っている。日付的には数日後のことか。まだそんなことにこだわっているらしいが、いい加減にあきらめたらどうか。それにしても数日後の今日はやる気になっているようで、さらに言葉を記すつもりらしい。無理か。やってみなければわからないだろう。でも結局は寝てしまい、翌日の夜になってしまったようだ。数日後の今日はまだ雨が降らないようだ。またとりとめのないことを記してしまうのだろう。つまらなくなって嫌になるのか。でもそういう成り行きなのだからあきらめるしかないか。それ以外は何を記したらいいのかわからない。すでに数日後の今の時点ではオリンピックが始まっているようで、テレビをつけたら白と青の柔道着を着た二人が四角いエリア内で取っ組み合いの最中だ。プールの中で一斉に一方向へ泳いでいる人たちもいるらしい。みんなひたすらごちゃごちゃしたことをやっているようだ。君にしてみれば、それらすべてが滑稽に映るのだろうが、反感を買うような言動はしばらく慎むべきか。あと半月も経てば一段落したと思ったら、だめ押し的にパラリンピックが開幕したりして、それから二年経てば冬のオリンピックが待ち構えているわけだ。時間経過としてはそういうことになりそうで、別に誰かの狂態を眺めているわけではないのだろうが、今年は時期が夏の高校野球と重なったりするのだろうか。まったく興味がないわけではないだろう。ニュースでも見たら、嫌でもその話題になるのだろう。メダルが何個とかいうことか。君はそういうのに感動したりするわけか。また反感を買うようなことを述べてしまいそうになるが、そういう言動の何がいけないのだろうか。何がいけないのかわからないところが何よりもいけないところか。また笑っているようだが、何がおかしいのかわからないのににやけた面をしているところもいけないか。金メダルを目指して四年間一生懸命がんばってきた人が、負けて悔し涙を流していたりするわけだ。そういうのが感動的な光景なのだろう。メディア的にはそういうことなのか。別にそれの何がいけないわけでもない。

 君には何が何だかさっぱり理解不能なのだろうか。わざとそんな嘘をついているみたいだ。要するに君はひねくれている。また身もふたもないことを述べてしまっているようだ。ひねくれ者で片付けられ、また忘却の彼方へと誘われてしまうのか。もう忘れてしまったようだが、そこで何を狙っているのか。まったく的を射抜けない。別にアーチェリーをやっているわけでも弓道に興じているわけでもなく、ただ言葉を記しているだけなのに、それはないだろうか。どこかでわざと外しているみたいだ。どうせ本気でそう思っているわけでもないのだろう。何が何だかわからなくなる。言葉を記そうとすると決まってそうなり、気がつけば心がそこから離れられなくなってしまう。そんなはずがないと思いつつも、無理に言葉を記しているうちに虚無の中へと取り込まれ、自分を見失い、誰が何を記しているのかわからなくなり、目の前にある事物をどう捉えたらいいのか、判断がつかなくなってしまうらしい。善悪の判断というのとは明らかに質が違うようだ。それらの何が悪いとも思えず、そうかといって何が良いとも思えない。ただごちゃごちゃしたことをやっているとしか感じられず、たぶん世間的には無駄で無意味なことをやっているわけではないのだろうが、あれらの必死さやひたむきさが、そうであればあるほど君を困惑させるらしく、ある種の価値を内包しているような行為であるはずなのに、なぜか君はそういうものから遠く離れたがっているように思われてきて、無関心を装えばいいのに、なぜか馬鹿にしたようなことを記して、反感を買いたがっているようなことを述べたがるわけだが、たぶんそれがいけないことなのだ。しかし人は何のために生きているのか。そこに必死にならなければならないような動機があるわけか。いったい何に駆り立てられているのか。闘争本能か何かが働いているのだろうか。かつて『我が闘争』という題名の書物を読んだことがある。興味半分面白半分でそんなものを読んで、そこから何か得るものがあったのだろうか。何も得られなくても、書物を読む行為そのものが、君に気休めや気晴らしをもたらしてくれるのだろうか。だが読書とはその程度のことなのか。たぶん現時点ではそうだ。


7月24日

 それでも君はどこかへとたどり着こうとしている。部屋の中か。部屋の中で言葉を記しているだけではないか。それが大事なのか。そうなっている状況を保たなければならない。本気でそう思っているのだろうか。わからない。どこかへたどり着こうとして、結局どこへもたどり着けないのではないか。君が予感しているのはそういうことだ。では他に何を予言したいのか。人々が患っている有名人病の行き着く先に待ち受けているのは、果たして君が描いたような世界の到来になるのだろうか。そんなことはわからない。しかしいったい誰がそんな世界の到来を予言したというのか。また嘘をついているわけか。それに関しては何も思いつかない。なぜだろう。でも暑い日が数日経過して、ようやく雨の気配が漂ってきた。遠雷の音も聞こえてくる。ところで君は何か忘れていないか。何だか子供騙しのような気がする。何がそうなのか。虚無を前にして隠し事は良くない。そういうことではない。では何なのだろう。いつもの意味不明か。本当にこのままではどこへもたどり着きそうにない。それは危険な兆候なのだろうか。それともそれもそうではないか。では他にそうではないようなこととは何か。何を探しているとも思えないか。その代わりに音楽を聴いているわけか。どうやらまた厄介なことになってきたようだ。そこで何を迷っているのだろう。君が知っている話ではない。どうやら雨が降ってきたようだ。やっとこの暑さからもしばらくの間解放されるのか。それでもまだ夏が続くのだろう。誰かがそれを望んでいるのだろうか。君の知ったことではないような気がする。誰もそんなことは知りはしないだろう。雷鳴が鳴り響く中、何を語ろうとしているのでもないのに、ただ言葉を記し、自らが何を考えているのかわからなくなり、そして次第にどうでもよくなってしまうのか。雨は激しい土砂降り状態だ。やがて気分がどうにかなってしまうのか。雨脚が弱くなったら見回りにいってこなければならないか。しかしそれが何を意味するのだろうか。問題だらけの故障だらけで、年がら年中修理の連続か。

 ほしいものなどありはしない。なぜか虚しくなってしまうようだ。人は何を求めているのだろうか。富と名誉がほしいのか。そう言ってしまっては身もふたもありはしない。意識がそこから外れることが肝心か。またそんな嘘をつく。何がどうなっても素直に喜べないようだ。まったく馬鹿げているだろうか。何がどうなろうと、人に可能性などありはしない。それはどういう意味で述べていることなのか。モアイ像の制作が島民を自滅に導いたことのようなものか。人は常に不毛の荒野を目指す。それが自然の流れなのだ。だからわざわざ君がそれをまねることはない。しかしそれで何を述べていることになるのだろう。心のバランスが崩れ去ろうとしているわけか。そうだとしても笑うことしかできはしない。たぶんその時点で気が狂っているのだろう。だから他人の共感などまっぴらごめんなのだろうか。まだそこまで独りよがりではないか。何をどう述べてもおかしいようで、話のつじつまなど合わなくて当然なのかもしれない。まだ何も語っていないのだから、それは話以前の問題なのか。話自体がない。そういうことでもないだろうか。とにかく遅れを取り戻そうとしているみたいだが、まったくやる気がでないようで、何だか意味もなく呆然としている。目の焦点が合っていない。蚊に刺されたのだろうか。それは数日前のことだ。そんなふうに語る必要はないのだろう。今さら何を語ろうとしているのか。何を語ってみても、ただそうではないと思うだけか。でも言葉は記さなければならず、こうして意味もなくだらだらと記している最中のようだが、どうもしっくりこないのはいつものことで、こんなことをやるべきでないと思いつつ、やってしまっていることを後悔するしかないのだろうか。だがいくら悔やんでみても、意味不明に変わりはないだろう。何がそうなのかわからないが、とりあえずここはそういうことにしておきたいような気がして、SLY&ROBBIEのYes,We Canを聴きながら、こんなものでいいのではないかと自分に言い聞かせる。どう考えても大したことは述べていないようだ。


7月23日

 まあいいんじゃないだろうか。そこで何を語ってもかまわない。それだけのことか。それだけではないと思いたいのだろう。いつものことだ。しかし政治とは何なのか。歴史的にそういうことが必要な過程があったということか。では果たして政治に人が必要なのだろうか。必要に決まっている。その辺で何か思惑があったのか。何のことやらさっぱりわからないか。常套句とはそういうものだろうか。政治に関して何を述べているわけでもない。何をねじ曲げようというのでもなく、たぶん何をどうしたいのでもないのだろう。考えれば考えるほど眠たくなり、君はそのまま眠ってしまい、目が覚めればまた翌朝になっている。昨日は何を考えていたのか。何でもないことであり、言葉がまとまらず、ただ漠然とそんなことを思っていたに過ぎないのか。それでも相変わらず言葉を記しているではないか。でも今は迷路の中だ。何を取り込もうとしているわけではない。特定のイデオロギーに肩入れしているわけでもなく、主張すべきことなどありはせず、皮膚炎が悪化してかゆくなっているだけか。なぜそう思うのか。いらついているとも思えない。馴れているのだろうか。それもあるだろうか。だがここで何を述べたいのでもなさそうで、この先に言葉を記していっても、どんな主張が出てくるとも思えない。ではどうしたらいいのだろうか。やめるべきか。やめたいのではないか。そう思うならどうぞやめてほしいか。そう簡単にやめられるとも思えないか。どっちにしたって無理なのだろうから、今は黙って状況の推移を見るしかない。何とかしたいのなら、すればいいだけか。だから結論ははじめから動かないのであり、さっさと数日遅れで言葉を記せばいいだけのようだが、どこまで記せるだろうか。今現に記しているではないか。無内容かもしれないが、とにかく記している最中か。悪あがきだろうか。だがなぜ記述を否定的に捉えるのか。

 自家中毒の兆候を見せているのではないか。独りよがりでみっともないとも思うが、たぶんそれで何がどうなったわけでもないのだろう。言葉の連なりが長過ぎるのか。どう評価すればいいのかわからなくなり、またくだらぬことを思い出そうとしているみたいだ。たぶんそんなことの繰り返しなのであり、まだ正気に戻るまでに時間がかかりそうで、どうもうまくいっていないようだ。なぜこうなってしまうのだろうか。何か因果関係でも突き止めなければだめか。でもそれ以外では結果的にうまくいっているのではないか。何かの兆候を事前に察知して、うまく先手を打ち、破綻しそうだったのをぎりぎりで持ちこたえたではないか。そのために言葉を記すのが遅れてしまったとしても、これから挽回すればいいだけか。果たして挽回できるだろうか。やってみてから判断すればいいだけのことか。今が挽回している最中なのだろうか。さあ何だかわからないが、何かの無限ループのごとくに同じ言葉を繰り返し記してしまうのだろうか。実際にはどうなっているのか。何か悪い夢でも見ている感覚のようだが、現実は今どこにあるのだろう。ここにあるに決まっているだろう。たぶんそれがよくわからないのだ。そんな嘘がどこにあるのか。何が嘘なのだろう。どこかで記述が暴走しているようだが、それでかまわないのか。かまうわけがない。野良猫をかまっているわけではない。手の甲がかゆいだけか。気持ちにむらがある。昼が暑すぎたのか。あるいは仕事がきつくて疲れてしまったのだろうか。なぜか語っているすべてが嘘のような気がしてくる。本気でないのはいつものことだから、それでもかまわないのだろうが、何だから頭の中が混乱してきたので、気休めに音楽でも聴くとしよう。はじめは何を語ろうとしていたのだろうか。何か政治について考えていたのではなかったか。だが今となっては完全に脱線してしまって、意味不明気味に自己言及ばかり記している始末だ。そんなわけで今回は完全な失敗に終わってしまったらしく、この辺でやめておいた方がよさそうだ。


7月22日

 コーヒーを飲まなかったから眠いのか。また流行り廃りの何かについて考えているのだろうか。そういう説明がなっていない。わかりやすいことを述べてはまずいのか。君の勝手だろう。ならそれでかまわないのではないか。ここは闇夜などではなく、蛍光灯に照らされ、それが君にどんな影響を及ぼしているわけでもなく、ただなんとも思っていないに過ぎず、そんなことを記しながら、無気力無感覚の姿勢を崩そうとしないのは、他の誰でもない。君でもないのではないか。その辺がごまかしどころなのだろうか。君にはわからないが、他の誰にもわかりはしないだろうから、これからどこへ向かうわけでもないと嘘をつきたくなり、それ自体が嘘であることも承知しつつ、わざと何が何だかわからなくなりたいようでいて、そのくせせこい計算も働いているようで、それで記述が継続できたらしめたものか。いつもそうなのではないか。たぶん今に限ったことではない。今もそう思っているのではないか。わけがわからないように装いながら、拙劣な意味不明を多用して誰を戸惑わせようとしているわけでもなく、たぶんわけがわからずにそんなことを述べているのであり、自らも理解不能なことを述べている事実を、他の誰が受け止めてくれるとも思えず、君はひたすら疲れ、そこで言葉を記すのをやめてしまう。まったくやっていられない。でも翌日はさらに疲れているはずで、言葉を記すどころの話ではないらしく、冗談を口走る余裕などまったくなく、ただひたすら働いているだけか。でもすでにその翌日を乗り切った後の時間帯に到達したらしく、昼の間中立ちっぱなしで膝ががたがたになっていて、かなり辛い状態になっているようで、肉体的にも精神的にもだいぶこたえているみたいだ。それでも何とか言葉を記し始め、それをやり遂げようとしている。冗談ではないのか。それとも正気とは思えないか。確かに正気ではないが、完全に気が狂っているとも思えない。そんな嘘自体が意味不明なのか。それも違うと思われる。

 誰を驚かそうとしているのでもなく、言葉の並び的にはその程度のことでしかない。またわけがわからなくなっている。眠ってしまったらしい。疲れていたのだろう。それにしても何も思いつかない。こちら側に来るとそういうことが多い。仕方のないことなのか。それでも強引に言葉を記そうとすると、こうしておかしなくなってしまうようだ。そして終わりは突然にやってくる。もうお前は用済みだ。誰かがどこかで首になってしまったらしい。よくあることか。そして人が入れ替わり、また何事もなかったかのように世の中が回っていくのだろうか。君は常に試されている。終わりの時はあっけなくやってくるようだが、まだその時ではないのだろうか。さらにそこから粘るのか。だがもういい加減に飽きてきたのではないか。自己満足に浸るわけにもいかないだろうか。なぜそう思うのか。できないのだろうから、できないなりに振る舞うべきか。エンジンがかかるまではこんなていたらくになりそうだが、それでも言葉を記すことは必要か。夢を見ることも必要かもしれない。本当にそう思っているわけでもないのに、なぜか言葉数を確保するためにそう記し、自分が自分でないような感覚に陥るが、それだけはない。着地点が見えなくなり、あらぬ方角へ視線が向いているらしく、たぶんそれでも違うのだろうが、何とかつなげようとしているらしく、意識的に無理な感じを醸し出しながらも、その辺で妥協を図り、自らに言聞かせながらも、気乗りしない作業を続けようとするが、やはりそれではだめだと思ってしまうのか。たぶんだめなのだろう。彼はもうポンコツなのか。だいぶ前からそうだったような気がするが、寄る年波にも勝てないのがこの世界の自然な流れで、それはそれで彼にとっても良いことなのかもしれない。君はまだ粘ろうとしているようだが、何かの終わりが見えてきたことは確からしい。着実に何かが移り変わろうとしているのだろうか。季節が移り変わるようにか。そう述べて何を伝えたいのか。悲惨な気分で最高の結果を出したいわけでもないか。何を皮肉るわけにもいかないらしい。何とかしようとしているのだろうから、そんな悪あがきも前向きに捉えるべきなのか。それにしては結果がお粗末すぎるだろうか。ならどうにかしなければならない。スポーツ選手のような引退とは無縁だろうから、けりをつけるような場面を想定するわけにはいかないのか。


7月21日

 また何となくこちらへきてしまったようだが、何を述べているのかわからない。曇り空からたまに雨粒がパラパラと落ちてくるが、今のところ本降りにはなっていない。相変わらず疲れているようだ。無理なのだろう。何だかそう思い、忘れてしまいそうになる。待つ身は辛いか。何を待っているのだろうか。侍とは何か。不意に思ったが、感じではなく漢字が少し違うらしい。それに何を語っているとも思えない。脱力感で満たされた午後か。それも意味がわかりそうもない。やる気が失せたまま、別の成り行きに身をまかせ、やっていることもどんどん記述作業から遠ざかり、何かの渦中で我を忘れ、それからどうなってしまったのだろう。忘れるわけがなく、意識がまたここへ舞い戻ってきたようだ。言葉を記さなければ気が済まないというわけか。でも空疎な内容に終始している。意志薄弱で、まとまりを欠いているらしく、語る対象を見失っているようで、何も語れなくなっているようだが、それでも何とかなると思っているのだろうか。強引に何とかしてしまうわけか。何ともならなくても、何とかしたように装いたいわけか。まさに今そうしている最中のようで、どうもこちら側にきてしまうと、とたんにいい加減なことを平気でやってしまう。しかしこちら側とはどちら側なのか。どちら側でもなく、こちらはこちらでしかないようで、あえてそれを明らかにできない事情があるわけでもないのだろうが、結局こちら側では何も語れないらしく、またあちらのお世話にならないと、まともなことは何一つ記せなくなってしまうようだ。では今日はこの辺でやめておいた方がいいのだろうか。やめるも何も、もうかなり遅れているような気がするのだが、本当のところはどうなのだろうか。

 今日は電車で移動する必要はないか。その時の状況次第かもしれないが、今は何ともいえないようで、何かおかしな具合となっていて、雲行きが怪しくなっているのと似たような状況に追い込まれようとしている。でも久しぶりの環境はやはり楽なようで、何もはかどらなくても、それはそれで気分転換にはなるらしい。そして今は電車の中か。夜になっている。あれから時が経ったのだろう。慌ただしい一日だったが、何とかここまでこぎ着けたらしく、明日も明日で慌ただしくなることは目に見えていて、憂鬱な気分となるわけでもないが、先が思いやられるようだ。いったい何がどうなってこうなってしまうのか。どうもおかしい。人は何を求めているのか。何を区切る必要もない。何事も思い通りにはならず、何をやってもストレスが増すばかりか。でもそんな嘘をついてどうするのか。実態はその逆なのではないか。なぜそう思う。理由などわかるはずもないが、なぜか先を見通す力が増してくるようで、事前の準備が功を奏して、何とか破綻せずに、うまく難局を乗り切ったのではないか。でもこれからが正念場なのだろう。そう思っているだけで、本当は何ともないのではないか。何だか底が抜けている。鬱積が溜まらずに、どんどん抜け落ちてしまうように思われ、その辺で何だかおかしな感覚にとらわれていて、そのままどこかへ導かれているような気がして、そうなるための成り行きの中に意識があるのだろうか。そう思うならそういうことにしておけばいいではないか。そのまま調子に乗って生きてゆけばいいだろう。それで何か不都合なのか。成功を手にするのが怖いのか。そんな大げさなことでもないだろう。何か大それたことをやっているわけでもなく、ただ淡々と言葉を記し、それで一定の分量に達したら、つかの間の満足感を味わうだけではないのか。たぶんそうなったらおもしろいと思っているはずで、そうならなくてもかまわないのに、密かにそれを期待するふりをしていて、何だかその辺でややこしいことになっているのではないか。いったい君はこの世界の何に魅せられているのか。愚問だが、どうせ嘘か真か定かでなく、何がそうなのかわからないままに、さらに記述を続けようとしているのだろう。


7月20日

 これも予想通りにだんだん暑くなってきたようだ。なにか胸騒ぎがするので、早めに準備しているようだが、果たして間に合うのだろうか。わからないがそんなふうに思っているのだから、そのとおりに行動すればよく、実際にそうやっている最中だ。やる気がしないか。いつものことだ。言葉を記そうとすると眠たくなり、実際に目を閉じて居眠りの最中かもしれず、まぶたが重いようだ。少し眠ってしまったらしい。何も考えていない。曇り空だが雨の心配はなさそうだ。でもなんだか疲れが出ている。朝から何かに振り回されっぱなしか。なかなか思うようにいかない。それでも時間を見つけて言葉を記す。悪あがきだと思えばいい。でもそれが最後になるわけでもないだろう。悪あがきなのだから、あきらめがつくまでは執拗に繰り返されるのかもしれない。もう手遅れなのに、何とかしようとしているのだろう。何とかなるとは思っていないのに、何とかしようとしているのだから、始末に負えないか。それでもなんとか行動を完了させたではないか。後は結果を待つばかりのようだが、夜になって、何を待っているのでもないことに気づき、まだ行動が足りないような気になる。どうせその気になったらまた行動に出るのだろう。君の知ったことではないか。誰も知らない話題について語りたいのだろうか。そうではない。誰も知らなければ話題にならないだけのようだ。だから面倒くさくなって、意味不明となってしまうらしい。

 そして何もなくなり、言葉を記せなくなる。そうなったらおもしろいか。使われている言葉がありきたりだ。評論家に対する捉え方がありふれているのだろう。それで故人を冒涜しているのだろうか。たぶん必要ではないのかもしれない。人は死んだら忘れ去られるべきだ。残酷だと思うのか。死して名を残さなければ、その名から派生した権威にすがりついてくる人たちに申し訳が立たないか。誰の責任でもない。君はそう述べて何を蒸し返そうとしているのか。またゲットーの少年についてのラップだ。さっきから何を聴いているのか。意識が空回りしているように装いたい。もちろんそんな意味不明な嘘をついても、興味を惹きつけることはできない。それで工夫を凝らしているつもりか。言葉が辺り一面にとっ散らかっているだけだろうか。語ることなんて何もないのだ。だがそう言ってしまったらおしまいなのだろう。雑すぎて何を語っていることにもなりはしない。そして相変わらずそれでかまわないと思いたいのだろう。進歩がないか。またそんな嘘をつきながら、何か内容があるような気になりたいのだろうが、聴いているそれは雑音混じりの何かなのだろうか。シェーンベルクに決まっているようだが、それの何がおかしいだろうか。何ももたらせない。そんな思い込みにしらける。やる気がしない。あえてないものねだりを言うなら、何か妄想に耽るような言葉の並びを想像できないものか。頭がぶっ壊れている。それだけなのか。では何もかもがぶっ壊れていて欲しいのか。奇をてらっているわけだ。わざとねじれている。要するに見え透いているというわけか。誰にそれを悟られたくないわけでもなく、あえて見え透いたことを述べていると思われたいのかもしれない。その方がわかりやすいだろうか。

 何を狙っているのだろうか。ハーグローヴのトランペットを聴きながら、何か考え込んでいるらしい。しかしそれらの行いの中から何かを正したいのか。やっていることがあまりにも間違いすぎていると思われるが、それでかまわないと思うことが一番の間違いだろうか。眠たい。もう少しの辛抱だ。昨晩は夜の高速道路でカーチェイスでもしていたのだろうか。廃車間近のようなエンジン音を轟かせながら、ポンコツ外車で往復数百キロ走破したらしいが、それで何がどうしたのか。無駄足だったのかもしれず、それでも後から効いてくるようなことかもしれないが、今日もダメ押し的に、新幹線に乗っかって昨日よりは若干短い距離を往復して、なんとか義務を果たしたような気になるほどのことでもないだろうが、とりあえず一段落ついて、ほっと一息ということらしい。たぶんそれらが必要な迂回だったと自分に言い聞かせたいのだろう。実際にそうだ。何とかするとはそういうことなのかもしれない。何とかなったらいいが、見当違いだったら困るか。しかし実際には何をやったことになるのだろう。明日はまた南に移動しなければならない。そしてたぶんその時になったら考える時間を確保できそうだ。では後回しにしてもいいのだろうか。やるべきことをやらずにそれはないか。やっているではないか。こうして言葉を記している最中だ。でも気休めの気晴らしに決まっている。どうせまたそれでかまわないと思い込んで、それで済ましてしまうつもりだろう。ならばそれでかまわない。もういいと思う。


7月19日

 予想通りの遅れ具合か。それでも数日後の今日も涼しい。これ以上何を試みても何ももたらせないだろう。やる前から弱音を吐いているのか。でも心がどこへ赴くとも思えない。心ではなく身体がどこかへ赴かなければならないのではないか。そう述べていること自体が意味不明だからか。それもおかしいだろうか。何かがおかしいのかもしれないが、自意識がそれをわかろうとしない。それどころか開き直っておかしいままでもかまわないとも思っている。そんな体たらくだからあきらめざるを得ないのだろう。またそれだ。何がそれなのか。何ももたらせない原因がそんな記述にあるのかもしれない。さっきからだいぶいい加減で雑なことを述べているようだ。もとからそうだろう。どうやってもそうなってしまうのだ。ではどうしたらいいのか。さらに言葉を記せばいい。いつものパターンでかまわないのか。そのとおりだと思う。そうならなければそれらを継続させることは不可能なのかもしれない。そういうことならやめたほうがいいのか。やめられたらそうすべきか。それが出来なければやり続けるべきだ。君は冗談でそう思っているのか。冗談でなければ何なのか。ふざけているとしか思えない。自らそう思っているのだからそのとおりだろう。でもそれで何になるのか。ただそんな記述が続いていくだけか。

