彼の声64

2008年

1月31日

 腕から先が冷たくなってから、指先のあかぎれがひどい。どこか異常なのだろうか。何もしないうちに深夜になってしまったようだ。気がついたらそんなことを述べている。そうしているうちにも頭の中で何かが更新されている。さっきまでの自分ではないような気がするが、ではこれから何を語ろうとしているのだろうか。すぐに先のことを考えてしまう。精神的に参っているのだろう。いったん眠ってしまったら朝まで眠ってしまった方がいい。眠気が意識の中に進入してきて、心がそこからはじき出されてしまう。そんなことがあり得るだろうか。また嘘をついているわけか。そんなわけでまた停滞しているらしい。何かが奥底で滞留している。何に期待しているとも思えず、心の中に何も立ち現れない。風邪でも引いてしまったのだろうか。寒気がしているようだ。そこで立ち往生して、気持ちが前に進まなくなる。それの何が気に入らないのか。また寝入ってしまったらしい。何もわからないのは不満か。君が気に入らないのはそんなことではない。否定が連続してしまう。喉の奥で風邪の予感がする。予感ではなく香りではないのか。誰かがつまらないことにこだわっているみたいだが、耳の奥で何が響いているのか。それは誰かの声のように響いている。だが短絡的に考えるべきではない。曖昧な表現に終始しているのは誰の言いぐさでもない。何となくそういう方向へ逃げている。現実には何について何を述べているのでもない。ではこのまま何も語らずに終わってしまうのか。集中が持続しない。心が貧困にあえいでいるのだろうか。つまらないことを述べているのだろう。何も述べられないのなら何をやればいいのか。その代わりに音を集めている。それは昔のことだ。君ではない。また機械が壊れてしまったのだろう。まったく人として機能しなくなっている。そんな状況で君に何ができるというのか。何もできなければそこで終わりだ。そんなわけで何かが終わろうとしている。どうやら着ぐるみを着た化け物が人間の正体らしいが、それは何かのゲームだろうか。わざとらしく幻覚におそわれているらしい。無理がたたっているのだろう。幻覚だの幻聴だのは作り話であることは確かだとしても、くだらぬ妄想のただ中にいるのが君だとは思えない。君ではないにしろ、無理にそこから心を引きはがすべきではないと思うが、誰かの意識がどこから引きはがされようとしているのか。何かと混濁しているので微妙なところだ。人格を伴っていないのかも知れず、そこで何かを知り得る状況になっていないようだ。おそらく誰かは思い込みだけでそんなことを述べているのだろう。だから無理に何かを語ろうとすべきではなく、ただ無駄に言葉を並べるべきなのだ。どちらも賢いやり方とは思えないが、状況的にはそういうことだ。そこで何の感慨も抱けないのは、特定の出来事に遭遇していないからだ。嘘だと思うが、君とは別人の誰かが君の中で何かを思っている。それは無意識ではないらしい。どのような策略が君に苦悩を強いているのだろうか。それが本当の苦悩だとしたら、君はますます無口になる。そうでないとしたら何なのか。君にとっては何ともないだけだ。君にそこから答えを導き出す能力が備わっているとは思えないが、そう思っているのは君ではない。君には内面がない。それも嘘のたぐいのようで、何ら真実に即して語っていない。ではそこで立ち止まるべきなのは誰だろう。誰でもなく、君でもなければ、君の中には誰がいるというのか。誰が立ち止まる必要があるだろう。立ち止まらなければどうなるというのか。そんなことはどうでもいいことだ。なぜそうやってくだらぬことを述べようとするのか。それは誰の疑念でもなさそうだ。また何かがおかしくなってしまうのだろう。以前と同じ状況が循環している。そうやって何かが進化を遂げている。それは完全な思い込みに違いない。ほしいものはない。それは進化ではなく退化だろう。冗談で述べるならそういうことだ。何かから外れているらしいが、それが言葉でないことを願う。心はどこにもありはしない。誰が何を願っているとも思えない。君の願いは何なのか。それが叶うことがあるだろうか。行き詰まりを打開できるとは思えない。無駄に何かを使っている。ひたすら努力しているのだろう。それで何を知り得るのか。何ももたらせないようだ。あくびが出る。何も思いつかないようだ。翌朝は雪が降っているが日付的には数日後だ。他に何が見いだされているわけもなく、ただ雪景色を眺めているようだが、それは数日後のことだろう。現実にはまだ先月の日付で四苦八苦している。意味がわからない。たぶん君は何かを記すつもりだったのだろう。それがわからない。何も語りかけてこない。心に響いてこないようだ。その意味がわからない。それに意味があるとは思えない。文章になっていないのかも知れない。唐突に何も述べられなくなってしまったようだ。なぜそうなってしまうのか。原因がわからないというのは嘘だろう。


1月30日

 さらに雲行きが怪しくなる。外はどんな天候なのだろうか。何を述べようと、ケセラセラというわけにもいかないようだ。意味がわからないだろう。何気なく振り返ると、曇った大地を誰かがハーレーで走っている。埃を巻き上げながら一本道をまっしぐらに疾走していく。また冗談でそんなことを述べているのか。たぶんさっきまで誰かがそんな映像に見とれていたのだろう。何が満たされるのか。気まぐれにそんな気分になる。どんな気分でもない。君の好奇心はどこへ行ったのだろう。冗談ではないかも知れないが、今さら気づいてどうするのか。なぜか晴れているようだ。冬の昼は晴れていることが多い。そういう地域なのだ。他に何も感じない。ただ空が晴れているだけだろう。他には何も考えられない。考えているわけではない。君はそこで何を見いだそうとしているのか。目の前の空虚が見えるはずもない。虚ろなのは誰かの心だ。その内面を探れば探るほど、最初に感じたのとは別の印象が浮き出てくる。本当に君は誰でもないのだろうか。何を疑念に感じているとも思えないが、そろそろいつもの成り行きを復活させた方がいいのではないか。いったい何について語ろうとしているのだろうか。誰が何を語っていてもまるで他人事のような気がする。その映画を終わりまで見られない。テレビだから仕方がないだろう。テレビを見ていると時間を奪われる。貴重な時間がどんどん減っていき、後からどうでもいいような虚しい感覚が残る。何かの役に立とうとしているわけではない。何を貴重だと思っているのか。時間ではないだろう。それは何かの経験だろうか。今がその時だとは思わない。どこかに気まぐれな何かが残っているようだ。何かとは何だろう。そういうことでしかない。それは何かという言葉だ。つまらないことを述べている。当てが外れたようだ。冷や水を浴びせられたつもりになり、冗談だと思いたくなる。文章の意味がわからなくなる。それで何をわかったつもりになれるのか。荒野を疾走するバイクの話はどうなったのか。くだらぬ幻想を抱いている。何もかもやめてしまいたくなる。たぶんそこで我に返るわけではない。もとから正気のつもりのようだ。引き出しの中が空っぽのようだ。今さらそんなことに気づいても後の祭りに違いない。手持ちの駒など何もない。誰が将棋を指しているわけではないが、どこかで将棋でも指しているのだろう。君は何に魅入られているのか。つまらぬ会話が画面上で展開する。見覚えがあるのは誰の顔でもなく、そこで首をかしげている仕草だ。なぜそんなところでチェックメイトなのか。それでも何かの会話の一部なのだろうか。ちぎれた紙切れには何が書かれていたのか。たぶんそれは二日前の出来事なのだろう。誰に対して復讐を企てているわけでもなく、誰かの恨み辛みにつきあっていたらどうにかなってしまうだろう。時間が足りないようだ。何を思い出そうとしているのか。君にとって時間とはどのような価値を担っているのか。誰を困らせようとしているのか。眠っているだけでは埒があかない。絶えず言葉を繰り出していなければ前進はない。だがそれ以上の前進は意味がない。障害物となる出来事に遭遇できなくなる。爆発まであと一時間だ。何が爆発するというのか。テレビドラマの中ではそんな事態になったりする。いったい今は何時なのか。君は暗闇の中で何を考えているのか。何が爆発したわけでもない。あれから一時間が経ってしまったわけか。そこで何が試されているのだろう。何をばらしてしまったとも思えない。苦しい言い逃れに直面しているようだ。何も語れないことを認められない。それどころか否定が連続して困っている。何がそれどころかなのか。たぶんまたくだらないことを述べているのだろう。やる気を突き放すようなことを言わないでほしいか。言っているのではない。ただ言葉を記しているのだろう。それが難しいことなのか。難しいことに違いない。語ることがないのだから難しい。そう思いこんでいるだけで、実際にはいくらでもあるはずだが、それが思いつかない。不条理とは何だろう。なぜうまくいかないのか。うまく立ち回ろうとしていないのではないか。できないことをやろうとしている。それは以前にも述べたことだろう。その辺で煮詰まっているわけか。今はどの辺でうごめいているのか。何もわからないはずだ。誰の秘密をつかんでいるのでもない。分かり切ったことを訊ねないでほしい。苦し紛れに思いついたのはそんなことだ。それのどこが秘密だったのか。君はそれをわかっていたはずだ。わかっていたからあえてそんなことを記している。すべてが無駄に終わるように語っているわけだ。その愛想笑いはいい加減にやめたらどうか。不気味に見えるだろうが、それを見ている者が見あたらない。そこで何を終わらせようとしているのか。君ではない。君以外に誰がいるのだろうか。誰もいないから会話も成り立たない。それでかまわないのだろう。かまわないからそんなことを述べているわけか。君は死に神などではない。


1月29日

 また内容が支離滅裂になろうとしている。わざとそうしているのかも知れないが、言葉の並びに魅力を感じられない。さっきまで何について語ろうとしていたのか。今となっては何もわからない。現状では誰が何について語っているのだろうか。何となくそれが気に入らない。それは誰の台詞でもなく、ただの実感だろう。誰の実感なのか。多重人格でも装うつもりか。くだらないごまかしだ。それ以上の何を求めているわけではない。頭の中ではすべての言葉が乱雑に散らばっている。今それをまとめ上げるわけにはいかないようだ。悟りの境地に達したわけでもないだろう。面倒くさいのでこれから眠ってしまうかも知れない。ここで無理を押し通すのは危険だろうか。危険だからこそあえてそれに挑戦するわけか。誰が挑戦しようとしているのか。さらに馬鹿げている。ならばもうやめたらどうか。遅れを取り戻しようがなくなった時点で終わりだろう。すでに取り返しようのないところまで至っているのではないか。それでも冗談のたぐいだろうか。そこから誰が何を感じ取っているのでもないだろう。ただの文章が記されている。ただではないというわけではない。否定が連続してはまずいのか。何事もあきらめが肝心のようだが、人は何かをあきらめれば幸せになれるそうだ。だからそんなわけで終わりに近づいているのだろうが、残された時間を何に使おうとその者の勝手らしい。その辺がいい加減な構造になっている。このままで終われるはずがない。そういう思い込みが本当の終わりを呼び込むのだろう。一時の感情に流されて道を踏み外している。しかし今さら誰に何をやる時間が残されているというのか。今さらはないだろう。君に言葉を記す時間が残されていることは確かだ。たぶん冗談ではないのだろうが、冗談でこの世界は成り立っているはずだ。それこそ冗談なのだろうか。たぶん冗談なのだろう。そう思っていればそれでかまわない。いつもの癖でまたつまらないことを述べている。つまらないと思いたいなら思っていてかまわない。だがそれだけのことだろうか。何を語っても内容に至らない。内容とは何か。それはいつもの空疎な問いかけだ。君はそこで何を思いだしたのか。ここからどこへ向かっているのだろう。この世界のどこに向かっているわけでもない。どこへ向かおうと、どこへも至らないだろう。どこへ至るというのか。それは向かった先に至るのだ。少なくとも君はそれを知っている。たぶんそこへ至る道も知っているのだろう。そこが目的地だったのだろうか。そこへ行って何をやろうとしているのか。別に何が目的なのではない。誰が何を否定しているわけでもなく、具体的に何について言及する気にもなれない。君はどこで何をやっているのか。それについて語っているわけではない。そこから道を切り開くつもりなのか。重要なのは他者との競争なのではない。ましてや他国との経済競争などではあり得ない。その辺が古い思考に染まった者たちには理解できないところだ。国家単位で知恵比べなどしている場合ではない。国家間の競争に勝ち抜くために教育が必要だというのなら、そういう教育は荒廃をもたらすだけだ。もう少し広い視野を身につけさせるために教育は必要なのであり、たとえば他国で困っている人たちに手を差し延べるために教育は必要なのかも知れず、他国でなくとも国内で悲惨な境遇にあえいでいる人たちを助けるために教育は必要なのだろう。考えることが必要なのは競争に勝ち抜くためではなく、社会のひずみや不具合を是正するために必要なのだ。その辺をはき違えた教育者はどうしようもなく愚かだ。考える力とは自国の利害に凝り固まっていることがいかに愚かかを知るために必要なのだ。また生きることの虚しさを知る力を身につけなければ傲慢さのただ中で一生を過ごすしかないだろう。人生の楽しみだけを追求して趣味に走ることが、政治的無関心に拍車をかける。たぶんそういうことに気づくだけの思考力を教育によって身につけなければならないのだろう。考える力はそういう方面にも発揮してもらわなければ、世の中は馬鹿ばかりになってしまうのではないか。馬鹿ばかりではますます税金を無駄遣いする政治家や官僚の思うつぼか。それでかまわないのなら国家がつぶれてしまうだろうか。別にそれでもかまわないのではないか。そんなのは国民の自業自得であって、君には関係のないことだろう。たぶん日本などという国の存在は世界にとってはどうでもいいのだろう。その国に暮らす人々がおもしろおかしく朗らかに暮らしていればそれでかまわないのではないか。それで世の中が回っていくのならなおのことおめでたい。そんなどうなってもかまわないような世の中に暮らしているのだろう。別に自国を卑下したい気持ちにはなれないが、あまり国家の一員としての義務とか使命とかを強要されたくないような気もしてくる。そんな命令を下すような立場を占めているつもりの人々が馬鹿の集まりのように思えるからだ。


1月28日

 なぜそうなってしまうのか。君がそれを知っていることは確かだ。何を述べてもそうなってしまう理由も知っているはずだ。もうやめてほしいと思っていることもおそらく本音なのだろうが、それがどうしたというのか。そこから先がわからない。いったいどうなってほしいのだろうか。何を述べようとしているのでもないのはいつもの通りだ。たぶん何がどうなろうと誰の知ったことでもないのかも知れない。何をどのように感じ取ろうと、そこからどんな言葉を導き出そうとしても、それはそれでそういう文章が構成されるだけだ。たぶんそれで満足できるとは思えない。そういうやり方が気に入らないのだろう。ではどうしたらいいのだろうか。どうしたらいいわけでもなさそうだ。たぶん気に入らないやり方を続けるべきなのだ。いくら自己言及に終始しようと、それでかまわないのかも知れず、それを執拗に繰り返せばいいわけだ。だがそういう開き直りが気に入らない。それでも何かに気づいて有頂天になっているようで、しばらく笑いが止まらなくなり、やがて虚しさがこみ上げてきて、さらに落ち込み、激しく落胆してしまうわけか。同じ意味の言葉をいくら重ね合わせても、そのときの心境を言い表しているとは思えない。少し気づくのが遅すぎたようだ。だがまあいいだろう。そんな風に語っているうちは何とか継続をはかれている証拠だ。それで満足するしないはともかく、何か適当なことを述べているだけでもよしとしなければならない。たぶん君は君自身が思いつかないようなことを述べてみたいのだろう。それで何を語れるというのか。ただ不可能を目指しているだけか。身の程知らずということだ。それが気に入らないのだろうが、それだけならまだしも、執拗にそこに近づこうとして、毎回のようにたどり着けないことに腹を立てているわけでもなく、その過程で生じている空疎な文章によって、君自身の人格が構成されていることに気づいているのにもかかわらず、そこから抜け出ようとしているわけだ。まったく自己矛盾も甚だしいか。そんな大げさことでもないだろう。ただの冗談でしかないのかも知れず、君自身がそれらの文章の中に記されている架空の存在でしかなく、何ら実体を伴っているわけでもないのだから、何を述べようと、どんなに複雑に語ろうと、それらはすべて戯れ言の範囲内で展開されていることだ。そういういいわけではお気に召さないか。それでかまわないのだろう。かまわないならそこで終わってしまうだろうか。それで何を説明したことになるのか。何を検証するつもりもないのにそんな問いかけはないか。誰かの思惑でしかない。何でもないのにそんなことを述べている。はたして今日は晴れていたのだろうか。何という気晴らしの天候か。すっかりくつろいでいる風を装う。本当に正気に戻ったらしいが、それは一週間ぶりぐらいかも知れない。たぶん一週間前と比べて世の中がどうなったわけでもないのだろう。相変わらずどこかではすったもんだを繰り返していて、そんな顛末からどんな教訓が導き出されようと、また別のところで新たにすったもんだが繰り返され、それに対応するためのやり方が編み出され、そんなことが延々と続いて行くだけのように思われる。別に世の中を鳥瞰的に眺め、そこから優越感を生じさせているわけでもないのだが、思い通りにならないからすったもんだが繰り返されることは分かり切ったことであるにもかかわらず、そんな経験からそうならないようなやり方を探ろうとしても、結局ある時点で同じようなすったもんだに巻き込まれ、何となく無力感に苛まれることになるわけだが、それでもそうならないような努力を惜しんではならないのはつらいことか。そんな人の気も知らずに、隙あらばやりたい放題の自我をねじ込んでくる者が必ず現れ、うんざりさせられ、それでも気を取り直して、何とか穏便に事を進めようとしてしまうのことが精神的なストレスになってしまうのだろう。冗談ではなく、そんなのは予定調和のたぐいでしかなく、ありふれたことでしかないのだろう。馬鹿げているように思えるが、世の中はそんなことの繰り返しの上に成り立っていて、曇ったり風雨にさらされたり晴れたりしている空の下で、人々のすったもんだが飽くことなく行われている。それがどうしたというのか。うまくもめ事をまとめ上げて社会の調和や均衡を保とうとする試みも永遠に続いてい行くだけだ。まったく馬鹿げていないだろうか。馬鹿げていることは明らかだが、聡明になろうとしてはいけないのだろう。安易に救済を求めてはいけないらしい。甘い罠が張り巡らされている。今度は善意によって悲惨な結果をもたらそうとしている者たちが大勢待ちかまえているわけだ。宗教や精神世界への誘いには気をつけるべきか。そんなのもありふれていて、必要以上に救われようとする自我が無意識のうちに神を空想させ、何となくそこから単純化された世界観が導き出されてしまうらしい。勧善懲悪というのもそれの一種か。


1月27日

 たぶんそういうことなのだ。何も待ってはくれない。時間は過ぎゆき場所は遠ざかり、出来事は過去のものとなる。君も過去の存在となっているらしい。誰が何を予想しようと、その予想が外れようと当たろうと、時が経てば忘れ去られ、人々の記憶から消えてなくなる運命だ。今しか生きていないようだ。今がすべてであり、考え行動するのは今しかない。ならば君の過去はどうなったのか。君はもうあのときのことを忘れてしまったのか。何も思い出せないと記すのは簡単なことだ。後から記された文章を読み返す気がしない。だから何を忘れ去ってしまったのだ。戯れ言の時空で言葉を記している。それがおかしいと思うらしく、笑ってしまったらお終いかも知れないが、これが笑わずにいられようか。これとは何なのか。何がそれらのていたらくを構成しているのだろう。くだらぬやり方には飽き飽きしていたのではなかったか。ならばどこからそれを再開させてみようか。できなかったら遅れたままになりそうだが、それでもどこかで誰かが見守っていてくれる。天から神がのぞき込んでいる。それは教会のドームに描かれた絵だ。見上げていると首が痛くなる。そこからどこに目を転じているわけでもない。何かを信じと他の何かから引き裂かれる。君は自然から遊離している。君とは誰だろう。無駄な問いかけになってしまう。無駄に金と時間を使い、誰かの糧となっているのだろう。人はなぜそんなところからのめり込むのか。いったん自制から解き放たれると歯止めが利かなくなり、いくらでも堕落できるようだ。人の歴史とは何なのか。なぜそんなところで立ち止まってしまうのか。どのように考えてもそうはならないと思う。どうにもならないからそんな事態となってしまうらしい。まだ何か付け足すことがあるだろうか。君には何が見えているのか。名前と顔が一致しない。おそらく何ももたらされてはいないのだろう。それ独自の文脈から外れていて、そこに近づかないことには何も感じ取れないようだ。ひらめくものは何もない。それでかまわないのだろうか。単純なことを述べようとしているのかも知れない。悲惨な人々と一緒になって何かをやろうとする人々は、何らかの覚悟ができているのだろうか、身の危険にさらされることを承知の上でそんな行為に及んでいる。誰がそれに感動しているのか。だが人と人とは別の生き物だ。別だからといって同情しないわけにはいかないのだろう。そこに何もなければ、何かあるように振る舞わなければならない。何を装飾すべきなのか。政とは祭りのようなものなのか。何に関して何を思うこともない。あまり単純に結論を下す気にもなれない。気晴らしのたぐいでしかないのだろうが、おかしな気分でいるようだ。風の音が大きくなる。自然とそこに関心が集まってくるのだろう。過去の出来事が忘れ去られる前に歴史の中に蓄積していって、何か文明の厚みのような様相を見せることがあるのだろうか。それで何がわかるというのか。逆に何かをわからなくしてしまうのではないか。消費とは何だろう。娯楽のための人生というものがあり得るだろうか。人々は安らぎを得るために何を犠牲にしているのか。何か怠っていることでもあるのだろうか。やるべきことは何もない。やらなくてもかまわないことばかりに囲まれている。そして今は眠っている最中なのか。たとえ眠っていてもどうにかなるはずだ。人は汚れ仕事に手を出さなくなる。そのためには狡猾さが必要とされる。できれば堕落していたい。それはどうでもいいことではないらしい。何とか狭い隙間の中にその人生を差し挟まなければならない。誰かの記憶に残りたいのだろう。何かの記録として語り継がれたいわけだ。それを虚しい試みだとあざけり笑うわけにはいかないらしい。しかしその先には何が待ちかまえているのか。ただの闇だ。何もない闇がある。それが楽しくてたまらないと思うのはおかしいか。何が楽しくてそんなことを述べているのか。君にとってそれは闇でも何でもなく、故郷のようなものか。別に君が闇から生まれたというのではなく、ただ君にとってそれは故郷のようなものなのだ。それがよく理解できないが、たぶんどういうことでもない。ただ誰かの気まぐれでそんなことを述べてしまっただけで、その内容が何を意味するわけでも、別の何かを暗示させようとしているわけでもない。正常な精神には何が闇だとも思われない。その先に決定的な言葉が控えているとも思えない。要するに何を述べていると思えないということか。何をわかってほしいのでもないように思われる。君はすでにそこから外れている。何かを理解するような状況にはないのだろうが、誰に何を理解させたいのでもない。ただ意味がわからなくなっているだけなのか。それは意味ではないのだろう。意味を求めているのではなく、何を求めているのでもない。何を成し遂げられるとも思えない。君の作業でも仕事でもないということだ。それらの行為は誰に課せられた使命でもないらしい。


1月26日

 どうもまだ数日前の時空から抜け出せないようだが、たぶんここしばらくはそうなってしまうのだろう。君はどこから語りかけているのか。そういう問題ではない。どういう問題でもなく、何も問題ではないのかも知れない。そうやって字数が増えていってしまう。それはくだらないことだろうか。くだらなければ気に入らないか。ではくだらないことが問題なのか。根が暗いようだ。執拗に無駄な言葉を並べている。それで何がわかるというのか。他に語るべきことを導き出せないようだ。しかし何がそんなに気に入らないのか。くだらないことならいくらでも述べられるような気がしている。人の歴史とは何なのか。何がどうなってここまで来たのか。誰がここまで至ったのだ。こことはどこだろう。どこでもなければここでもない。ここでなければどこなのか。そういう問答は退屈だろうか。退屈なら他に何ができるというのか。やはりそういう話ではないようだ。どういう話でもなく、要するに話にならない。気分が乗ってこないようだ。人は何のために生きているのか。それはつまらない問いだ。やはり君はどうやってここまでやってきたのか。それが正常な問いかけに思えてくるが、答えを探る気になれないのはどういうわけだろう。これからの人間はどうあるべきか。冗談ではないと思うだけか。冗談でなければ何なのか。冗談以外の何ものでもない。むやみやたらと問いかけるばかりでは埒があかない。だから執拗に問いかけ続けているのだろう。何について語っているわけでもなく、何も語ろうとしていないように思え、それを認めるしかないようにも思える。ではそこで行き詰まりだろうか。何も言葉が出てこない。だがそういう手法もわざとらしい。いったい何について述べているのか。またいつもの問いかけに陥っている。たぶんその程度の無内容なら無限に続けることができるのだろう。今はそれが君に残された才能なのだ。間違っていたらどうなるわけでもないが、他に何を語れるというのか。早くそこから逃げたいか。そこではなくここだろう。ここではなくそこでもない。なぜか首をかしげているようだ。無理な体勢で文字を記しているからだろうか。無理でもなければどうでもない。ついでに支離滅裂とも思えない。何かが炸裂しているようだ。気がつけば目の前にもやがかかっている。すでに終わりの兆候だろうか。いい加減な作り話にすらならない。君が空疎な言葉に依存していることは疑う余地はない。そしてだんだんだめになっている。そういう方向ならおもしろいはずか。つまらない方が気楽かも知れない。おもしろければおもしろいほど消耗してしまう。感性がすり減ってくる。つまらないならつまらないなりに工夫したがるものだ。たとえそれでうまくいかなくても、よくなる余地を見つけ出せるかも知れない。それは楽観的な見通しだろうか。では頭がどうかしているのは誰の方なのだろう。ノイローゼ気味に暗いことを述べている。そういうのは何かのおまけに違いない。まともに語ろうとすれば、それとは違った展開になるはずだ。いつの間にやら冗談が冗談でなくなり、本気の語りに近づいてくる。だが安易な語り口には閉口する。それが冗談の本質だろうか。間違っていることを承知で何を述べているのか。それがつまらないと思っているのだろうか。そうだとしたらどうなのか。どうもしなければそのまま語り続けることになるのだろうか。それは違うと思われる。何となくよそよそしい雰囲気を感じるようになる。たぶん今度こそは冗談ではないのだろう。ではこの期に及んで何を告白するつもりなのだ。君はこのままやめてしまうのか。なぜそこで持ちこたえられないのだろう。文章の内容がつまらないままでは不愉快なのだろうか。だがわだかまりを解消する術などありはしない。君は何を動かすこともできはしない。だから誰もが無気力になるべきなのだ。政治家に向かって文句など言うべきではないのだろう。君たちは黙って税金を納めていればそれでいいのだ。自民党の言い分とはそういうことのような気がする。そういういい加減な単純化が過ちでも助長してくれるだろうか。犯罪者などいくらでもいる。それは過ちではないらしい。過ちを犯すことこそが正しい行為なのだ。さっきから何をいらついているのか。何がそこでの冗談となっているのだろう。やればやるほど愚かになってくる。それが文章の神髄というものだ。無駄に言葉を弄して何かを台無しにしている。君たちは何に気づいていないのか。怒鳴りまくりの宮崎県知事と大阪府知事が何に見えてくるだろうか。目立ってなんぼというわけか。政治は何かのパフォーマンスのようだ。何かとは何なのか。閉鎖的なことを述べているとは思えない。たぶん一過性で何かを主張しているのだろう。勘違いする前にそれを支持しなければならない。大いに結構だと思いこまなければならない。


1月25日

 たぶん三日前のことなのだろう。三日前に戻っているわけではない。ぼやぼやしていると四日前になってしまう。そんな状況からどうやって抜け出すつもりなのか。誰かが何かをささやいている。つまらない話ならしない方がいい。匂いの感覚がおかしい。それは誰の問題なのか。しかし何もない。未来を予想する人々は安易だ。人類の悲惨な末路を思い描くのは楽しいことのようだ。しかしそれだけでは煮詰まってこないか。何が足りないのだろうか。何となく気持ち悪くなってきて、また寝込んでしまいそうになる。何におびえているわけでもないはずか。では何を強がって見せたいのか。見せるものなど何もありはしない。盗聴されているらしい。疑心暗鬼に陥っている。心変わりはいつからなのか。まだ本調子にはほど遠いようだ。たぶん何を思い描いているのでもないのだろう。何も思いつかない。ひたすら黙り込んでいる。彼のことを述べているのではないらしい。すべてがつまらないことなのだろう。では君たちは何を目指しているのか。君とは目指しているものが違うらしい。窓際の植物が枯れかかっているように思える。何を記して何を述べているとも思えないだけか。何か驚くべき奇跡に遭遇したいのかも知れない。まだ時間的に遠いのだろうか。君は霊魂の存在を信じられるか。霊能者の言葉を真に受けるだけの心理的な余裕が備わっているだろうか。体調が万全でないだけに、いつものように何を述べているのではないにしても、それだけでうろたえているようだ。精神の集中が持続しない。それは精神だけではないはずだ。他に何があるというのか。心の余白はどこへ行ってしまったのか。画面上の余白にどんな言葉を記すべきなのか。つながりにかけているようだ。誰かが思い描いているのは文章ではないのだろう。他に何を記すつもりだったのか。君に何がわかるというのか。君にわからないなら誰にわかるというのか。そんな切り返しは時間稼ぎにもなりはしない。そんなことを述べているうちに夜が明けてしまったようで、もう三日前ではなくなってしまったようだ。なぜそんなことを述べているのだろうか。今さらそれはないだろうか。たぶん何をどう述べたらいいのかわからなくなっているのかも知れず、何かを見失っているのだろう。見失ってしまったのだから、その何かを知る手だてはない。納得できる答えには至らないだろう。君は何を探しているのか。怒りの矛先などありはせず、何に対して異議申し立てをしているわけでもない。ただ何かに追い立てられているような気がするだけで、心に余裕が感じられない。何をそんなに焦っているのか。まともな目標もなく、何を述べているわけでもないことが精神的に負担となっている。無理に言葉を絞り出そうとすれば、くだらぬ泣き言しか出てこないだろう。それで笑ってしまうだろうか。何もわからなくなってしまう。わざとそう述べているはずだ。もはや何かを述べるということ自体がくだらない行為となりはてた。君にとってはそうかも知れないが、他の誰かにとっては崇高で得難い体験となっているかも知れない。その誰かの存在を君は知っているのか。君が知っているのではなく、他の誰かが君の存在を知っているのかも知れない。それがどうしたというのか。別に何を語っているとも思えない。たぶんどうでもいいことは他にもあるのだろう。くだらぬことしか述べられないのにもちゃんとした理由がありそうだ。その理由を知りたいのか。他に何も語れないからか。君には考えるいとまがない。状況を把握するだけの時間が与えられていないようだ。しかし状況とは何だろう。この世界がどんな状況に陥っているというのか。世界ではなくこの社会について考えてみたらどうか。誰が何不自由なく暮らしているわけでもないだろうが、それで取り立てて話題にするようなこともないのではないか。従来からある見解を超えることはできそうもない。しかし誰もが暇つぶしに生きているわけでもないだろう。中には暇つぶしに死んでしまう者もいるのだろうか、それで死んだ者がどうなるわけでもなさそうだ。死人は死人であり、ただ生きていないだけだ。君に人間の中身について語ることを拒否しているのか。中身とは何だろう。内臓や骨のたぐいだろうか。誰かはどのような性格を有しているのか。その人の特性とは何だろうか。君は特性のない人間について語ることができるだろうか。何やら君には踏み込めない領域というものがあるらしく、そこから先に語ることができずに、絶えずその周りをぐるぐる回りながら、無駄に言葉をまき散らすばかりのようだが、なぜそういうやり方を改めようとしないのか。能力的にできないからそんな風に述べているだけのようだが、それに対して何か反論らしき言説を構成するつもりでもあるのか。それを語ったとしたらどうなるのだろうか。何か作り話のような中身になるだけか。それでもかまわないから、一度本気になってフィクションでも構成してみないか。誰に向かって語りかけているのかわからない。


1月24日

 どうやら彼は嘔吐下痢症のようだ。そして今日になったらしいが、状況がどうにもならないことに変わりはない。何も語らないうちにまた明日になってしまうのだろう。君はまだそんなことを述べているのか。気がついたらすでに明日の時間帯に入っている。君は本当に気づいてるのか。空が曇っている。誰かの気分次第で景気が悪くなったり良くなったりするらしい。みんなで商品を買えば景気がよくなるのだそうだ。人は消費者として存在している。それで正解なのだろうか。正しい答えを求めているわけではない。君は傍観者として存在する。それは間違った立場を占めている。この場合それとは君のことなのか。そう述べる意図がわからない。そこから逃げたいのだろうか。それは無理だろう。またかなり日付がずれている。いったい本当の日付はいつなのか。あれから彼はどうなってしまったのだろうか。病院へ行って点滴を受け、薬をもらって一息ついたところか。おそらく現状がどうなるわけでもないのだろう。まだそんな内容のないことを述べている。いくら株価が下がっても、株主たちがみんなで買い支えすればいいわけか。マネーゲームはあくまでもゲームなのだろう。ゲームでないゲームなどありはしない。ゲームだからこそ魅力があるのだ。そういう話ではない。どういう話でもなく、話などあるわけがない。それは話ではなく、何かの景色なのだろう。どうも話に向かう気力に欠けているらしい。空は相変わらず晴れている。昨日ことなど何も覚えていない。明日のことはどうだろう。何が明日につながるのか。なぜそうなってしまうのだろう。今がその時間だからか。何をやる時間とも思えないが、とりあえずそんな風にして言葉が連なってしまうようだ。何となくその辺で妥協を繰り返す。できないのだからそうなる他はない。病み上がりで調子が戻らない。前からこんなものではなかったのか。くだらぬことを延々と述べてきたはずだ。それでかまわないと思ってきたからそうなってしまったのだろう。気に入らないのならどうにかしてほしい。物語を紡いでいるのは誰でもない。そういう表現に物語は適さない。何を見聞しているとも思えない。まだ誰かは無理をしている最中だろうか。これからどうするつもりなのだろう。もう状況的には切羽詰まってしまってどうにもなりはしない。何も語る気にもなれないはずだ。しかし誰に危機感をあおられているわけでもない。やりたくないならさっさとやめてしまえばいいのだ。誰に向かってキレているのか。自分は自分であり、君は君でしかなく、彼は病み上がりで調子が出ない。それで何を語ろうとしているのか。まったく冗談にもほどがある。無理なことは決まっているはずだ。何が決まっているのだろうか。何やらブランクを気にしているようだが、あれの何が空白の時間だったのか。ただ寝込んでいただけだろう。何を考えていたわけでもなく、この世界の有り様について思考を巡らせていたわけでもない。何かの背景から遠ざかり、何について考えていいのかわからなくなり、そんなものはすべて捨て去りたい衝動に駆られ、心はどこへも舞い戻らないと思われていた。だがそれで何か決心したことになるのだろうか。君にはあずかり知らぬことだろう。世の中の出来事の何に対しても関与していないような気になるらしい。なぜそこから逃げているのか。また理由を探さなければならないのだろうか。ありもしない理由をでっち上げて、利いた風な意見でも構成できるだろうか。目指しているのはそんなところなのか。今は否と述べておこう。たぶんなんでもかまわないのだろうが、理由があったらあったで楽しい。しかし何も思いつかないようだ。テレビでも見れば話の題材が見つかりそうだが、たとえばアメリカの大統領選挙で繰り広げられている大げさな演劇的パフォーマンスに同調することはできない。なぜ人はあれほどまでに語りかけることができるのか。いったい彼らは何をやっているのだろうか。極端な民主主義の行き着く先には、ああいう現象が待ち受けているようだ。何がいいとも思えないが、ああいうことが一年がかりで行われていること自体が何かの宣伝になっているわけか。要するに選挙もひとつの産業として成り立っているということか。君にはあれらの現象からもたらされる効用といったものが理解できない。あれら全体が何かのいいわけのように見えてくるのだが、あそこまで盛り上げて大統領が選ばれるのだから、誰も選ばれたこと自体に文句が言えなくなるということか。たとえ選ばれた当人が戦争を仕掛けようと、世論は承知せざるを得ない。この八年間でかなりの戦死者が出たはずだが、大統領が罪に問われることはない。たぶんテロとの戦いという戦争もゲームにすぎないのだろう。現場で戦っている兵士たちや巻き添えを食らった一般市民にとっては命がけなのだろうが、やはりそれも立場が違えばひとつのゲームとなる。陣取りゲームのたぐいに違いなく、ただの勢力争いの一環なのだろう。


1月23日

 たぶんまた明日になってしまうのだろう。何も思いつかない状況に変わりはなく、誰かはひたすら意味のないことを述べている。そこで何を期待すべきでもないのかも知れず、何も思いつかない心を呪うべきではない。そんなことは夢にも思っていないはずだ。君はそこで力尽き、いつものように寝てしまう。それで何の不都合もありはしない。自らに言い聞かせるべき言葉を間違っているだろうか。何をやるのも難しく思われる。それは誰かの勝手な思い込みに違いないが、それほど間違っているとも思えず、現に文章を構成するのに苦労しているはずだ。ここに至ってまともなことを述べるわけにはいかないのか。それの何がまともなのか。今さら何をどう思ってみても遅い。すでにその大半を忘れているはずだが、今がちょうどそのときだったのか。苦し紛れに何を述べているのだろうか。別にテレビが邪魔をしているわけではない。誰かがニュースを見ている。そこで語られている何が誰のためになるのだろうか。自らの政治的な立場を表明して何になるのか。その場の意見とは何だろう。別の場では意見が異なるわけか。状況によって意見が異なってくる。君はそこでどんな意見を持っているのだろうか。どんな立場にもなり得ない。冗談でそんなことを述べているにすぎない。では何をひねくれているのか。そう受け取ってもらって結構なのだろうか。そんなことはどうでもいいに違いない。君の意見はその場から出てこない。すべてがどうでもいいことなのだ。ただ仕事に励んでいれば何の不都合もないらしい。自らの意見を表明することはないだろう。特定の意見を持つことは何となく馬鹿らしいと思う。では政治家は馬鹿の集まりだろうか。そう考えて差し支えはないようだが、君はどうなのか。そこで何を述べているつもりになれるのか。何も出てこないだろう。この世界のすべてに対して興味を抱けない。だがそんな嘘をついてみても無駄だ。虚しいとは思わないか。何も思わないのでため息以外は何も出てこないが、晴れた空の下で寒風が吹き荒れている。関係のないことだ。天候と気分がどのような関係にあるとも思えない。発想が貧困だ。どうにもこうにも何も語れなくなってしまったようだが、それで君は満足なのか。君は誰を満足させたいのかわからなくなる。そういう話なのだから仕方がないだろう。君が思っているほど複雑な展開にはならない。誰がそう思っているのか。他人は何を目指しているのか。他人になりたい他人が他人のことを思っているようだが、そこに君の意志が介在する余地はない。君は気晴らしに他人のふりをしているだけのようで、そんなことを記している誰かは、わけがわからないからとりあえず様子見の段階だろうか。何を決め込んでいるとも思えない。日々の糧を得るために仕事をしているとしたら、それらの作業は何のためにやっていることなのか。仕事ではないはずだ。ただの自問自答の延長であり、そこには予定調和の答えが用意されている。要するにわけがわからないというわけだ。そして話は振り出しに戻ってしまう。何を述べたことにもならないのは当然のこととして、さらに虚しさと徒労感で押しつぶされそうになるらしい。しかしそんな話がどこにあるのか。君は何について述べているつもりなのか。冗談の続きなら作り話の中でやってほしいか。だから今がそのときなのだろう。まったく子供だましにもならないくだらなさの中に誰かの文章が記されているようだ。はたしてそれでいいのだろうか。ひどい話なら他にも山ほどあるはずか。そんな些細なことにいちいち目くじらを立てていても疲れるだけだろう。本当に疲れているようだ。周囲は馬鹿げた成り行きに包まれている。君はそこで何を考えているのか。たぶん夢は誰もが抱いているのだろうが、くだらぬ顛末について語る気がしないだけで、誰かが汚れ仕事を進んで引き受けるのには裏があり、そこにはせこい計算が働いている。そんな風に思われたしまったらそこで終わりなのだろう。他人の言うことなどに耳を傾けるのは馬鹿らしいか。自分を利するように思われるならまだしも、何の利益ももたらされないのに、そんなことをやろうとするのはお人好しにもほどがある。利益にならないと決まったわけではないか。他の誰を利する結果に終わろうと、おもしろければとにかくやってみることだ。つまらなかったら途中でやめてしまうわけか。どこへ放り投げようとしているのだろう。投げやりになろうとする意図を図りかねるが、人はいったん見え透いたせこさを身につけてしまえば、後は怖い者なしになれるというのか。そうだとしたらそういう輩は軽蔑に値するのかも知れないが、そんなやつばかりならどうなってしまうのだろうか。たぶん現状が無理なのだろう。そういう連中の吹きだまりに汚れ仕事がもたらされているらしい。そんな状況が君には似つかわしい。どこへ向かおうと袋小路が待ち受けていて、そこでもがき苦しむ羽目に陥ってしまう定めなのか。そうだとしらどうだというのか。強がっている場合ではないということか。


1月22日

 寒さに耐えかねてどうしたのか。どうも言葉が出てこない。まさか凍え死ぬような地域に暮らしているわけでもないだろう。たぶんそういうことではないのだろう。何を知りたいのでもなく、それを理解したいのでもないらしい。それとは何でもないそれだ。どうやら翌日の朝には雪が降っているようだ。それがどうしたわけでもないのだろうが、何となく何でもないと思ってしまうことがもったいないような気もしてくる。何か慌てたふりでもしてみたらどうか。何の感慨もない。そういうことではないはずか。ではどういうことなのだろう。人はなぜ言葉を記そうとするのか。誰か他の人に何かを伝えようとしているわけか。そんなことなら誰も迷うはずがない。何も伝えたいことがないのに言葉を記そうとするから事態がややこしくなってくるわけで、何かそれが自己顕示欲の表れだとしても、その内容に自らをアピールするものがない場合、それはいかなる現象と見なせるのだろうか。惰性であり慣性の法則に従った戯れごととして片づけられるだろうか。そういうことでもないような気がするのだが、それ以外に何をどう述べても違っているような気がするので、あまり言葉を記す理由を探る気にならない。要するに自らがやっていることを正当化したのだろうが、自らはそうではないと思いたいのだろう。理由もなく言葉を記していると思いたいのか。今はそれでかまわない。気が向いたら言葉を記している自らを正当化する理由を探ってみよう。それはいつになるかは今のところわからない。気がついたらそんなことを述べている可能性もなり、気づかぬうちに語り出していることもあり得る。今の君にとってそんなことはどうでもいいことだ。ただ文字が記されて空白を埋め尽くしてくれれば、それで満足すべきなのだろう。状況はいつも切羽詰まっていて、絶えず時間に追い立てられている。やめてしまえば楽になるのは分かり切っているが、それがやめられない理由を見いだせずにいることも確かだ。だから言葉を記し続けるのか。そんな理由では満足できないだろう。何を述べても気が済むはずもなく、気が済むようなことを述べられず、不満を抱きながらも気に入らないことを執拗に述べ続けているらしい。それはまったくの冗談かも知れないが、冗談であろうとなかろうとそんなことしか述べられず、そんな言葉を記しているうちにうんざりしてくるわけか。しかしそこで何を笑っているのか。実際には誰も笑っていないのではないか。そう思いたいならそう思っていればいい。それは何のための独白にもならないだろう。翌日は雪が降り続いている。君が思っているほど状況は甘くない。これから何をやろうとしているのか。今は目先の利益を追い求めなければならない。長期的な視点を忘れているのだろう。何か計画を立てて事を運ぼうとしているわけではない。自分の勘に頼りすぎて道を誤ってしまうだろう。それでかまわないのか。誤りに気づいた時点で軌道修正でもしていれば、たとえそれが手遅れだったとしても、その場でやるべきことを知ることができる。知ったところで後の祭りかも知れないが、何となく目的を見いだしたことによる満足感で気分が良いそうだ。それが冗談に移行するきっかけになっているのだろう。そこでは何が作り話となっているわけではなく、誰も何も語らず、ひたすら自らの欲するところへ向かって行動を開始しているようだ。まさに冗談ではなく仕事の最中なのだろう。人はそうやって何かを置き去りにしながら暇つぶしの仕事をやっているわけか。仕事が暇つぶしであるわけがない。そこには皮肉の匂いが漂っている。退屈しのぎの暇つぶしなど今に始まったことではない。たぶんそうではないと思いたいのだ。そこには何か有益な効用があると見なしたいのであり、頭を使うことで痴呆の防止にも役立つはずだ。何かたたみかけるような展開を期待していたらしいが、実際はどうなっているのか。相変わらず自己言及の範囲内にとどまっているようだ。ひたすら内向きの思考に固執しているようで、現実の社会から隔絶した言説を構成しているらしい。そう思いたいのなら思っていればかまわないが、それでは同じ言葉の繰り返しだ。さらなる飛躍を願いたいのなら、それはどういうことになるのか。何を馬鹿にしようとしているのでもないらしい。それは限りのない営みであり、いつ途絶えてもかまわないのだが、一向に止む気配さえないようだ。馬鹿げていることは承知している。今さら分かり切った問いかけをしないでほしいと云えばその通りなのだ。だからこうして移動し続ける。嘘を承知でこれからの希望について述べているつもりだ。たぶん何かをもたらそうとしているのだろう。理由もなくもたらそうとしている。誰の利益にも結びつかない。雪景色がもたらされたのは天気のせいだろう。そこから遠ざかろうとしているのは誰の意識でもない。何をやっかいだと思っているのでもなく、君の意識が邪魔なのでもなく、行動に言葉を介在させている現状がありがたいと思っている。