 だからそうならないように努力すべきなのだろう。君もそう思っているはずだ。他の誰がそう思っているわけではない。何とかしたいのだろう。そのつもりなのに、そうなっている現状があり、いかんともしがたく、そういう方向に流されていて、そこで何を承知しているのか知らないが、とりあえず承知している範囲内で言葉を記し、それらのいかんともしがたい状況を打破しようとしているのだろう。そのはずだが、結果がこうなっている以上は、うまくいっていないということか。そう思っていればいいではないか。それもなにかの導きがあってこそなのであり、君はそうやって導かれ、導かれるがままにそんなことを思い、そういう導きの力から逃れられなくなっているはずだ。だから従えばいいのか。何に従っているのだろうか。虚無の力か。でも今は闇夜ではない。そんなことはわかっているが、それとこれとは関係ないこともわかっているはずだが、たぶんそういう不必要な迂回をわざと記しているうちに、何かのきっかけが巡ってくることを期待しているのか。それはないものねだりのご都合主義から生じている期待か。そう思われても仕方がないような気がするが、何もないよりはたとえごまかしに過ぎなくても期待があったほうがマシだろうか。そんなわけで君はそれらの状況が改善に向かうことを期待している。もはや嘘でも何でもかまわないらしく、何とかする方向で努力するしかないらしい。

 まだ記述が続いている。行き詰まるような状況にないか。君が強いているのだろう。記述を強いている。ひたすらそんな感じだ。空き時間にテレビの将棋番組を見ているのだろうか。誰の知ったことでもない。知りはしないだろう。どこかで何かが抜けているだろうか。相変わらず君の知ったことではない。抜けているのは確からしく、予期しない展開に焦りを覚えたりして、笑っている場合ではないと思うが、なぜか笑いが止まらなくなり、笑いながらも自らの負けを覚ってしまうわけか。困っているようだ。何かが大詰めを迎えている。まだテレビを見ているらしい。粘っているようだが、悪あがきか。気が気でないようだが、テレビを消して、もう結果などどうでもよくなってきたのではないか。すでに済んでしまったことなのだろう。まだ何も見つかっていないようだ。見つからないまま、何もかもが済んでしまい、後は昼の出来事を忘れるだけか。面倒臭いが、またいつか想い出すだろう。その時になったらまた思い悩むのだろうか。何を悩んでいたわけでもないのに、それはないか。ではこれまでの記述は何だったのか。今となっては思い出せないと嘘をついて済ましてしまうか。何が済んだわけでもない。これからどうするのだろうか。いきあたりばったりで悪あがきを繰り返すだけか。そうかもしれず、それでもかまわないと思っているのだろう。ただ面倒くさい。考えるのが億劫になっているようで、デタラメに言葉を繰り出すばかりの展開で、それが悪あがきと映るのかもしれないが、今のところはこうするしかないのだろう。


7月18日

 相変わらず疲れているのだろうか。数日後はオホーツク海高気圧のおかげで涼しくなっている。つかの間か。どうせまた暑くなるのだろう。夜に雨が降っている。それだけのことだ。昼は仕事をして、夜に言葉を記す。それだけのことでしかない。飽きているのだろうか。でもやめるわけにはいかないのだろう。日付が遅れたまま言葉を記す。追いつく気配を感じられない。このままか。さらに遅れることはありそうだ。他には何もできないのだろうか。そんなことを思っている。そんなことばかりだ。他に何を思っているわけでもない。今のところはそうだ。気まぐれなのだろう。気が変われば、またなにか適当に思いつくのかもしれないが、今はこれだけだ。そう思っている。ひたすらそうらしい。恐ろしいことか。何がそうなのか。またそれだ。先細りしていく気配を感じるが、ここから巻き返せるだろうか。巻き返さなくてもかまわないのではないか。無理に巻き返す必要はない。しかし無理でなければどうするのか。たぶんどうもしないだろう。できないことをする必要はない。できることをやっているわけか。そんなはずがないと思いたい。

 どこかで妥協している。何を妥協しているのか。こだわりがある。語る必要がないのではないか。くだらないと思うのか。ならやめればいい。たぶん簡単にはいかない。なら続ければいい。言葉を記して自己満足に浸ればいい。やめたほうがいいのではないか。大したことではない。近頃はすべてがそうだ。昔からそうだったのではないか。何もやる気がしない。今が夜だからか。たぶんそうではない。語るべき内容が見当たらない。馬鹿げたことか。そんなはずではなかったか。どんなはずだったのか。君が知りたいのは違うことか。この世界はなぜこの世界なのか。そんなことではない。では何なのだろうか。巻き返せないようだ。本気になれない。以前からそうだろう。ならばそんなことではない。興味がないのではないか。それも以前からか。雨が降り続いている。それも以前から降り続いているのだろうか。だからそんなことではないようだ。またどんどん空疎になっていく。それでかまわないのだろう。昔からそう思っていたのではないか。なぜ人は戦いたくなるのだろうか。夢があるからか。それはなんの夢なのか。人類のすべてを作り変える夢か。その手のアニメを思い出したのだろうか。ロボットが出てくるやつか。プラモデルでも作っていればいい。

 またくだらない嘘をついている。強いられているのだろうか。飛び降り自殺か何かか。最近ニュースで話題になっているやつか。闇と雨音と何かが混じり合う。そんな気がしているだけのようだ。どうやら間に合わない。言葉を記す時間があるのに記せず、テレビを見てしまう。だから無理だと思っているのか。でもここまで記してきた。君はそこで虚無と戦っているつもりになる。嘘だろう。それはフィクションに違いない。さっきまでテレビを見ていたではないか。テレビの中で誰かが何かと戦っていたはずだが、それもフィクションだ。実際はどうなのか。デモの話はどうなったのか。ニュースで好意的に取り上げられていたはずだ。君は何が知りたいのか。おかしくなっている原因が知りたいのだろうか。この世界では何がおかしくなっているのだろうか。ヒッグス粒子に関する説明が何を連想させたのか。人は説明しなければならない。たぶん壮大な無駄だろう。結果がそう出ている。明らかに違う結果が求まる。だから君の説明では埒があかないようだ。何を説明しているのかわからない。説明になっていない。それについて説明すること自体が間違っているのだろうか。まだそこまで達していないらしい。言葉の連なりが意味を担えないのか。どうせまたそんなことではないと思いたいのだろう。それ以上は無理なのか。さらに語ることにはならない。わだかまっている。何がそうなのだろうか。


7月17日

 また昼間が暑い。きっと夜も暑いのだろう。恐ろしい季節か。早く過ぎ去って欲しいか。アレルギー性皮膚炎がかゆいのと、腕をハチに刺された箇所もかゆいのが重なり、うんざりさせられているようだが、それでも君はノルマを果たそうとして躍起となっている。無理かもしれない。腫れ上がってかゆい右腕と、腕時計を巻いていた箇所がかゆい左腕では、やる気にならないのも無理はないか。右腕を刺したハチもハチで、しばらく前までは巣の横を通り過ぎても何の反応も示さなかったのに、暑くなったと思ったら急に凶暴になったみたいで、通り過ぎざまに思いっきり刺されてしまった。仕方なく殺虫剤を吹きつけて退治してしまったが、刺さなかったらどうということはなかったのに、そのへんが難しいところか。それにしても去年も今年もハチに刺され、どうやらハチに刺されやすい体質というのがあるのかもしれない。それとも油断のし過ぎだろうか。血液型がO型なので、蚊に刺され易いことは確かだが、まさかハチも好んでO型の人間を刺すということもないか。それがどうしたわけでもない。

 夜になったら涼しくなってきたではないか。期待はずれか。熱帯夜になるよりはだいぶマシだ。ならばそれで平静を装っているつもりなのか。やめたほうがいいか。何をやめるつもりなのだろう。何が正気ではないのか。そんなことではないようだ。冷静ではいられないのだろうか。たぶんおかしいのだろう。人間不信に陥ってしまうか。やばそうだ。仕事が絡むと人はみんなおかしくなってしまう。他人の利益を掠め取るのが商売なのだろうから、そうなって当然なのだろうか。当然であることがおかしいのか。おかしいことに気づいていないのだから仕方ないのかもしれない。疑心暗鬼のようだが、いくら疑ってみても仕方ない。これはこれでこういうことでしかなく、卑屈にならない程度には振る舞う必要があるのではないか。都合の悪い部分は見ないようにして、表向きはきれいごとを並べ立てて、それでその場は済ませておけばいい。あまり深く考える必要はなく、表面だけの現象を捉えておけば、それで正気を保つことができるだろう。納得がいかなくても割りきっておけば、あまり感情的になることもないだろう。

 筋を通そうとしてはいけない。自己満足に浸るためにやっていることではないはずだ。成り行き的にそうなっているだけか。君に関することではないのかもしれず、関係なければ見ていればいいだけではないか。我関せずで済んでしまうわけか。たとえその件で君が不利益を被っても、大したことではない。不利益ということの意味が、今の君には深刻に受け止められない状況なのだろうか。結局どうでもいいと思ってしまうわけか。納得がいかない結果が出てもそうだ。いつ何時でも常にベストを尽くしていると思っているのだろう。その結果がこれなのだから、納得がいかなくても割りきるしかない。実際に何とかなっているのではないか。ぎりぎりのところでうまく立ち回り、どうにもならなくなってしまう事態は常に回避してきたのではないか。その結果がこれなのだろう。自分に何を言いきかせるでもなく、受け止めるしかない結果なのだろう。別にそれほど窮地に陥っているわけではない。どうにもならないような事態には陥らず、いつもその場で何とかして乗り切ってきたのではないか。今回だってその中の一つに過ぎず、実際に乗り切ろうとしているではないか。それの何が心配なのか。だから石橋を叩いて渡るような真似はやめたほうがいいか。そういう事態になれば、自然とそうしているところか。ならばもう少し自分自身に自信を持ったほうがよさそうだ。


7月16日

 数日後の今日も晴れて暑い。なんだかいいわけがましいが、人は様々な水準で何かをやろうとしているようだ。そして忘れた頃に同じような何かが繰り返されて蒸し返され、それを知っている人を呆れさせるわけか。でも何かがもたらされ、事態が前進しているような気になるらしい。でも実質的には何が前進しているのか。目を閉じればそのまま眠ってしまう。そうじゃないだろう。そこで君は何に気づいたのか。漠然としているようで、うまく説明できそうにない。無理に説明しようとすると、首が痛くなる。それは嘘だろうが、そんなことをしているうちにも空がますます晴れてきたようだ。空を見上げながら何を思いついたのか。書物を読まなければならないのか。不意にそんなことを思うが、それが何と関係しているのかわからない。スポーツ新聞を読んでいる人を横目で見ながら、別に野球の勝敗を気にしているわけでもなさそうだ。わざと語ろうとしている何かとは無関係なことを記そうとしているようだ。どうやらまた意味不明気味になってしまうらしい。後からつじつまを合わせる気にもなれず、このまま支離滅裂になってしまいそうだが、おかげで眠気が去ったらしい。いったいこの世界はなんなのだろうか。栄養ドリンクとスポーツドリンクを飲んだら、何となくつらくなくなってきたような気がするが、そんなものを飲んでいること自体が不健康な証か。そういえば原発事故で福島から広島まで逃げてきたのに、現地のスーパーで関東の豚肉が売られていることに腹を立てて、クレームの電話を入れた人がいるらしい。肉に基準を超える放射性物質が残留しているわけでもないのに、豚を生産している農場の井戸水を水質検査しろとのことらしい。正気とは思えないか。そういえば福島から小笠原へ移住した人もいるらしい。場所的には遠く離れていていいかもしれないが、生活物資が東京から送られてくるから、むしろ広島よりやばいか。

 原発反対の人たちはまだ首相官邸を取り巻いているのだろうか。ご苦労なことだ。やっていることの有効性を疑う前に、まずは行動に出て主張しなければ、事態は前進しないと思っているのかもしれないが、それでかまわないのだろう。暇な人はどんどん行動に出たらいい。それで何かが変わるなら、それが民衆の勝利となるのだろう。フランス革命を思い浮かべているのか。件の革命はもっと血なまぐさいし、結果的には独裁者の登場を招いたはずだ。そういえば緑の革命というのもあったはずだが、それはグリーンピースとかいう政治勢力と何か関係があるのだろうか。ネットで検索するほど興味があるわけでもないらしい。君はその手の運動の煽動者が嫌いか。メディアが煽り立てるのが嫌いなのだろう。結末がいつもマッチポンプだからか。反原発運動をしている俳優の姉が大麻を吸って警察に捕まったらしい。疲れているなら君みたいに栄養ドリンクやスポーツドリンク程度にしておけばよかったのか。それでも疲れが取れなければ、やはり大麻や覚せい剤に手を出してしまうわけか。君はそこまでいっていないので、なんとも言えないらしい。たぶん人はおかしなところでわけのわからない成り行きとつながっているのだろう。常に何かの混合物で出来ていて、それを良い面と悪い面とにより分けて評価するのはおかしいのであり、悪い面を暗黒面だとか呼んでことさら強調するのも、なんだか公平性を欠いているような気がするが、メディアがおもしろがっているのはそういうところであって、一般大衆がそういう話題に飛びついて盛り上がってしまうと、まさに思うつぼなのかもしれない。遠くに見える何かの工場でクレーンが数機林立している。改築工事か何かだろうか。


7月15日

 無理だろうか。暑すぎるようだ。二日後のことだろう。それで何かあったのだろうか。暑いだけか。他に何もありはしない。夕立ちがありそうだ。雷雨のたぐいか。とにかく昼が暑すぎて、夜も熱帯夜か。そんなことでしかない。地上は暑かったり寒かったりするだけのようで、冬になれば寒くなるか。半年後はそうなるはずだ。季節は移り変わる。どうせそうなってしまうのだろう。何をためらっているのか。わかるはずがない。意味がわからないはずだ。時代も移り変わる。さらにそんな気がするわけか。どこへゆきたいのか。テレビで旅番組をやっているではないか。それがどうしたわけでもない。ただ暑いだけで、それでうんざりな気分になる。簡単なことだ。理由もはっきりしている。暑いからうんざりなのか。当たり前のことだ。熱くなくてもうんざりすることだってあり、うんざりしている限りは、まだ生きている証拠か。そんな証拠などいらないか。でも生きているらしい。いくらうんざりしていようと、生きていることに変わりはない。そしてどうなったのか。面倒くさくなったので、昼の時間帯はやめるとしよう。もう夕方か。途中で夕立ちにあって、予報通りの天候に何を思うわけでもなく、電車に乗り込み、南へ向かっているわけか。明日はまた北へ向かうらしい。気が狂っているわけではない。唐突にそんなことを記してみるが、意味も他意もない。気まぐれなのだろう。ついでに何なのか。無駄に言葉を記す。もう歳だ。冷房の中で何を思うだろう。さらに意味がわからない。目を閉じても何も見えなくなるだけで、何かの幻影を追い求める気にもなれず、閉じた目を再び開き、過ぎ去る時間の中で過ぎ去る風景を眺め、やはり何を思うこともない。音楽を聴いているのだろうか。まだ日が沈んでいないようだ。そんな時間帯なのだろう。再び目を閉じる。栄養ドリンクを飲んだので、眠気は催さない。

 アイスクリームが食べたくなってきたようだが、それが何を意味するわけでもない。意味するのではないか。暑いから冷たいものが食べたいのだろう。遠くに林立している入道雲を眺めながら、ソフトクリームでも連想しているのではないか。わけがわからない。暑いからだろう。わけならいつでもわかっているはずだ。ではそれで嘘をついたつもりなのか。梅雨が開けたそうだ。テクノサウンドを聴きながら、心の透明感が増してくるような気がするが、それこそ意味不明だろうか。遠くに見える積乱雲はだいぶ高そうで、あれで一万メートルほどあったりするのだろうか。ヒマラヤ山脈を眺めると、あんな感じになるのかもしれない。若い頃一時期インドやネパールで放浪生活していたおじが撮った白黒写真を思い出す。旅でもしたいのだろうか。君は毎週北と南を行ったり来たりしているだけで、それが旅といえば旅なのかもしれないが、その途中でなにか新しい発見でもしたのだろうか。そういうねじ曲げ方がおかしいのか。どのような機会に遭遇したわけでもない。淡々と移動しているに過ぎず、何を思うこともなく、軌道を外れて迷い道に紛れ込むこともなく、ただ行ったり来たりしている。それでもなにか可能性のようなものを見つけたのか。人の可能性とはなんだろう。人より速く走ったり、遠くへ高く飛び跳ねたりすることか。重そうな物体を遠くまで投げる競技もあるだろう。オリンピックが近いからそんなことを思いつくのか。とりあえず人は地表面にへばりつきながら生活している。可能性といってもそんな狭い範囲内でのことだ。つまらないことにこだわりながら、時には他人と何かを競いあったりして、そんな生涯を送ってしまうわけか。君もそうなのではないか。たぶんそれで何かを成し遂げたと思い込み、自己満足に浸りながら、老いてゆくのかもしれない。気に入らないか。そういう語り方が我慢ならないのなら、他にどう語ればいいのか。他の誰にケンカを売っているわけでもない。要するに生きていること自体が馬鹿げたことだと思い込みたいのか。でも他に何をやったら気が済むのだろうか。たぶん何もありはせず、気の向くままに言葉を記しているに過ぎない。それでかまわないのだろう。


7月14日

 意味がわからないが、これが昨日なのか。ますますわからなくなり、何がわからないのか不明のまま、困惑の度を深めるのは、ちょっとわざとらしいのではないか。すでに昨日ではなくなったようだ。週明けは晴れて暑い。危うく熱中症になるところか。季節は移り変わる。それがどうしたのか。夏なんだろうか。たぶんそうだ。数日後は暑すぎる。それだけのことのようだ。他に何も語れない。今のところはそうなのだろう。だからこれから何とかしなければならないわけか。どうもその気配はない。ならどうするのか。黙って画面を眺めている。オリンピックが近い。出場する選手に声援を送りたいのだろう。なんのことやらわからない。なぜそうなのか。理由を知りたくなるが、今のところはなんのことやらわからない。君はそれを見ているのだろう。文章を読んでいるわけではない。今は違うということか。今もわからないままのようだ。誰にも知り得ないことを知っているはずもないが、それでもあえて知りたいこととはなんだろう。なんでもないことか。たぶんそれだけではない。出来事には違いなく、それに関してなにか言葉を付け加えたいような出来事なのだろう。みんなで興味のある話題を共有したいのか。語らいの場を設けて、そんな気分に浸っていたいのかもしれないが、とりあえず今はひとりだ。ひとりで言葉を記している。そして沈黙のひとときを楽しんでいるのだろうか。わけがわからないだろうか。記述が進まずに苦しんでいるのではないか。記そうとしても記すことなど何もありはしない、と記すしかないか。いつものパターンか。おそらく話題など何もありはしないのだろう。たしかに気になる事件などない。君が知っている範囲内ではそうか。範囲外のことは記せない。知らないことは知らないことか。知ろうとしていないのかもしれないが、それとは何か。ゴリ押しファンクなら、いろいろ技が出るのかもしれないが、君はJBでも在日ファンクでもない。力が抜けているらしい。

 京都でライヴをやったら京都と連呼すればいいのか。それは知っている人しか知らない話題だ。技ではないだろう。ではDJスプーキーのディコンストラクション音楽はどうなったのか。十年ぐらい前の話題か。話題でもなんでもない。単なる思いこみに過ぎない。君はそうやってなにかから逃げているだけなのか。たぶん終わりから逃げているのだ。でもそれはこの世の終わりなどではなく、映画の終わり程度の出来事か。談春の独演会で泣いている人を見かける。だがそれはテレビで見かけただけのことで、君が見に行ったわけではない。興味のない話題以前の何かを探しているように思われる。それはさりげない言葉の連なりになるのだろうか。そこまでは行かないうちに、中途半端なまま終わってしまいそうだ。何を述べようとしているわけでもない。それ以前にどこかで何かが固まっているのかもしれず、例えば何かの偏見で凝り固まった人々が、国家主義者と言われている。石原東京都知事と韓国や中国や台湾の政府首脳と、ロシアのプーチン大統領やメドベージェフ首相などは、そういう意味では同じカテゴリーに属する人たちなのかもしれない。自分たちが属している国家が違うだけで、主張していることは大同小異だろうか。その島は我が国の領土だ、要するにそういうことを主張しているわけか。だからたぶん日本と韓国と中国と台湾とロシアが統一国家になれば、日頃からいがみ合っているそれらの人々も、国家主義者同士で意気投合して、気の合う仲間になれるのかもしれない。苦し紛れの冗談か。そういうわけで、どうもゆきづまってくると、でたらめなことを平気で述べたくなってくるようで、世の中には悲惨な人たちがいくらでもいるらしいが、あまりそれらの人たちをおちょくる気にはなれず、そのへんでそれらの話題はおしまいにしたくなってくる。興味がないのだろうか。


7月13日

 もはや工夫しようがない。また遅れてしまうのか。なんでもないことなのに、なぜか何も記せなくなる。気持ちにむらがあるようだ。だから無理にやろうとは思わない。では無理なのではないか。昼が暑すぎるようだ。できない理由になっていないようだが、そういうくだらぬ問答で押し切ってしまいそうになる。なぜだろう。テレビを見る。見るのをやめる。整合性がない。あきらめてもいいのだろうか。何をあきらめたいのか。くだらぬ問答が続いているようだ。早く切り上げたいが、なかなか終わらない。区切りがつかないようだ。あくびが出るか。眠たくなってくる。もはや語ることなんて何もないだろう。何も知らないのだろうか。それはなんのことを述べているのか。それがわからない。外れているのだ。何かから外れている。的を射た表現ではないようだが、実感としてはそういうことらしい。スポーツに夢中になっている人はおかしいのか。それはスポーツではない。では何なのか。夢から外れて、何かの外側から内側を覗き込んでみると、それがわかる。またずいぶんと回りくどいことを述べようとしているが、できないことに変りない。結局は意味不明になってしまうだろう。うまく語れないようだ。苦しくなって、またテレビをつけようとして、なんとか思いとどまる。いったい何と葛藤しているのか。気が散っている。眠ってしまったらしい。冗談の次は何だったのだろう。昨日のことはよく覚えてない。翌日になってもわからないままか。まともに語っていないだけのようだ。なんだかわからないまま、そんなことばかり述べているようだ。それでおしまいか。何もいいわけできない。どうもおかしい。しばらく何もやらないまま横になっていた。疲れているから時が過ぎ去るのが遅く感じる。階段でつまずいて、危うく転落しそうになる。今は数日後の夜だ。そこで何に気づいたのか。

 時が経つ。逃げようがない。心のバランスを崩してどうなったのか。今がその状態だ。もう立ち直っている頃に違いないが、どこか変になっていないか。説明が不十分か。もうこんな時間だ。でもここからどうにかしないと、先が続かない。見栄を張る必要はない。着実に言葉を記していけばいいのか。内容など気にする必要もない。ただ記せばいいのだ。当たり前のことであり、何がおかしいのかわからないのだろうか。わからないままでも結構だ。開き直っているのだろうか。そんな心境にはなり難いか。でも何が間違っていたわけでもないだろう。ねじ曲がっていて、先端が潰れている。それが使い捨ての特徴か。もう用済みということになるだろうか。でもそうなってからが面倒くさいのだ。あれこれ理由をつけてとどまろうとする。何とかしようとしているのだろう。あちこちにガタがきていて、どう直しても劣化を押しとどめられるわけもないのに、がんばってしまうわけで、醜く執拗にとどまろうとする。だがそれで何とかなった例はない。誰かがそうやって悪あがきの最中なのだろうか。やっていればいいではないか。誰にも見届けられずに消え去る運命なのだろうか。物語の流れがそういう方向へ動いているのではないか。逆らうことはないだろう。あえて反論を試みるつもりもなく、どんどん何かが進行中で、いくら文句をつけても無視されるだけで、ただ機械的に歯車が廻っているに過ぎず、そこに感情の入り込む余地などないようだ。むなしい努力の行き着く先に待ち受けている事態がこれか。しかしこれとはなんなのか。ただのつくり話に違いなく、実際にどうなっているわけでもないか。きっと気のせいなのだ。君は悪い夢でも見ているのだ。そういうわけでなんだか現実逃避気味になっている。何がそうなのだろうか。どうせ君はまだできると思っているのだろう。何とかなるとも思っていて、必死で努力している最中なのではないか。さっきからそういうことばかり思っていて、それで急場をしのいで、局面を打開したつもりにもなりたいらしいが、実際のところはどうなのか。