1月21日

 何とか意味が通るような文章を構成したいのだが、支離滅裂な内容から抜け出られないようだ。だがこれから何が起こっても別に慌てる必要はない。そう思っているのならそれでかまわないだろう。いくらつまらない話をしても、それが文章になることはない。そう断言しているのだからそれはそれで事実に近い。嘘だとしてもそんなところだ。そこで君が読み返しているのは他人の文章だ。この世には欺瞞が満ちあふれている。たぶん意識はそれとは別のところにあり、世界の中で何かを感じ取ろうとしている。現世では何が起こっているのか。また雪の前触れのような天候になるらしいが、今度は本当に降るのだろうか。そんなことはどうでもいいことか。無理に天気の話をしたいわけでもないが、他に何もない現状をどうすることもできず、次第に虚無の場へ追いつめられていく。そんな状況の中で、いつまでも強気でいられるわけもなく、先行き不透明の現状に漠然とした不安を覚えている。君がそう思っているのではない。それは誰の話でもなく、話にさえならない話かも知れないが、それでも何となく言葉を連ねようとしていて、誰が望んでいることでもないが、そんな予想通りの展開に内心ほっとしているようだ。さっきまで君は何をやめようとしていたのか。現状では生きるのをやめられるはずがないだろう。それは誰にとって心強い結果なのか。結果も何もなく、そこに何がもたらされているわけでもない。誰かの心はこの世界では何も感じ取っていないようだ。外は雪景色ではない。それはいつのことになるのだろうか。いつのことでもあり、架空の出来事である可能性も出てくるが、何が出来事なのだろう。何に対しても興味を抱けないようで、積極的に何を語ろうとも思わず、いつもそうではないように思えてくる。いったい何がそうではなのか。ただ誰かが何かを述べている現状がありそうで、そこから目的を見つけようとするのは安易なやり方に思われ、架空の時空においては、誰もが何のために生きているのでもなく、他に何が存在しているのでもない。ちなみに現世には何が存在しているのか。ありふれた理性と感情があり、それは自分を見失うほどのインパクトを有しているとは到底思えない。ついでに勘違いにもほどがあるだろうか。なぜそうやってわざと血迷うのか。誰が血迷っているわけでもないだろう。いつものことだが、今日も言葉を繰り出すタイミングに狂いが生じているようだ。だがそんないいわけは嘘に決まっている。なぜすぐに否定してしまうのか。そこから言葉が連なろうとするきっかけを自ら排除している。そんなわけで君は今日も昨日も明日も君はおかしなことを述べていて、それを誰のせいにしようとしているわけでもないが、まったく正気とは思えないような内容だ。そんなところで君は何をやっているのか。何もやらずに何をやっているつもりなのか。それを語っているのが君でないとすると、誰が延々と空疎な内容を語っているのか。そういう予定調和の問答が、その場に退屈な雰囲気を醸し出しているわけだが、それで何がわかったことになるのか。何もわからないからそんなことを述べているのではないか。そこで君は何を知り得る立場にあるわけか。その場に構成される意識は、絶えずそうではないと思っている。いつまでもそれを否定し続け、否定している当の対象までも見失いつつ、さらに意味不明なことを述べようとしている。まったく近頃は万事がそんな様相を呈しているようで、わざとらしくもいつの間にかまともな思考形態を外れ、言葉の海の中でおぼれてしまっているみたいだ。何を述べても空疎に思われるようで、どうも緊張感に欠けているらしい。たぶん本気で危機感を抱いていないのだろう。だから何を語っても絵空事の範囲内なのだ。しかしそれはどういうことなのか。その場で使うべき言葉を間違えているだけか。そしていつもの意味不明なのだろう。そう解釈してもらってかまわないらしく、本気で語れないならそういうことなのであり、今さら大げさな目的をねつ造しても嘘っぽいだけだが、とりあえずそこには何も語れない雰囲気がある。そしてただの雰囲気だけで現状に負けてしまっているようで、そこからどんな真実も導き出せずにいるらしい。それどころか真実そのものを否定して、その代わりに嘘で塗り固められた文章を提示しているわけであり、それが作り話の本質だと思いこんでいる。本当に誰がそう思っているのか。たぶん誰かは苦し紛れの冗談でそんなことを述べているだけなのだろう。それはいつまでもどこまでも得体の知れぬ意識だ。まるで災いが降りかかってるような文章に思われ、そんな文章を構成している意識が、それらの自己言及を操作しながら、執拗に無内容に終始するような成り行きを呼び込んでいるのだ。それはまるで自らのうちに不幸を呼び込んで狂喜している愚か者のごとくに感じられ、そんな行為が君をうんざりさせているだけでなく、これまでに述べてきたすべてを台無しにしているわけだ。


1月20日

 誰かに心の内を見透かされているような気がする。それも作り話の続きなのか。いつまでも嘘をついているわけにもいかなくなるだろう。十分睡眠時間をとらないと判断を誤るだろう。それは望むところのようだが、いつまでも強がってばかりはいられなくなる。急に目の前が真っ暗になり、それに驚いたふりをしているうちに、夢から覚めて朝になっているのだろう。体験しているのはどんな現象でもない。ひたすら眠り続け、死ぬまでそのままかも知れない。そんな脅しに屈して何を改めようとしているのか。間違っても脅しなどではない。誰かは現実に眠っているわけだ。眠りから覚めることはないだろう。この世は夢の世界らしい。わざとらしく嘘をついている。夢うつつの世界から言葉を記している。君ではないと思う。念を押しておかなければならない。冗談でそんなことを述べているのだろう。昨日はいつだったのか。はたして何を疑問に思っているのか。何を果たしているとも思えない。きっと今日も無責任に言葉を並べている。いったいいつになったら言葉から解放されるのだろう。冗談ではないはずだ。では何が切実な願いとなるのか。君に切実さはあり得ない。まるで冗談のような不在だ。確実なことは何も言えない。でたらめなことを自由に述べているつもりになっているだけか。それの何が複雑怪奇なのか。まだそこまでいっていない。至りようのない地点を目指しているとも思えず、適当なところで妥協するつもりのようだ。誰かは精根尽き果てて命を削ってしまうことを恐れている。過去にはそんな嘘もあったらしいが、事の真相はいつも藪の中だった。探ろうとすればするほどくだらぬ感情につきまとわれる。そうやって君は現世から遠ざかろうとしていたのだろう。死んでいるわけではない。テレビを見ている暇があるわけでもないらしい。そこにみすぼらしい司会者が立っていて、何かの番組を進行させようとしている。誰かがそんな夢を見ていた。内容がはっきりしないようだが、何を空想しようとしているわけでもなく、くだらぬ内容を付け足そうとしているわけでもない。時間軸が偽りの傾きを生じさせ、何となく批判する対象を見失っている事態に気づく。そこで何を肯定しているのか。空白の時間にどのような出来事をねつ造しようとしているのか。何かを適当に述べているうちに、次第にそれが嘘だとは思えなくなり、そこで夢から覚めて翌朝になっていることに気づく。夢の内容をまったく思い出せない。そして茶渋が織りなす模様に見とれているうちに夕方になっているわけだ。その間に仕事をこなしていたはずだが、そんなことはどうでもいいように思われ、どうでもいいことは省略されるしかないようだ。それは君だけの世界になる。誰の世界でもなく、実質的には君の世界でもないが、その空疎な文章の無内容が君の世界を反映しているらしい。何か微妙なことを述べているつもりになっているようだが、やはりそんなこともどうでもいいことの範疇にはいるのだろうか。そうだとしたらどうなのか。誰が助けてくれるわけでもなく、誰の助けを借りるつもりもないらしく、ただひたすら言葉を記している。それは何に対する批判でも当てつけでもないだろう。時には本気になろうとすることもあったらしいが、今はそうではないはずだ。少なくとも何かに対して誠実であろうとしている。人は意外と簡単に死ねるのかも知れないが、生き続けるとなるとどんな苦労を伴うとも限らず、そこで疲れているだけでは済まないらしい。弱音を吐いても気が紛れるわけでもなく、何とか事態を好転させようとしているのだろう。まだ必死さが足りないわけか。それが冗談だとは思えない。何か身につまされる過去の記憶でもよみがえって、口の中が苦くなったりするだろうか。それこそ冗談ではないか。だからなんだということもできない。ぐうの音も出ないわけでもないが、そこでわざと言葉の使用法を間違って、何を述べているのかわからなくしようとしているのかも知れない。それが自己防衛本能だといえるだろうか。あくまでも本気で述べているとは思わない。何とかそこに踏みとどまって強がっているふりでもしているのかも知れないが、一方でそんなことをいくら述べても無駄だとも思っているようで、まったくリアリティをもたらせないようだ。現実とはそういうものだろう。この世界が君に何を求めているとも課しているとも思えず、誰かの方でもただの塵や芥のたぐいに何を期待するわけにもいかないことは承知しているようだ。だから好きにさせてもらっているのかも知れない。自由とは何も期待されていないところから生じているのかも知れず、何かの勘違いからわけのわからない使命感に燃えている人もいるだろうが、たまには気まぐれからそんな不自由さを賞賛したくもなるらしく、その手の馬鹿な人たちを持ち上げて楽しむ悪意も忘れてはならない。時にそれが誰かの心理的な余裕を生むらしく、何の前触れもなくそれらの文章が構成されて、いきなりノルマを果たしたと思いこんで、勘違いな達成感に満たされている自らに拍手喝采を送り、それからどうしたのだろう。


1月19日

 やはり言葉が遅れている。それはいつものことでしかないだろうが、何も思いつかないことに変わりはない。数日後の空は晴れていて、雪など降っていないようだ。何に対しても心が動かない。興味を抱けないらしい。また気がつけば夜になるのだろう。その間に仕事をしているわけだ。君が語っているのではない。しかしなぜそんなことを述べているのか。今さら分かり切ったことを確認するまでもない。では君には何がわかっているのか。この世界がどうなっているわけではない。では何がどうなっているのか。何もどうにもなっていないとすれば、いったい何について語ることができるだろう。何を途方に暮れているのか。作り話の中では確かにそうだ。君は何を強がっているのか。そういう話ではない。気持ちに余裕が感じられない。だがそういう話でもないだろう。たぶんどういう話でもないのだろう。言葉によって何を伝えようとしているのでもない。ただそれを記しているだけのようだ。相変わらず行き詰まっているらしい。もう疲れたから何を述べる気も起こらない。それで嘘をついているつもりになれるだろうか。なぜそこから逃げようとしているのか。少しはしゃぎすぎのように思われ、今はそんな嘘でかまわないのだろう。ぎりぎりのところで何かをかわそうとしている。それがわけをわからなくしている原因かも知れないが、そんなことはこの際どうでもいいことのように思われる。ただ意味不明を装うつもりらしく、何を読ませる気にもなれないようだ。言葉を記しているだけに終始してしまうらしい。そんな浅はかなやり方に一方では嫌悪感を抱いているようで、何となくそこから逃れたくなってくるが、今はどうしようもない。精神は鬱状態かも知れない。まだ病の段階ではないだろう。気休めにはどんな効用があるのだろうか。知り得ぬ意味を求めているのは誰なのか。そこには相変わらず誰もいない。だからくだらぬ幻想を抱くべきではない。しかしそれの何が幻想なのか。君はまだ何もわかっていないようだ。わかるべきではないのかも知れない。何をそんなに笑い転げているのか。冗談でなければ何でもない。笑う要素がどこにも見あたらないのだから笑えるはずがないか。そんなことはどうでもいいようだ。今はただわけもなく笑い転げていたいらしい。それも作り話の中で語られている内容の一部にすぎないが、まったく現実感がないようだ。たぶん本気になっていないのだろう。こうしているうちにも寒気が降りてくる。暖まりたいらしいが、エアコンが壊れてしまったようだ。もう寿命なのだろう。修理するよりは買い換えた方がいいようだ。だがそんなことを語ったところで現実感が出るわけもなく、何となく意識が希薄になっている。何を語りたいわけでもないのだろう。さっきから同じ言葉が繰り返されているだけのような気がする。他に何を記しているとも思えない。しかし立ち止まったらそこで終わってしまうような気もしている。ジレンマとはそういうことだろうか。意味が少し違うような気もするが、そんなことを述べて一息ついているようだ。馬鹿げた話に違いない。もう少し違うことを述べてみないか。それが誰の提案なのか定かでないが、何となく違ったことを述べようとしているらしい。気分が変わることはないだろう。気分で何を語っているつもりなのか。足下が次第に冷えてくる。なぜ逃げてはならないのか。それは君が知っているはずだが、言葉を記しているのは君ではない。あともう少しだろう。それで気が済むのではないか。満足からはほど遠いが、妥協の範囲内に文章が収まろうとしている。そこで何を聴いているのでもなく、音楽とは無縁の騒音があたりを覆っている。そう思えばそうなるだろう。作り話の中では確かにそうだ。そうやって無駄に神経を使って、つまらない文章が構成される。言葉ではないのだろう。感情がどこへ向かって解き放たれているとも思えない。いつの間にかそんなことを述べている。どうでもいいのにそうなってしまう。気休めや気晴らしに逃げても無駄だ。君は今の時間帯に追いついていない。まだ少し前の過去に心を絡め取られている。歴史的にそうなのではなく、空間的に状況を把握できなくなっているのだろう。何が歴史と関連しているというのか。ちなみに君の人生は虚構の産物だ。それをどう扱うつもりもなく、そのすべてを忘れ去ることから何かが語られているだけだ。誰もそこにはいないのであり、作り話の中で語られているのも虚構の人生などではない。要するに誰かは何も語らないつもりなのだ。ただ言葉を記している。それで何に困っているわけでもなく、他に何を説明している気にもなれない。文章は相変わらず空疎のままであり、半ばあきらめているのかも知れず、事態が好転する兆しは全くない。内容はつまらないままに推移しているようだ。だがそれを無内容とは呼ばないだろう。内容がなければ無内容なのではないか。そう単純に割り切ってしまえばそういうことだが、それの何が気に入らないのか。語っている何もかもが冗談だと思われる。それだけのことにおびただしい数の言葉が費やされている。それはまったく馬鹿げたことだろうか。


1月18日

 近頃は何も予感がしない。今は夜で頭の中が雑音で満たされているようだが、その時点でもう終わっている。そこから何をがんばっているのだろうか。たぶん誰もいないので他の誰かががんばっているのだろう。とりあえずないものは何もない。あるものはあるだけあるのだろうが、それに興味を抱かなければ何も語れなくなってしまうだろう。あるのは意味の定かでない文章だけか。だがたとえ空疎な内容であったとしても、意味ぐらいあるだろう。読んで理解できれば意味があるということだ。では理解できなければ意味不明か。それは実際に読んだ者の判断にまかされている。内容が気に入らないのなら、そんなことは考えなければいい。それで誰が困るというのか。実質的には悪あがきの他に何をやっているわけでもなさそうだ。そして時はいくらでも流れ去る。そのときは意味不明に思えても、時が経てば自ずから意味が生じてくるものだ。それで何を楽観しているとも思えないが、ただ読み返す気がしないだけか。それらの文章から何が導き出されようと、それが意味とは限らないだろう。何を執拗に反論しているのか。それは何のための反論なのか。意味でなければ何なのか。誰がそれを知っているというのか。それとは何だろう。何でもなければ気晴らしにもならない。それでかまわないはずだ。別に何を求めているわけでもなく、当然気晴らしを求めているわけではない。だがそれでは何を否定していることにもならないのではないか。それは見解の相違だろう。無理に現状を否定することもないだろう。誰が何を否定していようと、いちいち気にとめる気にもなれない。現状では何に対して返答を求められているとも思えない。ならばいったい君は何を問いかけているのか。この世界はこれからどうなってしまうのか。そういうことではない。それに対して気の利いた返答を期待されているわけでもない。この世界はどこまでもこの世界だ。どこまで行っても世界であり続ける。いつまで経ってもこの世界なのだ。それがどうしたわけでもないが、この世界以外に何があるというのか。気づかぬうちに無い物ねだりになっているのだろうか。それでは遠ざかろうとしても、何から遠ざかっていることにもならないのではないか。それでも君は君自身から遠ざかろうとしている。ひたすら無理なことを述べているようだ。そして執拗に無内容を保とうとしている。そんなのは嘘に決まっているだろう。誰かはそう思いたいのに、現実はどうなっているのだろうか。そこで何を否定しているのか。述べている何もかもが冗談に決まっているはずか。結局何を否定することもできず、そんな現状では何も思いつかない。すべては君には関係のないことだろう。誰かの苦し紛れのいいわけにはうんざりさせられる。そんなわけで今は君の時間帯ではないようだ。どうしてもそれらの軽いノリにはついて行けない。何を眺めているわけでもなく、それが苦し紛れの言葉だとも思えないが、何も馬脚を現すには及ばないか。その辺で意味がわからなくなる。わからないのは意味ではないのかも知れない。ではなぜ笑ってしまうのか。君はそこで意味を否定していたはずだ。そして無内容を推し進め、空疎な文章を記し続けているはずだった。たぶんそれは君ではないのだろう。何事も簡単に結論に至ってはまずいような気がするが、その結論を俄に信じてしまいそうになる。それは信じられない真実の暴露にでも至るのだろうか。どうやら支離滅裂な話の展開に持ち込もうとしているらしいが、そんなわけのわからない内容を誰が感じ取ってくれるのか。ただ強引に言葉を並べているだけか。たぶん何を述べているのかわからなくなってしまうのだろう。ところで今は何時だろうか。そういうごまかしは通用しない。誰かは暗闇の中で何を考えているのだろうか。誰かが誰かの存在を知ることになるだろう。君が君でなくなるわけだ。そこでわけがわからなうなる。すでにそうだろう。相変わらず記された言葉の並びに意味を見いだせず、そこから意識が遠ざかろうとしている。誰かに何らかの癖を見破られているらしいが、君はそれに気づかない。君にどのような癖があるというのか。今はそういう話ではないのだろう。ではどういう話なのだろうか。面倒くさいのでくだらぬ感動から遠ざかり、感情とは無縁の感覚を知ろうとしている。できない相談をしてるわけではない。では何を提案しているのか。何を提案しているわけでもなく、誰と何を相談しているわけでもない。それがどうしたのか。ただ単純にわからない。なぜそんなことを延々と語るのか理解できない。理由などありはしない。語りたいから語っているわけでもなく、語りたくないのに語っているわけでもない。語っているすべてはどうでもいいことにもかかわらず、それでも語っているつもりでいるらしいが、いったい誰が語っているつもりなのか。それを誰が知りたいわけでもない。ただ何の理由も必然もなく、そんなことが語られているつもりになりたいのだろう。


1月17日

 それは難しい展開になっているようだ。何もない風景の中で何が見えているのか。心は架空の世界で何を見ようとしているわけでもないらしい。君は占い師ではないだろう。それに付け足す言葉がどこにも見あたらないようだ。そんなに急いでいるはずがない。それほど嫌っているとも思えない。冗談で何を述べているとも思えず、事態の推移を見守っているわけでもない。心象風景などではない。そこから遠ざからなければならなかったのは君ではない。当てが外れているようだ。大幅に時間がずれ込んでいる。何をやる予定だったのか。影にはどこへも行く当てがない。君は誰の影なのか。なぜか意表をついたことを述べてみたくなるが、それが君の意志だとは思えない。述べているのは君以外の誰かだ。誰かの作り話の中ではそういう設定になっている。それで事足りるだろうか。なぜそう思ってしまうのだろう。今は悲惨な状況ではない。状況が見えてこない。状況は見るものではなく認識するものではないのか。冗談でそんなことを述べているようだが、案外本気でそんなことを考えているのかも知れず、頭の程度が不安になってくる。こだわりはそんなところからやってこないはずだ。君に何が見えているとも思えない。見えているのではなく認識しているのではないか。では何を認識しているのか。もうだめだと思っているのだろうか。それも冗談のうちかも知れない。なかなか本心にたどり着かないようだが、もとから本心などないのかも知れず、述べられ記されている内容には一切関知していないのかも知れない。それはどういうことだろう。竹藪の中にガソリンスタンドがある。それが何を意味するのだろう。ただ何かが脳裏をかすめただけか。要するにわけがわからないだけなのか。気がついたら何も語れなくなっているようだ。誰について語っているわけでもない。そんなことの繰り返しで嫌気が差してしまったのか。それらの文章は何を目指しているのか。君のことを述べているわけではない。おそらく何か勘違いしているのだろう。瑣末なことを述べているらしい。たぶん誰に警告が発せられているわけでもないのだろう。君は晴れて自由の身になったらしい。冗談だろう。世界中が悲惨な状況だとは思わない。妥協の余地はない。誰かが死ぬまでそのままなのかも知れず、適当なところで手を打つことなどできはしない。君は何を考えているのか。そこからわからなくなり、何を述べているのでもなくなってしまうようだ。人が何かをやるべきではない。何を変えようとしているのか。現状はそのままだ。理解しても行動に結びつかない。今や誰もが警鐘を鳴らすことができる。会議を重ねて話し合うことができるだろう。しかしそこから先がまったく見えてこない。要するに何もできないわけだ。誰もが言葉を延々と連ねるばかりなのだ。だからこのまま何もしない方がいいだろう。何もしなければ時が経ち、やがて誰かの身体は土に帰ってしまうだろう。そこには何もない。そう思っておいた方が良さそうだ。要らぬ期待を抱かせない方が良心的かも知れない。だがそれで何がわかるのか。何もわからなければどうなってしまうのか。どうにもならないだけであり、仮に何がわかったとしても、それは君には関係のないことだ。何を暗示させようとしているわけでもない。ただそこに言葉がある。それだけのことに興味を抱く必要もないだろう。内容は何もない。あり得ないことを述べているわけでもなく、思いついたことをそのまま言葉にしているわけでもない。では何なのか。寒くなってきたようだ。何か心地よい話題がないだろうか。それでいやされたつもりになりたいのか。そうだとしたらそれを批判する必要があるだろうか。たぶん何かを構築しなければならないのだろうが、それらの試みはすべて的はずれな行為を誘発する。君はそうなることを期待している。そんな後ろ向きの期待に同調するわけにはいかないか。そこからもたらされる認識が君の行動を阻んでいるようだ。足下にはゴミが散らばっている。事態が深刻な状況になるまで待っていればいい。手遅れになってからでないと行動できないのだ。そうでなければ話にならない。話にならないから人々は行動しなければならなくなる。しかしそれでどうなるというのか。どうにもならなくてもかまわないのではないか。間違っているのは誰なのだろう。少なくとも神は君ではないと思っているはずか。では神のことを馬鹿にしているのは誰なのか。それは君に決まっている。そんなのは嘘に決まっているだろうか。少なくとも君が神ではないことは分かり切ったことか。たぶんそういう話は退屈きわまりないのだろう。誰に話しかけているわけでもない。そこから先に言葉がつながりにくくなっている。誰かは微妙に言い逃れをしている。君にはできない芸当か。そして気がつけば何を述べているのでもなくなり、そういう嘘を絡めながら、それらの話をなかったことにしたいらしい。だから何でもないことは何でもないままに終わってしまうわけか。


1月16日

 何をそんなに笑っているのか。それについて何か説明する必要があるのだろうか。いきなり途中から述べてもわかりようがない。誰がそんなことを述べているのだろう。それとは何か。いったいそこで何を思いだしているのだろうか。何も思い出せないならそれは嘘になるだろう。たぶん嘘をついているのだろうが、それがどうしたのか。嘘であってもかまわないのではないか。誰もがしらけてしまうだろうか。誰が誰をしらけさせているのか。誰にとってもやる気が感じられない。それはどういうことなのか。少なくとも君のことを語っているわけではない。何かを感じ取ろうとしても何も感じられなくなり、言葉がそこから出てこない。やる気がしないらしい。何に助けられる予定もない。人は誰でも自らについて語ろうと試みる。そんなのは嘘だろう。そう思いたければそう思っていて結構だ。君は誰と向き合っているのか。冗談のはずがない。誰もが何かを思っている。考えていることは人それぞれだ。意識が希薄になってきている。悲劇がもたらされるだろうか。そうであってほしいが、君は何を笑っているのか。自然の生態系の一部として人間という存在があるらしい。何のために生きているのか。そんな話をしたいわけではない。それは人間が生活している領域の外にある。心は神秘主義から生じた世界観から遠ざかり、そこで何かが起きているような気がしてくる。いったいこの世界で何が起きているのだろうか。大量絶滅の一歩手前か。エコロジーとはどのような意味を含有しているのか。滅び行く人類が抱く気休めにすぎないのかも知れない。何となく否定的なことを述べると心が和むようだ。それも冗談のたぐいだろうか。何かを破壊せずにはいられないのが人間に備わった本能だ。その点では従来から存在していた地球の生態系にまつわる循環システムは、今や完全に崩壊状態かもしれない。そんなのは一時的なことでしかない。それはまったくの的はずれだろうか。何を指摘しているわけでもなく、気まぐれに適当なことを述べたまでか。だが君はそこで立ち止まらなければならなくなる。さっきまで何を考えていたのか。いつまでもテレビを見ていたような気がする。人々はただ繁栄しているつもりになっていればいいのだろう。エコロジストが警鐘を鳴らすためには必要なことか。だが終わりの一歩手前で何に気づくことができるだろうか。すでに手遅れであること以外に何に気づく必要があるのか。何か重大な事実に気づくべきなのだろうか。それは誰にとって重大なことなのか。君は何か得体の知れぬ現象に興味があるようだが、それは誰に必要な好奇心なのか。だがわかりようがないことは他にもありそうで、それについて何を述べようとしているわけでもないらしく、ただ状況が馬鹿げているように思われ、それを非難することが予定調和を形成してしまうような気がする。それはどのような予定調和なのか。言説のくだらなさを通り越して、何も述べられていないような気がしてくるが、何を述べてもそれはまったく意味のないことか。述べる前からそれはないだろう。どうもひたすら回り道がしたいようで、誰かはそうやって言葉で障害物を築こうとしているようで、自らがまともな認識に至るのを自ら阻んでいるように思われる。そして何について述べたらいいのかわからなくなり、結局は意味不明な文章を記す羽目に陥ってしまうらしい。そこで君は気づくべき重大な事実を見落としていることに気づくはずもなく、言説の対象となる何に対しても、どう述べていいのかわからなくなり、その辺で言葉を記すのをやめたくなってくる。しかしここでは何が言説の対象となっているのか。自ら記した言葉が、そのまま次に記そうとしている言説の対象となっているだけではないか。それが自己言及そのものなのかも知れないが、自己言及の自己とは、それを記している者に宿っている意識ではなく、そうやって記された言説自体ではないだろうか。記された言説が、自らと同じような内容の言説をさらに記すために、それを記している者の意識を操っているのではないか。要するにそれを記しているつもりの誰かは、自らが記しているつもりの言説に操られて、ひたすら同じような無内容を記す羽目に陥っているわけだ。そういうわけで君は心を虚無に支配されている。何となくそれがおかしくてたまらないらしいが、いくら笑い転げても気持ちがすっきりしないのはどういうわけなのか。嘘だからか。誰が笑い転げているはずもなく、それを記している誰かはひたすら画面をにらみながら、用意された空白に文字を打ち込む作業を続けている。君にとってそれは忌まわしくも愉快な成り行きに思われるようだが、現状ではそんなことしかできないようで、それが何に対する自己言及であろうと、それを後から読み返して検証する気になれないようだ。いったいそこで何を検証すればいいのだろう。何か気の利いたことを述べているのだろうか。それは誰の判断にゆだねられているのか。ただ内容が馬鹿らしいだけなのか。