7月12日

 断続的に雨が降っている。それだけのことなのか。終わりが近い。誰もそんなことは予想していなかったのだろうか。君が喜んでいるとは思えない結果だ。誰も死にたくはない。死は虚構だ。ならば生もそうだ。では誰も生きたくはないのだろうか。屁理屈にもなりはしないか。相変わらずずれている。感覚がおかしいのだろうか。それは誰の感覚なのか。君が外れているわけではない。誰もそれほど外れてはいない。では世間がおかしいのか。君がそうしたいわけではないのだろう。誰もそうしたいわけではない。出来れば回避させたいのではないか。ではなぜ人は殺しあうのだろうか。そういう話ではない。たぶん何を語りたいのでもなかったはずか。はじめからそう述べればよかったのではないか。しかしなんの話なのだろうか。さっきからことごとく外れている。何もないからそういうことなのか。それはいつものことだ。そんなことを述べるべきではないのかもしれない。ではどう述べたらよかったのか。いったい何を反省したいのだろうか。さらに外れてくる。すでに常軌を逸しているか。それほどのことでもないだろう。まだ何も語っていないではないか。言葉は少し記したようだが、それではだめなのか。内容にたどり着かないうちに終わってしまいそうだ。それでも何とかする気なのだろう。できるだろうか。やらなければならない。つまらなくてもかまわないのか。その時はその時だ。どの時もどの時なのではないか。生も死も虚構なら、それは作り話の中で何かをやっている証だろうか。架空の存在に意識が宿っているふりをしているわけか。君ならもとから不在に決まっている。ではそこで誰が存在しているのか。君ではない誰かになるのだろうか。嘘か。どうせ嘘でもかまわないと思っているのだろう。誰がそう思っているわけではなく、単にそう記しているだけか。それでは埒があかないか。

 そんなことにこだわっているべきではないのかもしれない。何にこだわったらいいのか。疑念を抱く。役割とはなんなのか。役割に殉じようとは思わない。誰がそんな決意でいるわけか。ただ漠然とそう思っている。そういうことにしておきたいらしい。うまくいかないだろう。いくはずがない。人は役割に殉じている自らを正当化したいらしい。己を殺してよく働いていると思いたい。そんなふうに振舞えばいいのか。そこで君はわからなくなるらしい。それについてどう語ればいいのだろう。誰かがどこかでいらついているのか。どうせそんなはずはないと思いたいのだろう。自分はやるべきをやって、そうしている限りは本望だと思い込みたいのだ。義務を果たしているということだろうか。しかしなぜそんな狭い範囲で自己満足にひたれるのか。そうならないようにしなければないのだろうか。なぜそう思う。なぜも何もないだろう。疑念を抱く必然性を感じないか。君はやるべきをやり、よく働いているはずだ。それでいいのではないか。そう思い込んでいればなんの問題もない。ならばそうしておいて、それで死ぬまでの暇つぶしになっているはずだ。それは何かの皮肉か。あるいは冗談のたぐいか。どれも違うか。要するに気をてらって、それで何かをごまかしているのかもしれない。どうせ本心から述べているのではないのだろう。本当は自由で勝手気ままに生きていたのだろう。それができないから仕事をしているわけか。気に入らないわけだろう。気に入らないのによく働いている。しかしその状態をどう思えば肯定できるのだろう。何かを逸脱させて、勘違いしたままでいたいのだろうか。では心はどこから脱線しているのか。それらのどこに本心を潜ませているのだろうか。なんだかますますわからなくなってきたようだ。まともに語っていないのだろうか。わざと何かをそらせ、微妙にずれたことを述べているらしい。心がひねくれているのだろうか。それもあるかもしれないが、なんとなく呆れているのではないか。


7月11日

 意識が脳裏に焼き付いている光景から離れる。状況が何をもたらしているわけでもないのだろうか。夜に雨が降る。決まりきった成り行きのように感じられる。すべてはなにかから生じているわけか。それもおかしな話だ。すべては素粒子から生じている。そういう説明でもある水準においては正しい。何を思い出しているわけでもないだろうが、脈絡のない複数の光景を思い出しているようにも感じられ、それが説明とは無縁の同時性をまとい、それらの記述に影響を及ぼしているらしい。嘘っぽいだろうか。そこで何かを思い出している。何かが常時フラッシュバックしているみたいに思われ、たぶん気のせいなのだろうが、君をつき動かしているのかもしれない。要は知識なのか。身も蓋もないか。蓄積されつつある知識を組み合わせなければ、まともな文章として成り立たないか。今でさえおかしい。おかしいと思いたいのだろう。真に受けるわけにはいかないのか。受け取っているのではないか。斜に構えて何を繰りだそうとしているのか。そういう意味で言葉を使っているのではない。では何なのか。昔のことは忘れてしまったらしい。昔ではないだろう。今はどうなのか。また外れているようだ。いったい何が外れているのか。それは誰かの想像に任せるしかないことなのか。呆れるほどの意味不明か。なんだかよくわからないが、今さらながら何を述べているのかわからないようだ。わかりようがないか。わかるための材料や要素が見当たらない。なにか見落としてないだろうか。とりあえずうまくやっていると思う。つまらない差異にこだわっているわけではなく、勘に頼りすぎているとも思えない。ならばそれでいいのではないか。しかしこれからどうしたらいいのだろうか。地震だ。揺れている。

 雨がやんでいるようだ。ところでそれらの何が虚構なのだろうか。虚構であってもかまわないのか。そこで何をおもしろがっているのだろう。たぶんおもしろいのだろう。何というか、それを軽はずみに批判するわけにはいかないらしい。信念の塊なのだろうか。ではいったい何を信じているのだろう。この世界のありのままの姿か。それがあるということを信じなければならないのか。なんだかおかしい。一連の政治ショーを眺めていたいのか。それの何がおもしろいのか。君にはわからない。どうも考えがまとまらないらしい。何が冗談なのかもわからない。持ち合わせは何もないらしい。何をどうして欲しいのだろう。どうにもならなくても結構なのかもしれない。先が見通せないようだ。それでもかまわないのだろう。漫画や映画のようにはならない。そうではないのかもしれない。そんなところで右往左往していることもないのか。結局は何もない。何も見当たらず、幻想を抱くほどのことでもなさそうだ。このままでも一向にかまわないのか。何不自由なく暮らしていけるのだろうか。そうだとすれば、現状とはなんなのか。なぜそこで迷っているのだろう。何をやればいいのかわからないのではないか。いつもそれだ。そんなところで躓いている。引っかかるものがあるらしい。引っかかっている場合ではないのに、なぜかそこで引っかかっている。馬鹿げているだろうか。本気なのか。あるいはすべてが冗談に過ぎないのか。でもやれることは決まっているのではないか。では何をやるつもりなのだろうか。商品を買うということの他にあるとすればなんだろう。冗談でそんなことを述べている。自己満足に浸りたいようだが、満たされないことはわかっている。あたかもむなしい努力の集積がそれをもたらしているかのように感じられ、もたらされているその状況を理解するための努力が、よりいっそうの虚しさをもたらしている。冗談だろう。本当にそれが楽しい現実なのだろうか。楽しすぎて絶望的な気分となるわけか。嘘に決まっている。


7月10日

 何をもってそれとなすのか。いきなり意味不明な疑問を抱く。この時間帯は晴れている。今日も晴れて暑いのだろう。なぜ無表情を装うのか。見ている事物がなにかの石像だからか。さらに意味不明だ。小さなカエルが大量に発生している。夢の中で見た光景だろうか。そんなはずがない。きっと何かを思い出しているのだろう。闇の中でうずくまっているのは生き物ではない。そんな光景を想像している。それは嘘か。辺り一面に言葉が散らばっている。目で見えているのだろうか。心が外れているようだ。心外か。意味が違うような気がする。わざと外しているのだろう。次第に透き通ってくる。何かの限界を乗り越えようとしているのか。耐えがたい苦しみの中に何がるわけでもないだろう。そういう話なのではないか。どこまでも違っているのかもしれず、そんなことを述べるべきではないのだろうか。何をためらっているのか。今が決断するときではない。もう決断してしまった後か。君はその時何を決断したのか。なんのことやらわからない。わからないまま理解できないままに決断してしまったのかもしれない。それはどういうことなのか。いつものようにわけがわからないということか。たぶん理解している。わかっているのにわからないふりをしている。そして何がどうなっているわけでもない。君に理解可能な事態が発生しているのか。いきなり何なのか。景色が後方へ流れ去り、どんどんスピードが増してゆき、やがてどうなってしまうのか。誰かの空想の中で君が走っているのかもしれないが、どこへ向かって走っているのだろうか。だからわけがわからない。方向も何もない。虚空を見つめているのは誰でもない。誰かがそんな雰囲気を想像している。だがそれがあらぬ妄想へと発展することはない。また面倒くさくなってきたらしい。その先へ続ける必要性を感じない。どうでもよくなってしまったらしい。

 まだそんな気分なのだろう。ゲームに参加しているつもりなのか。そこで何を操作しているのだろう。想像上のコントローラーなどがあるのだろうか。何を持ち合わせているとも思えない。手持ちの札もありはせず、切り札など他の誰かの手にわたってしまったのかもしれない。君は衝撃に耐えているのか。すでに賽は振られ、思い通りの目がでずに苦しんでいるはずか。くだらぬゲームだ。本気になれないのはもちろんのこと、無理に勝とうとしなくてもいいような気がしてくる。努力する必要がないのか。何もしなくても、自然とどこかへ押し出されてしまいそうだ。そうなったらなったで、そんな結果を受け入れる用意があるのだろうか。知らない間に眠っていたようだ。君はもう飽きてしまったのか。だから寝不足だと言ったではないか。いつ言ったのか。目を閉じるとそのまま意識を失う。居眠り運転で事故を起こしそうか。狭い抜け道を走りながら、眠気をこらえながら考えるが、それがいつのことだったのか思い出せず、次第にどうでもよくなってくる。眠たい目をこすりながら、その時自分が何をすべきだったのかを問う。その必要もないのに同時に複数のことを考えているみたいに思えてきて、頭の中がこんがらがってくるようにも思われ、カーステレオのヴォリュームを上げ、そちらへ気を逸らそうとしているみたいだが、相変わらずなんのことやらわからない。どうしても眠ってしまうらしい。そんなことをしているうちになにか悪あがきをしているようにも思われてきて、投げやりな気分になってきて、さらにおかしな気分になってしまうらしいが、なぜそんなことを語ってしまうのだろうか。他に語ることがないからか、あるいはそれを思いつけないからか、そのどちらでもないとすると、意味不明のついでに原因も不明になってくるみたいだ。それでもここまで記してきたはずで、少しは自己満足に浸れるようにも思われてきて、もうそのへんであきらめてもいい分量に達した気がしてくる。でもつまらない内容なのではないか。だが後戻りができるとは思えないから、そのへんで妥協しておこうと思う。要するにそれらの紆余曲折はなんでもないことなのか。


7月9日

 まさかそれは昨日のことなのか。未来へと続く道があるらしい。広告看板の前にいる。誰かが駅前で弾き語りで歌っているのだろうか。生ギターか。気にするようなことではないらしい。それはいつかの記憶で、昨日のことではない。では脳裏に何が蘇っているのか。また冗談か何かに逃げる気なのか。だんだん面倒臭くなってきたようだ。そこで何を語りたいのか。またそれか。ゆきづまってくるとそういう言葉が記される。しかし国民的な画家とはどんな存在なのか。過去の話に違いなく、絵がかつて国民的な話題となっていた時期があったのかもしれない。今の話ではない。頭が消失した蛇の死体が道端で腐りかけている。それは今日見た光景の一部であり、たぶん自動車に轢かれたのだろう。なんだか音楽を聴いている。明日へと続く道の話はどうなったのか。老人が駅のベンチに座っている。老人にも明日が到来する。死ぬ日までは確実に明日がやってくるはずだ。ぶっきらぼうにそう思うが、君にとっての明日とはどんな意味があるのか。残された可能性の時間に属するのだろうか。でもそれが何を意味するのかわからない。残された時間にどんな意味があるのだろうか。それは何をやれる可能性なのか。まさかそれも言葉を記す時間となるわけか。でも何がまさかなのか意味不明か。まさかでもなんでもなく、現に今も言葉を記しているのではないか。君がそう仕向けているのだろう。誰を仕向けているのか。それが言葉を記している誰かになるのだろうか。今ひとつ何かがずれているような気がする。たぶんそんなことをやらなくてもかまわないのだろう。君が仕向けなくても、言葉は勝手に記され、その気になれば文章を完成させることもできるはずだ。しかし誰がその気になっているのか、そこが知りたいところか。いったい誰がそんなことを知りたがっているのか。

 君ではない。少なくともそうだ。何かの時間稼ぎかもしれないが、そうやって言葉を記しながら、誰かがなにかの到来を待っている。何かとはなんなのか。たぶんそれは何かをやる機会なのだろう。ではその何かとはなんなのか。なぜ君にはそれがわからないのか。関係がないからなのだろうか。たぶん何を求めているのでもないから、その何かが何でもかまわないのであり、その何かもその時々で対象が変わってくるのではないか。機会などいくらでも到来していて、それを待つ必要などなく、誰かはそのひっきりなしに到来している機会のことごとくを逃しているのではないか。そして結果的に何もしていない。あくびが出るか。どうせ眠たいのだろう。いついかなる時でも眠たいのであり、要するに寝不足なのだろうか。何もかもがそうなのかもしれない。意識が次第に永眠の時へと近づいているような気がしていて、それは振り払おうとしても振り払えない恐怖感と共に、君を次第に追い詰めているのか。だからもう何ももたらせないだろう。空疎以外は積極的にもたらす必要がないのだろうか。もしかしたら空疎でさえも到来していないのかもしれず、そのかわりにどうでもいいような興味のない出来事ばかりがひっきりなしに到来し続けていることになるのだろうか。そういう実感を持ち合わせているとすればそのとおりなのだろう。この世は退屈かつつまらない出来事の集積の上に成り立っている。それが嘘だと思うなら、もう少し夢のある幻想を抱く必要がありそうだが、今の君にそれが可能だろうか。それが可能となるように、残された全時間を活用して努力しなければならないのだろうか。冗談にしてもなかなか魅力的な話だと思われるか。嘘かもしれないが、たぶん嘘であってもかまわないのだろうが、そんなことを記しながらも、まんざらでもないような気になるのは、君がありふれた夢を追いかけている証拠となるだろうか。たぶんそれでもそうなってもかまわないのだろう。それ以外に何ができるというのか。今までどおりに空疎な言葉と戯れるのが関の山か。


7月8日

 誰かが何も思いつかないことを利用して言葉を記す。そんなフィクションがどこに記されているのか。君はそこで何を思いついたのだろうか。それは君が知り得ないことか。そう記してしまうこと自体が、誰かが記そうとしているフィクションの一部となるのだろうか。そんなことなど知る必要がないか。だが君が知っているのはそういうことであり、誰かが思いついたのもそういうことなのではないか。また空疎な話の内容を込み入らせようとする。馬鹿げたやり方だろうか。それでも史実をもとにした大河ドラマ的な虚構よりは良心的だろうか。売り出し中の若手俳優が演じるところの主人公を、ご立派な大人物に見せかけるために、ヤラレ役の登場人物たちを相対的にアホくさくて愚かな人間であるように演じさせる。まるでそれらの人たちが滅びるべくして滅び去ったような話の筋書きなのだから呆れてしまうが、実際には内乱で滅び去った人たちも、それなりに有能だったからこそ、重要な役職についていて、歴史に名が残っているわけで、やはりそのへんの子供だまし的な演出にはうんざりさせられるしかなく、要するに大衆に媚びていると同時に馬鹿にしているのだ。お前らこういうわかりやすい勧善懲悪的な話なら喜ぶんだろう、と上から目線で見下しているような感じに受け取られかねない。君程度の人間にそんなふうに思われてしまったら、もはや知的な人たちがまともに取り上げるに値しないようなくだらぬ代物となってしまうではないか。でも嬉々としてそういうレッテルを貼る意識もさもしすぎるだろうか。ではどう述べたらいいのか。良心的に見せかけようとしているわけか。それだけ述べておいてそれは無理だろう。要するにその程度のことなのだ。素直に馬鹿にしてもかまわないのではないか。自らの勇み足を笑っている場合ではないか。でもそうやってご立派な大人物の彼が築き上げた栄華がつかの間で終わってしまい、諸行無常に響きありで、これから一族もろとも奈落の底へと突き落とされて、滅亡してしまう運命がわかっているだけに、どうしたものかと考えさせられ、しかも彼と彼の一族を滅ぼした側も、やがて周囲の人達によって巧妙に滅ぼされてしまう運命もわかっていて、要するに史実と比較すれば、それに基づいて制作されたフィクションなどたわいない歪曲でしかないように思われてしまうわけだ。たぶんこの場合はそうなのであり、別の場合なら違う結果となることもありうるだろうが、現実の世の中でも、テレビドラマのヤラレ役的なキャラクターそのまんまの人なんてほとんどお目にかかったことがないようにも思われ、それなりに侮りがたい程度の賢さを身につけた人の集合体が社会を形成しているようにも思われるのであり、そういう感覚からすると、なんだか件の大河ドラマはお粗末すぎるように感じられてしまうらしい。


7月7日

 しばらく何も語っていなかったようだ。漫画を読んでいたのではなかったか。どうも違うらしい。たぶん何かが見えているのだろう。首をかしげている。きっと何も思いつかないのだろう。正気に戻ったのではなかったのか。居眠りの最中に何がひらめいたのだろう。さらに首をかしげる。部屋の中で天井を見上げる。何も見えていないのではないか。もうこんな時間だ。やる気がしないらしい。いくら首をかしげても、なぜそうしているのかわからない。面倒くさいのだろう。何も考える気にならない。なぜそうなってしまったのか。記すべき言葉がない。嘘か。真か。何を語っているのでもなさそうだ。そればかりなのではないか。君は疲れているのだろうか。いつでもそうだ。なにか願い事でも叶えたら気分がよくなるかもしれない。不意にそう思うが、願いなど何もないか。それも嘘か。人はなぜ映像を見続けるのだろう。普遍的な価値とは何か。自由と民主主義か。笑ってしまうだろう。何を推し進めているのだろう。何に抵抗しているとも思えない。呪術とジャズは同じことか。人はおかしい。君は何かの周縁で暮らしている。辺境地域なのだろうか。世界の中心はどこにあるのだろう。落ち着いて思考を働かせようとしない。それはどういうことなのか。そこになにか法則らしき関係性を発見したのだろうか。そういうことではない。食べ過ぎなのか。無性に食べたくなってくる。中国は民主化されるべきだろうか。またいつもの冗談だ。たぶん普遍的な価値観こそが間違っているのだ。眠たいのか。人には悲惨な運命がつきまとう。馬鹿げたことを推し進め、結果として自ら馬鹿になる。おかしな話だ。人が大勢死に、そんな死と引換にして正義がまかり通る。本気になってはまずいだろう。

 ここで暮らすしかないのだろうか。作用と反作用の法則に当てはめようとは思わない。馬鹿げた自己実現を追い求め、挙句の果てにどうなってしまうのだろうか。漫画のように馬鹿げた宝探しに巻き込まれるわけか。たぶんそうはならない。面倒くさいのだ。それに君はもう年を取り過ぎている。冒険するような若さがない。危険を厭わないのが嫌なのか。それはどういうことか。単に冒険には危険がつきものという程度のことか。なんだかわからないが、このへんが分かれ道らしい。その先で君はどうなってしまうのだろう。こうなっているのではないか。昼は仕事をして、夜に言葉を記しているわけか。それだけのことだ。なんの驚きもありはせず、どのような感動にも至らないだろうか。そう思いたければ思っていればいい。やがて呆れてくる。飽きてくるのではないか。グローバル化の果てに世界中がおかしくなっているようだ。他人の痛みを理解できないのは毎度のことか。議会制民主主義を推進している人々は悲惨だ。停滞しているのだろうか。つまらないことにこだわりすぎているのは承知のことか。それでも自慢がしたいのだろうか。馬鹿げたトーク番組で誰かが盛り上がっている。もうすぐ夜が明けるわけでもない。酒を飲んで語らうことが気晴らしになるのでもなく、ただ蒸し暑いだけの季節だ。安易に何かを述べようとするが、やはりそうではないような気もして、首をグルグル回していると、なんだかおかしな気分となってくる。こらえきれずにまたエアコンをつけてしまったようだ。我慢するようなタイミングでもない。それで気晴らしにでもなるのだろうか。だいぶ前からまったくやる気がでない。このままでは終わってしまいそうだ。実際に記述が終わるのだろう。何もせずに何かを語る。何も語らずに何かを記す。君がやっているのはそういうことか。それだけではないと思いたい。たしかにおかしな世界だが、おかしくない世界などありえない。今さらそんなことを述べてどうするのか。


7月6日

 お前の目は節穴か。まだそんなことを述べているようだ。今日は逃げないのか。またコーヒーを飲んでいる。そんなはずがない。くつろいでいるのだろうか。あくびが出る。何を欲しているのだろう。あまりにも粗雑だ。宝探しはどうなったのか。呪術師が祈りを捧げる。グローバル化とは何か。ひび割れた皿だ。誰かが静物画を眺めている。画家にも探究心があるらしい。しかし永久に完成しない。何を語っているのだろう。何もやっていないのではないか。妙に食欲がある。死ぬんじゃなかったのか。でも小康状態に変りない。たぶん架空のフィクションの中ではそうだったのだろう。君は音楽に興味がないのか。実際に聴いているのではないか。でも話にならない。何がそうなのだろうか。何もそうなのではない。島国根性とはよく言ったものだ。それが普通の反応なのだろう。なんだろう。見ていると飽きてくる。眺めていればどうなのだろう。同じことか。そうでもないようだ。力が衰えているという評判か。君はぼんくらだ。でも仕方ない。うまいのではないか。老獪なのだろうか。そうでもなさそうだ。お互いに仕掛けたいのだそうだが、隙がないらしい。テレビを見ながら言葉を記すのはやめるとしよう。気が散って集中できないか。でも見続けている。そんなにおもしろい内容なのだろうか。なんだかぐるぐるしてきたようだ。だめなんじゃないか。ここであきらめてどうするのか。まだ何とかできる時間帯か。でもおかしな精神状態になる。水が飲みたいのか。飲めばいい。蒸し暑くなっているのか。エアコンをつければいい。明日は晴れるらしい。ひび割れた皿の絵を思い出す。スポーツに全人生をかけている人たちが戦っている。勝って大金を手にするわけか。自尊心を満足できるだろう。

 音楽に全人生をかけている人や絵に全人生をかけている人もいるではないか。政治家なら政治に全人生をかけているのではないか。若くして大金を手にしたら、引退して悠々自適の余生を過ごせるのではないか。人それぞれに決まっているだろう。家族も関係者も必死に応援しているではないか。そうやって掴み取るのはつかの間の栄光だ。それが宝なのか。まだ先が長い。もっとうまくやり遂げたいのではないか。それがなんだかわからない。苦しいのだろうか。栄光を目指しているのだから苦しいに決まっている。戦っている相手がいるからか。相手も苦しいというわけか。君はその瞬間に感動するのだろう。勝敗が決する瞬間か。だからなんだかわからない。感動するのが面倒くさいのだろう。でも言葉を記していることは確かだ。少し横になる。疲れてきたのだろうか。嫌になってきたのかもしれない。また記述を再開しているらしい。テレビを見ながらか。年を食っている方のかつての天才が攻めているではないか。でも若いほうがよくしのいでいる。試合が長引くほど若いほうが有利になるのだろうか。まだ三十歳のなのにベテランなのだから、プロスポーツも全盛時が短いのだろうか。種類にもよるだろう。マッケンローがどこかの放送局の解説者をやっているようだ。何十年か前の天才プレーヤーだ。人も時代も移り変わり、技術もどんどん進化しているのだろう。やがて忘れ去られるだろうが、その種の歴史に名前が残り、プレーしていた頃の映像も残されるわけか。だからなんだというのだろう。いいだろう。自己満足でもかまわないだろう。意地悪なものの見方など無視すればいい。しかしもう眠たくなる。これ以上やれば明日の仕事に響くかもしれない。もういいのではないか。少しは中身のあることを記せたのではないか。相変わらずの支離滅裂だが、それが仕方のないことか。


7月5日

 そうきたか。くだらないことを考えていたようだ。そんなこともないだろう。昨日と同じだ。これでいいのだろうか。これしかできないのだから、こうなるしかないわけか。相変わらずの雨だ。なぜかできない。言葉を記すのが億劫になる。そんなわけがないか。まだやろうとしている。疲れはとれたのか。不思議でもなんでもない。ただ何とかしたい。無理なのだろうか。さらに雨だ。脱出したいのだろうか。どこから逃げ出したいのか。この世界からか。どこへゆけばいいのだろう。知れたことだ。そんなわけがないと思っているのだろう。雨が降っているはずだ。なぜそれがわからないのか。また軌道から外れようとしている。たぶん常軌を逸しているわけではない。そんなふうに思いたいだけか。だからわからなくなる。そういうわけでもないだろう。何を評価しているのか。やる気だけはデタラメを回避できない。すでに意味を失っている。しかし雇用とは何か。働いてどうするのか。稼いで暮らしてゆきたいのだろう。それ以外の意味があると思っているのか。幻想を抱くことができる。夢を見ているのだろうか。眠っていないではないか。でも言葉を記すのが遅れている。このままではだめのようだ。次第に追い詰められてゆくみたいだ。罠にはまろうとしているのか。でもまだ何とかできると思いたい。また目が覚めたようだ。眠れないのか。まだ途中だ。雨音を聞きながらなにか思う。暗闇に覆われているだけか。もがき苦しんでいるわけではない。深呼吸してみるが状況が変わる兆しはない。感じられないようだ。負担が重い。そういうことだとは思えない。では他になにか否定したいのだろうか。暗闇の中に埋もれたままで、なかなか意識が浮上してこない。