1月15日

 ついに機械が壊れてしまったようだ。電源を入れっぱなしにしておくとまずいらしい。まったくお笑いぐさにもなりはしない。そして何となく気分が晴れ晴れしている。それでよかったのかも知れず、気分転換にもってこいの状況らしい。しかし何が黙示録なのだろうか。それは違うような気がするのだが、期待はずれに終わってしまうのはよくあることだ。何となく近頃はそう思っている。最初から違っていたようにも思われ、それが違うと思いつつもここまで来てしまったようだ。ここはどこなのだろうか。どこでもないからここなのか。そんなのは嘘に決まっている。だからどうしたわけでもない。いったい何にはまっているのだろうか。罠にはまっているとは思えず、天が君に休息を与えようとしているのかも知れない。しかしそれに乗ってどうするのか。罠だとは思わない。何とも思っていないのかも知れない。失敗すれば非難の対象となるような立場ではない。君に何がわかるのか。何もわからなければそんなことを述べているはずがない。では何をわかっているのだろうか。何も知らないではとおらない雰囲気のようだ。頭が壊れているらしい。人間にとっての幸せとは何だろう。何か生きていく上で目的でもあるわけか。何となくそれは違うような気がする。どうも違っているように思われるのだが、何が違っているのかわからない。たぶんそんなことを思っているだけ余裕があるということだ。生きるのに必死な者なら疑念など抱かない。そういう者たちはただ生き残ることが目的なのだ。そうではないとしたら何なのだろうか。何となくこの世界が滑稽に思えるのはなぜだろう。なぜそんなことをやり続けなければならないのかを問う必要がないのはどうしてなのか。そんなのはどうでもいいことだからか。ゲットーの少年が通りを歩いている映像が思い出される。大人たちは昼間から賭け事に興じているらしい。アフリカや南米の大都市にはスラム街があるそうだ。彼らはいつか貧困から抜け出せると思っている。それの何が夢なのか。この国には自動車があふれかえっている。新車など買わなくても中古車で間に合ってしまう。車検の度に安い中古車を買い換えて乗れば実用的には十分なのだろう。こだわりがなければそれでもかまわないようだ。そういう視点から何を考えているのだろうか。ゲットーの少年はそれからどうしたのだろう。成長して学校の先生にでもなれただろうか。それが彼にとっての夢を叶えることになるらしい。勉強して学校の先生になって、受け持ちの生徒たちに何か適当なことを教えるわけか。君はそれの何を馬鹿にしているのか。何か残酷な光景を目にするまでは気が済まないのか。映画とは何だろう。その手の好奇心をくすぐる機会を提供しているようだ。たぶん人はいくらでも補充が可能なのだろう。貧乏子だくさんでうじゃうじゃ涌いてきそうだ。放っておけばそうなってしまうのだろう。自然が放っておかないか。災害がもたらされて多くの者たちが命を奪われる。そしてまたうじゃうじゃ涌いて出るのだ。そればまるで死肉にウジが湧くような光景を想像させる。人は何のために生まれてくるのか。何でもないから生まれてくるわけだ。何でもなければ無理に殺める必要はないだろう。そんなわけで殺す理由を誰かが探し回る。金がないからいけないのだろう。たいていの者たちはそうなるらしい。夢を追いすぎて借金のしすぎなのか。夢を追わなければ寂しい人生を送らなければならないわけか。仕事があればそれなりに金が貯まるはずだ。ワーキングプアではそんなことはあり得ないか。君は何を考えているのだろう。まるで他人事のような口ぶりか。大きな津波で多く人が死んだのは何年前の出来事だったのか。話が方々へ飛んでいないか。ゲットーの少年はあれからどうなったのだろうか。街のギャング団に入って、ギャング同士の抗争に巻き込まれて若死にしてしまったのだろうか。そんな話もありふれている。たぶん誰かはそんな内容の曲を聴いて感動しているはずだ。その手の音楽は悲惨な話を糧として成り立っている。人を一時的にシリアスな気分にさせるわけだが、それは気晴らしのたぐいだろう。中には自分の子供に自分の夢を託す者もいる。ボクシングの世界チャンピオンになってほしいか。そして夢を叶えた後はマスコミから袋だたきに遭ったりして、そんな者もいたらしいが、それは去年の話だったかも知れない。たぶんマイク・タイソンのような人間は要らないのだろう。君は彼のボクシングとその生き様に感動していたはずだ。お払い箱になってから久しいのかも知れないが、あれこそが夢を叶えることの本質を物語っている。それは悲劇的であり、喜劇的なのかも知れない。できることなら避けて通りたいおぞましさのただ中に誰かの夢があるようだ。それでもそんな成り行きを肯定したい人々が確実にいて、そんな好奇心のために馬鹿な若者たちが犠牲に供されるのだろう。冗談ではないと思うが、それこそが冗談で済まされてしまうのであり、冗談から多くの者たちが破滅の憂き目に遭っているのだ。それを真に受けるわけにはいかない。


1月14日

 また目が覚めたら翌朝になっている。いつ眠ってしまったのかわからないようだ。誰かが作り話の中でそんなことを述べている。どこかで何をやってそこまでたどり着いたのか。何も覚えていないというのは嘘だろう。何かを忘れたふりをしている。そんな思いこみを誰かが空想している。それもどうでもいいようなことの一部を構成している。誰かと誰かが対立しているようだ。なぜそんなことを述べているのか理解に苦しむが、討論とはそういうものだろう。誰が何を見聞しているとも思えない。架空の対談などどこにも見当たらない。人は人と対立する生き物である。ありふれた意見の相違に違いない。寒いのは一時だけだ。その後に誰がどうなるわけでもない。事件は別の場所で起こっている。そこで誰が何を感じ取っているのでもなく、君はどこへも行かないだろう。遠くから誰かを見守っているのは誰でもない誰かだ。そんなわけでまるで話になっていないようだ。現状ではそんなところだろう。何も語ろうとしないのは毎度のことだ。君の人生は限られているのかも知れないが、それについて何かを語る時間などない。人間ではないのだろう。興味は別のところにありそうだ。何をわかったふりをしているのか。何が君には関係のないことなのだろうか。鳥居のある風景に出くわして感動する。意味など何もない。なぜそんなものに感動するのか。理由など何でもかまわないだろうが、別にそれに興味を持っているわけではない。すでに今は夜だ。夜だからといってどうしたわけでもない。なぜか君の勘は当たっていたようだが、それでついて説明する気がしない。人は孤独に苦しむ生き物か。嘘だと思うから冗談に苛まれている。ありきたりの返答を期待しているわけではない。勘が鋭いのは君に限ったことではないだろう。そういう成り行きなのだから、それはそれでそのままにしておくべきだ。少し本気が入っていたのかも知れない。それを誰の想像にまかせようというのか。変幻自在というわけではなく、感覚がどこかに固定されている。嵐が通り過ぎるのを待っていたのは何年前のことだろう。今でも待っているとは思えない。まだ目覚めていないのだろうか。誰が眠っているというのか。そこから遠ざかっていたのは誰とも限らない。今はどうなのだろうか。少しは気の利いたことを述べているとしたら、それは誰のおかげなのか。そういう話ではないだろう。何か適当に読まれてきたのかも知れず、それを読み返して意見を述べるべきかどうか迷っているようだ。しかし迷いの中にある意識を言葉で言い表すつもりはない。そういうことではない。どういうことでもなく、それについて何を述べているのでもないらしい。未だに君はそこから遠ざかれずにいるらしい。考えるあてなどありはしない。何について考えているのでもないようだ。そこで一休みしたくなってくる。まだ何も述べていないのではないか。そんな不安が的中したからといって、心変わりがすることもないだろう。ジョアン・ジルベルトが何を歌っていようと、君には理解できない。トリッキーな処方箋もその効果を期待できず、何を述べても言葉を知らないようだ。それは誰の言葉でもなく、人が発明したものではない。ただどこからか鳴り響いてくる。まるで意味を成さないようだ。吃音のたぐいだろうか。君は何を冗談で済まそうとしているのか。どうやってそこから遠ざかるつもりなのか。要らぬお節介は心を空洞化させる。余計なお世話ではないだろう。まだそこまでいっていない。頂上はここから遙か先の地点だ。そこで誰かの亡霊は、また至上の愛について語ろうとするわけか。性懲りもないとはどういうことだろう。まだそこまで到達していない。昔はかなり幼稚なことを述べていたようだが、今さらそれを思い出してどうするのか。茶渋が苦いだけだ。感覚的に肌に合わない。時間がそこで止まっているように思える。それがどうしたわけでもないが、何となくそこから一歩を踏み出すつもりらしい。今だから言えることなど何もない。追憶に浸っているのは架空の感情だ。過去に聴いた曲がよみがえってくる。人には人それぞれに領分がありそうだが、あの岩山の向こう側に何があるのだろうか。それを誰が思っているわけではないが、そんな関係のないことを述べてどうするのか。どうもしないが、そんな風景に出くわしたつもりになりたいらしい。いったいそこで誰が感動したいのだろう。心の底に何かの残り滓がこびりついているようだ。そう思っても何も出てこない。空では雲が流れているのだろうか。夜の空を見上げているつもりになる。聞こえてくるのは誰の声でもなさそうだ。君の隣に虚無の塊がある。それが君だとは思わないか。誰の隣に何があるわけでもないだろう。虚無が存在する原因を誰に求めても虚しいだけだ。君はそこから言葉を連ねるつもりのようだが、その行く末を案じているのは、導き出された言葉の中に構成された誰かの意識だ。たぶん何ももたらされないだろう。そんなことを思っているうちに頭痛がひどくなる。


1月13日

 何か期することでもあるのだろうか。その時はやってこない。君は何を断言しているのか。君ではないのかも知れない。誰かと誰かが仲間割れしている。そんな話もあったようだが、君には関係のないことか。君自身の内面を見たらそれがわかるだろうか。何を述べているのでもないのは相変わらずのようだが、そこからどうやって言葉をつなげるつもりなのか。また同じようなことを述べている。いつものことだろう。すべてはいつものことでしかない。何を語ろうと結果は同じだ。そういう言いぐさの中に誰かの感情が埋もれている。何をあきらめているのか。あきらめようがないところまで語ってみたらどうか。誰に向かって述べているのか。嫌気がさして眠ってしまう。できることなら安易な心境になってみたい。目先の利益が何になるのだろうか。生活の糧でも得たいのか。格差社会がどうしたというのだろう。何を批判したいとも思わない。それでは過去の繰り返しにしかならない。それがどうしたのだろう。何も思い浮かばない。それは情景ではない。郷愁とは無縁の光景を想像しているだけだ。この世界に未来があるとは思えないが、そんな感想に意味はないだろう。未来の代わりに今がある。今と未来は代替可能なのだろうか。概念が違っているような気がするが、それを説明する気にならない。説明とはどういうことなのか。あえて述べるなら魂のように場所がない。唐突に変調を来して、何気なく言葉は意味不明になってしまう。いきなりそうなのだからわからなくなる。誰が意味を求めていないのか。冗談で済まそうとしているらしいが、心に傷を抱えているわけがない。さらにわけがわからなくなる。誰かはわざとらしくいいわけでも用意しているのだろうか。何がわざとらしいと思えるのか。言葉で何をごまかしているつもりなのか。わけがわからないのは誰の意見なのだろう。そんなところで中途半端なことを述べているようだが、誰かの意図や思惑がさっぱりわからない。誰もそんなところにはいない。それが世界でないのはわかりきったことだ。では何が世界なのだろうか。言葉を間違えているだけのような気がする。確かにそこで使いたいのは世界という言葉ではない。何でもなければ言葉が出てこないのは必然か。くだらぬ連想に文章の行き先が左右されているようだ。君が言葉を記しているのではない。君の意見を誰が述べているのでもない。だからヒステリックに現状を否定する必要があるだろうか。理由になっていないだろう。わからないのは君ではなく、そういうことではないはずだ。まったく述べていることがわからなくなり、途方に暮れる前にやる気をなくしてしまう。それで何になるのだろう。文章は何も示しはしない。それは言葉ではない。香りだけの紅茶をすすっている。ところで何が作り話なのか。君はどんな夢を見ていたのだろう。何らかのスローガンに身をまかせているわけではない。しかしスローガンとは何なのだろう。何もわからなくなってしまったようだ。なぜそうなってしまうのか理解できない。君はあきらめているようだ。ただ地道に努力しなければならない。できることをやり、優先順位の高いことからやる。そんな風にして誰もが何かをやり遂げようとしているのだろうか。ますますわからなくなる。なぜそんなことをやっているのか理解できない。なぜ馬鹿な人たちを応援しなければならないのか。仕事の種類が違うのかも知れない。反対意見を述べなければならない立場の人もいるらしい。人は誰でも利口になれるわけではないらしい。努力しても無駄な人もいるようだ。君がそうなのか。彼を馬鹿にすべきではない。誰も馬鹿にすべきではない。その人なりの必然性を理解してあげなければならない。成り行き的にそうなのだから、それを考慮しなければならない。いいわけはいつもやった後からついてくる。最善を尽くしたつもりが間違いだったことなどいくらでもありそうだ。人の意識が変わらなければ何も変わらないだろう。それをあきらめてどうするのか。何かを単純に理解したくない。そうではないような気がするだけだが、何かが違っていることは確からしい。要するに人それぞれなのだ。それぞれの人が違った立場から違ったことやっているようだが、それだけではその場の認識として間違っている。人はどのようにも生きられる可能性があるのに、その可能性をすべて捨てている。そうせざるを得ないのだ。だから何をしなければならないのだろうか。仕事以外に何があるのだろう。安らぎがありくつろぎがあるのだろう。それ以外に何があるのか。何もしない時間がある。眠っている時間もある。だが時間だけでは物足りない気がする。君に意識はない。死人ではないから生物でもない。それの何が間違っているのか。わざとそう述べているのだろう。まったく何もかもが馬鹿げている。そしてそんなくだらぬ認識に逆戻りのようだ。苛ついているのだろうか。君たちは何にしがみついているのか。国家に何を期待しているのか。政治家や官僚たちに何をやってほしいのだろう。


1月12日

 数日後の空は晴れている。今日も何か適当なことを述べなければならない。誰に頼まれたわけでもないだろう。今日ではないのかも知れない。どうやら語る機会を逸しているようだ。だからそこで立ち往生している。作り話の中では誰かが死んでしまったのか。そういう話もいろいろありそうだが、書店に行って文庫本でも買ってくれば、その中にそういう話があるだろう。回りくどいことを述べているようだが、そう述べる意図がまったくわからない。必然性を感じられず、興味を持てなくなる。それが楽しいとは思わないか。無理に思う必要はない。何を思っているわけでもなく、何かしら思っていた過去を思い出そうとしているのかも知れない。冗談では済まないようだ。君がそれを語らなくても、他の誰かが語るだろう。君はそれを読んで感想でも抱けば済むことだ。君の思い通りにはならない。作り話の中で語られる野望とは何だろう。戦国時代の武将のように天下統一を夢見ることか。あるいはゴルフやテニスでグランドスラムを達成してみたいと思ったりするのだろうか。それは実際に達成した者が達成間際に思ったことか。わざとずらして語ろうとしている。感覚が何かに絡まっている。世の中には叶わなかった野望もありそうだ。それを誰かが見いだそうとしているわけか。冗談だろう。そこで話を終わらせようとしている。話の成り行きを起承転結にしなくてもかまわないのか。何かの冗談に違いない。野望はくだらない。冗談でそんなことを述べている。世の中が平和であればそれでかまわないらしい。怠惰な物言いに終始しているようだ。まともなことを述べるには、少し感覚を研ぎ澄ます必要がありそうだが、その必要を感じないのはどういうわけだろう。作り話の中では安易な魔法が多用されすぎているようだ。個人の力には限界がありそうだが、それがどうしたわけでもない。目的がないのだからそれでもかまわないのではないか。何を語っているのでもない期間が長すぎるように思われ、そこから個人が出現するはずもなく、誰も何も語っていないように思われる。ただの文章だろう。君はそれをどうしようというのでもない。魔が差してから久しい。歳月の経過には抗いようがない。それの何を批判すべきなのか。現時点では何も批判する気が起こらないようだ。君はそれでかまわないと思っている。遠くに見える岩山から何が告げられているわけでもない。天は何をやっているのか。光が降り注いでいるだけのように思われる。そんな風景に誰の思考が反映されているとも思えない。箱庭でも庭園でもない場所に誰かが佇んでいるらしい。それがどうしたわけでもないだろう。いったい君に何がわかるというのか。何もわからなければどうなるものでもないだろう。この世はこの世のままに推移するだけのようだ。そこに誰の思想が反映しているとも思えない。何がどうなろうと世界の知ったことではない。君の知ることのできる範囲は限られていて、その範囲外で何が起こっていようと、それに興味を抱こうとしない限り、君の知ったことではないはずだ。それが厳然たる事実だとすれば、そこからどうやって逃れようとしているのか。君が逃げているとは思えない。誰も逃げられない状況の中で生きているのではないか。死ねば逃げられるだろうか。自殺者ならいくらでもいるだろう。交通事故で死ぬ者より多いのではないか。しかしそれで逃げていることになるのか。逃げられないから死んでしまうのではないか。現実から逃げ切れないと観念したとき、人は自ら死を選んでしまうのだろう。ならば君はどうやって逃げるつもりなのか。そのまま生き続け、どうでもいいようなことを語り続けることで、現実から逃避していることになるのだろうか。実際にやっている仕事はどうなのか。それは現実から逃げていない証拠となるのではないか。それがどうしたわけでもない。誰かは方便的な物言いに逃げようとしている。語るのが面倒なのだろう。その都度語っているのが君ではなく、他の誰かとなってしまうようだ。逃げ切れなくなったと悟った瞬間から君ではなくなるわけか。そういう利便性を追求して、それが暇つぶしのたぐいだと自覚しつつも、それで何か適当なことを語っているつもりになれるらしく、そこから君は冗談のたぐいとなるようだ。君自身の存在が消失しているように装い、そう思いこんでいるだけで、実際は何でもないのだが、それで何かから逃れたような気になり、何となく自由を満喫している気分を得たつもりになる。またずいぶん回りくどいことを述べているようだ。そういうやり方でいいのだろうか。良くはないかも知れないが、現実にそうなってしまうのだから、それはそれで自己言及の一種として受け取るしかないだろう。君はそれでどうなるわけでもなく、ただどうでもいいような文章が記されている現実に落胆するしかないが、それが冗談だと思われるのだろう。何となく愉快な気分となり、笑っている誰かの顔を思い浮かべながら、他の誰かがしてやったりの笑みを浮かべている顔を思い出す。


1月11日

 誰かは冬の冷たい雨に打たれて風邪でも引いたのだろうか。それは翌日のことだ。それでもまだやる気があったようで、何となくそこから言葉を記し続けている。それは昨日のことだ。昨日とはまったく関係がないだろう。今さら何を否定しているのだろう。それらの光景は実に感動的だ。何かの冗談かも知れない。やる気があるとすれば、たぶんそれはやる気ではない。では何なのか。何かの惰性に違いない。何を語ろうと、それはつまらない成り行きだ。心が何かから引き離されている。便利になれば怠惰になり、怠惰になれば堕落する。それも何かの冗談か。だがその何かとは何なのか。何も思い当たるものはない。だからそんなやり方ではうまくいかないだろう。そしてうまくいったらいったで、なぜか不満が残る。不満だろうが満足だろうが、どちらでもかまわないが、どちらにしても気に入らないのはどういうわけなのか。わけなど知るよしもない。要するに理由を探すのが面倒なのだ。それで何ができるわけでもないだろう。いったい何をやろうとしていたのか。そんなことはどうでもいいことだと思いつつも、それが気になって仕方がないようだ。そんなのは嘘だろう。嘘だろうが本当だろうが、そんなことは忘れてしまった。しかし何をわかろうとしているのだろうか。君がわかろうとしているわけではない。ただ意味がわからない。意味ではないのかも知れない。何かを知ろうとする意識が外に向かわず、内側に引きこもろうとしているようだが、それが何の内側なのかわからない。遊び半分でくだらぬ論理に向かっていけない。それの何がくだらないのだろう。それとは何なのか。それがわからない。ただわかろうとしていないだけのはずだったが、それがどうしたのか。どうも言葉を弄して何も語っていないようだ。それはどういうことなのか。何となくわかっているようだが、君にはまったくわからない。近頃は何も語れなくなる。何を語ればいいのかわからない。意識が世間の話題から遠く離れすぎている。たぶん気が狂っているのではないのだろう。では君はそこから遠く離れて何を考えているのだろうか。何が間違っていようと、君のせいではない。そこには何もないのだから何も語れるわけがない。では気が狂っているのは誰なのか。君が狂っているとすれば、それは楽しい事態かも知れない。たぶんそんな大げさなことではない。気晴らしに言葉を並べて遊んでいるだけか。誰も何も語らないのだから、そこに何が記されているわけでもない。では君は何を述べているのか。そういう言葉のつながり方がおかしいのか。そればかりでは何も語れないだろう。何も語れないまま一夜明けたら、昨日でも翌日でもなくなってしまったようだが、そんなことはどうでもいいことか。今はさらに夜になっている。ぼやぼやしているとまた明日になってしまう。誰かの思うつぼかも知れないが、誰がそう思っているのでもないらしい。作り話の中では確かにそうだ。そんな状況の馬鹿らしさに誰かが唖然とする。呆れているだけでは状況を改善できない。相変わらず何を述べているとも思えない。何か適当なことを述べて、そこに形成されつつある空疎な文章から脱出したいようだが、別に美しさを求めているのではない。いったい何が美しいと思っているのか。いつからこの国は美しい国になったのだろうか。そういう冗談は時節を逸している。おぼっちゃまな人はもう首相ではない。今はのび太が総理大臣のはずだ。しかし唐突な転調に意味はないだろう。それは考える必要のないことかも知れない。文章に馬鹿げた味付けをしている場合ではない。さらにわけがわからなくなる。精神的にはもうだめらしい。二度と立ち直れないようで、それ以降は何を語るつもりもないようだ。なぜそうなってしまうのか。ただ朝が寒いだけか。寒いからどうしたのか。そこから何が見いだされるわけもないが、外にはいつもの風景が広がっている。今日は満天の星空を眺められるだろうか。何を期待しているのでもないようだ。たぶん何を眺めることもないだろう。それでどうするつもりなのか。どうもしない。ここに至っては誰にもどうすることもできないだろう。それで何を解決しようとしているのでもなく、それで問題は何もない。何もないのでそれが問題とはならず、何に関して言葉を連ねることもできない。それが問題なのか。何を間違っているのだろうか。たぶん様々なことが間違っているのだろう。現に今も間違い続けている。それで笑っているわけか。笑うことが間違っているのだろうか。おかしいと思っていることが間違いのようだ。何をおかしいと感じているのか。それがこの世のすべてではないはずだ。今日はそこから遠ざかれない。つまらないことならいくらでも述べられると思っていたが、実際にはそうでもないようだ。気がつけば何もなくなっている。何を持っていたのかも思い出せず、それについて語ることさえできなくなっている。それで君はどうしたのだろう。たぶんどうにもなっていないはずだ。何もない時間が長すぎたのかも知れない。いったいこの世界はどうなってしまったのか。どうにもならずに何も変わっていない。そう思われるだけだ。


1月10日

 たぶんどうでもいいことなのだろう。くだらない世の中だとは思わない。別に捨て台詞ではないが、いい加減に目を覚ましたらどうか。別に誰に向かってしかりつけているのでもない。相変わらず仕事以外は何をやっているのでもないらしい。誰の話をしているのでもないようだ。そこから何を否定するのもおかしいか。ただ文字を記しているだけのようだ。それだけでは何かをやっている部類には入らないようだ。他に音楽を聴いている。それとこれとは関係ないだろう。つまらないいいわけは通用しない。ただの文章に過ぎない。感情的にどうなっているわけでもない。やはり関係のないことを述べようとしている。何と関係がないのだろうか。相変わらず日付的には昨日の時間帯だ。翌日の夜に何を述べているわけでもない。何をはぐらかそうとしているのか。まだ何かに追いつこうとしているのかも知れず、そのためにはまだ無駄に言葉を連ねる必要でもあるのだろうか。まったくわけがわからない。君にとってはそれでもかまわないのだろう。ただ周りの景色を眺めながら何をやろうとしているのでもない。それで少しは気晴らしになりそうだ。誰がそう思っているわけでもないが、何となく架空の誰かがそう思っていることにしておこう。もうその時点で負けているようだが、誰に負けているのかわからない。現状は何も変わらない。変わりようがないだろう。誰に怒りをぶつける必要もない。その矛先がどこを向いても無駄だ。何が無駄でもかまわないのだろうか。それで何を否定しているのかわからない。何がだめになっているわけでもない。どこからどこへ向かっているわけでもない。見いだされたすべては同じことなのだ。何も変わっていない。そんな閉塞感が誰かの心を覆っている。何を述べても同じになるしかない。ひたすら同じようなことを述べているらしい。今は夜なのだろう。夜が明けているわけではない。安易に言葉がつながりすぎているのだろう。夢から覚めたら地上のどこにいるつもりなのか。誰かは何かに飽きているようだ。明らかに文章がおかしい。それを記している人物を認めがたくなっている。否定すべき対象が見当たらないのに、それがどうしたわけでもないと思う。それでは文章にならないのではないか。心配するには及ばない。みんな生活がかかっているのだろうか。必死になって何かをやっている人たちもいるらしい。つまらない枠組みの中に誰かの神経が集中している。機会とは何なのか。何をやる機会に直面しているのだろうか。失敗しかかったことをやり続ける。無駄な試みだろう。遠回りにもほどがある。何が違っているのかわからない。誰かは君と彼の違いを区別できない。どちらも誰かが記した言葉でしかない。ただ意識が遠ざかるばかりのようだ。今さらままごと遊びや子供だましは通用しないだろう。何がそうなのかわからない。今述べているそれがそうなのかも知れないが、だからどうしたというのだろう。まだその先に虚無の続きがあるわけか。ただわけがわからないだけだ。どこからどうやって遠ざかったのか覚えていない。夜が長すぎるのかも知れないが、それが何の理由となっているのかを知りたい。わけがわからないだけでは気に入らない。その先が知りたいらしい。誰かその先を教えてくれないか。誰が誰に教えてやればいいのか。何を教えても、そこで何を教えているのかわからない。君は言葉を導き出し得ない理由を知りたいらしく、誰かは空疎なことを述べている理由を知りたいらしい。自らがそうなのだ。それが何に対する答えとなっているのか。そこに誰かの意向が働いている。そのままでかまわないと思いたいようだ。何もないのだからそれで正解のはずだ。記憶が遠ざかっているのでも、身体が消失しているのでもない。そこにありふれた人間が存在している。紛れもない意志が作用している。そう思っているのだからそうなのだろう。追い込まれているのだろうか。精神的に追い詰められて、何をどうしていいのかわからなくなっているのかも知れない。そうであったらどうなのか。嘘だとは思わない。要するに真実を語っていると思いたいのか。空疎なことを語っているのは紛れもない事実だ。誰が何をしようと、それを変えることはできないだろう。そう思っているうちはそうなのだから、そういうことなのだろう。この世界は小心者の天下か。そう思っている心はどうなのか。そうではないと思いたいのだろうか。そうでなければ何を見失っているというのか。何も有効ではない。ならば何が無効なのか知りたくなってくる。この世のすべてだとは思わない。わからないなりにも答えを模索しているようだ。だからそんなことを述べているのではないか。迷い疲れているのかも知れない。死ぬ間際だと思いたくない人もいるらしい。滅多なことではない。ただそうではないと思いたい。自らの思い通りにならない状況になれすぎている。それが当たり前のことだと思いこんでいる。たぶんそんなはずがないのだろう。そうでなければおもしろくない。つまらないままでは疲れるだけだ。


1月9日

 今日も気晴らしに何を述べているのか。暗い顔でぶつぶつ文句を言っているのは誰でもない。それに述べているのは今日ではなく、日付的には昨日のことだ。執拗な嫌がらせに苦しんでいるわけでもなく、ただそこから先には進もうとせず、そこで誰と会話しているわけでもない。無駄に言葉を弄しているばかりで、まったく話が先へ進まない。文章としてはそうなってしまう。いい加減に馬鹿げた話はやめたらどうか。やはり君はそこから遠ざかる。それで何を批判しようとしているわけでもなく、嫌気がさしているわけでもない。結果としてそういう成り行きなのだから仕方がないだろう。どうやら君は何もわかっていないようだ。わかろうとしていないのだから、それは当然のことであり、だから今がある。理由になっていないだろう。ならば今は何をやっているのだろう。取り立てて変わったことを述べているわけではない。何もやる気が起きず、何に対しても興味が湧かないだけか。それで嘘をついているといえるだろうか。誰に何を持ちかけているのか。計画など何もなく、そこには誰もいない。疑心暗鬼とはまったくの無関係で、誰かが気まぐれにそんなことを述べているだけだ。では本当に嘘なのだろうか。依然として君には何もわからない。さっきまで何を述べていたのかも忘れてしまったらしい。安易にそんなことを述べている。そしてテレビを見ている。昨晩のことだ。理由もなく何もできなくなってしまったらしい。ならば今日はそこで終わりなのか。今日ではなく昨日ことだろうが、確かに何かが終わっているようで、それが文章とは限らないが、それも嘘かも知れず、その先に終わりの言葉が立ちはだかっているらしい。たぶんそれらの無内容は誰にとってもわけがわからないだろう。要するに終われないから無駄に言葉が続いている。無意味な行為に違いない。わかっていながらそれをやめることができない。やめたらそこで終わりなのか。終わってしまったらまた始めたらいい。だから限りのない惰性を強いられる。何かが転がり続ける。転がるだけ転がって、そこで破滅してしまうわけか。誰が破滅してしまうのだろう。無理をしてはいけないようだが、誰の知ったことでもない。すでに夜が明けている。それがどうしたわけでもないが、そこから先に言葉が進まない。何をやってもうまくいかないのは作り話の中でのことでしかないが、そのとき目の前には何が立ちふさがっていたのか。逃れられない宿命などありはしない。君に関して何を述べているのでもない。そしてそういうはぐらかしが誰かを窮地に追い込んでいる。それは嘘かも知れないが、心変わりが頻繁に起こっているようだ。いくら考えても何も導き出せない。それで安心してしまうのか。誰のために何をやっているのでもない。ではそれをどう評価しようとしているのか。何もかもが評価の対象ではない。ならばなぜそんなことはどうでもいいのだろうか。そう思ってしまうのだから仕方がないだろう。誰がそう思っているのかを知りたくなるが、そんなのは嘘に決まっている。世界のどこかで今日も爆発が起こっているらしく、がれきの下から誰かの遺体が収容される。結局そういうニュースが意識の中で受け流され、君は自ずから無関心を装う。だが無関心とはどういうことだろう。たとえば世界各地で選挙運動が盛り上がっている。民衆の中から誰かが選ばれて指導者にならなければ気が済まないようだが、そんなことはどうでもいいことだろうか。誰が誰に投票しても、投票した人間が報われることはなく、当選した人間もどうなるわけでもない。ただ選挙の前と後で立場が変わるだけだろう。それがどうしたというのか。ではどうでもいいこと以外に何があるというのか。もしどこの国がどこかの国と戦争して、兵士たちが殺し合いを繰り広げようとしても、それは何でもないことなのか。部外者の君にとってはそうであり、君には何ももたらされず、それはマンガの中の話と同じようなものだ。要するに他人の殺し合いも娯楽の対象でしかない。人々は衣食住が足りた後から気が狂うらしい。そこでは何が娯楽として成立しているのだろう。衣食住そのものなのかも知れない。無駄に着飾り、無駄に食べ、無駄に贅を尽くした居住空間を構築しようとしている。それらすべては安らぎを得るために必要なものだと信じられている。要は気持ちの問題なのだ。娯楽によって無駄なものが無駄でなくなり、それが夢を実現するためには必要なものとなる。ある意味ではそれ自体が達成すべき夢なのだ。誰もが叶うなら贅沢な暮らしがしたい。しかしそんな嘘がどこで成り立っているのだろう。何が嘘なのかわからないか。嘘でないと思っているから、多くの人々がそこへ向かってしまうのだろう。君はそこから何を導き出そうとしているのでもないらしい。それに逆らうつもりはさらさらないようだが、信じていないことは確からしい。たぶん人間自体が無駄な存在なのだろう。世界にとって無駄だからこそ、そんなことで気を紛らすしかないようだ。馬鹿らしい存在だからこそ、人はそれを信じている。


1月8日

 過ぎ去る風景に目をくれる気も重らず、この世界について何を思っているわけでもなく、そんな嘘をやり過ごすこともできずに、何について思っているのでもなく、それも嘘だと知りつつも、未だにそんな言葉を繰り返していることに何を思うでもない。それはただの技巧だ。そんなくだらぬ技巧に溺れる気はないが、くだらないと謙遜しているつもりの自らに嫌気がさしているわけでもない。それは仕方のないことだろう。状況的にそうなってしまうのだから仕方がない。だが仕方がないでは済まないのだろう。それでは済まないから現実があるらしい。そんな現実に直面しているわけだ。見上げれば流れる雲など見当たらず、空を見上げているわけでもない自らに気づかないふりをするのもわざとらしいように思われ、できればそういうやり方から逃れたいが、それができないからそうなってしまう現実に向き合うのが億劫になっているのかも知れない。まだ時間的に間に合うだろうか。それはどんな試練だとも思われないが、何もままごと遊びをやっていると思うほど油断しているわけでもない。感性はどこを行き過ぎているのだろうか。ヒステリックに何を叫んでいるとも思えない。それは現状とは関係のないことだろう。場当たり的な挙動に違いない。それで何を見いだせるというのか。すでにどうでもいい言葉の連なりを見いだしているではないか。そんな画面を誰かが見つめている。それで君は満足しなければならない。誰に何を強いているのだろう。君は誰でもない架空の登場人物でさえない。だからそこに君という言葉が記されているわけだ。それは物語ではない。何を語っているとも思えず、それが嘘だとしてもなおそう思われる。そう思っているうちは楽しい気分になれるのだろうか。嘘に違いない。だがいったん苛ついてしまえばそこから先が何も出てこなくなり、そこで窮地に陥ったような気になるのだが、それでも一向に焦る気配もなく、それは予定調和の行き詰まりだと高をくくっているようで、何となくさらに無駄に言葉を並べてしまうらしい。そうやってどこか得体の知れぬ大地へを導かれているのだろう。それが沈黙の大地だとしても、そんな妄想を信じるでもなく、何事も本気にはなれない感覚に意識を支配されているように思われ、そこから先に言葉を連ねてゆく。君は何を知りたいわけでもないのだろう。そういう話の設定なのかも知れない。誰がそういうことにしているのでもなく、自然とそうなっているだけのように感じられるが、それで何を知ったことにもならず、話の中で誰が何を知ろうとしているのでもない。何となくそう思われるだけのようだが、誰がそう思っているのでもない。その辺で同じような言葉が循環しているようだ。石ころだらけの背景の中に文字を記す平面がはめ込まれている印象がある。そんな妄想のたぐいのような風景を思い描く。現実とは何だろう。現実以前の何かなのか。そこですでに間違っているようだが、その間違いを押し通したくなってくる。強引に事を進めているような印象はないが、何となくそうなってしまうわけだ。常にそうでありたいわけでもないが、今はそうなってしまう。この後もそうなってしまうだろうとも思われるが、気まぐれで心の中の誰かがそれを裏切って、現世に言説が舞い戻ってくることも願っている。その願いも裏切られてしまうのだろうか。それが誰の願いだとも思わないが、そうであってほしいと思っているのは私ではない。それも嘘か。冗談ならその辺で願い下げにしてほしい。まだ誰かには役割が残っているはずであり、おそらくこれから何かをやらなければならないのだろう。それをやり終えてもまだ他に何かをやらなければならない。それが誰かの役割なのだ。また同じ言葉が循環し始める。何度やってもそうなってしまう。それを数限りなく経験しながらも、そこから決して逸脱することは叶わない。本心からそう願っているわけではない。誰の本心でもありはせず、快晴の翌日から遠ざかろうとしているわけでもなさそうだ。できればそれを文章として定着させたいが、それとは何だろう。それが本来の目的だとしたら、予定調和も甚だしいか。君は落胆しているわけか。まだそうと決まったわけではない。たぶん偶然が君をありもしない大地へと導いてくれるだろう。そこで途方に暮れるために君の人生がある。そんな決めつけも嘘に決まっているだろうが、そう述べてしまうと愉快な気分を醸し出せる。まるでマンガのような安易さだ。実際にそれを描いている当人たちは安易な気持ちなどさらさらないのだろうが、それを読む人々は安易に読んでいる。ただの絵と文に過ぎない。だからそこへ留まり続けるのだろう。君もそれに追従しているようだ。今はそれでもかまわないと思うが、近い将来においてもそうなってしまうような予感もしてくる。いつまで経ってもそれはないと思っているうちはそうなってしまうのかも知れない。だからどうだというわけではないが、そこから遠ざかろうとしている気持ちも一方にはあるらしく、何となく誰かはそれを肯定したい気になっている。


1月7日

 誰かは相変わらず中身のないことを述べているようだ。それが宿命だと思っていればそれで気楽になれるだろうか。世の中は誰を中心にして回っているのでもなさそうで、うまくいかないことばかりだと嘆いてみてもどうなるものでもないか。それでもすべてがうまくいっていないわけでもないだろう。何となくうまくいっていると見なせる部分もありそうで、それで少しは気休めを感じているのかも知れない。まったく何もかもが馬鹿らしいと思ってしまってもいいような気もするのだが、それを誰に向かって説明しているのでもないらしい。いったい何を説明しているつもりになっているのか。それは誰が感じていることなのか。つまらない疑念に惑わされているわけではなく、そうやって時間稼ぎでもやっているのだろう。何か適当なことを思いつく機会を探っているらしいが、気まぐれと偶然の巡り合わせだけではどうにもならない部分がありそうだ。すべてがそれでうまくいくとは思っていないが、今はそれしか頼るものがないとすれば、それはそれで悲惨な状況かも知れず、その悲惨な状況を少しでも改善する手だてを模索しなければならない。冗談でそんなことを述べているのかも知れない。笑いながらそれはないだろう。そんなことをいくら述べてみても状況が好転するわけがない。それで好転していると思いこむことは不可能ではないが、虚しさを感じていないか。冗談ならばそれでかまわないのだろう。だいぶ黙っている時間が続いている。画面の背景は十五分ごとに替わるが、今はそれに見とれている気分ではない。では何も導き出せないのに言葉を連ねている現状に焦るべきか。何を冷静になっているのだろう。無駄に言葉を連ねていれば、そのうち利いた風な意見や見解に出くわすだろう。それを待ち続けるしかなさそうだが、いくら待っても何も出てこなければ、さっさとやめてしまえばいい。さっさとやめられないからそうしているのではないか。この際そんないい加減な矛盾でもかまわないのだろう。ただ何か適当なことを述べていればそれでかまわないような気がする。それは自己言及なのだろうが、意識の中では誰が自らのことを述べている気もしない。そんな嘘をついてその場の空疎な雰囲気を保持しているのかも知れないが、いったいそれで何になると虚空に向かって疑念を投げかけてみても、かえってくるものは何もなさそうだ。それがそのときのペースなのだろう。意味不明に思われるだろうか。相変わらずの言葉の並びに違いない。そこでふと立ち止まってみる。転換の機会かも知れない。不意に何か思いついたかも知れない。また冗談で述べているのだろう。郊外の工場と畑と住宅地が点在する風景の中を、高圧鉄塔がアクセントを加えているように感じられ、それに感動するわけでもなく、何となく過ぎ去る風景を眺めつつ、何を思うでもない。そこからどんな感慨も導き出せない。そのまま意識も身体も電車とともに通り過ぎるだけのようだ。要するに架空の試みは失敗に終わり、またしても言説以前の意味不明に出くわしているつもりになり、何となくそれで安心しているらしい。だが安心する根拠が何もない。感じているつもりの何もかもが、ただ何となくという感じ方に収斂されてしまうようだ。それがゲームのたぐいだろうか。詩に目的はない。俳句ならなおさらだろうが、それは間違った意見だと思われるだろう。詩でも俳句でもないただ文章に過ぎないのにそんな見解にいたり、さらに本来の詩や俳句の目的を無目的だと勘違いしている。しかし何が本来の形態だと思うのか。そんなところでいきなり思考ゲームに突入する必然性が希薄だが、無理矢理何かに言葉を引き込んでいるとも思えない。自らの意識を覆っている虚無の実体を探ろうとしているのだろうか。実体がないから虚無なのではないか。くだらぬ矛盾に足を取られ、何を述べているのか見失いつつも、そんなことを述べている自らに安心しているようだ。まったく馬鹿げている。馬鹿げている以前にそれを糧としている存在している感もある。そうやってうまく言葉を操作しているつもりになりたいようにも思われ、それが怠惰な営みだということを忘れているのだろうか。何を忘れているわけでもなく、忘れているふりをしながら、それによって意識を操りつつ言葉を連ねているだけか。いったい誰が自意識を操っているのか。操っているのが自意識なのであり、自意識が自意識を操っているという矛盾にわざとらしく突き当たって、そこで間違いに気づいて安心するわけだ。それも冗談なのだろう。まったく無責任な言説に終始しながらも、そこから安らぎを得ているように思われ、そんな自らに自らが入り込んでいることに気づかされ、それで何がどうしたわけでもないことに落胆するでもなく、何となくノルマを果たしつつ自らに安心しているのだろうが、それはまったく馬鹿げた行為だと悟りながらも、そんな自己言及の連続に何を思うだろう。誰が何を思うのか知らないが、自らは肩の荷が下りつつあるとでも感じているのだろうか。


1月6日

 夜の闇が誰かを覆っている。ありふれたことだ。毎日そうなのだから、取り立てて驚くべきことではない。今は何を思っているのだろう。多少は窮屈な思いでもしているのかも知れない。何を考えるのも面倒なのだ。いつものように誰が何を思っているつもりもない。だから面倒だと述べたはずだ。いちいち回りくどいことを述べないでほしい。誰に何をけしかけられているのでもない。他の何に気を回しているのでもなく、興味を惹いていることを記しているつもりもない。ただ乾いているようだ。空気が乾燥しすぎているようで、何を考えているのかわからなくなる。言葉がつながらなくなり、これもいつものように意味を見失い、何を述べているのかわからなくなる。夜の闇がどうしたというのか。考えている暇はなく、ただひたすら言葉を並べているらしい。何を予想しているわけでもない。行き先はどちらなのだろう。何をもてあましているとも思えない。案外必死なのかも知れず、焦りながら何かいい加減なことを述べているのだろう。それは述べる必要のないことだ。自分が自分でないような気がするが、たぶん君ではないのだろう。ただ考えているだけではらちがあかない。何を批判する気も起こらないのはどういうわけだろう。誰かは納得のいくいいわけでも求めているのだろうか。その道を歩いていっても何も出てこないだろう。狭い範囲内で右往左往していたのは昔のことだ。誰が道に迷っているのでもない。睡魔が襲ってくる。マイルスもどきの演奏を聴いている。確か二千数百曲の中の何曲かはそうだったはずだ。ファンク系のマイルスは人気があるらしい。起きられなくなってしまいそうだ。二度と起き上がれないわけではなく、朝になれば何事もなかったかのように起き上がっている。ただその前に少し眠る必要があるようだ。少し睡眠不足なのか、何事もいつものようにはいかず、せっかくもたらされつつあった言葉の断片をつかみ損ねて、弾みでどこかへ放り出してしまったらしい。気がつけばまたしても闇の中だ。どこかで何かが光っている。外灯か何かだろう。つまらぬ予感に行く手を遮られ、どこかで行き詰まっているらしいが、それを誰が見ているのか。何を述べていいのかわからなくなっている。まだ実質的には何も述べていないはずだ。飽きもせずそこで立ち往生しているうちに、どこか見知らぬ土地へ紛れ込んでしまったわけでもない。心ここにあらずだけでは物足りないのか。確かに何を述べているのかわけがわからない。それで何がどうしたわけでもないが、単なる気まぐれのたまものだろうか。意味不明ばかりが続いているのかも知れず、それで現実の喪失感を補っているとも思えない。さらに意味不明になっているだけかも知れない。まだそこまで達していないだろう。それによって何を獲得しているわけでもない。誰かがその辺を歩き回っているようだ。ほっつき歩いているのだろうか。まだ意味がつかめないらしい。ならばその辺で勘弁してくれないか。誰に向かって命乞いをしているとも思えない。何も奇抜なアイディアを求めているわけではない。その辺で妥協したいところだろうが、気が進まないのか気が済まないのかわからないが、何となくそういう水準で文章を終わらせるには力不足のようだ。では何をあきらめているのか。言葉がうまくつながらないようで、怠惰な音楽が誰かには似合っているのだろう。それをどうしたいわけでもなく、そんなとりとめのない状況が果てしなく続いていることに飽きているようだ。気に入らないのはそんなことなのか。拍子抜けという言葉は以前に使ってしまったような気がする。ならば何をどう表現したらしっくりくるのだろう。わからなければわかるように説明する努力を継続してほしい。誰に向かって要請しているのかわからず、君は途方に暮れるでもなく、ただ気分を害しているつもりになる。間違っているようだ。わかりきったことを述べているだけでは物足りない。だからその辺で誰かが道草を食っている。あり得ないことだが、虚無が草食動物を装っているらしい。ますます意味がわからない。くだらない言葉の羅列に終始しているようだ。そう思うのは君の勝手かも知れないが、君の他に誰がくだらぬ妄想に耽っているというのか。意味がわからない。何を述べているつもりなのか。ますます意味がわからなくなる。さっきから同じようなことばかり述べている。だから君はそこから立ち去れない。気が乱れているようだ。わけのわからない事件に巻き込まれているのだろうか。心はそこにない。心などどこにあるわけでもなく、それを心とは呼ばないだけだ。とにかく君に何があるわけでもない。死ぬ間際の老人が世直しの提言を行っていた。どこかの雑誌にそんな文章が載っているそうだ。誰かがそれを読んで共感したりするのだろう。君にその機会はなさそうだ。なぜ興味が湧かなくなってしまったのか。君に何を求められるのか。何をしてほしいのだろう。どんな文章を読んでほしいのか。そう矢継ぎ早に問いかけても、肝心の問いかける相手が不在なのではないか。