 何やら時間が確保されているようだ。何が見えているのか。何かが追いついてくる。だが何も見えていないようだ。やはり無理なのか。意味がわからない。まだやる気があるのだろうか。いつものようにここからが正念場だと思っているのだろうか。激しい雨だ。でもそれは二日後の出来事だろう。今さら日付がどうこう言っても仕方がないが、近くで落雷があったようだ。別に停電したわけでもないだろう。だがどうもだめらしい。元の木阿弥か。何がそうなのだろう。そんなことを記していること自体がだめなのではないか。雨の中でサッカーをやっているようだ。チャンネルを変えればチャンバラの最中か。でもなぜジャズを聴いているのか。わからない。胃が痛いようだ。しかしなぜコーヒーを飲んでいるのか。ココアを飲むとアレルギーが出て腕がかゆくなり、塗り薬を塗りながら、今度はコーヒーを飲む。わけがわからないだろうか。また雨が降ってくる。それで君はどうしたのか。何かの道行がうまくいったりするのだろうか。フィクションだから当然のことだ。そういう話なのだからそんな結末なのか。それでも言葉を記しているうちに、胃の痛みが消えてくるように感じられ、同時に何も語っていないことが思い出されくる。なぜ何も語れなくなってしまったのだろう。そう語っているではないか。誰が語りかけているのか。神ではない。安易に神の名を持ち出さないでほしい。しかし神はなんと呼ばれているのか。その名はなんなのか。少なくとも君ではない。またそんなことを記す。いつの間にか雨がやんでいるようだ。いつの間にかそんなことを述べている。シェーンベルクがどうしたのだろう。誰かが狂人のように歌っている。現代音楽の先駆けということか。別に気が狂っているわけではない。唐突にそれはないか。脈絡がないのはいつものことだ。だからもういいのではないか。


7月4日

 少し考え込んでいたらしい。不思議な感覚だ。何かの錯覚かもしれない。気分が乗ってこない。よそ見をしていたのかもしれない。興味が湧いてこないのか。しばらく横になっていたようだ。なんだかおかしいが、それでも言葉を記している。何かが透き通っている。意味がわからないが、そんな感じがしている。いよいよ頭がおかしくなったのではないか。またいつもの冗談なのだろうか。別に調子に乗っているとも思えない。蒸し暑さにやられて、気疲れもあるのかもしれない。また雨か。なんの解決にも至らない。いったい問題はどこにあるのだろう。とても正気とは思えない。何がどうなっているとも思えない。とにかく言葉を記せばいいのではないか。今はそういうことにしておこう。少し冗談に走り過ぎたのだろうか。急に頭の中が空っぽになってしまった感じか。気休めに音楽を聴いている。君に出来ることはといえば、言葉を記すことでしかない。以前は他の誰かが記していたはずだが、なぜか気がついたら君が言葉を記しているようだ。本当だろうか。なんの話でもない。冷房の温度を少し上げる。汗をかいたらアレルギーでかゆくなる。違うのではないか。別に話の辻褄を合わせようとは思わない。ジェダイの騎士に関する話ではない。君の想像力があらぬ方向から何かをもたらしているようだが、そうではないだろう。だからさっさと言葉を記せばいいのか。今の君にはそれがお似合いだ。今の君でなくてもそうしているところか。でもなんとなく違っているような気がする。何が違っているのだろうか。雨音に合わせて何を記しているのか。そういうことではない。でもその調子なのか。いったい何がそうなのだろうか。どこかで落雷があったらしい。竜巻も発生したようだ。にわか雨のたぐいか。でもなぜそうやって気をそらすのか。また冗談へ逃げたいのだろうか。

 語ろうとしているのは問題ではない。そこから絶えず外れたいのだろうか。なぜそう思うのか。なんだかわからないが、そんなふうに思われてしまうらしく、意味不明でもかまわないから、とにかくそれを記さなければ気が済まないようだ。しかし言葉を記せば何が済んでしまうのだろう。だから気が済んでしまうのか。そのへんが理解の範疇から逸脱しているようだ。いったいこの感覚はなんなのか。どうかしているようだ。どうかしていてもかまわないのだろう。正気ではないのかもしれないが、そんな記述を続けようとしているらしい。嘘かもしれない。君は他人に気を使いすぎて自分を見失っているのか。そんな兆候があるとも思えない。でもへんだ。時間の経過がいやに遅いときもあり、ほんの一瞬の間にいろいろなことをいっぺんに考えていることもある。気が狂ってしまったのだろうか。それとも虚構でしかなく、どこかのフィクションの中で誰かがそんな感覚に陥っているだけなのか。それもありえないことか。では何なのだろう。要するに君は嘘をついているのか。そうだとしても納得がいかず、そんな場面を想像しているだけで、そこから安易に結論へとは至らないようだが、それはどういうことなのか。面倒くさくなってきたらしい。貧乏揺すりが次第に激しくなる。いらついているのか。それともそんな記述も嘘なのか。君が問われているのではないらしい。誰かが君に何を問うているのでもない。問いかけている対象はいつでも虚空か。だから冗談なのか。何がそうなのだろう。冷や汗でもかいて、緊張感を醸し出したいわけでもなく、すべてが弛緩しきっているようにも思われ、余裕でそんなことを記しているようにも思われる。いつの間にやら冷静さを取り戻している。かゆみ止めの薬を塗りながら、なんとなくテレビを見ている。これも余裕のあらわれか。なんでもないことを記して、なんでもないことを思い、それで済んでいるのだから、要するになんでもない状況なのか。君がそう思うならそういうことだろう。


7月3日

 まだこんなところでうろついているのか。翌朝は晴れている。夏だから暑くなりそうだ。どこかで誰かが何かを習っているらしい。勉強しているということか。いくら高価なお宝を持っていても、それを見せびらかしたり自慢したりできる環境がないとだめなのだろうか。君は何が言いたいのか。とりあえず競争社会の中で生きている。そんな幻想を抱く。たぶん韓国あたりではあからさまにそうなのだろう。競争に勝ち抜いて金持ちになってからでないと、心に余裕が生まれないだろうか。そういう方向で努力したいのなら、そういうことになるだろう。もちろんそういう一途な方向から逸脱すれば、なんとなく気楽になれるかもしれない。それで暮らして行ければの話だろうが、どうしても見栄を張りたくなってくれば、それなりの金が必要になるだろうか。音楽を聴いている。要するに格好良く生きたいのではないか。他人から羨ましがられたいのだろう。考えてみれば馬鹿な話か。欲望をあきらめなければならない。知性なら身につくのではないか。仕事に追われる毎日でも、合間を見つけてネットからでも知識を得ればいいのか。それはくだらない努力か。方向性を誤ると、せこさばかりが身についたりするわけか。君はもっと優雅に暮らしたいのか。卑しい人間には何をやっても到達できない地点というものがあったりするわけか。何かを性急に求めようとすると、とたんにせこさやズルさばかりが際立ってきて、嫌な奴となってしまう。木を見て森を見ようとしない近視眼的な人ならいくらでもいそうだ。空が青い。地上では面倒くさい人たちがうごめいている。悠長に構えている場合ではないか。しかし現実は現実だろう。馬鹿げていると思うなら馬鹿げていてもかまわないのではないか。

 君は何を極めたいのか。あるいは極めてしまってはまずいのか。究極の何かを手に入れるという話なら、その手の映画や漫画の中では嫌というほどありそうだ。だからどうもそうではないらしい。フィクションでは満足しないということか。現実の世界では何があるのだろうか。青空に雲が浮かんでいる。遠くを眺めているらしい。君は固まりたくないのだろう。固まってしまうとやることが限られてくる。そんなことばかりやっているわけだ。時間がないからそうならざるを得ないのか。そういう固まってしまった人のために国家とかが存在しているわけか。眠たくなってきた。人は小さな存在だ。だからみんなで力を合わせてなにか大掛かりなことを成し遂げなければならないのか。笑わせてくれるではないか。もう少し気の利いた冗談を述べてみたらどうか。うまく言い表せないが、どうやら限界が近づいている。君はもう固まってしまったのかもしれず、あまり自由に思索できないし、行動もそれなりに制限されている。でもまだあきらめていないのだろう。いついかなる時でも、何とかしようとしているのではないか。できる範囲内での話でしかないだろうが、見るからに退屈な感じで凡庸に固まって、ロボット人間となってしまった人たちを哀れむほどの余裕はないだろうが、ありふれた人間として生きていく気にはなれず、なんとかそうではないような生き方を模索しているのかもしれない。それも冗談だろうか。たぶんそれとは違った認識を持ち合わせているのだろう。とにかくあきらめてしまったらおしまいか。それが残された時間をロボットとして生きていくか否かの分かれ道なのだろうか。たぶんそれも違うと思われる。それらをロボットとみなすことが間違っているのだ。ロボットではなく人間とみなすべきなのか。人間ですらないのかもしれない。人は人であり、君は君であり、ロボットはロボットでしかなく、それらすべてを否定しても肯定しても、そんなのはなんでもないことなのだ。そんな認識はまやかしでしかないか。


7月2日

 夕暮れ時の風景が懐かしいわけではない。街路灯の下で猫が佇んでいる光景を思い浮かべる。鉄橋をわたり、電車がどこかの県へ入ったらしい。空は曇っている。過ぎ去る景色の緑が濃い。真夏の海岸で何をやっているのか。何かの宣伝だろう。そんなポスターが貼られている。中吊り広告に目をやる。古い工場が通り過ぎていく。後は同じような家並みか。何を説明しているのだろうか。君はどこから来たのだろうか。ここからどこへゆくのだろう。何を問いかけているのか。問いかけているのではなく、何かを問いかけようとしているのか。疑念を抱く。そんな素振りも見せず、何かを信じているのだろうか。それは神か自然か宇宙の存在か。てんでバラバラのようだ。いったいどこで妥協すればいいのか。それとも思い上がりもいい加減にしろということか。誰に怒られているのでもなさそうだ。でもこのへんで取り返さないと、後が無くなりそうだ。でも今があるではないか。虚しいのか。嘘ではない。嘘でないから困ってしまう。何に困っているとも思えないが、とりあえずそんなことを記しておく。意味不明だろうか。やる気がなくなってしまったのか。君に言われる筋合いはない。では今は幻想に浸っている最中だろうか。そこで何を語っているのだろう。どこからか伝承された昔話だろうか。君にわかるわけがない。君ならだいぶ手前でゆきづまっているはずか。どこかで何かが遅延している。だからそこで無理に言葉を繰り出して、何かを全うしなければならないのだろうか。またもや意味がわからなくなる。足首がかゆいのか。いびつな言葉の並びにしようとしている。それでアクセントをつけたつもりになりたいようだが、そうする理由が見つからない。やめておいたほうがよさそうだ。

 いくらそこで彷徨ってみても、何も見つからないだろう。範囲が狭すぎるのだろうか。もうあたりは真っ暗だ。視線の先にはアスファルトの舗装道路が見えている。君には何かが欠けている。どうせ何も考えていないのだろう。そこに何があるわけではない。そこにどんな仕掛けがめぐらされていようと、簡単に通り抜けてしまいそうだ。こだわりが欠けているようだ。だから罠にはまりづらいのか。君がそう仕向けているのではない。誰を頼って生きているのでもなく、貸し借りとは無縁でいたいだけか。だから孤独に苛まれる。そういう成り行きにならないのは困ったものだ。何も語りようがない。高圧送電線の鉄塔が林立している地帯を抜け、ひたすらどこかへ向かって電車が走っているように思われるが、今は夢の中だろうか。でも何に夢中になっているとも思えない。ただ淡々と言葉を記す。忘れかけていた何かを思い出して、どこかでそれを反芻する機会を得たようだ。そんな気がしただけで、その時君は何かの印象にとりつかれ、つまらぬこだわりに支配されようとしているらしい。そんなのは嘘か。面倒くさいのでそういうことにしておきたいのだろう。今はどこを通り過ぎているのだろう。なんでもないのにそれが気にかかり、遠くに見える新幹線の高架を確かめ、なんだかほっとしたふりをしたいようだ。何となくそれも嘘臭い。胃の痛みが和らぐ。またそんな気がしただけか。実際はどうなのだろう。そういえばカート・コバーンはライフルで自殺したのだったっけ。それとはまったく関係なさそうなビリー・コバーンを聴きながら、ふとそんなことを思い出すが、君もそれとは関係ないだろう。ニルヴァーナなんて誰も覚えていないか。君は同時代人ではないはずだ。


7月1日

 しかし高速道路無料化はどうなったのか。忘れられていて、今となっては誰もそんなことには関心がないか。そうだとすれば、結局既得権益にしがみついている人たちの勝ちなのだろうか。まあ国民が馬鹿だから、マスメディアの軽薄な世論誘導に惑わされて、すべてが台無しになってしまったわけか。そんなわけでもなく、最初から無理だったということか。ともかく小沢氏ではもう無理なのかもしれないが、とりあえず日本という国家をぶっ壊す試みを他の誰かが引き継いでもらいたい気がしてくる。東北の大震災でも福島の原発事故でもぶっ壊れず、一時は全部止まった原発もじわじわ再稼動してきて、元の木阿弥のようになってしまったら、また嫌な世の中になってしまうような気がする。しかし何が絆なんだろうか。原発村や官僚村の絆は他のどこよりも強固なのか。まあ命がけで何かを死守するような人たちにはかなわないということかもしれない。こちらは遊び半分や冗談半分でいい加減なことを述べているわけだから、はじめから説得力がない。そういうのは間違っているとしても、でも命がけの人たちよりは気楽だ。何よりも気楽に物事について考えてもいい平和な地域に暮らしているわけだから、シリアの人たちみたいに命がけで行動する必要はないのではないか。テレビの討論会もどきで時に怒りや呆れや皮肉を交えながら、利いたふうなことを主張している評論家もどき政治家もどき学者もどきのような人たちに同調することはないだろう。だから選挙ではできるだけふざけたことを主張している候補者に投票すべきなのだろうか。本気でそうすべきなのではない。どうもいつものように間違ったことを述べているようだ。わざとそうしているのかもしれないが、本気になれないわけでもあるのかもしれず、それは何かと考えてみれば、心当たりはいくらでもありそうで、でもうまく言い表せない部分もあるらしく、そのへんを推し量るにしても、そんなことはどうでもよくなってしまった可能性もありうる。とりあえず他に何を言いたいわけでもなさそうで、そこから先は意味不明になりそうだ。

 たぶんそれで誰が何を主張しているわけでもない。ではすべては冗談なのだろうか。ともかく誰の試みもうまくいかなかったことだけは確からしいが、それでもどうということはないのであり、誰もが平然と暮らしている状況に変わりはなく、たとえ消費税が上がっても原発がどんどん再嫁動してもなんでもないことなのかもしれない。どうせまた大震災が起こっても、富士山が噴火しても、それはそれでそういうことでしかなく、災難を逃れた人たちは相変わらず減らず口をたたきながら、その日その日を淡々と過ごしているだけなのかもしれず、メディア上でコメントする立場の人たちも相変わらずで、歴史上の大転換期に差し掛かっているだのと、これまた利いたふうなことを述べていることだろう。要するに現実を真に受けることは断じて拒否し続ける姿勢に変わりがないのだ。しかし君は本気でそんなことを思っているのか。冗談でそんなことを述べているだけかもしれないが、なにかそれとは違った主張ができないものだろうか。今しているそれでは物足りないのか。外は曇っている。雨が降っているのかもしれず、たぶん今から出かけていくのだろう。


6月30日

 雨がやみ、晴れて暑い。相変わらず数日後のことか。なにか違う水準でものを考えているのだろうか。たぶん何が悪いとも思えない。どうせ消費税を十%まで引き上げるのだから、酒税やたばこ税など他の間接税はなしにすればいいのに、財政難だから、そんなのは不可能なのだろうか。次の選挙でどこかの有力な政党がそんなことを主張すればおもしろいだろうに、了見の狭い日本国民に冗談は通じないか。他に冗談みたいなことを述べられないか。例えば来年度の国家予算をいきなり半分にして、公務員を半分リストラしてしまえば、財政難も解決するだろうか。できるわけがないか。正気ではないと思われてしまう。でも君は本気でそんなことを思っているのではないか。今の君では実現不可能だろう。君でなくても、野田首相でもそんなでたらめなことはできないだろう。やはりバカボンのパパでもこれでいいノダというわけにはいかないか。たぶんつまらない冗談にしかならない。ではどうしたらいいのだろう。さらにでたらめなことを言えばいいわけか。とりあえずそれでかまわないだろうか。リストラされた公務員たちは何をやればいいのだろうか。風力や太陽光発電の会社でも立ち上げて、自然エネルギーの普及を推進すればいいわけか。それも冗談のうちだろうか。今の君に出来ることといえば、それは冗談を記すことだけなのか。とにかくなんでもかまわないから、言葉を記せば、何か内容のようなものを提示している気になるのではないか。結局それだけのことか。夜になっても蒸し暑い。ともかく何がどうなろうと、今の君にはさほど影響はないのではないか。もはや仮想敵などという対象はなく、政治的に右だろうと左だろうと、なんでもありでかまわないのではないか。

 しかし冗談の次には何が待っているのか。大河ドラマでも平安末期の馬鹿げた内乱を、まるで重大な歴史的転換のごとく見せようとして必死ではないか。君にとっては明治維新でさえもどうでもいいことなのだろう。またいつものデタラメか。では君にとっては何が重要な出来事なのか。わからない。たぶんその時々で変わってくるのではないか。出来事など何でもかまわないのだろう。何かのきっかけで何をやるにしても、それはそういうことであり、その時に考えればいいことか。たぶん何も済まないだろう。すべてが中途半端なのだ。何を考えても何がどうなるわけでもなく、釈然としない結果に惑わされ、どうかしていると思ってしまう。またできないことをやろうとしているのか。いつものパターンだ。何がパターンだと思わないが、そんなパターンのまま先月の日付を通りすぎようとしていて、まさに今が正念場なのだろうが、行き詰まりのようにも感じられ、無理であることを自覚しそうになって、結局あきらめてしまうのだろうか。どうやら時間が迫っているようだ。未だやる気がしないのにそれはないか。では実際にやっているこれはなんなのか。単なる記述作業の延長上にあるなにかか。そんなことを述べているうちにも、数日後の明日が近づいているようで、焦りを覚えながらも、なんとか作業を終えようとしているみたいで、いくらか余裕が出てきた感じで、油断は禁物だと自らに言い聞かせながらも、意識がそこから遠ざからないように心がけつつも、半分安心しているようにも思われ、どうやら官僚支配を突き崩せない政治家と国民が哀れだとも思わず、そういうところは突き放してしまっていいのではないかとも思われ、ちょっとそのへんの雰囲気に染まりつつあるのをかろうじて食い止めているようでもあり、そんな思いから解放されたいとも感じないが、なんとなく何か視界が開けてきたと勘違いしている今日このごろか。


6月29日

 今日はあれから数日後だ。あれとは何か。違うと思うならどうしようか。君は相変わらず意味がわからないようなことを述べている。別に修行僧のような風貌というわけでもないだろうが、誰かがどこかで立ちすくんでいる。崖の上から下を覗き込んでいるのか。そんなはずがないか。もっと画面に近寄ってよく見たらどうか。どうもあてが外れているようだ。たぶんまただいぶ外れているのだろう。そんなはずがない。誰の創作なのだろうか。わかりやすくフィクションをおりまぜながら、どうでもいいようなことを語ろうとしている。だからそれが間違いで、あてが外れているということか。目論見通りの結果を得られていないようだが、君はそこで何を得たかったのか。こんなはずではなかったか。ではうまく行けばどんなはずだったのだろう。わかるはずなどなく、わかろうとしていないのだから、理解させるのは至難の業だったのだろうか。いったい何がそうなのか。さっきからそこに立ち尽くしたまま動こうとしない。呼吸をしていて意識はあるようだ。では生きているのではないか。でも言葉を記す気にならない。その気がなくてもそうしているではないか。ただ言葉を記している。立ち尽くしているのは、フィクションの中で登場する誰かか。わざとらしいごまかしだ。まったく脈絡を感じない。では語ることに失敗したのだろうか。失敗も成功もなく、ただ言葉を記しているに過ぎないことか。そうではないと思いたい。それだけだとは思えないのは、未だに幻想を信じている証拠か。それはどのような幻想だったのだろう。過去の記憶に照らし合わせて、なるべく周囲の賛同を得られるような説明を記さなければならないのか。わけがわからない。たぶんそれらは言葉の付け足しのたぐいだろう。

 もう夏だ。半年が過ぎ去ってしまったらしい。一年の半分か。もう夜か。外では雨が降っている。そんな季節なのだろう。身の回りでは事件など何もないか。テレビドラマとニュースの中ではあるのではないか。テレビでは野球をやっている。シアトルとボストンがやっているらしい。イチローと川崎が出ているようだ。それは昼の時間帯でのことだ。自然とあくびが出る。どうも何もない日曜日のようだ。日付としては数日後のことか。それの何が面倒くさいのか。別に面倒くさくなんてない。ではどうしたらいいのか。その後仕事を終えて、夕方にネットでスポーツニュースを見たら、マリナーズが勝ったらしいが、どうせ興味がないのだろう。夜に雨が本降りとなり、雨音を聞きながら、何も思わない自らに腹を立てることもなく、ただ淡々と時を過ごす。語ることなど何もないか。またテレビを見ていたようだ。でも今は画面から背を向けている。まだ何も記していない。嘘だろう。もうだいぶ言葉を記したではないか。内容は冗談のたぐいか。冗談半分にそんなことを述べているわけか。崖から飛び降りた主人公はその後どうなったのだろう。そんな話など知りはしない。話ではなく、なんでもないことか。何がそうなのだろう。またそれか。そんなところで中途半端に語る気になれないか。何を語ればいいのか。自動車でも運転していたほうが気楽か。それとこれとは無関係だろう。どこかでクーデターの動きを察知したらしい。そんなフィクションもつまらないか。デタラメに拍車がかかっているようで、記述の限界を露呈させているようで、嫌になってしまうだろうか。まだ雨が降り続いているようだ。雨音が次第に大きく聞こえてくる。だからなんだというのだろう。たぶん興味深いのだろう。嘘でもそう述べて、何かを取り繕うふりをしなければならないのか。まったく体裁が整っていない。


6月28日

 別にいいのではないか。君はまだ死なないのか。生きている限りは死なないのだろう。それだけのことか。君は何を考えているのか。それがわからないのはどういうことだろう。なんだかわからないようだ。なぜ人は幸せになりたいのか。愚問だろうか。行き場がないのは当たり前のことだ。人としての尊厳はどうなったのか。笑ってしまうだろうか。人の末路とはそんなものだろう。必要とされなくなったら終わりか。そんなものでいいのではないか。でも必要とされなくなったことを逆手にとって、勝手気ままな余生を送ればそれでいいのではないか。でもそうなるには金が必要だ。どうやら君はまた冗談を述べているらしい。そのうち誰かが豪華客船に乗って世界一周の旅にでも出かけるのだろうか。そういう金持ちも中にはいるのだろう。どうも人の生を幸せという独りよがりな尺度で図らないほうが良さそうに思われる。幸福だろうと不幸だろうと、それはどこまでも人それぞれで捉え方が違うのではないか。それも当たり前のことだろうか。当たり前ならどうだというのか。どうもしないのだろう。そこで眠ってしまったらしい。翌日になっても何も思わない。なぜそうなのか。これ以上の継続は無理なのではないか。しかし何を継続させようとしているのだろう。わかるはずがないだろうか。たぶんそうではないような気がするのだろう。なぜということではなく、ともかくそんなふうにして言葉を記しているようだ。そして君は黙るしかない。それもなぜなのだろうか。笑っていては意味不明か。またどこかへ外れていくような気がしてならないみたいで、わからなくなっているらしい。

 何が気がかりというわけでもない。何か苦いものが飲みたくなるのはストレスが溜まっているからか。たぶん何がどうなっているわけでもないのだろう。紅茶でも飲めば気が済むのではないか。放っておけばまったくのデタラメになりそうだ。夕暮れ時に何を考えているのだろう。答える必要のない問いばかりが発せられているようだ。ゆきづまっていることは確からしいが、なぜか楽観している。苦くて濃い紅茶を飲みながら、何を記そうとしているのだろう。今記しているそれではだめなのか。だめだろうがなんだろうが、とにかく記していることに変りがないのではないか。途切れ途切れに何か記しているようだが、まとまりのない内容になっているので、気休めに音楽を聴くとしよう。脈絡がないか。やる気がしないのだから、それも致し方のないことだ。でも笑っているのはなぜなのか。強がりのたぐいだろうか。それでもかまわないか。いくら強がってもできないものはできない。ジャッキー・マクレーンがぶっきらぼうにトランペットを吹いているようだ。別にそれが救いというわけでもないだろうが、君はそこで何を思っているのか。人は社会から必要とされないと困るのだろうか。なにがしかのつながりがないと張り合いがないか。君には何が必要なのだろうか。言葉を記す時間が必要かもしれないが、それにしては何もしていない無駄な時間が多すぎるか。できないものは仕方ない。知らず知らずのうちになげやりになっている。なぜあきらめてしまうのか。誠実さのかけらもありはしない。だがそう思えば救われるのだろうか。なぜそう思うのか。違うだろうか。何とかしたくなるのだろうが、ため息ばかりでて、そういう方向へは進まない。仕事中に考え事ばかりしている。メディア上で語られている状況を信じられず、つかみどころの皆無の何かにまとわりつかれ、なんだかやる気を吸い取られているようにも思われ、変な気分だ。


6月27日

 心が荒んでいる。そんな嘘をつけば気が済むらしい。それも嘘か。では真意を測りかねる。なぜそう思うのか。虫歯が痛いか。何を決めたわけでもない。言葉に詰まる。そんなに深刻な事態を招いているわけではない。興味がないようだ。実際はだいぶ違っているみたいだ。そうなってからでは遅すぎるのかもしれない。気が変になりそうか。そこまではいっていないだろう。でもやる気がしない。馬鹿げているだろうか。いくら筋が通ったことをやっても、それを褒めるわけにはいかないようだ。そんなことではないか。ではどんなことなのか。意識が渦中にあるわけではない。そこで何を見定めたいわけでもないだろうし、根本的に何を理解する気もないらしい。疑念を抱き続ける心は、何かの表層で繰り広げられている様々な戯れについて、何をどう思えばいいのかわからず、困惑しているようだが、一方で安易に答えを導きだそうとする気にはなれず、もうしばらくは様子見の姿勢を崩さず、今はまだ情勢を見極める段階ではないと思いたいらしい。君はいったいなんの話をしているのか。どうも他人を信用していないようだが、話の中身もはっきりしない段階でそれはないか。たぶん気に入らないのだろう。なにか違っていないか。なぜひっきりなしにそうなってしまうのか。それでも君の勘が正しければ、やがてそれらの全体像が見えてくる機会が訪れるはずだ。たぶんそこで見定めておかないと、いつまでたってもありもしない目標に向かって無駄な努力を強いられ続けるかもしれない。それこそ冗談だろうか。だが皆がどうかしているなら、この際どうかしたままでもいいのではないか。

 自分だけが見えているわけでもないだろう。それが面白くないのか。できれば自分だけが知っている事実を明かして、優越感にでも浸りたいらしいが、何がそうなのか。君はすでに感づいているのではないか。無意識のうちにわかってしまったらしいが、それはなんなのか。なんでもなければわかっていることにならないだろう。わからなくても面白ければいいだろうか。何がおもしろいのかもわからない。だから絶えず疑念を抱き続け、何かがおかしいと感じているのだろう。何がおかしいのか。要するにそれらをわかろうとしてないだけなのだろう。まったくいい加減に言葉を記して、自意識を困惑させているのかもしれない。いったい君はなんのために問い続けているのだろうか。それでは永久に何かを知ろうとする理由に至らないように思われてしまうが、そうだとしても現実は現実だ。今直面しているのはただの現実には違いなく、そこで君は延々とくだらぬことを語っているように思われてしまうが、今のところはそれ以外はありえないのだろうか。他に何を語るべきなのか。その時すでに何を語っていたのか忘れている。語ろうとしていたのは、いつまでも昨日のことでしかないのか。なぜ昨日になるのだろう。別に昨日でなくても忘れるようなことでもないだろう。では何なのか。それは問う必要のないことらしい。ちなみに数日後の今日は薄曇りで蒸し暑い。別にちなみと記すようなことでもないだろう。どうもまた何かを無駄に考えている。仕事中にあれこれ考えていたことが、いざ言葉を記す段になって、何も思い出されて来ない。そしてたとえ思い出されたとしても、実際にそれを記してみると、どうでもいいことのように思われてしまう。ひらめきとはその程度のことだろうか。


6月26日

 そんなはずがないと思いたいのか。なぜか外れて行ってしまう。どこまでそこへ近づくべきなのか。まだ目覚めていないようだ。何を見ているのか。目の前に闇がある。嘘か。明かりを消してみればいい。嘘なのだろうか。なにか大切なことを見失っていないか。それを知っているのだろうか。目が疲れているようだ。またおかしくなっている。何がそうなのだろうか。何もそうではないのではないか。ただの言葉だ。延々とそうなのかもしれない。だから目の前には闇がある。理由になっていないだろう。たぶんいつものことでしかないようだ。いつまでたってもそうなのだろうか。沈黙が続くしかないのだろうか。言葉を発しないようだ。面倒くさいからか。何も言うことがないのではないか。いつものようにつまらないことにこだわっているようだ。それをやり遂げなければ納得がいかない。難儀なことだ。天気は局地的に大雨が降っているそうだ。またテレビを見ているのか。やはり興味がないのか。そして寝てしまい、翌朝目が覚め、昨晩何を考えていたのか忘れていることに気づく。そんなことの繰り返しなのか。もう昼だから目の前に闇など見当たらず、仕事の最中に何か考えているようだが、どうせまた言葉を記すときには忘れているだろう。君はそんな日常に飽き飽きしているわけか。だがそれ以外にどんな日常があるというのか。他がないからそうなっていることを承知しているはずなのに、このごに及んでないものねだりしても仕方がないことも承知しているのではないか。ならどうしたらいいのか。

 それがいつもの思考パターンであり、それ以外には考えられないだろうから、ワンパターンには違いなく、それがどうしたわけでもないのだろうが、ただ漠然と何もないような感じで、これから何を語ればいいのかわからなくなってしまいそうか。実際にそう思っているのではないか。なのにどうして言葉を記す必要があるだろうか。そんなことは知りはしないか。君の知ったことではないのだろう。誰かがいつものようにそんなことを延々と記しているだけで、それは惰性でそうやっているのだろうが、なぜか君はそうならないような可能性を模索している気になって、何かを考えているふりばかりしているようだ。それはどういうことなのか。なにか妙案でも思いついたのか。たぶん言葉を記していくうちに、自然とわかってくるのかもしれず、そうならそうで、ここはそういうことにしておいて、実際にゆきづまっているのをごまかして、一時中断しておくことにしようか。今は何時なのか。まだ時間があるだろうか。言葉を記す時間ならいくらでもありそうだが、そこでいくら記しても空疎な内容になるだろう。それは神の予言か。冗談にしては意味不明すぎるか。そこで誰が何を語っているのだろうか。君は沈黙を装う。フィクションの中ではそうなのだろう。そう思いたいのだ。テレビニュースがやかましすぎるのか。でもなぜ黙る必要があるのだろう。これ以上何を語っても、わけがわからないからか。それが君のせいだとは思わない。では誰のせいなのだろうか。自らが言葉を記しているわけではないと思いたいらしいが、なぜそう思いたいのかわからない。


6月25日

 翌朝になっているようだ。また何かを想像しているらしい。夢でも見ているのか。とりあえず目が覚めていることは確からしい。まったくこの世界はわからないことばかりだが、相変わらず何がどうなっているわけでもない。そして今日も生きている。死んでいたら言葉を記せなくなってしまう。それのほうが手間がかからなくていいのではないか。でも現実にはそうなっていないから、こうして無駄に言葉を記しているわけだ。それにしても何もないことに変りなく、さっきから退屈を持て余しているようだ。またそんな嘘をついて退屈を紛らしているわけか。わざとそんなことを述べて何を狙っているわけでもない。首をかしげているようだ。思い通りにことが運んでいないわけか。語るべきことがないのは毎度のことだ。だから待っているのだろう。語る機会がやってくるのを待っている。こちらから出て行って、それを探したりしないわけか。別に売文業者ではないのだろうから、そこまでやる必要などありはしないのではないか。それにしても今日は暑くなる気配だ。朝から晴れている。もう夏が近いようだ。どうせすぐに秋になる。季節は移り変わり、どんどん時が経ってゆき、やがて君も老いて死んでゆく運命か。たぶん冗談でそんなことを述べているのだろう。こうして無駄に言葉を記しているうちに、抜け殻に近づいてゆくのだろうか。

 頭がかすかに痛むが、他人の痛みがわからないようだ。ついでに意味もわからないか。理解を求めていないのではないか。理解の範疇を超えているのかもしれず、そうやって何かを省いて、また別の領域を目指そうとしているのか。それはなんのことか。君はさっきから何も語っていないのではないか。また冗談でそんなことを述べているのだろうか。二十年前にもらったブランド物の革バンドが癒着していた。無理に引き剥がしたら、表面が剥がれて無残なことになってしまったようだ。それがどうしたのだろう。そこからなにか教訓めいたことでも導きだそうとしているわけか。不意にそんなことを思い出しただけか。まだ時間がある。勝手に語るならそういうことになりそうだが、話に脈絡がない。それでかまうもかまわないも、気にする必要も感じられず、また何かを持て余しているようで、そうしているうちも電車が目的地に近づいている。それだけのことだろう。何もないのにそれはないだろうか。そういう語り方でかまわない。そんな気がして、さらに言葉を記そうとしているようだ。君にはそれが理解できない。頭がおかしいのではないか。きっとそうだ。そんなふりをしながらも、どうかしたような気になるのだろうが、どうにもならない現実を前にして、ため息ばかりが出るようで、気を取り直して、さっさと作業を終わらせて、また気晴らしにテレビでも見ていれば、時が無駄に過ぎ行くのだろうか。

 君はそこから遠ざかれない。遠ざかろうとしても引き戻され、何がなんだかわからないままに渦中に引き込まれる。そしてなんやらかんやらやるはめになるだけか。今もそうなのではないか。くだらぬことにかかりきりか。それでも何とかしようとしているのだから、自らがやっていることを少しは肯定したほうが身のためか。自己正当化していないとやっていられなくなり、次第に生じてくるつまらぬこだわりに思考を縛られ、固まってしまって、柔軟性を失い、同じ動作ばかりとなり、そんな同じことの繰り返しの中で、感性をすり減らし、周りの風景と一体化してしまい、やがて自然の一部となってしまうのだろうか。人も所詮は動物の類でしかない限り、それも避けては通れない宿命なのかもしれないが、やはりそこから解き放たれるような幻想を抱くしかないのだろうか。くだらぬことだ。だがそれを否定するのはおかしいか。嫌なら否定せざるを得ないが、なぜそこで笑う必要があるのだろうか。やはりそれも冗談なのだろうか。冗談でなければ何なのか。やがて雨が降るように、状況の変化を捉えて行動に出なければならない。そこで君は何をやるつもりなのか。何が冗談だとも思えないくなるわけか。それは気の迷いか気まぐれか、あるいは何なのだろう。本当はわかっているくせに、あえて口にせず、その時が来たらいきなりやることにしようか。またそんな嘘をつく。どうせ本気ではないのだろう。その時が来るまで、しばらく過ぎゆく風景を眺めていたい。おそらく気が変わってしまうのだ。


6月24日

 こんなところで何をしているのか。夕焼け空でも眺めているのだろうか。何を空想しているわけでもない。実際に眺めているのはなんなのか。今眺めている光景がそうなのだろう。またずいぶんと回りくどいことを述べているものだ。どこまでもこの世界は広がっている。だが何を受け止めているわけでもない。これが現実なのか。別に夢から覚めたわけでもないだろう。では何を語っているのか。君の知ったことではないようだ。何も知り得ない。この世は謎だらけか。そういう認識がありふれている。もう一息なのに、なぜかそこでゆきづまってしまうわけだ。よくあることか。もうすぐ夜になる。文章ができあがる頃には夜になっている。何を想像しているのか。ここからどこへゆけばいいのだろう。何を探しているわけでもない。誰もが探求者ではない。夜明けにはまだ間に合うだろうか。何を間に合わせようとしているのか。たぶん空想はどこへもたどり着かない。ぎりぎりのところで何かを回避している。それがなんだかわからないのに、どうしてそれがわかるのか。言葉遊びのたぐいだろうか。別にそれを失ってもかまわないのではないか。だが何を見失っているわけでもない。では何を考えているのか。観光する必要があるとは思えない。見慣れた日常の風景だけで十分か。ではそこで何をあきらめているのか。

 何かが遠くなる。それは病の兆しだろうか。意味の病ではないようだ。リアルに感じていることなどありはしない。それが嘘なのか。では何を見誤っているのだろうか。今日が明日でないことか。何を見ているわけでもない。それも嘘なのではないか。君はこの世でどうしたらいいのだろう。間違ったことをやればいいのか。果たして今やっているそれが間違っているのだろうか。何を基準にそう思うのか。頭がくらくらしてくる。またできないことをやろうとしている。無理なのはわかっているのではないか。何が無理なのか。夕闇が迫る頃だ。また外を眺めている。正気とは思えない。またそんな嘘をついてみるが、いくら語ろうとしてもそうではないような気がする。またひたすら外れようとしているのか。心が体から外れ、幽体離脱のようになる。嘘かもしれない。そうなったところを想像しているのか。また長くなりそうだ。何を語っているわけでもないのに、文章が長くなりそうだ。少しずつなにかが崩壊している。心の中で崩れ続けているようだ。それでも君はあきらめない。何とかして持ちこたえたいのだろう。だがまもなくどこかへ着く。それだけのことなのだろう。そしてまた正気とは思えなくなり、ますますそこから遠ざかり、何を述べているのでもないような精神状態へと近づく。それも嘘なのか。

 まだそこまで行っていない。なかなかそこへ近づけないようだ。努力しているわけではない。バッハのピアノ協奏曲を聴きながら、何を記しているのか。君はどこから遠ざかろうとしているのか。さらに夜が更ける頃、果たして何を思いつくだろうか。そんなことを想像しているとも思えないが、まだ投げやりにならないだけましだろうか。今日のところはそういうことにしておこう。歌の中では何が語られているのだろうか。物語る動機がどこにあるというのか。歌いつつある歌手の経験の中で、なにか曲と共鳴するような要素があるのだろうか。今ここでそれを探しているとも思えない。では何を語ろうとしているのか。目的地が近づいているようだ。それが思わぬ邪魔だとも思えない。必然的に近づきつつあったのだろう。だからもうやめておいたほうがいいわけか。首をかしげながら言葉を記している。なんの理由があるのだろう。またそれか。答えが見つからないのを承知で、わざとそんなことを述べる。何もかもが見え透いているだろうか。右目と左目の焦点が合わないのか。だから何を眺めているわけではない。そう述べているのは苦し紛れなのだろうか。何かがわかったわけでも理解できたわけでもない。君が知っているのはそういうことなのか。誰が問われているわけではない。誰もそこにはとどまれない。まるで石ころみたいに転げ落ちて行ってしまうわけか。どこへ転げ落ちるのだろう。奈落の底なら、そこは舞台か何かの上か。では君はそこで何を演じているのか。そういうことではないようだ。


6月23日

 たぶん何も考えていないようだ。どうも違うようだ。何かの弱点を見つけてしまったのか。フィクションの弱点ならもうすでに見つけられているのではないか。だがそれらの何が弱点なのだろう。馬鹿げていないか。君に何がわかるのか。何を選んでいるわけではない。選べる運命など君の選択肢にはない。それはどういうことなのか。君にはそれがわからないのだ。実際にそこまでいって、それを体験してみなければなんともいえないか。誰にとってもそれは同じことだ。なんでもないのにそれはなぜなのか。なんでもないわけがないからそういうことになるのだろうか。ではどうしたらいいのか。そんなことまでわかるわけがない。君はそこで何も考えていないようだ。あやふやな感覚で、何か思うところがあるらしいが、それが定かでない。言い表せないような気がするらしい。だんだん空が曇ってきたようだ。君とは無関係な空模様か。どうやら単刀直入というわけにはいかないようだ。いったい何がそうなのか。そのへんをもう少し考えてみる必要がありそうだ。まさか狂気の沙汰というわけでもあるまい。笑っている場合ではないだろう。でもおかしいことに変わりはない。

 なぜそういうことを述べなければならないのか。必要がないだろうか。誰にとってもそうか。世の中には使命感にかられて無理を押し通そうとする人がいるらしい。それでうまくいったことになるのだろうか。今のところはうまくいっているのではないか。そのつもりでそういうことをやったのだから、それはそれで結構なことだ。でも君には時間がない。それについて語る時間が不足している。夢を見ているのだろうか。なぜそんなことを思うのか。落ち着いて物事を考えられない日々が続く。そんなはずがない。だからそうは思わなければいいのではないか。そしていい加減にあきらめたらいいのか。いったい何をあきらめるつもりなのか。妙に思わせぶりだ。何がそうなのだろう。たぶんそんなふうに語る必要がないのだろう。何もあきらめなくても何とかなりそうか。別に使命感に燃えなくてもいいのかもしれず、やるべきことなど何もなく、やらなくてもいいことばかりやっているのがいつものパターンで、そんなことの繰り返しから陥りがちな悪循環から少しでも解放されたら、何かを考えられるようになるかもしれない。君はそこにもたらされているのにも、何か必然的な因果関係があるのかもしれず、まんざら嘘でもないようなことを感じられるのにも、そんなふうに語ってしまう成り行きが絡んでいるのだろうか。

 でもそこから何を受け取ればいいのだろうか。ただ黙ってそれらの光景を眺めているだけで事足りてしまうわけか。今は焦らずに眺めている時期なのだろうか。しかし時が来るとは思えない。いくら待っても何も到来しないのではないか。それでもかまわないのか。だから待てばいい。待っていればわかる時が必ず訪れるだろうか。そうとも限らないのだろうが、とりあえず今は待っていたほうが良さそうだ。気がつけば日差しが照っている。つかの間の晴れは暑いか。つかの間でもなんでもなく、昼休みの炎天下の中で洗車していたではないか。数時間前のことをもう忘れてしまったのか。別に思い出す必要がなかっただけで、思い出そうと思えばすぐにでも思い出せるようなことで、実際に思い出して、それを記してみたではないか。それがどうしたのか。どうもしないなら記す必要がないのだろうか。何かのついでに必要のないことまで思い出して、その時感じた嫌な思いが蘇ってくるのもよくあることだ。何がそうでもないようだが、今はそんなことを記しているだけで、他意はなく、他意を捏造するほどの力量が備わっているわけでもなく、そうすることの何が力量なのかもあやふやな感じで、それについてはっきりしたことは何も述べられないような気がして、ならばもうそのへんでやめにした方がいいような気もしてきて、実際に記すのをやめたくなってきたようだが、他に何を記したらいいのだろうか。たぶん記すべきことなどもとからなかったのだろう。


6月22日

 また一難去ってまた一難か。何を考えているのだろうか。たぶん何も考えていないはずだ。そういうことでかまわないだろう。かまわないならそれでいいのではないか。ならばそういうことでいってみるとしよう。考えてみれば簡単なことではないのか。簡単なことだが、妙なこだわりが邪魔をして、なかなかうまくいかないわけだ。そんなことの繰り返しだろう。その点に関してはあまり深く考える必要はないように感じられ、とりあえずそういう成り行きを受け入れる一方で、機会を捉えて次なる一手を打つことにしよう。それはなんだろうか。たぶんそのへんはわかっているのだろうが、あえて語らずにおいて、そのまま何事もなかったかのように振る舞うとしよう。君はそれを確実に把握しているはずだ。何を把握しているのか。なぜそう思うのかわからず、なんだか妙な感じがするのだろうが、とにかくそういうことらしく、冗談のような本気のような、はたまたごまかしのような気もしないではないが、やはりそういうことらしい。要するにわからないということか。そういう理解でもかまわない。だからもうこの件はこれでいったん打ち切りだ。

 精神的にも肉体的にもいっぱいいっぱいか。それなのに笑っている。強がっているのだろうか。ため息が出る。なんでもないことだ。それでは語る意味がない。もとから意味のないことを語っているのではないか。何がもとからなのか。そんな昔のことなどとうに忘れているはずだ。ならどうする。だからどうもしないのか。どうもせずに笑っているだけではどうにもならないではないか。だから笑っている。そのへんが理解できないところか。理解しなければいいだろう。理解できないのに理解しようとするから疲れるのか。もう少し気を楽に持ったほうがいい。もはや何をどう考えても無理だろう。だが何がそうなのかわからない。なるほどわからないから笑っているのか。そんな理解に達してどうするのか。さらにおかしくなるだけか。そんなところにこだわっても仕方がないのではないか。でも不必要なこだわりこそがこだわりなのであって、そういうところにメリハリをつけておかないと、気が滅入ってしまうのではないか。それも違うような気がするが、ともかくこうして言葉を記しながら、君は何かの機会を捉えようとしているのだろう。しかし機会とは何か。

 この状況は言葉を記す機会を捉えて言葉を記しているといえるのか。現にそうしているではないか。そうやってここまで記してきたはずだ。それで何がどうなるとも思えないが、そうしていることに変わりはないだろう。いつものことか。いつもそうだが、他にやることがあればそれをやり、何かの合間に言葉を記しているわけだ。それだけのことだ。では君はそれだけのことに生きているわけか。そうはならないだろう。言葉を記しているのが君ではないからか。それもおかしい。何をどう記してみても、それについてどう語っても、今ひとつしっくりこない。それもいつものことか。だから何をどう述べてもいつものこととなる。おかしいのはそういうことか。そんなことの繰り返しだから煮詰まってくる。何が煮詰まるのだろう。味噌汁か何かか。冗談に逃げるのもわざとらしい。逃げていて嫌にならないか。逃げようがないのに逃げているふりをしているだけだろうか。現実に無理や不可能に直面して、その前でそこから逃げるふりをしながら、なんとかそれらの何かに向きあい、かろうじて言葉を繰り出して、何か述べているような体裁を整え、整っていないのかもしれないが、ぐだぐだ言葉を記している現実を受け入れ、そんな成り行きを眺めながら、誰かがため息を漏らしているわけか。それでかまわないのだろうか。かまうわけがないだろう。


6月21日

 さらに一日進んだ。今はもう用事を済ませて帰り道の途中だ。渋滞にハマっている。この感覚はなんなのか。ただ何を語ろうとしているわけでもなく、トンネルの中で渋滞に遭遇して、いらついているわけでもなく、他に何を思っているわけでもないが、しばらくして渋滞を抜けて、何か思いついたような気がしたが、それはそれで深く詮索するのはやめておいて、次に思いついた時にしておきたいが、たぶんそれは嘘で、もともと何も思いついていなかったのかもしれない。君はそんな心境の中で何を思いついたのか。そうではないだろうか。何がそうなのか。そうやってわざとおかしくしてしまうのが君のやり方なのか。それは何を意味するのだろう。何も思いつかないまま言葉を記そうとすれば、自ずからそうなってしまうのだろうか。もっとなにかましなことを述べられないものか。そんなことを思っているうちに、そんな内容を記しきってしまい、気がつけばそれだけとなっているのがいつものパターンだ。今回もそうだろうか。そうだとしてもそれでかまわないのか。現実にそう述べているのだから、それはそうなってしまうのだろう。

 君はおかしい。架空の存在だからそうなのか。何がそうなのだろうか。自分のことではなさそうだ。誰のことでもないだろう。だから君ではないのか。こじつけに決まっているだろうか。何がそうなのかわからなくなってくる。馬鹿げたことを述べているのかもしれない。君はいつでも遅れて気づく。気づいたのはもう済んでしまった後なのか。いったい何がそうなのか。もう夜だ。今日は朝から晩まで自動車の後部座席で言葉を記しているみたいだ。本当はその間に数時間行事に参加していて、疲れているのかもしれないが、今も言葉を記しているようだ。それだけのことだろう。それだけだから空疎なのか。そうでもないことも記していたではないか。それに救われているのだろう。だからたとえ内容が空疎でも持ちこたえられるわけだ。しかしそれで持ちこたえていることになるのだろうか。わからないが、たぶんそんなふうに思えば、それで済んでしまうのかもしれない。

 慢性的な渋滞の中で思うこととはなんだろう。都心ではハーレーダビットソンをよく見かける。みんな趣味で格好のよいバイクに乗っているようだ。だが君はそんな一瞬の光景に見とれるだけで、他に何を思うわけでもなく、また別の何かに興味を持ったとしても、ほんの一瞬だろうか。ならば人生もほんの一瞬の出来事が積み重なったものでしかないのかもしれない。でもなんで退屈なのだろうか。そう思えば思えるだけで、そう思わなければ結構おもしろいのではないか。おもしろいと思うようにすればいいわけか。でも無理に思う必要もないだろう。これまでどおりに自然体であらゆる出来事に対処していけば、それなりに乗り切ることができるのではないか。でも乗り切った先に待っているのは自らの死だ。それでかまわないのか。かまうもかまわないのも、そうなるより他ないだろう。どうせ乗りきれなくても死んでしまうのだろうから、乗り切った後に死んだほうがいくらかましなのではないか。それは人という存在の宿命なのではないか。それ以外にどうなるものでもなく、それ以外があるとすれば、それはフィクションの中の生でしかない。誰かはいつでも物語の中で不死の存在となりうるが、それは誰かがこの世界から不在となって初めて実現することであり、生身の誰かとは無縁の実在でしかない。