1月5日

 これから何を述べようと、それでどうなるわけでもないが、別に何に驚いているわけでもない。何も述べていないようで、実態が何もない。人は浪費によって未来を食いつぶしている。それがローン生活の本質だろう。人々はうまく立ち回っているつもりなのだ。それを批判しているわけではない。誰かが何かを見極めようとしている。なんて無駄なことをやっているのか。何も有用だとは思わない。それは言葉ではなく、誰かの叫びでもない。何が役に立つとも思えないが、何を説明しようとしているのでもない。言葉がどこにも見当たらないようだ。君が探しているのではないのだろう。何も見当たらないようだ。偶然の紆余曲折や気まぐれな試行錯誤ではどうにもならない。馬鹿げていると言わざるを得ない。くだらぬ人間の生き様を見せつけられる。何がそれの味方をしてくれるというのか。それとは何だろう。たぶん何も覚えていないだろう。平穏で満ち足りた生活の何が退屈なのだろうか。何と何を共存させようとしているわけでもない。誰もが多くを望みすぎている。人々は何を共有しているのだろうか。様式の多様性を尊重するわけにはいかない。地域ごとに文化が異なっているのは、誰かを惑わすための罠だろう。どこへ引き込もうとしているのではない。美しい田園の風景は批判を受けつけない。何かを美しいと思う心は目的を見失わせる。本来の目的とは何だろう。人は廃墟の中で文明の存在を見いだす。それは楽しいことだろうか。ヨーロッパは文明の廃墟だ。誰もが固有の文化を空想する。意味がわからないだろうか。誰かがそんなことを述べているようだ。ますます意味がわからなくなる。君はそれをどうすることもできなくなる。何かが合っていないようだ。それは眼の焦点だろうか。ピントが合っていない。同じことを述べてどうするのだ。では的外れな意見でも述べてみようか。何にこだわっているわけでもない。こけおどし的な文章だ。崇高な印象を醸し出したいのか。わけがわからないだけだろう。どこまで述べても何も出てこない。何を出そうとしているわけでもない。ただ風景を眺めているだけのようだ。それの何が気に入らないのだろうか。何か利いた風なことを述べたら述べたで気に入らないはずだ。何も述べなければそれでも気に入らない。この世界のすべてが気に入らない。それが現状に対する否認だとは思わない。認められないことは他にもありそうだが、とりあえず中身のない文章を誰かが記している。君のせいではない。誰のせいでもない。たぶん他に何もできはしないだろう。何をあきらめているのか。そこであきらめてしまうのは気に入らないか。何をあきらめようとも思わないが、夢も目標もありはしない。それが嘘だと思うなら、何か利いた風な意見でも述べてみたらいい。やる気はバネ仕掛けの構造を有していて、浮き沈みが激しい。絶えず上がったり下がってしながら揺れ動いているようだ。意味のない振動を繰り返している。それが気に入らないと思っているわけか。そんな思いに連動して、ますますわけがわからなくなり、何を述べているのでもないような気がしてくる。本当にそうであったら楽しいだろうか。人々は何を目指しているのか。そういうはぐらかしが見え透いている。それが馬鹿らしいと思っているようだが、馬鹿らしいと思っていることを実行してどうするのか。有言実行とはそういうことではないだろう。さらにわけがわからなくなる。切実さが足りない。切羽詰まっているのにのんびりしている。頭の中が荒廃しているわけか。そう思いたければ思っていてかまわないだろう。何を思ってもそれは嘘になりそうだ。現実は常に思いを裏切るものだ。そんな風にして意味のない文章が記される。知らず知らずのうちに独白の色調を帯びてくるが、告白している当人の存在感が希薄だ。何を懺悔しているとも思えない。ただのでたらめに過ぎないのだろうか。次第に寒くなっているようだ。その辺で忍耐の限界に達しつつある。時間的には早朝だろう。いったい何にこだわっているのか。なぜそんなことを述べる必要があるのだろうか。何もわからなくなり、そこから先は何かの繰り返しとなってしまいそうだ。すでにあきらめてしまっている。物事の奥底に誰の感情が潜んでいるとも思わない。体験している状況が違っているようだ。今までとどこがどう違うのか。君には何が見えているのだろう。わけがわからないだけではない。わかっていることはいくらでもありそうだが、それでもわけがわからない。そう述べていないと気が済まないのか。たぶんそこから言葉が生まれてくるのだろう。だがそれは君の言葉ではない。誰の言葉でもありはしない。君はそこで何かをあきらめている。そしてそれが気に入らないとも思っている。そんな言説ではない言説を嫌っているようだが、自己言及的なそれらのごまかしを記しているのは誰なのか。誰でもなければ君ではないと見なせるか。冗談のたぐいで逃げたくなってくるが、かろうじてそこで踏みとどまり、何とか終わりまでこぎ着けたいようだ。


1月4日

 何がわかっているわけでもなく、何もわかっていないわけでもない。ただ何かが麻痺している。感覚がおかしいようだ。相変わらず遅れていることは確かだが、それが当たり前のことだとは思わない。いつもそうなのだろう。闇の向こう側で誰かが君を待っているようだ。そんな予感がするだけか。誰の心配をしているわけでもないらしい。君には関係のないことだ。雲が流れているのは君の意志を反映しているわけではない。どこかで嵐が呼んでいる。誰が呼んでいるのでもないだろう。災禍を招いているのは誰のせいでもない。災いは誰が運んできたのか。思いこみが激しいようだ。テロとは何なのか。真正面から向き合うことはできない。Bluesetteを聴きながら何を思うだろう。誰かが何かをもたらしてくれるだろう。それは君の意志ではない。誰かにはどうにもできないことがありそうだ。誰かが神だとは思わない。そこに磁場が生じているらしい。君は何かを覆そうとしている。できるはずがない。さらに遅れてしまうだけだろう。絶望の淵へ追いやられ、そこで滅んでしまうのだろうか。意味がわからない。たぶん今は二日後の夜なのだろう。日付に意味はないのだろうか。建築家の思想には共鳴できないものがありそうだが、かなり浅はかだと思われるらしい。固定観念とは何だろう。誰がそれを打ち破る必要があるのだろうか。奇抜なアイデアはすぐに飽きられる。だが何を躊躇する必要があるのか。君の語り方こそおかしい。いったい何を糧として生きているのだろうか。どこから何が現れるのか。何を期待しているとも思えない。ただあり得ないことを述べているようだ。それで気が済むならそれでもかまわないだろう。人は人が住んでいる地域で暮らしている。それだけのことに何を感動しているのか。何を理解しようとしているのだろう。述べていることが支離滅裂なのは仕方がない。人の性格はその人が住んでいる環境から影響を受けている。それだけから何が語れるというのか。誰がそこで夢を見ているのだろう。君には何もわからない。君以外の誰にもわからないことだ。それは何でもないことかも知れない。何でもなければ何を受け入れがたいわけでもない。君たちが目指しているのはどのような状態なのか。誰かが歓喜の中心にいたいと思っている。何を祝福されたいのだろう。自らの死の予感を感じ取れるだろうか。誰もがそこから遠く離れているわけではない。君に何ができるというのか。君以外に何ができるというのか。言葉は何を指し示しているのだろう。君の言葉ではない。誰の言葉でもない。君はそこで途方に暮れている。誰もが途方に暮れていると思いたい。ただの思い過ごしに違いないが、他に何も思い浮かばないようだ。それの何が気に入らないのだろう。馬鹿げているのはどの状況なのか。今さら何を批判したいわけでもない。だからそこから遠ざかろうとしている。遠ざかっていない現状を打ち破ろうとしている。打破できるわけがない。何もありはしない。それは意志でも意識でもない。たぶん馬鹿げているのだろう。メディアは何かを見せびらかしすぎている。伝えたいことがわかっているつもりのようだが、何となく居心地が悪そうだ。見られている現状がおかしい。不特定多数の視線にすべてがさらされているような印象を受ける。それで何が困るのか。幻想を抱いているだけでは物足りなくなる。誰もが事件に遭遇したいのだ。絶えず何かに巻き込まれていたい。自意識過剰なのだろうか。それだけだとは思えないが、他に何があるというのか。何を探しているのでもない。否定ばかりでは息が詰まってしまう。だから何をやろうとしているのだろう。他に否定すべき状況など見当たらない。現状以外にはあり得ない。普通の住環境に暮らしていれば常識人が形成されるだろう。そんな安易な結論でかまわないのかも知れない。人と人の間にどんな関係も成り立たない。それはどんな関係なのだろうか。ただの矛盾に違いないが、矛盾に逃げるのは卑怯なやり方かも知れず、ちゃんと合理的な回答を用意しておかなければ、誰からも見向きもされない。それでかまわないと思われるのは、他者に対する配慮が足りないからか。他者とは何だろう。自分以外にどんな人格があるというのか。何が自我の周りを浮遊しているとも思えない。そういう語り方ならそういう状況に陥ってしまうだろう。そしてそれでかまわないと思いかけている。また過ちを繰り返してしまうらしい。取り返しのつかないことを述べているような気もしてくるが、それでも一向にかまわないらしい。誰かは懲りない性格のようだ。君には虚無がある。それが味方なのか敵なのかわからないが、どちらでもかまわないのように思われ、君をその場に固定するための接着剤のような役割を果たしているのだろう。考えがぶれているとは思わない。それは右でも左でも上でも下でもなく、ただのそこなのだ。そこ以外にはあり得ないそこに君という空疎な存在が固定されている。それの何が不満でも満足しているわけでもない。


1月3日

 たぶん昨日のことは今日のことではない。そんなことをいつまで述べていても仕方がないので、別のことを述べなければならないだろう。気晴らしを求めているのだろうか。何がわかるわけもないだろう。空白が多すぎてまともな記憶にたどり着けなくなる。過去から何を学ぶ気も起こらない。それは傲慢さの表れなのではなく、過去自体を思い出せないのだ。学ぶべき過去がわからなくなる。たぶんそれも作り話に違いない。現状の何を無視しているのだろうか。何も必要ではなくなる。今が君を支えている。それはどうでもいいような話だ。話の中には誰もいない。どうやら産油国は石油が枯渇する前に金融大国へと変身したいようだ。これまでに石油の輸出によって稼いだ金を、今度は金融業に活用しようとしているのだろう。実際にその国の政府系ファンドが、アメリカの低所得者向け住宅ローンが焦げついて大損害を被った欧米の銀行や、前途有望な多国籍企業などに多額の資金を出資しているそうだ。確かに人間世界は金を中心に回っているのだから、多額の設備投資をして新たに国内の産業を育てるよりも、金を得るには直接金を貸して利子を得るのが一番効率的なやり方なのだろう。それも世界を席巻するマネーゲームの一形態に過ぎないのかも知れないが、多くの人々はそこから何を得ることができるのだろうか。人は何のために生きているのでもない。客観的にはそうかも知れないが、主観的には絶えず何かのために生きていることになっているようだ。しかし君には目的が見いだせない。オイルマネーなどの世界的な資金や資本の流れが何をどう変えようとしているのだろう。それで国民国家という幻想を打ち砕くことができるだろうか。すでにどうでもよくなっているのかも知れない。誰かが語りたい内容はそういうことではない。君が過去を無視する一方で、過去も君の存在を亡き者にしようとしている。あり得ない話か。ではいったいそれの何が幻想なのか。幻想だからといってそれにすがりついてはいけないのだろうか。現象のすべてを幻想で片付けるわけにはいかない。国家幻想など打ち砕く必要はないのだろう。人々には国民という肩書きが似合っている。それが肩書きであるわけがないが、何となく冗談で済ませたくなってくる。はたしてそれが重要なことなのか。制度とは何だろう。そんな疑念は誰の知ったことでもない。誰が疑念を抱いているのでもなく、ただそう文章に記されている。馬鹿げているだろうか。いつものようにそんなことを述べているだけか。世界のどこに不具合が生じているわけでもないのだろう。誰かはあえて間違ったことを述べているようだ。だが間違う理由など何もありはしない。それらの現象は君に何をもたらしているのだろう。ただ疑念を抱かせるだけか。しかしそれらの何が現象なのか。いったい君は何について述べているつもりなのだろうか。そう言われてみるとにわかにわからなくなるが、誰に言われたわけでもないだろう。世界経済がどうたらこうたら、どこかのニュースで解説者が述べていたような気がする。文明の寿命が尽きるのも近いのかも知れないが、それで誰が困っているわけでもないだろう。困っている者がいるとすれば、それはまったくの勘違いに違いない。人は誰でも他人との違いを際だたせたいものだ。着飾ることは一方ではそうであり、他方では流行り廃りに左右されている。流行の最先端という同じ目標を多くの人と共有していたいわけで、そうやって他人と同じような着飾り方をしている中でも、自分こそが一番似合っていると他人に思わせたいのだ。要するに着飾り方を競争しているつもりになっている。人はなぜ浅はかな方向へと欲望の触手を伸ばしていくのだろうか。そういう営みが人間社会を成り立たせているのだろう。何か他人と競い合うための目標がなければ生きている意味がない。たとえその人独自の個性を追求しているとしても、それに他人がなびいてこなければ気に入らない。そういう人は自分の追従者を必要としているわけだ。他人に認めてもらいたがっている。いつまでも無視されていては困るのだろう。たとえ自らの死後であろうと、いつかゴッホのように賞賛されたいものか。そのために必死になって努力しているわけか。話の中で誰がそうしているわけでもないが、何となく馬鹿らしくなってこないか。誰に語りかけているわけでもなく、それも冗談の延長上の言葉でしかない。何を語っていても、自らには何も返ってこないようだ。もう少し利口な者なら、着飾るのではなく、着こなすという言葉を使いたがるだろう。それで少しは知的になったような気分になれるだろうか。控えめでシックな装いこそが他人から尊敬される条件となるだろうか。なぜ君は笑っているのか。冗談にもほどがありそうだが、中高年がねらっている服装とはそういうものかも知れず、そういうのをねらいすぎるとかえって不自然な印象を与えてしまうかも知れないが、何となくその線で決めてみたらいいのではないだろうか。誰に向かって述べているのでもない。


1月2日

 夢の中で誰かが何かを伝えてくれたような気がする。また妄想の中で意味不明なことを述べているのか。それは誰の秘密でもなかった。いささか拍子抜けの感を拭えないが、君にしては珍しいことを述べている。冗談ではないだろう。いくら努力しても無駄なようで、気がつけば翌朝になっている。そして何もできないうちに一日が経ってしまう。今はいったいいつなのか。いつ目が覚めたのだろうか。それは誰かの記憶に違いない。何かと地続きの何かが君を躊躇させる。またわけがわからなくなっているらしい。くだらないと思いたいのか。何でもないようだが馬鹿げている。そこに靄がかかっているらしい。頭の中がいかれているのだろうか。そういう安易な発想は良くない。いかれている人は幸いだ。君は自らがいかれていることを知り得ない。そういう話の設定は無謀ではないか。何の話でもありはしない。そこから話を展開させることができない。別に起死回生をねらっているわけではない。それどころかこのままでもかまわないのかも知れない。話など何もありはしない。語っているのは話ではなく、何を語っているのでもなく、何について記しているのでもない。それが冗談なのか。冗談ではないはずだ。冗談でなければ何なのか。何でもなければ楽しいはずだ。意味がわからない。それが楽しさの源泉となっていると思われるのは勘違いか。ただ何もわからない。そう思えば何もわからなくなる。つまらないと思われるだけか。誰かの脳が萎れている。そんなはずがない。何に対して反論したいのかわからない。乾いているのだろう。ひからびてミイラとなる。腐って骨だけになった方がマシか。人は誰でも土に還りたいらしい。それは夏の日のことだ。森の中で何が行われていたのだろう。人はいつでも暴走する。否定的な感情がそうさせるのだろう。時として虚無と戯れている。理性の力によってそこから遠ざかれないものか。寝言のたぐいだろうか。洒落たことを述べているとは思えない。寝返りを打った拍子に何か思いつくだろうか。そういう話ではないようだ。どういう話でもない。サスペンスドラマ風になっているわけでもない。誰かが生まれて成長して老いて死ぬ。それだけではないだろう。その途中でどんな事件に遭遇できるというのか。君に何を話しているのでもない。まったく会話が成り立たず、誰かは目の前の壁に向かって意味不明な言葉を発している。そんな成り行きに誰が驚いているのでもなさそうだが、たぶん現状はそうでもないのだろう。何も思いつかない現実がある。今が日付から何日後の夕方なのかわからなくなる。君の脳はさらにひからびているようだ。だがいくら腐っても何にもならないだろう。見渡す限り石ころだらけの荒野だ。そんな空想ばかりが頭をよぎる。君には何のことやらわけがわからないだろう。それは君に関する話ではないからだ。誰に関する話でもない。またそうやって意味もなく否定を繰り返そうとする。話す当てもないのに誰が話しているつもりになれるだろう。そういう文章はわからない。冷めているようで覚めている。夢から覚めているわけではない。誰もが夢うつつなのかも知れない。だから意味がわからなくなる。意味がわからないのは君に限ったことではないようだ。これでは自己満足に至れる状況にはないらしい。他人の将来が過ぎ去ろうとする。いつの話でもないだろう。君には関係のないことだろうか。誰にとっても関係のないことだろう。いつまで経っても上の空で何かを記している。それでもそこから遠ざかるつもりなのか。すでに十分に遠ざかっているではないか。それは欲得だけではなく、何もかもから遠ざかっている。作り話の中では確かにそうだ。実際はどうなのだろう。何をねらっているわけでもなく、どんな効果を期待しているわけでもない。それで何がわかるのか。それの何がおもしろいというわけではないらしい。だがあり得ない話というわけでもないだろう。半分は嘘で残りの半分も嘘に近いが、それがどうしたわけでもない。いくら言葉を弄しても何について語っているのかわからないままだ。そこまで根気が続かない。ただ画面を眺め続けている。何も思い浮かばないのは当たり前のことか。君は何かを語る必要から見放されている。すでに終わりの足音すら聞こえてこないほどそこから遠ざかってしまったようだ。何が迫ってくることもないだろう。しかし足音とは何だろう。それが何のたとえなのかわかりかねる。終わりを表す状況を思いつけないのだろうか。たぶん君でなくてもかまわないのだろう。誰であってもかまわないのであり、誰でもなくてもかまわない。それが終わりであってもなくてもかまわない。では始まりとは何なのか。何がそこから始まろうとしているのか。無駄に言葉を連ねているだけのような気がしてくるが、何ら肯定的な気分を醸し出せないのはどういうわけなのか。いったん終わってしまったものを始められるわけがないからか。再開できていないようだ。すべてが中断しているのかも知れず、それが終わりの本質を示しているのかも知れないが、たぶんそんなのも嘘の一部でしなく、蛇足以外の何ものでもない。


1月1日

 なぜか今年になってしまったようだが、そこから言葉が出てこない。それはいつものことであり、いつも何も述べていないような気がする。何も述べていないのに言葉を連ねようとしているのもいつものことだ。それが現状の無理を構成している。もう二千数百曲の曲をすべて聴いてしまったのだろうか。すでに聴いたような気がする曲ばかり聴いている。まだ容量に空きがあるようだ。現状に責任を感じているのかも知れないが、何をどうしようとしているとも思えない。今年がどんな年になろうと君の知ったことではなさそうだ。君はすでに過去の存在となっている。だからまたつまらなくなってしまうのか。理由がわからない。誰かがたわいないことを言っている。寒さには勝てないがエアコンの騒音を我慢できるか。誰が誰について述べているのでもない。失敗が続いているようだ。架空の思惑に振り回されているつもりになる。忘れてしまえばいいのかも知れない。それが仕事なのだから仕方がない。言葉の連なりはどこへも向かわない。そうではないのだろう。誰かの意志が反映している。そういう思いこみが間違いのもとなのか。君には馬鹿らしいことしか述べられない。そういう決めつけは良くない。確かにスランプなのだろう。何を求めているのでもない。それはわかっていることだ。寒さに負けてエアコンのスイッチを入れる。騒音と引き替えにして暖がもたらされ、何か生き返ったような気分になる。それは大げさか。君はどこまで歩めるのか。人が人を食らう時代ではない。ではどんな時代だというのか。どんな映画を見ていたのか。なぜそれを肯定するのか。それは楽しい時代だった。誰の記憶でもない。君はそのとき何を予言していたのか。過去の話ではない。君はどこで道を間違えたのだろう。どんな夢を見ているのか。眠っているからわかるわけがない。無駄な問いかけが続いている。それで間が持つわけがない。では何を否定しているのだろう。腕が上がらなくなる。非常に遺憾だそうだ。話の途中が省略されているようで、わけがわからない。何かのスイッチが切れたらしい。誰もが共有できる話題などを求めているわけではない。たぶん自分を含めて誰のことを述べたいのでもないのだろう。ただできないことをやろうとしているだけだ。話に無理があることは承知している。それでも自己言及に陥るつもりか。今さらふてくされているわけにはいかないらしいが、何を述べているのか。一夜明けても何ももたらされないようだ。何を期待していたわけでもない。述べていることが馬鹿げていることはわかっている。誤作動のたぐいかも知れないが、誰かが新年を祝っているらしい。テレビにそんな光景が映し出される。精神が貧困だとは思わないか。君がそう思っているのではない。人から人が生まれているのだろう。馬鹿げた話だとは思わないか。誰がそう思っているのでもない。そんな思いは誰の元にも届けられない。わざと意味がわからないと思う。馬鹿げているのは君ではない。では何を否定しているのだろう。たぶん何も否定できなくなる。言葉がそこから出てこられなくなり、文章が空白を示していることに気づかされる。たぶんそこには何もないのだろう。何かを終わらせられない。それがおかしいと思う。君は何も知らず、終末の到来に気づかない。そこからでられなくなっているのは誰のせいでもありはしない。自分も含めて誰のせいにもしたくないだけか。遅れているとはいえ、まだ翌日の段階だろう。何も焦るような状況にはないらしい。そう思いこんでいれば、このどうしようもない状況も肯定できるか。やはりその辺でわけがわからなくなるようだ。冷静になれない。自らが否定し続けてきた無内容を肯定するわけにはいかなくなる。過去が遠ざかり続け、今が今でなくなりかけているように思え、その場での怒りも憤りも、その場限りの感情でしかないように思えてくる。そんなことはどうでもいいことかも知れない。君はそれを残念に思っているのだろうか。状況に食らいつくような情熱を思い出せない。何が君をそうさせようとしているのか。原因がはっきりせず、ただひたすらにだるいふりを繰り返す。気まぐれにそんなことを述べているらしい。まったくわけがわからない。脱力感を覚えているのだろうか。それを今から何年後かに思い出しても意味不明か。それとは何だろう。それとは遠くに見える真っ白な山並みのことか。冬だから雪をかぶっているだけだ。何を驚いたふりをしているのか。それで何を演じていることになるのか。さらにわけがわからなくなり、どうでもいいようなことを延々と述べている誰かに気づく。要するに失敗している最中のようだ。別にそれでもかまわないとでも思っているのだろう。自信たっぷりというわけでもない。誰かの心を誰が読んでいるとも思えないが、そう思っている誰かは頭がおかしいふりをしている。それが気が狂っている証拠になるだろうか。ますますわけがわからない。何やら必死になってまともなことを述べるのを拒絶しているように思われる。