6月20日

 日付が一日進んだようだ。ラジオでは相変わらずサッカーの話題だ。内容は利いたふうな話か。プレミアの有力クラブへ行くことになった日本人選手がいる一方で、彼と同期でかつて天才と呼ばれた若手が低迷している。ネットでそんな文章を見かけたことがある。早熟の天才というよくある話だろうか。たぶん天才でなくとも成功する人はするのだろう。まあブンデスリーガでは成功したが、プレミアで成功するかどうかはわからないが、かつての天才の方は、J1で成功できずにJ2へ飛ばされ、また最近J1に呼び戻されたが、レギュラーの座を確保できずに、控えに甘んじているそうだ。まあ彼がこの先成功して、日本を代表するMFでもなって、代表の試合で活躍するようにでもなれば、低迷時代の試練を乗り越えてたくましくなったとかいう話になってしまうのだろうが、たぶんそれでも時代はさっさと移り変わり、また新たな天才が出現して話題となったりするのだろう。

 サッカーといえば、以前マンチェスター・シティのサポーターを扱ったドキュメンタリー番組を見たことがある。番組で取り上げられたシティのサポーターたちは、何よりもマンUを忌み嫌っていて、あんなのはマンチェスターのクラブではなく、マンチェスターの中心部から離れた本拠地のスタジアムは、泥沼のようによどんでいるとか言っていたのには笑ってしまった。そして彼らが最も嫌いなのは、監督のファーガソンであり、ついでルーニーだったりして、彼らに対して発せられる憎悪の言葉に接すると、日本で伝えられている感覚すると、まるで真逆なのに少し驚かされる。でもそんな彼らも、ちゃんとした仕事についていて、いったん試合があると、廃車寸前のボロ車に乗って、仲間と一緒にイングランド中に出かけていって、応援に人生をかけているのだから、おそれいってしまう。同じシティサポーターだった亡き父の墓前に試合結果を報告しに行ったり、仲間たちとパブでサッカー談義に花を咲かせたりして、サッカーが完全に生活の一部と化しているのだろう。そして確か今年はシティが宿敵マンUを破って、何十年ぶりかでリーグ優勝したそうだから、低迷時代から何十年も応援し続けてきた甲斐があったということか。

 プロスポーツとそれを応援する人たちに関することを、批判的にああだこうだ言う気にはなれないが、まあ人がやっていることはいろいろあって、そういうことにこだわるのも人それぞれということで、趣味の問題に還元できるのかもしれず、人々がそんなことをやっていられる地域は平和なのだろうし、出来れば地域紛争とかがなくなって、世界中でそんなことにうつつを抜かしていられるようになればいいのだろうか。それとも辺境地域での紛争は永遠に終わらず、それは大都市の中心部で特有の犯罪が絶えないのと同じことかもしれず、それは気候や風土と同じで、世界全体で均質な社会になることなどありえないのかもしれないが、仮になったところでそれなりに問題が生じて、それに関して人々が侃々諤々の議論で交わす機会が将来訪れるのかもしれない。そんなことはないか。午前中に記した文章なので、夕方の今となっては、まったくリアリティを感じさせない内容となっていて、今の君にはどうでもよくなっているのかもしれず、そんなことを記していたこと自体が、なんだか冗談のように思われてしまうのだ。だからもうこの話題はいいのではないか。


6月19日

 何を語ろうとしているのだろう。外では雨が降っている。屋根を叩く雨音が聞こえてきて、誰を不安におとしいれるでもなく、そんなふうに自然の成り行きを感じさせるらしいが、君は君でめいっぱいか。スポーツドリンクと緑茶を飲んで眠ってしまったらしいが、蒸し暑さにたまりかねて、夜中に起きて少し言葉を記しているようだ。どうせ長続きはしないだろう。現に何も思いつかない。それでも言葉を記そうとしているわけだ。難儀なことに変りない。もうそれから一日が経っている。咳が止まらない。止めればいい。それだけのことだろう。それで本当に止まったらおかしいか。フィクションだから止まることもあるのではないか。意味がわからない。意味をわかろうとしていないのだろう。意味がないわけではない。ではあるのだろうか。そういうことではない。ではどういうことなのか。そう問えばいい。それだけのことだ。なぜか外れているようだ。またそれだ。腹の底から怒りが沸き上がってこないか。そういうことでもない。単純に外れているのだ。だからもうやめたほうがいい。

 しかしやめてどうするのか。寝るだけのようで、また翌朝に目が覚めて、言葉を記す。無理なのにご苦労なことだ。ひょっとすると無理ではないのだろうか。そう思うならやってみればいい。やれる範囲内でやるだけのことだろう。数日後の今日はまた面倒な行事だ。とりあえずなにかの合間に言葉を記すとしよう。だが何を記せるのか。今記している以外の何を記せるわけでもなく、そんなことを考えているうちに胃が痛くなる。胃ではなく食道ではないのか。では食道がんか何かか。だいぶ前からそうだから、もう手遅れなのではないか。ではもうすぐ死んでしまうのか。このところ痩せて見えるようだから、本当にそうかもしれない。いくら食べて太らない。ではそろそろこれらの試みも終わりが近いのか。そうなったらおもしろい。テレビをつけたら早朝に落語をやっている。

 もうすぐオリンピックも近いのだろうか。やたらとその手の宣伝が多い。落語で噺家が誰が勝っても負けてもいいじゃないかと言っていたが、本当にそのとおりだ。だが現実にはそれでは済まない人が多いのだろう。テレビで哲学者が語っている。物語なのだろうか。長い闇の向こうになにか希望が見えるのだそうだ。なんでもないことなのだろうか。語りが軽い。それでかまわないのではないか。今日は晴れている。朝から何を思うわけもなく、何も語る必要がない。それでも語ろうとする。無理に決まっているだろう。無理なのになお記す。車で移動でしかも後部座席だから、言葉を記す暇がある。でもないだろう。仕方がないとえば仕方のないことだが、気分が乗ってこないのはわかっている。高速道路から見える風景も見慣れているか。君が何を見ているわけではない。誰も何も見ていないか。運転手は前方を見ているのではないか。川を渡っている。また狭い範囲で何かを語っているようだ。ラジオで誰かが語りだす。


6月18日

 つまらないことを思い、何を語ろうとしているわけでもない。それでは話にならないか。それらの光景を眺めながら、何に感動しているわけでもないだろうが、だいぶ弱っているようだ。昼の日差しにやられて、意識が朦朧とする。だがそこで何を試みようとしているわけでもなく、それらの出来事について話すことなど何もないはずだ。では話はどうなってしまうのか。それでも何かを語ろうとしているのだろう。相変わらずそんな按配で、またそんなところで立ち往生か。君は面倒な行事に付き合わされ、疲れることの連続か。今のところは疲れているようには見えない。これから疲れるのではないか。そして疲れたら眠ってしまうわけか。だから当分は追いつけそうもない。何に追いつこうとしているようにも見えないが、たぶん追いつこうとする対象がわからないのだろう。だからいくら追いつこうとしても無駄なのか。それに近頃の君はやるべきことをちゃんとやっていないのではないか。やっていることの意味すらわからないようだが、ちゃんと文章を読んだのだろうか。それ以前にそれは誰の文章なのか。読んだとしてもわかるはずがない。それでもまだ何とかなると思っているのではないか。どうもそのへんでうまく言い表せないような事態に直面していて、そんなことの連続で嫌気がさした誰かが、ついにその場を立ち去ろうとしている。そういう場面に出くわしたのだろうか。きっと誰かが何かの映像を見ているだけなのだろう。見ているだけでは物足りないか。映像は映像に過ぎず、現実の誰かに直接出会うことなどありはしない。君は出会う必要などないのではないか。誰かの意識が映像の中の何かに興味を持っているらしいが、どうせあてが外れていて、それらの文章に反映させられないのだろう。そんなことを思っているうちにまた眠くなってくる。相変わらずの何もない現状に飽き飽きしているのか。しかし他に何を説明したらいいのか。他がないということかもしれず、とりあえず今日は曇っていて、空を見上げるたびに憂鬱な気分になるだろうか。今のところは天気の話しかないらしい。しかし他とはなんなのだろうか。それはどういうことなのか。本当に君は記憶喪失なのだろか。それともなにか前世の出来事でも思い出したのか。前世かがあるなんて信じていないはずだ。それは君のことではなく、誰かのことなのか。どうもそのへんで話がつながらないようだが、つながる必要もないのかもしれない。話をつなげようとしてつながらず、結局押し出されてしまったようだ。意味不明だろうか。また厄介な事態に直面しているわけか。ならばこれ以上何を語る必要があるだろうか。何がどうなっているわけでもないだろう。何もどうにもならず、君はそこから転げ落ちて、居眠りの最中にそんな夢を見ているのかもしれない。それが今述べているフィクションの一部始終か。そんなわけもないだろうか。でもそんなことを考えあぐねているうちにも、その続きを記そうとしているようだ。ありえないことか。何がありえないのだろうか。正気とは思えないか。正気ではないのかもしれないが、そこからあまり遠ざかるわけにもいかず、今日は今日で今日でないが、今日中には言葉を記し終わらなければならないような気になり、こうして居眠りから覚めて言葉を記しているわけなのか。そうだとしても、なおのこと困難な言葉のつながりになっている。なぜそうなってしまうのだろう。それは君が無理強いしているからか。もうやめたほうがいいのに、まだそれを続けようとして、さらにおかしくなってしまう。たぶんそんなことの繰り返しの中から、それらの現実が文章として構成されているのだろうが、それにしても無駄に長すぎないか。正気とは思えないのも頷けるか。そうやってそれらが醸し出す否定全体を肯定しているわけなのだ。だからそれがありえないことなのかもしれない。そんなわけで時間も時間だから、もう終わらせたほうが身のためのような成り行きとなってきた。


6月17日

 ありえないことかもしれないが、自身が流離を宿命と持つことに関して、誰かが何かを語ろうとしている。映画の一場面を思い出しているのか。たぶんなんの話にもなりはしないだろう。語る前から否定していては何も語りようがない。そんな歌でも口ずさんでいるのだろうか。どこかの離れ小島で椰子の実が落ちて、海面を漂いながら別の離れ小島にたどり着いたりするわけか。単純な流離譚だ。人々が興味を持つのは、さすらっているのが貴種かどうかか。それはなんの話なのだろうか。誰かが殺されて川に捨てられ、死体を川魚やザリガニに啄まれ、それからどうなったのだろうか。君はそこから先の話を知らない。死ぬ直前に何かの幻影を見たのだろうか。なぜそんなことが気にかかるのか。夢を見ていたのだ。そういうことにしておきたい。話にならないのが苛立たしいのだろうか。ロマンなどとは無縁のようだ。また心が体から外れているのか。何に気づいたわけでもなく、また車窓から遠くの山並みを眺めている頃だ。人は今日も働いているのだろう。この世界をさまよい歩くのが娯楽のようだが、誰かはそうやって世の中のしがらみから解き放たれたような気分を味わいたいのかもしれない。金と暇さえあれば、いくらでも贅沢ができそうだが、宝探しにもそれなりのセンスが必要みたいだ。求めているのがくだらないものでは物笑いの種となりそうだ。だから慎重に事を運ばなければと思っているらしいが、そもそもそれが大きな勘違いなのだろうか。ではそのへんに転がっている石ころでもお宝だと思いこめば、安上がりに済みそうな気がするが、実際はそうもいかないのだろう。なんとか他人が羨むようなものを手に入れたいらしい。そう思ってしまうような人は、ありふれた感性の持ち主だとは承知しているが、そうでないと人間社会には適応できないのかもしれない。

 まだ道半ばか。このまま終わってしまったら張り合いがないか。あくびが出てくる。もう飽きてしまったのだろうか。何から自由になりたいのか。君に何を期待しているわけではない。それなりの変遷があるのかもしれないが、誤差の範囲内だろうか。嵐が過ぎ去ったら晴れて蒸し暑くなる。日付としては数日後のことだろう。まだそんなことにこだわっているようで、まったく往生際が悪いこと甚だしいか。そして冗談のついでに貴種流離譚でも語るつもりだったのか。意味不明にもほどがあるか。なんの必然性も感じられないまま、その場の思いつきでそんなことを述べているのだから呆れてしまうか。しかしそんなふうにしか言葉を記せないのだから、今はそれをやるしかない。グダグダ文句を垂れるのも記述のうちで、そんなふうに言葉を記しながら語っていれば、やがて時が過ぎ行き、それらの文章が完成するはずか。実際にそうしているつもりか。もっとどうにかできないものか。今からそれをやればいい。他に何をやるつもりもないのだろう。結局また冗談でしかないようだが、まだ死ぬわけにはいかないと思っているのは、もうすぐ死んでしまう作り話の中の登場人物か。作者は何を考えているのか。ただそういう成り行きを語っているだけか。別に消極的な戦術に出ているとも思えない。どこへも行きたがらず、死ぬのも嫌で、できれば仕事をしたくないようだが、なんとかいやいや仕事をこなしているのだから、それだけでも大したものか。夕暮れ時に何を思っているのか。面倒くさいので何も思わないようにしているのではないか。いったいそこからどんな理解へと至りたいのか。この世はつまらないと思いたいわけか。なぜ楽しまないのだろう。楽しめないのかもしれない。体験するすべてがつまらないことだと思い込もうとしている。それは嘘だろうか。それでもなんとかここまでやってきたではないか。


6月16日

 嵐が到来する。台風のことだろう。数日後のことか。気楽な雰囲気をつかみ損ねているようで、そんな音楽を聴いているだけか。何がどうなっているわけでもなく、そこに笑顔のポスターが貼られているみたいで、そんな説明に言葉が無駄に費やされている。何が気がかりなのか。面倒くさいことにならなければいいが、なんとなくうまくいくような気がするらしい。国家権力とはなんだろう。それを使って誰かを陥れようとしているのか。そこによからぬ陰謀が渦巻いているわけでもあるまい。くだらない世の中か。そう思えば合点がいくわけでもないだろう。それでもそこで誰もが生きているのだから、もう少し肯定的に現状を捉えるべきなのだろう。それに関して前向きな見解が期待されているとも思えないが、とにかく語らなければ話が進まない。そんなはずもないか。今さら前向きも何もありはしない。そんなわけでまた現状に関して否定的なことを述べようとする。うまくいくはずがない。うまくいかなくてもかまわないのだろう。だからそんなことを述べているのか。つまらないだろうか。要するにありふれた認識に至るのが嫌なのか。そんなはずもないだろう。どこかで誰かがあきらめているようだ。ほんのちょっとした違いだろう。それでこれではやる気も失せるか。いったいそこで何をやるつもりだったのか。どうやら意識はまだフィクションの中でさまよっているらしい。そんなはずがないか。君は何を血迷っているのか。嘘をつくものいい加減にやめてもらいたいか。そうではない。たぶん語りえないのだろう。何をどう語ったらいいのかわからない。もうすぐ何が終わるというのか。話が一向に始まらない段階で、何を終わらせようとしているのか。雨が降っている。

 興味が薄れている事柄について、もう一度蒸し返すとなると、なんだかさらに興味薄れていく感は否めず、もうその話はなかったことにしてもいいのではないかと思うようになる。その話とはなんだろう。何を糧として生きているのでもない。いきなりそれはなんなのか。わざとそんなことを述べているだけか。意味がないようだ。意味を担えない言葉の連なりを記している。そんなはずがないだろう。ではこの世界では誰が旅をしているのか。暇人がいる。旅とはなんだろう。娯楽のたぐいなのか。それも含まれるはずで、そういうのを含めた移動している状態のいくつかが旅と認識されるのではないか。君は旅をしているのだろうか。そう思うなら、それらが旅だと見なされてもかまわないか。興味がないようだ。それは誰にとっても興味のない話となるだろうか。誰かが電車に乗って旅をしている。テレビ番組のたぐいだろうか。旅の楽しい思い出などが語られ、それを見れば旅をした気分になれるだろうか。なんの話でもない。君はどこかへ行く途中でそんな気分に浸っているようだ。しかしそこで何を納得しているのか。今日の君はどうかしている。嘘ではないというと嘘になるだろうか。なんの話でもありはせず、語り手が君について語りたいのでもなく、そこに夜の光景が広がっているだけか。雨が降っているようだ。傘を持っているはずだ。何をロマンチックに思っているのでもないが、ローマのアッピア街道で磔にされたスパルタカスは何を思ったのだろうか。それは映画の一場面だろう。ではゴルゴダの丘でイエスと一緒に磔にされた盗人たちは何を思っていたのか。完全に作り話の中へと意識が逸脱している。現実逃避のたぐいだろうか。エホバの証人とモルモン教徒はまだ日本で布教活動をしているのだろうか。君には関係のないことか。ではアーレフと光の輪ならどうなのか。君の知ったことではない。面倒くさいこと述べるのが億劫になるようだ。


6月15日

 雨が降っている。すべては移り変わる。気分次第で何かを記そうとする。時折そんなことを思うが、何を思い出したのか。思い出そうとしている。本当は何も思い出せない。記憶喪失か。フィクションの中ではよくあることだ。そんな嘘をついてみるが、埒が開かず、どうしてもしっくりこない。そんなやり方ではだめなのか。どうやらそうではないらしい。なぜそう思うのか。だめで当然のことをやっているだけか。それならそれで開き直るしかなさそうだ。ではそこで何を見出そうとしているのか。そんな言葉が見出されるが、それも当たり前のことらしい。そうなって当然の成り行きの中で言葉を記しているわけか。たぶん何かを見出す前にそんな迂回が必要なのだろう。焦ることはない。ならばそんな言葉を記していればいい。それでは気が済まないのだろうが、そんなことしか記せないのだから、あきらめてそれを続けていればいいのではないか。だめもとなのだろう。期待するほうがおかしいのではないか。すべては移り変わり、何もかもが忘却の彼方へと立ち去ってしまうのだ。本当だろうか。嘘だとしても、その方が後腐れなくていいのではないか。今は昔のことでしかない。別に感慨ひとしおというわけでもないだろうが、そこで何を思い出しているのか。過去の過ちか何かか。しかしそんなことでかまわないのだろうか。それとは何か。またそれだ。ごまかすにもほどがある。そしてまだ世界が終わったわけでもない。例えばすべての国が民主化されなければならず、今はその途上にあるわけか。そうならないと世界の終わりがやってこないか。君は冗談を述べているのだろうか。そうならなくても終わりは近いか。たぶんいつまでたっても終わらないだろう。君が死んでも世界は終わらない。神が死んでもそうだったはずだ。では君には何が見えているのか。終わらない世界の中で何をやろうとしているのか。

 別になんでもかまわないか。いきなりそれはないだろう。身も蓋もない話ではないだろうが、なんのことなのか。なんでもなく、たぶん何も見出されない。見えているのは何かの幻影か。久しぶりに映画館で映画を鑑賞したくなるだろうか。たぶんこの先そんな機会は二度と訪れない。不意に暇を持て余していた頃のことを思い出す。嘘に決まっているだろう。嘘でなければ何なのか。何かの行き違いでそうなっているわけか。君にわかる話ではない。君はいつまでたっても理解できないようだ。どうせ理解したくないのだろう。わからず屋だからそうなのか。そんなこともわからない。たぶん消費税が上がろうが、原発が再稼動しようが、何が変わるわけではない。すべては相対的な差異の範疇でしかないのか。ならばもう一度大地震が起こればいいのかもしれない。数万人の人が死んで、毎年その日に追悼式典が行われるまでのことか。人々は愚かなのだろうか。君もその中のひとりに過ぎない。みんな政治家を馬鹿にしたいのだろう。それが民主化の行き着いた先に待っていた状況か。未だ民主化されていない国々では、命がけで独裁者の風刺画などを発表する行為が賞賛されたりするのだろうが、いったん民主化されたら、そんなのはくだらぬ戯れ事と化す。どうもそのへんでどうでもいいこと以外に何をやったらいいのかわからなくなり、とりあえず自らの愚かさを悟られたくなければ、要するに黙るしかないのかもしれない。そしてその種の沈黙に耐えられない輩が、火中のくりを拾うかのごとくに振る舞うはめに陥るのだろう。


6月14日

 それの何が矛盾しているのだろうか。それとは何か。それが何でもないのはいつものことだ。それに関しては何も思いつけそうにない。作り話の中で、誰かが何かを思う。正気とは思えないが、君はもとから頭がおかしかったのか。何かの前提条件が間違っていたのかもしれない。それは作り話などではない。わかりきっていることだろうか。では何を語ろうとしているのか。目の前のブラインドを閉じているようだが、それは夕方のことだ。心の中では何が見えているのだろうか。目が画面を見ている。それもいつものことだ。誰かが文章を読んでいるらしい。内容は世迷い言のたぐいか。まだ語る術を知らない。だから正気とは思えないとはならない。それはないだろうか。どこかで何かが積み重なり、それが経験だと勘違いする。別に錯覚していても、それでもかまわないのではないか。わざとそうしているのだから、たぶんそう思っている誰かは正気なのだろう。他に何を導き出そうとしているのか。外れた妄言か。たまたまそうなってしまっただけで、別に常識を覆そうとしているわけではない。今はそんな気分ではないらしいが、いつもそうとは限らない。ただ漠然とした思いにとらわれ、何も考えられずにいるだけか。それでは昨日の君と同じだ。どういうわけか近頃はまったく進歩がないようだ。もうだめなのだろうか。そう思ってしまうのも無理はないが、弱気なふりをして誰かの同情でも買いたいのか。それこそ意味不明だ。なぜ唐突にそんなことを思うのか。それが事実だからか。何が事実なのだろう。つまらない現状認識にとらわれているらしい。面倒くさいのでそれを否定したい。たぶん嘘かもしれないが、誰がそんなことを思っているのだろうか。もうバックアップは終わったのか。ギブアップしている。そんなわけでよりいっそうおかしくなる。フィクションの中で何かがおかしくなっているようだ。君は自らが正気であることを証明するために、そこでありふれた認識を示したいのだろうか。だがそれを誰に問いかけているのでもない。今の君に問いかける対象などありはしない。ではこれからどうなってしまうのか。さらに言葉を記すつもりだろう。内容はたわいないことか。あるいは無意味なことか。もしかしたらあり得ないことだろうか。虚空に向かってそう問いかけて、何かを見失っているようだ。しばらく前から何も記していない。我を失い、己を壊して、それから何を問いかけるのだろうか。

 またどうかしているらしい。無駄に問いかけている暇などないのではないか。問いかける対象がない。この世界は何も不思議でない。ならば無理に嘘をつく必要がなくなってきたのだろうか。この際ざっくばらんに話そうとするが、誰に向かって話しかけているのかがわからない。いつもその段階で躓いてしまうようだ。馬鹿なのだろうか。誰も馬鹿ではない。君もそうなのだろうか。誰が君なのか。またそれだ。いくら語ろうとしても、そこで躓いていては話にならない。だがなぜそれがわかりきったことなのだろうか。君自身が問われているのではないが、無理にねじ曲げているきらいがあるようで、何とか斬新な語り口に見せかけたいようでもあり、おかしいのはそういうつまらないこだわりに固執しているからなのだろうが、他に何もないような気もして、そういうところから開き直って、それらみょうちくりんな語りに終始するしかないようにも思われてきて、実際にそうなっているのだろうが、果たしてどうなっているのだろうか。こうなっているだけか。音楽を聴いていた。気が散っているようだ。無理もないことか。何も語れないのだから、いらついて当たり前か。そうでもしない限りは言葉を記せないのではないか。だからそうしているのだろう。まったく段落も改行もあったものではない。そうなってしまうのだからどうしようもない。眠たいのだろうか。君にはどうしようもないことばかりに取り囲まれ、苛立たしくも腹立たしいのかもしれないが、それでも生きているのだから仕方ない。別に抽象画を鑑賞したいわけではないが、それを眺めている時のような違和感を覚えるらしい。なぜそうなってしまうのだろうか。理由が見当たらないだけに、なおのこといらつくわけか。そんなはずがない。気分はもうそこから降りているのではないか。だからやる気を失っているわけか。何もないのにここまで言葉を記してきただけだ。馬鹿げているだろうか。仕方がないと思っているはずだ。意味不明だが上出来か。そんなはずがないだろう。おかしいと思っているうちにこうなってしまったようだ。やはり正気とは思えない。どう考えてもおかしいようだ。この居心地の悪さは何なのか。そして疲れている。どうしようもない現実に打ちのめされそうか。実際に打ちのめされているのではないか。そんなふうに思われるからなおのこと疲れてしまうのだろう。もういいだろう。


6月13日

 社会は矛盾している。そんなことを誰かが思うが、君の知ったことではないようだ。そう思っているのは君ではないからか。意味がわからない。だから話にならないのではないか。要するに君は矛盾している。そう思うなら合点がいくか。別にそう思わなくてもかまわないのではないか。君自身の問題ではないのだろう。雨がやみ、久しぶりに蒸し暑くなる。言葉を記す気がないようだ。突然そんなことがわかる。もうやらなくてもかまわないのか。ところでそこで何をするつもりだったのか。言葉を記すつもりだったのだろう。昨日のことか。それを思い出してほしいのだろうか。相変わらず話にならないようだ。耳の奥がかゆくなる。そこで終わりか。終わっていないから今こうして言葉を記しているのではないか。納得がいかないようだ。風が吹いている。梢が揺れているのが見えている。もう夕方だ。置かれている状況がよくわからず、何をどうしたらいいのかもわからないようだ。そんなはずがないか。何をやるかはその時の気分次第なのだろう。どこかで何かがのたうち回っているようだが、正気とは思えない。あり得ない空想か。何を語りたいわけでもないのだろうが、言葉だけは記しているのが現状か。ごまかしには違いない。それがありのままの現状であり、何をごまかしているわけではないのに、何となくそれがごまかしに思われてしまう。だが理想の現実などありはしないし、何かしら不満があるのが現実の現実たる所以なのではないか。それがわかっているなら、もうあきらめて妥協した方がよさそうだが、なぜかそれができそうもなく、何とかしようとしてしまい、今に至っていて、そんな現状を思うと、頭が痛くなってこないか。そういえばそんなような気がするが、何でもないといえば何でもないような気もしてくる。なぜそんなことを記すのか。他に記すことがないからか。記しているうちにどうでもよくなってくるが、わからないことに変わりない。限界なのかもしれない。限界でかまわないのか。かまうかまわないの問題ではなく、ごまかしがきかないなら限界に決まっているだろう。どう見てもおかしい。もう語る必要がないような気がしてくるのがわかる。わかってしまったらおしまいか。おしまいなのになぜまだ記しているのか。理解できないだろうか。理解する気がないらしい。

 何だか終わりが遠くなっているようだ。終わりに至るまでに何を語ったらいいのだろう。ここから遠ざかれない理由を語れないだろうか。無理か。無理ならやめたらいい。誰がそんなことをささやいているのか。幻聴に決まっている。それ以前に嘘なのではないか。嘘だとしてもそんなことを記している事実に変わりはなく、たぶんそうやって言葉を記していけば、やがて終わりの時が訪れるのではないかと思うが、実際はどうなってしまうのか。こうなっている以外の可能性を想像できないようだ。ではもう終わりなのだろうか。しかし依然として断続的に言葉を記している。何も考えられずに言葉ばかりが記され、心が空っぽで虚脱状態に落ちいているのかもしれないが、それでも言葉を記しているらしい。愚かなことだ。本当にそう思っているのではなく、そう記していれば愚かな気分になれると思っているのかもしれないが、それも嘘かもしれない。何も本心から出てこないようだ。それでもいいような気がして、さらにそんな言葉を並べるつもりらしいが、うまくいくだろうか。どうせうまくいかなくてもかまわないのだろう。まるでノイローゼか。それも嘘なのかもしれず、画面の前に無表情の人物が座っているだけで、他に何があるわけでもなく、それは語り得ない光景なのかもしれないが、物語とは無縁であることは確からしく、そこから何がどうなるわけでもないのも相変わらずで、他に語りようがなく、そこにいるだけなら、後は妄想を働かせて物語るしかないだろうか。いったい何を物語ればいいのか。何についても語れないか。語れないのに語ろうとするからおかしくなるらしく、だから何も語る必要がないようだ。まったく世界も人も社会も矛盾している。それ以外を思いつけないから、語れないのだろうか。そうではない。では果たして人にはそれらの矛盾をただす必要にかられる時が来るのだろうか。現時点ではわからない。具体的に何が矛盾しているのか。人は遊んでいたいのに働かなければならない。国家は平和を守るために戦争兵器の開発に余念がなく、実際に開発した兵器を輸出した先で、それを使って大量虐殺が行われ、他国を内戦状態に陥れている。それがどうかしたのか。だからといって他国が軍備増強している限りは、戦争兵器の開発をやめるわけにはいかないのだろう。しかし矛盾とはその程度のことなのか。ではこの世界には他に何か根本的な矛盾があるというのか。あるに決まっているだろう。それは何なのか。あるのにそれを語れないことが根本的な矛盾だとでもいいたいのか。


6月12日

 今さら何を問いかけても無駄か。今は夜なのだろうか。ではこれは何なのか。何のつもりでもなさそうだ。これはこれでしかない。ただの言葉なのか。まだこんなところだ。しかしまたここか。さらにここからどう飛躍させるつもりなのか。今のところは意味不明のままだろう。どう考えてもうまくいかないような気がする。とりあえず何も思いつかないまま言葉を記す。毎度ご苦労なことだ。ではこのまま勝手にやり通すつもりか。今のところはそうなってしまう成り行きのようだが、笑ってしまうだろうか。何だかわからないが目が冴えてきた。きっと気のせいだ。静かな夜だ。それだけのことなのだろうか。人には欠陥がある。君は欠陥だらけの人間なのか。振る舞いがまともではない。何を目指しているのでもない。それは欠陥とは関係のないことだ。では何を考えているのか。もう終わりなのかもしれない。君にとっては終わりなのか。誰にとってもそうだろうか。君にわかるわけがないだろう。だいぶ遠回りしてきたようだ。何もここまでくることはなかったのではないか。君が語るべきことではない。後悔しているのだろうか。今さらそれはないだろう。何も語れなくなっているはずだが、言葉を記すことができる。いくら記しても無駄か。無駄だからこそ言葉を記しているわけか。そしてそこで躓いているわけか。冗談ではない。みるみるうちに空疎な内容になっているではないか。それが君の狙いなのか。誰の狙いでもありはしないだろう。まったく馬鹿げている。馬鹿げているからこそこうして言葉を記しているわけだ。それでは何の理由にもなりはしないだろう。かまわないのか。かまうはずがなく、ただそんな具合になっているだけか。それでは話にならない。しかし何なのか。開き直っているだけか。それにしては躊躇してばかりいるが、それはどういうことなのか。疑念を抱いているわけではない。こんなのでいいわけがないだろう。それはわかっているが、こうなってしまう現状を変えられず、それで嫌になってしまったのだろうか。でも危機感を煽る必要は感じない。なぜだろう。こんなのでもかまわないと思っているわけか。そうなのかもしれないが、一方で別のことも考えているのではないか。いったいいつまで続くのか。いつまでも続けられると思っているのだろうか。

 続けられると思っているはずだ。だからこうして言葉を記しているわけではないのか。またいい加減な理由をねつ造したいのか。そうではない。そうでなければ何なのか。何でもないということだろうか。君にとっては何でもないことなのだろう。誰にとってもそういうことかもしれないが、ここで食い止めなければと思っているらしい。無理だろう。無理かもしれないが、さらに無駄に言葉を記さなければならない。そうしないと出てこないか。この期に及んで何を出すつもりなのか。必殺技か何かか。それならもう繰り出されているのではないか。これがそうなのか。そうに決まっているだろう。馬鹿げていることのようだ。危うくおかしくなるところだったはずで、そうなるのをかろうじて食い止めたつもりになりたいようだが、何がどうなっているのでもないらしい。おかしいだろうか。何かがおかしいに決まっている。現にそう記しているではないか。だからどうもおかしい。そこで何かが止まっている。空気が淀んでいるようだ。空調が止まっているのだろうか。だから何なのか。別に窒息しそうになっているわけでもないだろう。いくらそんなふうに語ってみても、何も変わらないのではないか。君にはその変化がわからないのか。気づかないほどの微妙な変化なのだろうか。だから何も変わっていないと思う。それでかまわないのだろう。何も変わっていないと思い込んでしまってもかまわない。現にそうだからか。どうやら君は自らの過ちを認めようとしないらしい。その程度のことは見逃してほしいのか。誰が見逃すのだろう。そこには誰もいないのではないか。だから静かなのか。今頃そんなことに気づいてどうするのか。はじめから気づいていたはずで、わざと気づかないふりをしていただけか。あり得ないことだ。もしあり得たとしても、だがなぜそうする必要があるのだろう。ここには何もない。もとからそうだ。いついかなる時でも何もない。そういうことになっている。さっきから忙しなくキーボードを叩いているようだが、叩く音ばかりが響き、それが空疎な雰囲気を盛り立てる。だからそういうのはあり得ないことだ。あり得ないなら、もうその辺でやめておいた方がいいのではないか。その方が身のためか。今さらそれはないだろうが、こんなことを記して何になるのか。始めからそういう疑念を抱いていはずだ。なのに何でここまで記してきたのか。わざとらしいことを述べている場合ではないか。ならどう述べるべきなのだろうか。どうにも述べられないように思われる。これはこれでこういうことなのか。もうそれはわかっていることだ。


6月11日

 また誰かはつまらないことを述べているらしい。以前と何が変わったとも思えず、ただ淡々と振る舞っているだけか。他に何が見いだされているわけでもなく、記された言葉の中に何を見つけようとしているわけでもない。少し頭痛がしているだろうか。別に気にとめるようなことでもないらしい。今に始まったことではないだろう。まだ何も始まっていないのではないか。君がそこでどうかしているわけでもなく、少し疲れているだけのようだ。どうにもなりはしない。頭がどうかしているわけでもない。しかし何が揺るぎないのだろう。まだ何ももたらせずにいるのではないか。そこから何をもたらそうとしているのか。まだわからないようだ。外れているのだろうか。何がそうなのかわからないまま、またどこかから外れてしまうわけか。まったくわけがわからない。わかろうとしてないのもいつものことだ。いつもそう思っている。だからそれがどうしたわけでもないのだろう。それでそこから目を背けているのか。いくら背けても無駄だ。やがて何かがやってくるに違いなく、そのときになって後悔してみたところでもう遅い。もう君は渦中の中だ。ではそうならないように、今から何か用意や準備でもしておいた方がいいのだろうか。でもそれが何の用意や準備なのかわからないのだから、用意しようも準備しようもないのではないか。ではどうしたらいいのだろうか。そこから何がわかることでもあるのか。まったくやりきれない。何がそうなのだろう。少し冷静になってみたらどうか。冷静になってみたところで何もなかったらどうするのか。今がその状態か。でも無理に力む必要もないか。何もなければないで、そんなことを記してみたらどうか。いつもそうなのではないか。今もそうだ。もう夜だ。さっきまでテレビを見ていたはずだ。余分なことなどやる必要はない。言葉を記すので手一杯だろう。他に何をやったらいいのだろうか。何もできないくせに、それはないだろうか。考えることなら可能か。では何を考えようとしているのだろう。君はそれでかまわないのだろう。何がかまわないのでもなく、そんなことを記している現状でかまわないのか。まったく冗談にもほどがあるか。でもここまで記してきたはずだ。

 そこで誰が何をみているのか。いきなりそれは何なのか。何を問う必要もないのではないか。だから問うているわけか。君はそう問いかけながら、現状の何に抗っているのか。何に抗議しているのでもない。ただほんの少しずれているだけか。でたらめになる一歩手前で立ち止まっているつもりか。できればそうならないようにしたいのだろう。だからまだその先があるはずで、そこから先に記述を続けようとしているらしいが、今はそれもおぼつかなくなっているはずか。そんなはずがない。しかし左腕の痛みはいつなったら退くのだろうか。まだうまく力が入らない。重い物を持ち上げられなくなっているらしい。そんなはずがないだろう。でもそんなふうに振る舞っているのではないか。あり得ないことか。何でもありはしない。何もないのだからそれは当然のことか。何もしていないわけでもなく、何も考えていないわけでもないだろうが、それが文章に結びつかないのはいかんともしがたい。嘘をついているのだろうか。何が嘘なのかわからない。なぜか頭の中で何かの映像が早送り状態のようだ。意味不明だろうか。そうでなくてもわけがわからないのに、なんだかおかしい。知らないうちに何かから遠ざかっているような気もしないではないが、何とかそこで現状の把握に努めているようで、そこから情勢を分析して、次なる一手を打つべく、今が思案のしどころか。そんなわけもないだろう。また何かをごまかしているようだ。外ではカラスが鳴いている。野良猫の子猫でもねらっているのか。自然界ではいついかなる時でも弱肉強食がまかり通っているようだが、別にそうなる光景を見たいわけでもないだろう。しかしいくら何でも君はそこから遠ざかりすぎではないのか。自分を完全に見失っている。君にしてみればそれでかまわないのだろう。何をどうしようというのでもないのだろうから、君にとってはどうでもいいことのはずだ。それ以上の何かを求めているわけではなく、それを超える事態になるのを回避しようとしているわけでもない。だからいつまで経ってもそのままでいられるのか。それも時間の問題で、いつかは確実に変わるときが訪れてしまうのだろう。


6月10日

 こんなところでそれはないか。数日後の今日は曇っている。君は相変わらず何を考えているわけでもなく、ただ画面を眺めながら、誰かが言葉を記している様子を伺い、時折気まぐれで介入してくるだけか。別にどこかの紛争に介入しているわけでもないだろうが、これからちょっとしたことをやり、終わったら急いで北へ向かう電車に乗り込むらしい。それだけのことのようだ。駅前でタバコを吸っている人たちの近くで言葉を記している。それも一時のことか。にわかに風が吹いてきた。タバコを吸いながら、あるいは缶コーヒーを飲みながら、時間を潰している人もだいぶ減ってきたようだ。水の出ない噴水の上に鳩が群れ集う。ひっきりなしに路線バスが通り過ぎ、人の乗り降りが繰り返され、そんな光景を眺めているうちにも、そんなことを記している誰かの用事を済ませる時間が近づいてきたようだ。たぶん人は狭い範囲にとどまっているうちに、そこで固まってしまうのだ。だから機会を捉えて新たな試みに挑戦し続けなければならないのか。それはどういうことなのか。果たしてそれにどんな意味があるのだろう。そうしていないとどうなってしまうというのか。固まるとはどういうことなのか。なぜ固まってしまった人には魅力を感じないのだろうか。そのほうが生活が安定していていいのではないか。それにそういう人達が国家とか経済とかを底辺から支えているのではないか。どこかの保守的な政治家がいう分厚い中間層というやつか。たぶんそういう思い込みの上にそんな認識が信じられているのだろう。まさかそれがこの社会の共通認識となっているわけか。誰もがそう思っているわけでもないだろう。しかしそれとはなんだろう。サイレントマジョリティー的に固まってしまった人たちによって国家や経済や社会が成り立っているということがそれなのか。そしてそういう盲目的は人々を、ひとにぎりの知的エリートたちが導いているというわけか。またずいぶんとアナクロ的な観念を持ち出してきた狙いはなんなのだろう。

 そんなふうに語れば、何か述べていることになるのだろうか。魅力を感じない。その程度の認識では浅はかすぎて話にならないか。でもそういうありふれたことを思っている人たちも大勢いるのではないか。わからない。君は国家や経済や社会を底辺から支えようなどとはこれっぽっちも思っていないだろう。大勢の人が法律を守り、税金を真面目に収めたり、消費者として商品を買っている結果が、そんな認識を生じさせているだけで、だからといって、それで国家や経済や社会の維持に貢献しているとしても、国家や社会の一員として義務を果たしているとは思わないだろうし、分厚い中間層だとかサイレントマジョリティーだとか呼ばれたくないし、ひとにぎりの知的エリートだとかに導かれたくもなく、要するにできる範囲内で好き勝手に生きていたいだけなのだろうが、要するに他人からそんなふうに見なされてしまうことが嫌なのだろうか。まあその手の政治家や評論家や解説者のたぐいが利いたふうなことを語る分には、そういう語り方でいいのかもしれないが、たぶん何かが違っているのだろう。だが違っているからといって、もう一方に正しい認識があるわけではなく、正しい認識に至ってしまうこと自体が間違っているように思われ、そのへんがうまく表現できないのだが、なんとなく馬鹿げていて、冗談なのかもしれず、真に受けるようなことではないのかもしれないが、やはりそんなことを述べてはいけないのかもしれない。また君は嘘をついているのだろうか。たぶんどうでもいいことなのだろう。


6月9日

 このタイミングでいいのだろうか。またかなり遅れてしまったことは確かだ。だがどう考えても死にものぐるいからは遠く離れている。そんな状況であるはずがない。楽な気分で日々を過ごしているわけか。気楽な暮らしでは不満か。たぶんどのような境遇に陥っても不満なのだろうが、別にその不満を解消したいわけではなく、不満なら不満なりに、不満を抱えながらも、そこから何とかできる範囲内で、より良い未来になるように努力していきたいのだろう。何を考えているのか定かでないが、とりあえずそこから遠ざかるわけにはいかないようだ。遠ざかれない。それはごまかしようのない事実か。そんな運命に翻弄されているとも思えないが、その場の成り行きに従い、事の善悪を判断する以前に動き出しているようで、たぶんまたおかしな事態に直面してしまうのだろうが、めげるふうも見せず、平常心でいることを装い、冷静に対処しているつもりになれるだろか。つもりではだめなのではないか。でもフィクションの中ではそれがルールだ。そんなのは嘘に決まっているだろうが、他にどう述べたらいいのかわからず、窓の外を眺めると、また雨が降っている。今の心境とは関係ないか。そこに何を見出しているわけではない。見えているのはいつもの風景だ。そして考えているのも以前と同じようなことか。それでどうなったのだろう。何がどうなったのだろうか。今ある現実から何を導きだそうとしているのか。別に回答を求めているわけではなく、取り立てて何が問いかけられているとも思えない。ではそこにあるのはなんなのか。問いでも答えでもなく、そういう問答とは無関係の何かか。予定調和を得たいのか。そうではない。たぶんそういうことだったはずだ。はじめから何も求めていないはずだった。でも今さらそんな嘘をついてどうするのか。そこでは何が嘘だったのか。別にわざととぼけているわけではないらしい。では何なのかと問われれば、答えに窮して、そこから先に言葉を記せなくなってしまうだろうか。

 そんなはずがない。まだその先があるはずだ。たとえそれが空疎な悪あがきであろうと、なんとなくかまわないと思われ、そこから延々と無駄話が続いていってもかまわないような気がしてくるが、そうなるかどうかはその時の気分次第か。そんな成り行きにはならないだろう。続けるのが面倒くさいのかもしれない。誰かの手のひらの上で踊らされることがそんなに苦痛なのだろうか。それとこれとは関係ないのではないか。それはわざとやっていることのようだ。そこからなんだかおかしな気分となり、意識はあらぬ方へと向かい、虚構の中で誰が何を述べているのかわからなくなり、またそんなデタラメのようなことを語っているつもりになって、それが苦し紛れのごまかしであることを理解する。そんなやり方でかまわないのか。それしかできないような気になり、さらに悪乗りしつつも、心の中にぽっかり穴が開いたような気分で、雨空を見上げていると、他に何も降ってこないような雨雲から、何かを受け取ったような気持ちになるわけか。それこそありえないことか。それとも現時点ではなんでもありか。そうではないだろう。実際には何もないはずだ。気後れしているのではなく、何を遠慮しているのでもない。ただ画面を見ている目がチカチカしてきて、眠くなっていることに気づき、早く記述を終わらせて。さっさと眠ってしまいたくなっているようだ。疲れているのだから無理もない。取り立てて記すことも見当たらず、もういいのではないかと思っているようだが、本当にそれでいいのだろうか。いいはずがないかもしれないが、良くなくてもかまわないのではないか。良くても良くなくても、結果にはこだわらずにやっていけばいい。そんなふうにしか語れないのだから、それはそれでそういうことでしかなく、それ以外の結果をいくら望んでも、それはないものねだりの類になるしかないか。そんなわけで言葉をこねくり回したあげく、どツボにハマる前にやめておいたほうが良さそうだ。


6月8日

 またこんな時間となってしまったようだ。どこかの夜景を眺めながら、何を思うでもなく、ただぼんやりしながら時を過ごして、家路についているわけか。君は何ら特別な存在ではない。新幹線の車内は相変わらず蒸し暑く、これも節電対策の一環かもしれないが、それで何のありがたみを感じているわけでもなく、なんとなく終わりが近いような近くないような気がしているとも思えず、たぶん何について語りたいのでもないのだろう。おかしいだろうか。おかしく思ってもいつものことであり、何がどうなっているわけでもない。君には君の領分があり、それを逸脱して何を語ろうとしても無理なのだろうし、わかっていながらあえて挑戦しているのだろうが、やはり無理に決まっているだろうか。相変わらずそのようだ。他は何も考えつかず、そういうことしか述べられないように思われ、そんなことの繰り返しになっているようだ。世間の関心事からはだいぶ遠ざかっているので、ごまかしが利かないらしい。シリアでどれほどの人命が失われようと知ったことではないのか。そんなニュースをテレビで見ると心が痛むが、やはりどうすることも出来ず、この世界では、どうすることもできない人たちに向かって、何かを訴えかけるメディアばかりが蔓延っていることに気付かされ、なんともやりきれない気持ちになる。そしてここで何を主張しても、それがどこへ届くわけでもないようで、君はいつまでたっても独り言の域を出ない語りに拘泥しているわけだ。それではだめなのか。あたり前のことか。たぶんふざけているのだろう。ふざけすぎている。もう翌日の夜だ。なぜ今さらそんなことを思っているのか。なんだか馬鹿げている。またそれなのだろうか。いったい何度同じことを述べたら気が済むのだろうか。まだ何も述べていないではないか。またそんなことが繰り返されているようだ。もういい加減にやめないか。呆れてものもいえないか。そういうことではないが、相変わらず何を述べているのでもないようで、ただ無駄に言葉が記されているだけか。

 それでも語ろうとしているではないか。わからない。何も語れないような気がするのはいつものことだが、何を語ればいいのかわからないのもいつものことか。そしてそんなことを語っているわけか。まったく馬鹿げているだろうか。何がそうなのかわからない。無理なのだろうからやめておいたほうがいい。しかしそれは誰の物語なのか。君はそこで何を読んでいるのか。言葉を記しているのは誰なのだろう。そうではないと思いたい。なぜそうではないのだろうか。君の知ったことではないか。無駄に言葉を記している現状に変りない。別にねじ曲がっているわけではなく、人を殺して死刑になりたいわけでもないか。誰がこの世界で逃走を繰り返しているのか。迷走していたのは何だったのか。どこかでそんな記述が繰り返される。たぶん何も真実ではない。君は何もやっていないようだ。何を見ているのか。視線の先には何があるのだろうか。たぶん何もありはしないだろう。画面上にはそんな言葉が並んでいて、なんだかおかしいような気がするのだが、いくらそんなことを思ったところで、何がどうなるわけでもなく、まったく出来やしない。これまでに経験したことのないスランプか。どうしたらいいのだろうか。たぶんどうもしないだろう。淡々と言葉を記すだけか。もうやめたほうがいいのかもしれないが、やめるわけにはいかないらしく、さらに言葉を記そうとしている。そのへんは遅れに遅れているのに至って冷静か。もうあきらめてしまったのか。なんだかわからないが、こんなふうになってしまったのだから、これでいいのではないか。どうあがいてもこんなことなのか。何に幻滅しているわけでもないだろうが、この世界はこんなことの繰り返しから成り立っているのだろう。人は狭い範囲内でのこだわりを捨て去ることが出来ず、そういうこだわりを基盤として心が構成されているのだから、人は死ぬまでそこへ繋ぎ止められているのかもしれない。


6月7日

 真夜中に雨が降っている。蒸し暑いようだ。お粗末さまか。何がそうなのだろうか。相変わらず疲れている。たぶん何を思っているのでもないらしい。翌日も雨だ。昨日よりは寒い。記している内容はさらにお寒い。また遅れてしまっているようだ。それだけのことだ。それだけのことでしかないのに気にかかり、真夜中に目が覚めて、また記述を再開しようとするがままならず、考えあぐねているようだ。どうしたらいいのだろうか。やめるべきか。仕事の合間にやっているではないか。このまま続けるのはくだらぬことか。そうは思っていないのではないか。なら続ければいい。このまま延々と自己言及パラドックスにはまっていればいいのだろう。そしてもう3日も遅れているのだろうから、さっさと言葉を記すべきか。なぜそこで迷っているのか。すらすらと言葉を記してしまうのには抵抗感があるらしい。それはなぜだろう。まともに語る努力を怠っていると思われるからか。図星かもしれないが、とぼけてわからないふりをしてしまいそうになり、慌ててわれに帰り、そんなのは冗談だと思い込もうとするが、それこそごまかし以外の何ものでもないか。そうではないだろう。何を否定したいのか。そんなふうに語るのは間違っているとしても、その間違いを正す気にならないのだから、そんなことはどうでもいいのかもしれず、結局元の木阿弥的に語っているに過ぎず、そこから一歩も外へ出ていないようだ。では未だ自己言及の範囲内なのか。君はそれが気に食わないのだろう。要するに最低でも今よりいくらかは進歩したいのだ。もう少しちゃんとしたことを記せるようになりたいらしいが、何となくそんな感じでいるだけで、どうすればそうなるのかわからないまま、ただ漠然とそんな思いにとらわれているだけで、そう思っている間にどんどん時が流れて行ってしまい、何もできないまま停滞しているだけのようだ。