2007年

12月31日

 何を振り返っているのでもないらしい。では何に見とれているのだろう。何でもない風景だ。そんなことを述べて何になるのか。鬱状態になる。それは仮病の一種かも知れない。君はそこで眠ってしまいそうになる。何が見えているわけでもない。ただつまらないと思う。それで何を批判したいのか。ただの枠組みに過ぎない。だからどうだというわけではない。勝手に躓いている。あたりに石ころでも転がっていれば幸いだ。そこからどうやって話の内容に結びつける気か。自分の非を認めたいらしい。終わりの始まりに接しようとしているわけか。どこからそこへ入ってきたわけではない。やはり何もないのか。君に何がわかるというのか。結果はすでにわかっているはずだ。誰かが勝って誰かが負けたのだろう。他の誰かが君の方を向いている。何に気づいているわけでもない。たとえば何かが終わっていることに気づかない。笑ってしまう話の展開だ。何について述べているとも思えないが、それで逃げていることになるのか。気軽に逃げられたらいいと思う。無理を承知で逃げているつもりにはなれない。君は今日このときがくるのを待ちわびていた。まるでとってつけたような話だ。話の内容がまだ記されていないようだ。たぶん何も記すことはできないだろう。今日はそんな予感がする。そして明日になり、年を越して来年になってしまうわけだ。そうは問屋が卸さないというわけか。君はそこから何を思いつくというのか。誰かはその先の言葉の並びを知っている。無駄な問いかけが続いて今日が終わってしまうらしい。その顛末を三日後には覚えているだろうか。おそらく忘れている。何事もなかったかのように数日が過ぎ去っている。しかしそれの何が屈辱的なことなのか。まだそんな現実にしがみついていること自体が執念深い証でしかない。ではそれで何を述べていることになるのだろう。ただ地球が回っている。それは幼児が地球儀を回しているうちに思いついた真理に違いない。見ているうちに回っている独楽の回転が不安定になり、やがてちゃぶ台の上で動かなくなる。そこで誰が死んでしまったわけではない。独楽に魂が宿っているわけではない。苦い茶を飲み過ぎて頭がおかしくなる。そこにどんな疑念が湧いているというのか。試しに悩んだふりをしてみるが、何も思いつかない状況に変わりはない。とたんにいつもの支離滅裂がよみがえってくる。それが誰の言動から読み取れる真実なのか。それを知るきっかけは遙か過去にあり、遙か未来の出来事に呼応している。かなりわけがわからない。どこかでとぐろを巻いているのだろう。君は蛇のことを述べていたのか。そんな思いつきはゴミに近い。やめてほしいのだろうか。やめるやめないは誰かの自由だ。どこの誰に裁量があるわけでもなく、どの空気を読んでほしいわけでもない。地上なら空気の成分などほとんど変わらないだろう。いったいそれの何が気に入らないのだろうか。大がかりな見せ物に心を奪われ、作業の進展が滞っていたようだ。だからこんな時間になってしまったのだろう。君はそれでやる気をなくし、やがて眠ってしまうだろう。はたしてそれでかまわないのだろうか。誰に問いかけているのか。まだ見捨てられたわけではない。そう思いたいのならいつまでも思い続けていればいい。それだ誰かの足かせとなって、他に何もできなくしているのかも知れないが、それでも君はかまわないのか。君には関係のないことか。調子に乗っているつもりのようだが、それはほんの数分のことで、すぐに自己嫌悪の瞬間が訪れるだろう。いったい何を述べているのだろう。なぜそこでやめてしまわなければならないのか。まだ何かを述べている途中のはずだ。しかしそれはどういうことなのか。無意識のうちに自意識に逆らって、自分の気に入らない行為を執拗に繰り返しているのだろうか。それが後から自己嫌悪をもたらす原因となっているわけか。そうであったらおもしろいではないか。たとえ作り話であったとしても、多少なりとも真実を含んでいるような気にさせる。だからどうしたわけでもないが、ただ眠いだけのようだが、まだその先があるのだろうか。合ったとしたらどうだというのか。単なる冗談で済ますわけにはいかないと言うことか。しかしそこからわからなくなり、何を述べても誰の思考にも結びつかないようなことを述べていることに気づく。ただ回りくどく意味のないことを述べているだけだ。満足しがたいが、何を試されているとも思えないので、それはそれで受け流して終わりにしたくなり、実際にその場を立ち去っている。そういう雰囲気には精神的に耐えられないようだ。だからなんだというわけでもないが、何となくその辺で一休みしたくなり、休んでいるうちに眠っている誰かに気づいている。いったい誰が気づいているのだろう。作り話だから誰でもかまわないか。作り話であったとしても、それらしい因果関係を提示すべきかも知れないが、今はそんなことを考慮している精神的な余裕はない。だからそこで行き詰まってしまう。


12月30日

 見渡す限り何かがあるらしい。情報操作が行われているとは思えない。だがなぜかそれらの光景の中に何かが抜け落ちているようだ。今朝方誰かの策略にはまっている夢を見た。被害妄想のたぐいだ。誰にどのような仕打ちを受けたわけではない。だがなめてかかっているわけではない。何かくだらぬことを思っているようだが、それはどんな妄想なのだろう。何を思ってみてもまったく言葉にならない。ならば恐ろしい結末とはどんな結末だったのだろう。いつの記憶でもありはしない。何を脅迫されているわけでもない。今日という日付に何が足りないかはわかっているつもりだが、それについて何をどう述べたらいいのかわからない。それの何が真実なのだろう。とりあえず君は神ではない。やがて誰かが嵐を引っぱってくる。まったく懲りない性格のようだ。君はまだ何か述べられると思っている。考えていることとは違って、記している言葉は何の意味も示さず、ただぎくしゃくしている。何も話にならない。くどいと思うようになる。それがどうしたのか。調和を感じられないようだ。たぶん誰のための言葉でもないのだろう。強引にその日を迎えて拍子抜けして待っただけだ。この地にはありふれた樹木が生えている。いつまで経っても何がもたらされることもない。君はそこで何を望んでいたのか。目的がはっきりしないのはわかっている。まるで過去の風景のようだ。その日の記憶がまったくない。君はそこで何をやっていたのか。何と何を結びつけようとしてもうまくいかず、腑に落ちない結果が待ち受けている。それはいつもの支離滅裂に違いない。昨日のひらめきから遠ざかり、過去の言説を言葉でなぞることも叶わない。未だに仕事に追われているわけだ。それは昼のことだろう。優雅な生活を送りたいわけではなさそうだが、人として無為に一生を過ごすわけにはいかないのだろう。誰からも見向きもされていないと思っているわけでもない。誰が君をどうしようとしているのか。そういう話ではないらしい。君は君自身の心身を痛めつけているだけのように思われる。それで本望だとは到底思えない。もっと違ったやり方があったはずだが、成り行きまかせにならざるを得ず、結果的にわけのわからない不具合に悩まされる。いつもそうなのだからいつまで経ってもそれが改まらない。そして気がつけばこんな時間だ。結局そこで何を躊躇しているのでもなかったようで、ひたすら言葉を記してその程度ことを述べている現状にたどり着く。それで何を卑下しているつもりになれるだろう。見上げれば崖の上に枯れた松がある。赤く変色していて、今にも倒れそうだ。何を連想しているわけでもないが、誰かがひたすら見上げている。また何かを買う気になっているのかも知れない。誰かが買いたい商品は無数にある。それがわけのわからない展開だとは思わないか。君に何がわかるだろう。君に訊いているわけではない。それは誰でもない誰かであり、架空の誰かでさえない。ただそう記しているだけだ。それが無駄な回り道に入ったことを示しているわけか。そうならないための迂回路などいくらでもありそうだが、誰かはそんなこと述べなければ気が済まないようだが、それは作り話の中だけのことだ。実際の世界では何も起こりはしない。事件でさえない。回り道で何に躓いて転んだのか。誰かの死体ではあるまいか。取り越し苦労とはそういうことではないはずだ。君にはそれを感知できそうもない。力不足だとは思わないが、それを知るのに力など必要としていないのかも知れない。それを知ることは誰の仕事でもありはしない。知り得ないことを知ろうとするのが娯楽だとも思えない。心が砕け、意識が方々へ飛び散っていても、文章の中に何らかの断片を確認できそうだ。しかしそこに何が記されているというのか。原稿用紙などどこにもありはせず、筆記用具すら確認できない。昭和の時代などあるか昔に終わっている。今は時代の中にいるとは思えない。誰もがそこから立ち去ろうとするのを恐れている。いったい誰が立ち去っているのか。時代にしがみつこうとしているのはテレビ番組のたぐいか。今日も誰かの自己確認につきあわされているらしい。自分とは何か。世界とは何か。世界の中で自分はどのように位置づけられるのか。誰のことを述べているのでもないらしいが、はたして君にその先を知ることができるだろうか。たわいのない話ならいくらでもありそうだが、それで満足してもかまわないのだろうか。かまわないと思う。話とはそういうものだ。そう述べておけば程度がわかるというものだ。そこで何が述べられているとも思えず、話が脳裏を横切り、目の前を人が通り過ぎる。ただそれだけのことだ。そのついでに時も過ぎ去ってしまい、人は老いて、やがて死を迎えることとなる。そんな風にして何かが確実に移り変わっているのだろう。その道を辿れば、いつかそれが回り道ではなかったことに気づくかも知れない。そこでどんな幻想を抱く羽目になるのか。別に期待に胸をふくらませているわけでもない。


12月29日

 マンガの中で誰かが戦いに駆り立てられている。冗談で済むような話ではないらしい。アニメの中で野球少年が対戦相手と死闘を繰り広げている。手に汗握るゲーム展開が話の中に構成されているらしい。君にはまったくお呼びでないような物語だ。半周遅れで何かを感じ取ろうとしているのかも知れない。それで何がわかるというのか。そこに精神を集中させなければならず、次いでそれについて利いた風な意見を構成して見せなければらない。馬鹿げた話だ。滅び去るのは誰だろう。遊び半分で言葉を弄している者は、自らの内に破滅を呼び込んでいるのだろうか。そこにはどのような決まり事が設定されているのか。何をやったらだめで、何をすれば窮地を脱することができるのか。人には様々な立場があるらしい。立つ位置によって考え方も見解も違ってくる。本気にならなければ仕事が成り立たない場合がほとんどだ。そこで責任逃れは通用しない。まったく恐ろしい世の中だ。気がゆるんで一歩踏み外せば奈落の底か。君は階段を踏み外した経験でもあるのだろうか。何をそんなに怖がっているのか。できればすべてを冗談で済ませたい衝動に駆られる。自らの言動や行動に責任を持てなくなる。馬鹿げたことはその辺で終わりにしたくなる。今は何とか迂回路を探っている最中か。どうやったらその場から逃げられるだろうか。まだ精神的に余裕があると勘違いしている。わざとそう思いこんでいるのかも知れない。さかんにそんなことはどうでもいいことだと思うように、自らにし向けている。それで急場しのぎなると思いたいらしいが、世間はそんなに甘くないだろう。だから遊び半分で言葉を弄しているつもりなのか。どんなつもりで言葉を連ねているとも思えない。誰かには架空の目的があるらしい。それを達成させなくてもかまわないのだ。それでは目的とはいえないのではないか。だから架空の目的だと強弁したいらしいが、君にはわけがわからない。要するにそこから遠ざかりたいのだ。それがわけがわからない原因となっているのかも知れないが、そのようにしか表現できないのだから、わけがわからなくてもそう述べるより他はない。何となく馬鹿げていると思う。案外答えはすぐ近くに落ちているのに、それを無視してさかんに遠くを見つめ続け、ありもしないお宝を探し回っている。幻想とはそういうものだろうが、それに浸りすぎていると現実を見失う。それでもかまわないのだろう。誰もがかまわないと思っているのかも知れない。君もかまわないと思っている。夢を見るのは良いことだ。できうる限り死ぬまで見続けていればいいのだし、実際に多くの人がそうしている。何もそれが何かの皮肉に結びつかなくてもかまわないとも思っている。価値のどんでん返しはありふれているし、そんなものにいちいち目配せしていなくても、日常をやり過ごすことはできる。そんなことを述べているうちに何がその場の目的だったのか忘れてしまったらしい。いったい君は何を述べようとしていたのか。何を面倒くさがっていたのだろう。何が君には関係のない話だったのか。おそらくすべての人の間には何らかの関係があるのだろうが、それが命の類似性であったとしてもかまわないのではないか。そう述べて何を馬鹿にしているのでもない。たとえ国家や民族や宗教の犠牲者であったとしても、あるいは冗談半分で自殺してしまった人であっても、すべての人が同じ価値観を共有している必要はなさそうだ。互いに異なる価値観を認め合うことが、相互の利害関係が邪魔をして不可能であったとしても、そんなことは些細な感情の行き違いとして片付けることができなくても、何となくかまわないような気がしてくる。傍観者的な立場に立てば確かにそうだろう。たぶんそれらの全体を見渡す視点は必要とされていないのだろう。それぞれの場合において当事者たちが折り合いをつけるしかなさそうだ。現実の交渉とはそういうものなのだろう。それでも理念を掲げる努力は続けられる。何かスローガンを叫んでいないと気が済まぬ者たちも中にはいるらしいが、それが実を結ぶ日が近いことを祈ろう。君は久しぶりに時間を取り返すことができて一安心しているようだ。また気がゆるんですぐにでも遅れ始めるのだろう。そんなことの繰り返しでここまでやってきた。まったくご苦労なことだが、それで何を主張していることになるのだろうか。少なくとも論語のような内容からはほど遠いのだろう。わかっていないことをわかるまでにどれほどの月日を要したというのか。今では何がわかっていなかったのか覚えていない。何もわかっていなかったのかも知れず、今に至ってなお何もわかっていないのかも知れない。そんなことはどうでもいいことだろう。何かしら述べていればそれで気が済んでしまうのではないか。誰かはそんな虚しいことを述べないでほしいようだが、その誰かにしてもわけがわからないことを利用しながらここまで言葉を連ねてきたはずだ。それで何のいいわけにもなっていない。君にとってもそれは意味不明な言葉の連なりに違いない。


12月28日

 欺瞞の向こう側に意識が回り込もうとしているらしい。たぶん誰を騙す気もないのだろう。自らに諭されている。もうその辺でやめたらどうか。それについて今さら何を述べる必要もないだろう。なぜひたすら努力し続けなければならないのか。自己満足以外の何ものでもありはしない。傲慢になりすぎている。それが努力した結果なら、それはそれとして受け止めておこう。何ももたらされなければそれでもかまわない。雨は一向に止みそうにない。そんなことにこだわって何になるのだろう。急場をしのげば、また同じような急場に直面するだけだ。執拗にそれが繰り返される。余裕など何もありはしない。何も義理人情でがんじがらめに縛られているわけでもないだろう。しかし自由とは何なのか。なぜ無責任になれないのだ。それが人間関係というやつだからか。君には何が何だかわかっているはずだ。それの何に感動しているわけでもない。メディアが繰り出すごまかしの言説に追従しているわけではない。絶えずそうではないと思っている。しかしそれらの何がごまかしなのだろうか。なぜそうではないと思いたいのか。その辺で妥協して、それらのすべてとはいかないまでも、ごく一部の良心的な部分は肯定してしまってもかまわないのではないか。いったい何が気に入らないのか。それがわからないから苦労している。そして何をわかろうとしているのかわからなくなる。何を評価して、何を否定しようとしているのだろう。考えれば考えるほどわからなくなる。たぶんそんなことはどうでもいいのかも知れない。またそこで逃げてしまうようだ。考えあぐねた末の敵前逃亡か。そんな大げさことでもあるまい。まだ努力が足りないらしい。今さら何も思いつかない原因を誰のせいにしても始まらない。そこから何か適当な言葉を導き出せばそれで済んでしまいそうだ。その程度のことでしかないが、それ以上を求めているわけではない。現時点ではそれ以外に何も導き出せない。昼の空は曇っているようだ。翌日のことだろう。何をやっていても眠ってしまいそうになる。昨晩の雨は何だったのだろう。日付的にはまだ前日のはずだ。必要以上に言葉を連ねるべきではない。それは誰に向けられた言葉なのか。警告であるはずがない。では戒めのたぐいになるのか。君は何もわかっていないらしい。わからなくてもかまわないとさえ思っている。だから何も述べられなくなってしまう。そんな理由でかまわないのだろうか。翌朝のテレビに死人が映っていた。死んでなお何かを主張しているらしい。いったい何を力説しているのか。戦争という事件に巻き込まれて衝撃を受けたのだそうだ。そこでシステムの破綻に直面したらしい。だからどうだというのか。人が簡単に死ぬのはおかしいか。人を簡単に殺さないための仕組みを作ろうとしていたらしい。では表現の自由とは何だろう。国家による自由の制限に反対していた。だから何だというのか。君には何が何だかわからない。なぜか現実感が希薄だ。君は何か勘違いしているのだろう。たぶん作家にはわかっていないことが多すぎるのだろう。世界中を旅して回ってもわからないことがある。当事者意識が欠落している。それは殺す側の論理でも殺される側の論理でもない。ただの感情でさえある。分析すれば地理的であったり風土的であったりするのかも知れないが、それで何がわかるというのか。人々はよく考えない。戦争するのに考えることが必要とされていないのかも知れない。ただ戦いたいだけかも知れない。社会の部品でさえあれば一応は一般市民として生きていけることによって、どうでもいいような自由から遠ざかれるのだろう。本気になってはいけないのだ。本気な人々に何を訴えかけても馬耳東風だ。議論を戦わせるだけ無駄な労力を使うことになる。たぶん国家が自由を制限してきても、何の抵抗も起こらないだろう。それが思い違いなのだろうか。どうやってそれを打ち破るつもりなのか。たぶん打ち破る必要などないのだろう。そう思っていればその場をやり過ごすことができる。世界中で一番本気になっているのは、たぶん自爆するイスラム原理主義者だ。国家や民族や宗教という幻想を本気で信じている。ただの構造に過ぎないものに魂が宿っていると思いこんでいる。そうでなければ命がけの行動には結びつかない。何かを愛するという表現に傾倒している人々は命がけになりやすい。本気な人々は国家を愛し民族を愛し、時には隣人を愛したりする。たわいない赤の他人を愛することに命がけになった者が十字架にかけられ、そこからキリスト教が誕生したわけだ。それを単なるフィクションとして片付けるわけにはいかないらしい。スポーツに熱中する人々を見てもわかるように、たぶん本気になることは気持ち良いことなのだ。一歩下がって斜に構えた者など中途半端であり、軽蔑すべき存在なのかも知れない。そういうふざけたやつを見ていると、本気な者は苛立ちを隠せなくなる。思わず怒号を発したくなるのも無理はない。だが世の争いごとは決まって本気な者たちの間で勃発するものだ。


12月27日

 何を動揺しているわけでもないが、別にそんな感じでかまわないのではないか。誰かが途中から何か適当なことを述べているようだ。どうやら雨が君に味方しているらしい。気がゆるんでおり、そこから抜け出すのが面倒くさくなる。では何をやる気になっているのか。ただ眠たくなっているだけなのか。それほどのこだわりはないだろう。ならばもう少し具体的な事柄について述べてみないか。この世界で何が問題となっているのだろう。人々はこの世界で生き残ろうとしているらしい。それの何が問題なのか。それは動物の本能というやつだ。そういう次元の話ではない。たとえば地球が温暖化すると人類は死滅するのだろうか。誰かはそうなってほしいと思っている。それも違う次元の話だろうか。そういうことについて語りたいわけではないらしい。もっと身近なところで何か問題があるのではないか。それについて語る気が起こらないのはどういうことなのか。そんなことはどうでもいいと思っているわけか。どうでもよければ語る気がしないのか。君はそこで何を取り戻そうとしているのだろう。雨が一時的に小やみになってくる。他に何か気づいたことはないか。君はいつまでも馬鹿げたことを語っているらしい。誰がそんなことを語っているとも思えず、君は何かを語ればいいのかわからず、途方に暮れていると思いこんでいる。無意識はそうは思っていないだろう。何を思いこんでいるのでもないらしく、実際にどうでもいいような言葉が連なり、君を一安心させているらしいが、それは愚かなことかも知れない。それで何になるというのか。それがおもしろいと強弁する気にはなれない。無駄に時間と労力を使って何を述べているのだ。無理をすればするだけ後からつけが回ってくる。それも最初から織り込み済みだと思っている。それも愚かさの上塗りになりそうだ。たぶんその辺で苦労しなければならないのだろう。だからとりあえず今は何もわからないことにしておこう。少なくともそれは物語などではない。誰について語っているのでもない。それは大したことではなく、たとえ人類が死滅しようと何が問題なのではないのだろう。それどころか問題について考える意識がなくなってしまうのだから、何の問題もなくなってしまうわけだ。誰がそんなことに気づくはずもないか。君はその手の奇形を受け入れようと思っている。奇形的な思考はおかしい。おかしいからおもしろいと思っている。馬鹿げているのかも知れない。だから何も問題ではないらしい。人間には何かを作り出す能力があるらしいが、作り出す過程を省略しようとする試みが新たな発明をもたらすのだろう。太陽の東側には何があるのだろう。わけがわからないが、そんな曲を聴いているつもりになる。技巧に走るわけにはいかないようだ。いつまでもわけがわからないままでいたいらしい。今はそれを受け入れているようだ。印象とはそういうものだ。何を受け取っているとも思えず、ただひたすら言葉を並べているだけらしい。それがその場でのやり方となっているのだろう。確かにわけのわからない現状に意識が絡め取られている。それをどうしたらいいのかわからず、何とか理解可能な文章にしようとしているらしいのだが、結果としてそんな内容になっている。やはりそれも現状なのだろうか。それは問題のすり替えか。単に技巧上の稚拙さで片付けられるかも知れない。問題は別のところにあるのかも知れないが、今はあえて勘違いなことを述べておこう。時が過ぎて機会がくればわかることもあるだろう。偶然にわかろうとしているわけか。それこそ怠惰な考えからもたらされた結論だ。君にはそれを拒否するだけの気力が残っていないのかも知れない。もう無理が利かない心身になっているのだろう。それがそこでのいいわけとなってしまう。遠ざかる灯火はさらに遠ざかり、君の意識も現世から遠ざかり、架空の世界に安住しようとしている。それが馬鹿げた妄想だと思うなら、何か具体的なことを述べてみたらいい。無理なことは一目瞭然だ。君もその他大勢の中の一人に留まるしかないだろうが、そんなことにこだわっているとは思えない。何かの背景の中で誰かが自己主張を繰り広げている。その背景から抜け出してこちら側にやってくることができないのだ。テレビ画面の向こう側でうごめいている幻影たちと何ら変わらぬことを考えている。それが馬鹿げたことの源泉となり、今に至っているのだろう。それでは何を述べていることにもなりはしない。それらの影響から脱して、何となくわかったようなわからないようなことを述べてみたい気になるが、たぶんそれも間違った述べ方になるだろう。意識がそこまで到達できず、いい加減な言い回しに終始している。しかし何を躊躇しているのか。そのままわけのわからないことを述べ続ければ日付的にも時間的にも追いつけるのではないか。それをやらない理由を知りたいところだが、今はしばしの猶予をもらいたいようだ。ためらっているうちに時間が過ぎ去り、後から悔やんでも悔やみきれない結果に直面してしまうだろう。