 それにしても行間に漂う空疎な雰囲気は何を目指しているのだろうか。現実には何がどうなっているわけでもない。思い過ごしだろうか。何がそうなのか。君が記された文章にごまかされ、結果的に裏切られているのではないか。だから何がそうなのか。たぶん違っているのだろう。ただそこにいるだけだ。他に何もありはしない。そう思っていると、現実の何もかもが自分から遠ざかっていく。それでかまわないのだろうか。ため息が出るが、君には何もできないらしく、黙ってそれらの光景を眺めているだけで、そこで眠たければ眠り、目が覚めたら言葉を記す機会を伺い、何かの合間にそれをやっているわけか。しかし何なのだろうか。なんでもないからそんなことを思っているのではないか。だからやめたほうがいいのか。今さらやめるわけにもいかず、またため息ばかりが出てくるが、やり始めたからにはなんとか終わりまで言葉を記さなければならない。笑っている場合か。窓の外を眺めてみれば、曇り空の下にいつもの風景が広がっている。また午後から仕事か。それ以外に何があるのだろうか。明日になったら何がどうなるのか。今日と同じことをやっているだけかもしれない。たぶんそういうことになるが、それでもまた言葉を記すつもりのようで、また明日も同じような無内容に終始してしまうかもしれない。しかしいったいこの世界はなんなのだろうか。人が世界中でごちゃごちゃ蔓延っていて、何やら互いに対立したり結びついたりしていて、くだらぬことを延々と繰り返しているような気もしないではないが、それで何がどうなっているのだろうか。君にはそれらのすべてが馬鹿げたことのように思われて仕方ないのだろうが、そんな君の思いなど無視されるがままに、さらにごちゃごちゃしたことをやろうとする輩さえいくらでもいて、そんなことやっている自らを誇示してみたところで虚しいだけなような気もするが、やはりそんなことを延々とやっているわけで、そういうのに付き合わされるのがたまらなく鬱陶しいわけだ。


6月6日

 またしてもこれか。何がそうなのだろうか。何もそうではなく、話にならないのはいつものことだ。たぶんそのへんがわからないのか。やる気がしないのだろうか。たぶんそういうことだ。本当にそういうことなのか。また君は嘘をついているのだろうか。それはまだわからないのではないか。語り終わるまではなんともいえないらしい。君がわからないのに、他の誰にわかるわけもないか。ではこれから何を語ればいいのか。思いつくのはそんなことばかりか。いったい何を語ればいいのだろうか。そう問うことしかできない。そんなわけで何も語れないのだから、結局こんなものなのか。窓の外では風が吹いている。雨が近いのかもしれない。外に出て、薄曇りの空を見上げながら、不意に風がやんだことに気づき、この世界には他に何もないような気になるが、意味不明な思いで、ただ漠然とそんなあやふやなことを思っているらしいが、実際はそうではないのに、そう思いたい理由がわからないのか。君に問われるまでもないことだ。何も思いつかない原因がそのへんにあるのかもしれないが、とりあえずはそういうことらしい。そういうことでしかないが、これなのだろうか。原因はこれしかないようだ。だがこれとはなんなのか。また記述がうまくいかなくなっているようだ。では今日もまた遅れてしまうのか。昨日に続いて何も語れないことに変わりがないようで、とにかく今週は疲れている。頭が痛いし左腕も痛い。どうやら深刻な自体に陥ってしまう可能性も出てきた感じだ。まさかこのまま死んでしまうのだろうか。それほどのことでもないか。たぶん君は来週になってもまだ生きているはずだ。そんな予感がしている。嘘かもしれないが、ひょっとするとそのままの状態でかまわないのかもしれない。意味不明かもしれないが、なぜか楽観的な気分でいたいらしい。意味不明だから意味などわかるわけがないだろうが、突然そんなことを思い、それでかまわないような気分になるらしい。

 もう夕方だ。仕事は終わったようだが、さらにいっそう疲れているらしい。それは本当だろうか。本当はわからないのだろう。だがそんな気分でいたいようだ。少し冗談がきついだろうか。それの何が冗談なのかわからないようだが、たぶん冗談のつもりでそんなことを語っているのだろう。正気とは思えないか。何がそうなのだろうか。そうではないような気がすることがそうなのだろうか。君はそこから遠ざかれないような気がする。だからもはや何を語っても無駄なのか。そんなわけがないだろう。とにかく空疎なことばかり述べていてないで、まともなことを語らなければならない。それがわかっているならさっさと語ればいいのだろうが、依然として何も語れない現状に変わりはなく、何も思いつかず、何も考えられないようだ。それでもここまでやってきた。これはなんなのか。なんなのだろうか。なんだかわからないようだが、これはこれなのだろうか。これとは何か。それがわからないから、何も語れないわけか。ではすでに語っているこれはなんなのか。空疎で無意味な語なのだろうか。そう思いたいらしいが、だからどうしたわけでもないらしく、ただこんなことを延々と語っている現状があるらしい。これでかまうわけがないのに、かまわないと記してみる。それもなんでもないことだろうか。たぶんそうだ。それは自家中毒の一種かもしれないが、今さら改めたいわけでもないらしく、このままでかまわないと思っているようだ。改ようにも改められないのだろう。もはや自ら制御できない段階まで来ているのだろうか。たぶんその自らが不在となっているのだ。ありえないことか。それはフィクションに違いない。実際にそうなったらおもしろいとは思うが、何がそうなるのかうまく説明できない。不在とはなんだろう。自らの何が不在なのだろうか。それがうまく説明できないようだ。いったい君は何を説明しようとしているのか。なぜそんなふうに語ってしまうのだろう。かなりおかしいだろうか。


6月5日

 またしてもここに至り、どこへ至っているわけでもないと確信する。ありえないことだろうか。何がそうなのかわからないのもいつものことのように思われるが、どうやらまた無駄に言葉を記しているらしく、外では雨が降っていたのかもしれないが、そんなことを記していること自体が無駄なのかもしれず、取り立てて何を思うわけでもない時間の中で、何かを考えようとしているが、何も思いつきはしない。君がそう思うなら、何を思っているわけでもないことになるのだろうか。そんなわけでまた冗談を述べているようで、他に何もありはしない。本当だろうか。本当にありえないが、それが本当なのか。またどこかが外れているらしい。たがが外れているということか。何がどうなっているのでもないようだ。たとえたがが外れているとしても、それで何がどうなるわけでもないということか。何がどうなろうとなんでもないことに変わりはなく、たとえ世界経済がおかしくなって世の中が混乱しても、それに関わっている人たちが右往左往するだけで、架空の存在でしかない君には関係のないことか。でもそれでは話にならないのではないか。今も人は右往左往している。あちらこちらでせわしなく動きまわり、地球表面上の所々で何かをやっているはずだ。結局それだけのことなのではないか。それらはまったくうんざりするような光景なのだろうか。退屈で死にそうになっているのか。そんなはずがない。多くの人がそう思う込もうとしているだけなのか。人は今も幻想と幻影を心の中で戯れさせているのだろうか。ではそこからどんな妄想が出てくるのか。メディアから配信される映像や音声や画像や文章や、それらが複合的に絡み合った代物なのか。あるいはゲームのたぐいかもしれないが、それだけではないはずだ。どこかおかしいのだ。何がおかしいのかわからないが、とりあえずおかしいと感じているらしく、そう感じていなければ、そのまま退屈な世の中に埋没して行ってしまうような気がしてくる。

 正気とは思えないか。何がそうなのだろうか。それがわからないからこうして言葉を記しているわけなのか。そんなはずがない。違っているわけか。何を集めているわけでもないのに、自然と周囲に集まってくる塵や芥の類をどう扱えばいいのだろうか。間違ってもお宝だなんて思えるはずがない。要するにゴミに取り囲まれ、身動きが取れなくなっているのだろうか。人はそうやって次第に疲弊して、ついには自らもゴミだと思うようになり、この世から消滅するしか選択肢がなくなってしまうのだろうか。だからそうならないうちに現状と妥協する必要があるのかもしれず、それに飽きたらずに、何かの極めつけを見るまでがんばろうとしてしまうと、身の程知らず的に自滅するしかないのかもしれない。平凡な暮らしからどこまでも遠ざかろうとしてしまうと、自らを見失うと同時にこの世界をも見失い、この世のすべてが退屈な常識の範囲内で動いたり止まったりしているだけのように見えてしまい、もはや何に関わろうとしても、向こうから拒絶されているような気がしてきて、自分の存在基盤そのものが失われて、どこにも居場所がなくなってしまうか。それが今の君だとは思えないが、早晩そうなる可能性も無きにしもあらずで、たぶんそうならないように努力しなければならないのだろうが、君が実際にそうしているかどうかはよくわからないようで、どうとも受け取れる曖昧な態度で、何を考えているのかわからないような行動と言動で周囲を煙に巻き、それが自己防御機構が働いている証なのかどうかもはっきりしないような感じで振る舞いながらも、心の隙を狙っているふうにも見え、それに向けて意識を絶えず活性化しているとも思えないのだが、なんだか気が抜けているようで、じっさいには気を抜く暇も与えていないようにも思え、そのへんがなんだかわからないままに、日々転がり続けているのだろうか。そんなことを述べているうちにも、また眠たくなってきたようで、もうそのへんで終わりにしてもいいだろうか。


6月4日

 たぶんどうかしているのだろう。どうもしていないのにどうかしている。それはどういうことなのか。そういう問答が遠回りを誘発しているらしい。それは何も君に限ったことではないのだろうか。そうかもしれないが、このケースでは君特有の症状なのかもしれない。それはどういう症状なのか。こうして自問自答が延々と繰り返されようとしている。できればそれを途中で断ち切りたいのか。君にはできないことだ。それで何を断ち切ったわけでもなく、ただ言葉が記されている現状に変わりはないようだが、君はそこでどんな幻想を抱くだろうか。そういうことではないだろう。意味が通るような文章にしたい。それも違うか。とりあえず遅れてしまうらしく、行事が立て込むとそうなってしまい、それは仕方のないことかもしれない。しかし君はこれからどうしたらいいのだろうか。気の向くままに生きていきたいのはやまやまだが、実際にはそうならないことを承知していて、そうならないからこそ、こうして言葉を記しているわけだ。おかしいだろうか。それは最悪の状況か。誰かは楽しくて仕方がないのではないか。たぶん何と比較しているのでもなく、他に何を考えているのでもなく、君はいつものように途方に暮れるしかない。そんなはずがないか。やはり何がどうなっているのでもないらしい。君は君でため息をつき、現状のどうにもならなさに呆れるばかりか。そんなはずもないだろうか。君の知ったことではないのかもしれない。だから何を語っても無駄なのか。それも違うか。何が違うというのか。君はまだ本気で語っていないようだ。そうだとしても、それが普通の状態なのだろうから、だからどうだというわけでもなく、それらのどこに虚構が含まれているわけでもなく、たぶん君は真実を述べているのだろう。それが不愉快になっている原因なのだろうか。あくびの合間に何を考えているのか。眠たいのはわかっている。それだけで終わらせたくないこともわかっているはずだが、どうしてもそれでかまわないような気がしてくる。

 本当に眠るしかないのだろうか。そうかもしれないが、遅れてはいけないのだろうか。時間はまだある。だがそれは二日後の時間だ。それでもかまわないのなら、時間が許す限り言葉を記せばいい。それが気に入らないなら今すぐやめるべきか。気に入らなくても言葉を記すべきだ。それが宿命なのだから。まさか冗談でそんなことを述べているのだろうか。到底本気だとは思えないか。それ以前の問題か。たぶんそういうことであり、何がどうなっているわけでもないのに、冗談だの本気だのといかにもそんなふうに思っているかのように記すべきではないということか。それも違うだろうか。なんとなくわからないような感じになってきたが、それでも何かわかりかけているような気がしないか。だが君がそれについて語るなんてありえない。なぜそう思うのか。未だそれについて何も記していないからか。いったいどこまでそれが続くのだろう。それは君自身が知っていることだ。そう思うならそれでもいい。だがそれで何を語っていることになるのか。またそんな問に躓いているらしいが、未だ何について語っているとも思えないのはどうしたことなのか。そんな問いが繰り返されているからだ。それでわけがわからなくなっているらしい。そう思うなら思え。たとえわかっていてもそれでかまわないはずだ。そうなるしかないのだろう。君自身がそこから生じているのだから、そうなるより他はありえない。記述という行為そのものが、そこに虚構の人格が生じる可能性を示しているわけだから、たぶんそうなってしまうのだろう。君はそうやってそこから遠ざかり、何かの抜け殻がそこに取り残され、言葉の連なりとして誰かに認識され、それが判読可能なら、そこから先には何があるのか。ただ言葉が連なっているだけではだめなのか。冗談には違いない。そしておかしくなってしまい、それも冗談かもしれず、何がなんだかわからなくなり、やはりそんなことではだめのような気がする。実際にだめなのだろう。


6月3日

 やはり君には関係のないことだろうか。だがはじめからそれでは話しにならないのではないか。そんなことはわかっているだろうが、どういうわけかそこか語り始められてしまい、要するにそんなふうにして最初から張っている予防線そのものが、致命的な欠陥を露呈させているのであって、話にならないようなことを話そうとして、はじめから挫折しているわけなのか。いったい何について語ればいいのだろうか。そんな疑問を乗り越える術が見つかるとは思えず、結局そんなぐだぐだのどうしようもない状況の中で、どさくさ紛れに意味不明を書き記し、それで済まそうとしてしまうのだろうか。そうだとしたらどうだというのか。どうもこうもなく、そんなことを記している現状があるだけなのか。そうだとしてもなおのこと疑念をいだいてしまう。なぜ君はそんなことを記しているのだろうか。他に記すことがないからか。それだけのことなのだろうか。それだけのことだから苦悩しているわけなのか。冗談ではないか。もっとましな理由を思いつきたいのではないか。出来ればそうしたいところだろうが、それが思いつかないのだから、こんなくだらないことを延々と述べながら、自己嫌悪に苛まれ、そんな自意識を突き放そうとして、さらなるくだらなさの中に埋没して行ってしまうのではないか。だからそうだとしても、なおそれを続ける理由がどこにあるのだろうか。要するに君にも自己顕示欲があり、その欲がどうしてもまともな内容になるまではやめさせないということか。しかし顕示したい自己とはなんなのか。なにか優れたことを述べているように見せかけている自己というものを、その文章を読んでいる誰かに向かって見せびらかせたいというようなところだろうか。そう述べてしまうと身も蓋もなく、なんだか興醒めしてしまうが、実際にやっていることはそうではないような気がして、そのへんのところをなるべく客観的に判断しようとしても、そういう自己とは愚かさ以外は持ちあわせておらず、自己顕示欲そのものが滑稽なピエロを生みだしているだけに思われてしまうが、それでもかまわないのだろうか。

 かまうかまわないではなく、実際にそうだとしたら、それは笑うしかない結果に過ぎないのかもしれず、なんだかそういうのもありふれていて、よくあるパターンなような気がしてならないが、果たしてそれは肯定すべきことなのだろうか。肯定するとしても、余分なことなのではないか。自らがやっていることを肯定したい気持ちはわかりすぎるほどわかるが、それが何になると問われるなら、要するに余分なことをやっているということか。少なくとも気晴らしではない。逆にやればやるほど気を病み、次第にやりきれなくなって、それでもやろうとすればするほど行き詰まり、結局まともなことを述べようとする自己をごまかして、いい加減な内容で妥協しながら、さらにそんなことを繰り返すうちに、現状のような惨状を呈するようになっているわけか。そういうところがおかしいのではないか。おかしいといえばおかしいし、それが当然の結果だと見なせばそういうことだろうし、それとは違うやり方を模索したくなるのだろうが、今のやり方で手一杯で、他のやり方など模索している余裕はなく、そんなふうにして精神的に追い詰められて、最終的にはどうなってしまうのか。何を想像しているわけではなく、どうなりたいわけでもないだろうが、どうにかしたいのだろうし、実際にどうにかしようとしている最中なのだろうが、これでどうにかなっているのか。結果とは何か。これが結果なのか。ならばあてが外れて期待はずれもいいところか。そうだとしてもかまわないと思うしかないようで、君はそういうことの最中にとどめようとしているのだろうし、何をとどめようとしているのかといえば、たぶんそこに自意識があり、自意識を伴った自己がそこに顕在化しているのかもしれず、そのへんがでたらめなところかもしれないが、やはりそれでかまわないと思うしかないようで、これでいいのだと開き直るしかなく、そんな開き直りの中に、やはり自己や自意識が存在しているのだろうが、それがどうしたわけでもないのは明らかなことで、単なる自己正当化の類でしかなく、それをどうしようとしているとも思えず、そのままほったらかしにしながら、君はどこか遠くへと旅立っていくふうも見せずに、ただ淡々とその場で暮らしているだけなのか。それこそ意味不明な冗談のそれか。


6月2日

 意味がわからないだろうか。わかっているはずだ。もう夜になっている。それだけのことだ。それだけではないと思っていたら、それが勘違いのもととなるだろうか。相変わらず何も語っていないようだ。ただ言葉を記している。何にハマっているわけでもなく、テレビを消して、静けさが戻ってきたような気になって、なんとなく文字が並んだ画面を眺めているようだ。何もありはしないか。突然音楽を聴きだす。そこに何があるような気になるからそうするのか。わけなど何もありはせず、ただ静けさに耐えられないような気もするが、そんなはずもないだろう。まだそこから抜け出せず、未だにそんなことを記していて、飽きてくるようだが、さらに続けるつもりらしい。正気とは思えないか。それもこれも定めなのだろうか。何が定められているとも思えない。こだわっているだけか。そのこだわりが命取りか。そんなはずがない。君にはそうなる理由がわかっているはずだが、あえてそのことに触れる必要を感じていないのかもしれない。なるがままにしかならないのだろう。なせばなるということか。何をなそうとしているわけではないだろうが、結果としてそうなってしまうなら、それを受け入れざるを得ない。しかし嫌になって、また横道にそれてしまったらしく、気がついたらどうなっていたのだろうか。それ以前に言葉を記しているはずだ。今日は蒸し暑い。メディアは君に何を伝えようとしているのだろうか。そうではなく、君がそこから何かを探しだして、知りたいことを知ろうとしなければならない。では何を知りたいのだろうか。何も知りたくないわけではないはずか。まさかすでに知ってしまったことをなしにしたいのだろうか。すべてを知るには時間が足りず、知りたいそれを探し出せないばかりか、自分が何を知りたいのかわからなくなってしまう時もあり、結局知ろうとする手前で挫折してしまうようだ。それはありえないことか。

 そんなことを語るべきではないのかもしれない。夜に雨が降ってくる。眠ってしまったようで、気がついたら翌朝になっていたらしく、慌てて何をやっているのかしらないが、とりあえず午後になり、今にも雨が降ってきそうな曇り空を見上げているわけでもなく、誰かが淡々と言葉を記していることにしておきたいようだ。嘘に決まっているだろうか。目が痛い。それは本当かもしれないが、話とは無関係か。それ以前に何の話でもありえず、話などどこにもありはしないのだろう。あるかないかではなく、こうして記しているそれが話なのではないか。たとえ中身が空疎であったとしても、こうして何かを話していることに変わりはないのではないか。それがいいわけになるだろうか。部屋の中で仰向けに転がると、天井の蛍光灯がまぶしい。相変わらず雨が降っているようだ。やる気がしないからベッドの上に寝転んでテレビを見ているようだ。また昨日の話になってしまったらしい。日付が昨日なだけか。まだ何も片付いていない。問題が山積状態なのか。そんな気もしてくるが、たぶんそうではなく、要するに現状ではなんの問題もないのであり、なにか問題がないと語る材料がなく、話にならないように思え、それがやる気にならない理由となり、それをいいわけとして、記述を怠っている原因としたいらしいが、まったく本気ではないようだ。そうでなくてもかまわないのだろう。オウムの逃亡者が今頃になって警察に捕まったらしい。もうかなり昔の事件のような気がするが、また誰かが蒸し返そうとしているわけか。今や部下に人を数十人殺させた麻原彰晃は死刑囚となり、数万人殺させているシリアのアサド大統領はまだ健在で、アフガンやイラクで十数万人殺させたアメリカのブッシュ前大統領は、別に悪びれた様子など微塵も見せずに平然と暮らしている。この間もホワイトハウスに自分の肖像画が飾られることになって招かれた時、オバマに向かってくだらぬジョークを披露していたではないか。そういう意味でこの世界はすごい。人間社会のしくみがそうなっているだけなのに、何か冗談のような気がしてくる。まあ過去には数百万人殺させたヒトラーや、数千万人殺させたスターリンなどがいるわけだから、要は殺させた人の人数なのではなく、その時の社会情勢から判断されるようなことなのだろうが、未だにオウム批判で盛り上がっている人々がテレビ画面に映しだされると、なんとなく嫌な感じがしてくる。


6月1日

 昼間は仕事していて、夜になり、しばらくテレビを見ていたが、またわけがわからなくなっているらしい。そして何を語ろうとしているわけでもないのもいつものことか。まさかそれで途方にくれているとは思えないが、これからどうしたらいいのだろうか。冗談のようだが、冗談ではないらしい。そんなわけでまたわざとらしく矛盾したことを述べようとしている。気に入らないのだろうか。何が気に入らないのか。現状がこれなのか。雨が降っている。それだけのことだ。何を考えているのか。無理なのか。言葉を記すのが無理のようだ。嘘だろう。何がいけないのだろうか。何かが壊れているのかもしれない。感覚がそうなのか。無駄に語ればいい。それが出来ればの話だが、たぶん語らなければならないのか。何を今さらなのか。別に罠にハマっているわけではない。それでかまわないと思う。なぜかまわないのかわからないが、それはいつものことであり、そうなるしかないのだろう。しかしなぜなのだろうか。見通しが立たなくなり、視野が著しく狭まっているようだ。なぜそうなってしまうのか。本気ではないのだろうか。それもそうであって、何がどうなっているわけでもないのだろうが、なんとなくエンジンがかかってきて、素早く言葉を記そうとしている。意味がわからない。なぜそう記す必要があるのか。大したことではない。人がそのへんで暮らしている。見えている範囲ではそういうことなのだろう。それがどうしたわけでもないのに、そういうことになっているようだ。それがわからないのか。君がそれを否定しようとすると、必ず邪魔が入り、それを思いとどまらせるような出来事に遭遇して、戸惑うような成り行きになって、なんのことやらわからなくなり、結局どうでもよくなって、そのへんでやめてしまうようだ。なぜやめなければならないのか。理由などないのはいつものことで、ただそうなってしまうだけで、そうならなかった場合を忘れさせるような何かを期待させるらしいが、やはりどこか外れているような気になり、何が外れているのか定かでないまま、何かが外れていると思い続け、そういう気持ちで延々と言葉を記しながら、何が違っているのかわからないのに、今度は何かが違っていると思い込みたくなってしまうのか。それでかまわないのだろうか。

 やはり語ろうとしていることがおかしいのかもしれず、無理にそうしている気がして、それではダメだと思いつつも、それを押し通して、どこまでも突っ走ろうとするからおかしくなってしまうことに気づいているのに、それをやめられず、やめるわけにはいかないとも思い、なし崩し的な継続を推し進め、それがうまくいかないから、何かの罠にハマっていると思い込んでしまうのか。やめるわけにはいかないのか。やめてもかまわないのだろうが、かまわないということが、そうするのを拒否する理由となり、かまわないのにかまってしまう結果となって、さらにドツボにはまり、完全にそこから抜け出せなくなってしまうわけか。それもおかしな話か。どうも自らを制御できなくなっているらしく、記している文章を把握できなくなっていることと相まって、さらなる意味不明のなすがままになりつつあるようで、そこから焦燥感が生じているのかもしれないが、やはりこうなってはなす術がないのだろうか。ではもう手遅れだろうか。たぶんそういうことだ。どういうわけでもそういうわけでもなく、ただこうなっている。こうならざるを得ないような成り行きのように思えるのだろうが、実際にこうなっている。何も語れないうちにこうなってしまったらしく、もはやさらに言葉が無駄に記されるばかりのようだ。それは考える暇を与えないうちにこうなってしまうわけで、問答無用でこうなっているわけだ。そして眠たくなって寝てしまい、気がつけば翌朝になっているわけか。かなりおかしい。おかしいのではなく、それが当然の成り行きと思えばいいのか。いったい何がそうなのか。何もそうではなく、何かがそうなのだろうか。何を述べているわけでもない。何かがそうなのかもしれないが、何もそうではないように思われてしまうのだろう。それがおかしいのか。でもそう思ってももう遅いのか。すでにそうなっていて、そうなるよりほかないような成り行きになっているわけか。笑っている場合ではないが、なぜか笑ってしまうようだ。