12月26日

 別に雪が舞っているわけではない。寒さに凍えている。唐突に何が思い浮かぶだろうか。理由がないのかも知れないが、人は旅をしなければならない。地上のどこかで巡礼者が歩いている。海の上を歩けるはずがないだろう。何かがくだらぬ想像を誘発しているらしい。それで気が済むとは思えない。感覚がだいぶずれているようだ。自然とそんな言葉が連なってしまう。振り向くと崖の上に人影が見え隠れしている。どこから何に興味が湧くとも思えず、そんな嘘をやり過ごして正気に戻ろうとする。眼球の中が濁っているのかも知れず、何かが漂っているように見える。無意識のうちに虚無的な雰囲気を感じているらしい。外へ出れば日差しがまぶしい。足下の髑髏は何を語りたいのか。本当であるならば冗談で済むような話ではないが、誰かが空想しているのはそんなことではない。先ほどのうめき声は誰が発したのでもなく、幻聴の一種だろう。とりあえずカフェイン抜きで落ち着かなければならない。内なる君と話しているうちに我を失う。ところで私はどこへ行ったのだろう。気を許すと心の底からどす黒い感情がわき上がってくる。私にはあり得ない現象だ。誰かはあり得ない話をいつまでもするつもりのようだ。そうやって何かを乗り越えようとしいる。まだ修復可能だと思っているようだが、取り返しのつかない現実をどうやって修復するつもりなのか。誰かはまだこの世界が良くなることを信じている。いたたまれなくなった君は、さらにそこから遠ざかろうとしているようだが、そことはどこなのか。終末だとは思えないが、気晴らしに何か楽しそうなことを思ってみよう。この世界に果てなどない。そんな決めつけに魅力を感じない。待っていればきっと誰かがそこへ導いてくれるだろう。すべての人々が終末へ導かれようとしている。試しにあの山の向こう側に行ってみたい。そこに終末があるわけではないだろう。わけのわからないことを述べるのが嫌になったのか。今でさえわけがわからない。だが方針転換には早すぎるような気がする。どのような方針が立てられているわけでもない。ただわけがわからない。もはやそれは文章ではないと思うなら、もうやめにしないか。何をやめようとしているのか説明が必要だ。つまらぬごまかしはもう通用しない。気に入らないのなら、何をどう述べれば気が済むのだろう。やはり結局そこから離れていってしまうらしい。何かがずれていることは確かなようだが、わざとそうしているのだから救いようがない。君たちは迫り来る虚無から何を守っているのか。体面を保とうとしている。それでかまわないのではないか。そこに社会が構成されていて、人々は装置の一部となりはてている。それも肯定すべき状況だ。どうも言い訳できない状況に追い込まれつつあるらしい。どう考えても遅れてしまう状況を止めることはできない。その原因を探ってどうしようというのだろう。たぶん遅れてしまうのにもそれなりの理由がありそうだが、それを述べてどうするのか。どうするわけでもない。そんなことに感動するのは虚しい。つまらない状況に追い込まれるのはおかしなことだ。君はその感動を誰に伝えたいのでもない。いったいそれで何に逆らっているつもりなのか。またいつもの問いかけに遭遇するだけか。それはその場しのぎの無駄な問いかけだ。だが何を卑下するわけにもいかないだろう。その事実を伝えなければならない理由を見いだせない。何を探っているのでもない。そこ蔓延している空気は、何も探らせないような雰囲気を伴っている。きっと気のせいだろう。君にはまだやらなければならないことがある。心が揺れ動いている。それは何の徴候だとも思えないが、正気に戻るのはまだ早いのかも知れない。やはり冗談では済まないのか。ただ面倒くさいだけか。その辺はやるだけのことはやってから判断しなければ後悔することになるだろう。面倒くさいならさっさとやるべきだ。まだ希望がある。本気になれないなら、なれないままに冗談でも述べていたらいい。幸いなことに時間ならまだありそうで、その時間を利用してごまかしの文章を構成してみればいい。人類の終末など君には関係のないことだ。少し思いこみが強すぎるのではないか。三日後の天気を今から気にする余裕はない。雨に打たれて肺炎にでもなってしまったらいいだろう。雨に打たれているのは屋根であり、屋根の下で凍えているはずもない。つまらない冗談ならいつでも歓迎だ。もうできないことはわかっているはずだ。昨日のことは何も覚えていない。投げやりな気分になるのも無理はない。ただできないことをやろうとしている。やってしまったらそれは嘘になるだろうか。つまらない冗談ならよそでやってほしいか。そんなやり方が君には似合っているようだが、やはり何を述べているのでもないことを自覚せざるを得ず、そんな自らに嫌気がさしていることは確かなようだが、はたしてそこから何を述べることができるだろうか。やってみればそれがわかるだろう。試しにあることないこと適当に述べてみればいい。


12月25日

 なぜか理由はないが夜になっている。いつものことだ。何やら頭の中がうるさいらしい。気が狂っているのかも知れない。気がつけば架空の誰かが大声で叫んでいる。早く起きろと叫んでいるわけか。あり得ない話だ。壁に掛かったカレンダーが傾いているようだが、今は何日なのだろうか。だいたいのことはわかっていそうだ。いつものように君には関係のないことか。何を語るかはわかっている。いつまで経っても君には関係のないことだ。何も語れなくなっているようだ。そして一夜が明けて明日になってしまう。要するに何を述べても昨日のことだ。どうもその辺でまごついている。何となくそんな嘘をつきながらも、そうではないと思う。ただ真相がわからないだけだ。それは事件ではない。では何なのか。当てずっぽうで何か述べているのかも知れない。それを誰が聞いているのだろう。何かが抜けているのかも知れない。曲の中で誰かが叫んでいる。叫んでいるのではなく、歌っているのではないか。そこで何を考えているのか。ギミックとは何だろう。何を忘れているのか。確固たる信念がありそうだ。いつも馬鹿げたことを述べている。いついかなる時に嫌気がさすのだろう。君には何もわからないだろう。わかろうとしていない。それでかまわないのかも知れない。何か気になることでもあるのか。何を無視しているのだろう。誰かが誰かの叫び声を無視しているのかも知れない。それは自分の声か。声ではなく雑音のたぐいだ。すでに架空の冒険は終わっている。それを語っているのは君の声ではない。誰の声であってもかまわない。誰がかまわないのかわかっているはずだ。叫びすぎて声が嗄れているようだ。そんな言葉から何を想像できるのか。言葉以外に何がもたらされているのだろう。まだ君はうまくやっている方だ。哀しい歌声がスピーカーから響いてくる。バスケットボールの試合結果が知りたいところか。話の中身など何もありはしない。たぶん今はそれでかまわないのだろう。気に入らないならテレビでも見ていたまえ。言葉遣いが冗談じみてくる。君が見ている画面が曇ってくる。あり得ないことだろうか。自動車の中から何を見ているのか。そこから何を導き出す必要があるのだろうか。話の中身を必死で探している誰かがいる。それも架空の話だろう。君には何が何だかわかっているはずだ。だいぶ投げやりに何かが推移している。そこで思考停止になる。ロボットのような頭脳に違いない。融通がまったく利かない。環境の変化には臨機応変な対応が不可欠だ。それで何に対応しているつもりなのか。なぜそこから離脱する必要があるのか。テレビを見たいからか。それは愚かな行為に違いないが、それを許してしまう意識には気の弛みがあるらしい。馬鹿げている。何でもないことを延々と述べている。そうやって心の中の膿を摘出しているのかも知れない。あり得ない動作だろう。いったい誰に気晴らしが必要なのか。どうかそこで考え込まないでほしい。それでも何となくそれを続けているはずであり、それは偽りの勤勉さの証などではない。まだそこから遠ざかれる機会をうかがっているらしいが、いつまでも待てば気が済むのだろうか。虚無の中で誰が何を語っているとも思えず、誰がそこで待たされているとも思えない。また誰が何を期待していると思っているのか。空疎なことを述べ続けているらしい。そうしているうちにも夜が深まってくる。語るのが遅すぎる。気持ちの焦りがそれを認める。いつもの嘘に違いない。どうも真実が時折こぼれてくるのを、さかんに嘘だと否定しているらしい。心の中で無駄な抵抗を繰り広げている。やはり馬鹿げているようだ。何を述べているのか把握できなくなっている。なぜそうなってしまうのだろう。わざとそうやっているのではないか。無意識のうちに自ら仕掛けた罠にはまっているようだ。冗談なのか。冗談ならかまわないのだろうか。結果はわかっている。平静になれない。何を騒いでいるのだろう。誰が騒いでいるのでもなく、君は何も思い出せない。それは過去の話ではない。今現在何もできずにいるらしい。そこで目覚めると翌日の朝だった。目覚まし時計で起こされてしまったようだ。疲れている。そしてすべてがどうでもいいことのように思う。人は何のために生きているのだろうか。それがどういういいわけにつながるのか。思うようにいっていないことは確かだが、それがどうしたというのだろう。無駄なことをいくら述べても無駄でなくなるわけがない。どんなに記憶を集めてもそれが何になるというのか。何がこの世界を構成しているというのだろう。言葉ではないことは確かだが、それで何を語れるというのか。君が語っているのは偽りの世界についてだ。何もわかりきったことを述べないでほしい。やはり誰かの声が嗄れているようだ。まったくいつもの声ではない。何かの限界を感じているらしい。馬鹿げた言説を繰り返しているだけのようだ。それで何を述べていることになるのだろう。何も述べていなくてもかまわないように思われるのはなぜだろう。


12月24日

 君のことを心配しているわけではない。そこからどうするのか。どうしたら何を述べることができるのか。くだらぬ疑問を呈している。答えなど見つかるわけがない。翌日の空は曇っている。無駄な言葉だ。人には目的があるらしく、それを目指して行動している。それらの光景の中で誰かがそんなことを思っているらしい。たぶん人それぞれに何かを思っているのだろう。何かについて考えているらしい。我慢ができないのはそういうことだ。それでは意味がわからないだろう。文章になっていない。誰が君のことを心配しているのでもないようだ。知らないことばかりだ。それは自分自身に関してらしい。社会的に何が問題となっているわけではない。君は世間の風潮に逆らっているようだ。ただの仕事だと割り切っているのだろう。夢を見ているわけではない。成り行きまかせという傾向のようだが、すべてがそうではない。また誰かが叫んでいる。そういう音楽なのだろう。何を心配しているわけではない。要するに強がっているわけだ。そして他人の馬鹿げた動作に嫌気がさしている。たぶん何ももたらせない。どこにも行くあてはない。では誰のことを心配しているのか。他人を心配するだけの心理的余裕がもたらされているとは思えない。何かの途中でふとそう思う。何かに達している。どこかへ到達しつつあるらしい。前もって行き先が定められているのだろう。そんな交通機関を利用しながら、あてのない思案を巡らしている。そこで何かと何かを対比しているつもりになる。馬鹿げた思いこみに違いない。勝手に先のことを考えてどうするのか。本当に先細りのような気配だ。そう思っているうちはまだ可能性があるのかも知れないが、それがどうなる可能性なのか皆目見当がつかない。そんなことはどうでもいいことだ。君はそこから何を感じ取っているのだろう。ただの字数稼ぎなのか。わからないが考えがまとまらないことは確かなようで、あれこれ思うところはあるようで、気がつけばそれについて考えているらしいが、それが文章の内容に結びつかない。何となくそんな言葉の連なりが生じてくる。まったくどうしようもなくそうなってしまうらしい。だからその辺が限界なのだろう。何かその場の雰囲気に飲まれているのかも知れない。何に圧倒されているわけでもないだろう。君の眼にはこの世はどう映っているのか。ただ虚ろに見えている。人々が何を求めているとも思えない。それぞれにやっていることはあるのだろうが、それがどうしたとも思えない。いったい何を探さなければならないのだろうか。なぜ探し物のすべてがくだらないように思えてくるのか。そこにたどり着くわけにはいかないようだ。君はそこで何をやったらいいのだろう。何をやっても何一つできていない。現状とはそういうものだろうか。何かから背を向けている。内面と外面との間に接点を見いだせない。それは心ではない。誰の心でもないらしい。ただ言葉が並んでいて、それについてどう思ってみても、何に結びつくこともない。そうやって虚ろな現実を保とうとしている。だが何を述べているとも思えない。君は何が見えているのか。それ以外の何を見ているつもりになれるだろう。たぶん確固たる事物に遭遇したいだけなのだ。本当は目的に向かったまっしぐらに突き進みたいわけだ。しかしそれが冗談に思えてくる。それは何のための努力になるのだろう。他人の笑いを取るために必死で何かを演じている人々はおかしい。おかしいから笑えるわけでもないのだが、どうもその手の悲惨さを受け取るわけにはいかないようだ。誰かはそうやって笑いを拒否しているらしい。笑って済むような問題ではないのかも知れないが、ではそこから何をどう考えたらいいのか。考える以前に眠たくなってくる。君は感動の源泉を無視しているのかも知れない。お前は何を見ているのか。その目が節穴のように思えてくるのはいかなる時なのか。またいつものごまかしに沈んでしまうらしく、君は現実を文章の中にもたらせない。要するにいつまでも同じ失敗を繰り返しているのだ。それで気が済むはずもない。世界を言葉で装飾するわけにはいかないのだろう。建築材料や器で飾り立てるのもおかしいが、アールヌーボーとはそういうものだろうか。しかし写実主義で何が悪いのか。誰の台詞でもありはしないようだ。誰かは頭上に高圧電線がぶら下がっている光景を懐かしく思う。それとこれとはまったく関係ないだろう。詰まるところ何かと何かを文章の中で関連づける必要はないということだ。まったくでたらめを主張している。それでもかまわないと思うはどういうことなのか。必要から見放されて、嘘であることを見透かされているようだ。それが気に入らないが、ヒステリックに何かをわめき立てているわけではない。どうでもいいことを述べているだけか。何を嫌っているわけでもない。ふと見上げても空は何も答えてくれない。君を無視しているわけでもないのだろう。相手にされていないだけというわけでもなく、ただそこにある。言葉によって飾り立てられることを拒絶している。それは誰かの思いこみだろう。


12月23日

 誰でもないのは君ではない。誰かはつまらない意地を張り通して、物事の本質を見失う。なぜかそこまで声がとどかない。叫ぶ意図がわからない。昔叫ぶ詩人の会というのがあったらしい。テレビの中で何か叫んでいた。あれが詩のようだ。金髪の男が人生相談のたぐいをやっていたのかも知れない。君はその手のパフォーマンスを嫌っていた。今はどこへ向かっているのでもない。きっとどこかへ向かっているのだろう。たぶんそれは声ではない。発声練習をしているとは思えない。沈黙の中でに言葉が連なっていく。もうそこには誰もいない。状況は昔と大して変わらない。何もありはしない。だが何を嘆いているのでもない。それはいつものことでしかなく、それ以外の状況を見いだせずにいる。誰もそこにはいないようだ。夜の闇が広がっている。君にはそれがわからない。なぜそうなってしまうのかわかる必要がないのかも知れない。だから誰とわかり得ないのではなさそうだ。わかり得ぬ理由になっていないような気もする。ならばそこで行き詰まりだろう。いつものように何ももたらせない。とんでもない状況になることを期待しているわけではない。過去をさかのぼろうとしている。人間どもの思い通りにはさせない。二度と彼の地を踏ませない。妄想とはそういうものだ。何かうわごとのような文章を記している。激烈な戦いの中に文章を終わらせるきっかけが潜んでいる。嘘とはそういうものだ。嘘でなければ語りようがない。討論にさえならない。馬鹿げたことを述べているようだ。さらにわけがわからなくなるのは昨日の続きらしい。昨日が昨日で今日も明日も昨日だと思われる。そういう感じ方が意味不明だ。まだ明日にはほど遠いようだが、実際には数時間後のことだろう。時間が謎をもたらしている。何が謎なのかを突き止めなければならない。それはありふれた謎だろう。思いこみが激しすぎるようだ。実際には何を思っているのでもないが、何となくそんな思いこみに呆れている。まったく意味を見いだせない。そこまで来たのなら、さらに突き詰めて得体の知れない内容を語るべきだ。だからそれは内容ではない。やっつけ仕事にさえならない。そこで誰が行き詰まっているとも思えないが、誰かが語っているつもりの内容には苛立ちを隠せない。未だにそんなところに居座っている。一向に動こうとしないから、しびれを切らして問いかけてみる。いったい君は何のために生きているのか。それがわかるような状況にはなりがたい。いつまでもあくびを繰り返し、眠気を催しながら、今では本当に居眠りの最中のようだ。まったくやっていられない。他に何が見いだされているとも思えない。推敲の痕跡すら風化している。寝て起きたら少しは言葉が進むかも知れない。まだそんな時間帯のようだ。誰が何を述べているのでもないが、時間の経過が言葉数増やしつつあるらしく、そんな有様を眺めながら、誰かはいたたまれなくなり、世界の表面から祖のみを引きはがす方法を模索している。一刻も早くそこから遠ざかりたいわけだ。やっていられないようだ。だがそんな対応は馬鹿げている。ひたすら黙って何でもない現状の中に留まり続けるのが、そこでのまっとうな動作か。何かの作法を無視しているようだ。昔知の技法というやつがあったらしい。知ることは誰かを不幸にする。知っているのと知らないままでいるのとは雲泥の差があるらしいが、それを知りようがない状況に放り込まれている誰かにしてみれば、まるで寝言のようなことか。述べていることの意味がわからない。足の裏が痛いようだが、歩き疲れたわけではない。わざとまとまらないようにしている。言葉はひたすら分散させるべきで、何を述べているのかわからないほど、より真実に近づいているわけか。何を馬鹿なことを述べているのだろう。無害なことでさえない。別にこの世界に害毒をまき散らしているとも思えない。もういい加減にくだらぬ話はやめにしたい気持ちもわからないではないが、なぜそれがそこでの正解だと思いこもうとしているのか。君には正解を導き出すあてなどありはしない。それが何を示しているとも思えないだけで、それとは違う内容にしようとすると、そこから行き詰まってしまうらしい。たぶん何を問いかけようと、それは何でもないことなのだろう。実質的な問いかけではなく、その場しのぎのどうでもいいことのようだ。返答をまったく期待していない。答えを返すのも馬鹿らしい問いかけなのかも知れず、そこから何を述べようと、君には何もとどいていないようだ。馬鹿げたパフォーマンスにさえならない。要するにまがい物なのかも知れないが、何に対して何がまがい物なのか言葉で示すことができない。馬鹿げているの一言で片付けてしまえばそれでおしまいなのだ。そしておしまいなのに言葉の連なりを終わらせることができない。べつに意味不明を極めようとしているのでもないらしいが、何について言及したいのかはっきりせず、それで困っている風もなく、ただ延々と言葉を連ねて悦に入っているのだろうか。


12月22日

 どうも何に対しても興味を抱けない。だから何について述べているのでもないようだ。何もかもが消極的な精神状態を呼び込んでいる。何がもたらされているとも思えない。結果が何もないが、言葉を記していると思っている。何かがずれている。誰かは頭痛がひどくなる。そういう逃げ道は感心しないが、それで正解なのだ。語るのが億劫になっている。わざと脈絡を感じさせないように語っているのかも知れないが、それでは意味がないだろう。空の色がおかしい。見上げているのは誰の視線でもない。合唱を聴いているのは君ではない。他に何があるわけでもなく、何の関連もない言葉が連なっているだけだ。君がそれを記しているとは思えない。誰が思っているわけでもない。それは何でもない。それではないようだ。何か適当な罠が仕掛けられているようだ。気のせいではあるまい。ただわけがわからない。君はそれをどうしようというのでもない。謎が奇妙に響き渡っている。また嘘でもついているのだろう。幻想ばかりに覆われているようだ。心の中で何かが引っかかっているようだが、それが虚無の餌食とはなりがたい。咀嚼できずに吐き出され、生ゴミにでもなるらしい。確かに言葉の並びが奇妙な響きを伴っているようだ。それはあり得ない化学反応のようなものか。自己言及の水準に留まらない何かを感じる。君が招いた欠陥のようだ。まさにあり得ない。誰かの不在が君を浮かび上がらせる。存在していない君が何かを語らせる。すでに死んでいるのかも知れない。感性が閉じている。それはおしまいの合図だ。これから終わりの始まりが始まろうとしている。つまらない冗談のようだ。気が変わったのかも知れない。ただ時間が経っただけだ。何も進展がない。少し焦っているのだろう。限界を感じざるを得ない。馬鹿げている。我慢比べをしているような感じだが、比べている対象がわからない。やはり外れている。何かがどこか外れているような気がしてならない。それで進歩しているとは思いたくない。面倒くさいのかも知れない。言葉が怠惰な方向へ移りつつある。まだそこまでしか述べていない段階でそれはないだろう。その先を見据えているわけではない。今が重すぎるようだ。身動きがとれないほど疲れている。行動が容易にはできない。動き出そうとする気になれない。ただわけがわからないのは毎度のことだ。いつまでもその場に留まろうとしているのもいつもの通りだ。それで何か適当なことを述べているつもりになれる。文章から愚かさが滲み出てくるように感じられ、一刻も早くそこから立ち去ろうとするが、誰が立ち去ろうとしているのかわからず、誰でもない誰かは途方に暮れているつもりだ。そんなことを記している。君ではないのだろう。言葉を循環させているのは誰でもない。成り行きがそうなってしまうのだから仕方のないことだ。それで済ましてしまうらしい。今はそれでもかまわないのだろう。いつまでもそれでは困るが、困ったところで何がどうなるわけでもない。誰かはそんな風に現状を思っている。誰がそれを認識しているのでもない。吹っ切れたつもりになりたいが、風が止んでいる。ごつごつした岩山が背景に見えている。そんな画像を眺めながら気晴らしにもならないことに、何を思うでもなく、何か間違っているように思われ、急いでその箇所を読み返そうとするが、君が読み返しているのではない。それで何かを否定しているつもりになる。語り方がおかしい。それをやめてしまうのは君ではない。それが君を押し上げている。そしてどこへ押し上げているのでもなく、それとは何でもない。くだらぬ矛盾を醸し出しているようだ。何となくわざとらしく思われ、急に熱が冷めてくる。何に対して熱くなっていたのか思い出せないが、そんなものははじめからなかったのかも知れない。その場しのぎの言葉が連なっているだけのようだ。しらけているのだろう。限界を突破するどころか、昔の意味不明へ逆戻りだ。成り行き的にはそういうことのようだ。そこで何を楽しんでいるとも思えず、次第に腕が上がらなくなり、作業をやめてしまう。左手首に違和感を覚えている。少しひねってしまったらしい。しかし君に何を押しつけているのでもなく、世界が君から遠ざかりつつあるのでもない。またあり得ない文のつながり具合に呆れている。何もそこまでやることはないだろう。ため息まじりに後ろを振り返ると君の影に出くわす。まだついてきたのか。何もないのに何を求めているとも思えず、そこで何を感じ取っているとも思えない。何が何だかさっぱりわからないようだが、それでいいわけだ。そんな風にして君は何もない話の中に記されようとしている。そこで何をやっているわけでもなく、ただ言葉として君が記されている。要するに物語ではないのだろう。奇形的な文章かも知れないが、誰を驚かしているわけでもないらしく、静かな雰囲気の中でどうでもいいような言葉が延々と連なっている。そこはもともと空白だったはずで、それをわけのわからない言葉の組み合わせによって汚しているらしいが、君はそれで満足しているようだ。きっと嘘なのだろう。


12月21日

 朝起きたらまた昨日だ。確か昨日も昨日だったはずだ。昨日のはずが一昨日になっている。誰かは何もわかっていない。また行き詰まっている。言葉が出てこない。君のことは記憶にない。誰がそこで叫んでいたのでもない。突然風が舞い、次いで雨が降る。今は雨音を聞いている。君はそこで何かを見いだしたらしい。それは昨日のことだ。雨はやがて雪に変わるだろう。知っているのはそんなことではない。何を求めているのではないと述べたら嘘になるだろう。絶えずそれ以上の言葉を求めている。まだ終わるわけにはいかない。誰かが雨を降らせている。そんな気分でいたいらしい。それ以外のどんな気分でいたいわけでもない。気分次第でやめてもかまわない。言葉は物事の本質を捉えている。誰の言葉でもない。君は何も持っていない。楽しい気分になれないようだ。気分が優れない。そういう言葉の使い方はない。誰から影響を受けているとも思えない。そこから何が出てくるはずがない。ただの空洞だ。何を説明しようとしても何も出てこない。雨はもう止んでしまったらしい。君は置き去りにされているようだが、誰に何を頼んだわけでもない。そこから逃げているのかも知れない。何もないことが口実とされている。何もないから逃げてもかまわないと思いたい。あり得ない成り行きだ。何を生じさせようとしているのでもないらしい。それが気に入らない。君にとってはどうでもいいことだ。雨は止んだが空はまだ曇っている。思っているのはそれとは違ったことらしいが、それを記そうとしない。やめてしまったらおもしろい。やめてみたらどうだ。何か適当なことを思い出したつもりになる。そしてそれについて語ってみよう。できるはずがない。さっきとは違う心境のままに留まる。変化が起こらない。何かが違っているようだ。君は変化を好まない。いつまでも同じ調子でいようとする。それを語っている暇がないのは良いことだ。何ももたらせないことも肯定してみよう。すべてを否定することはできない。否定すべき対象を知らないからだ。何も言葉中毒に陥ることはない。できないことをやろうとすべきではない。確かに結果がすべてだが、結果まで至れないのだから、すべてを知ることは不可能だ。難しすぎるような気になってしまうのは、未知の体験を求めようとしているからだ。それを知っていると思いこもうとしている。わざと意味不明を装う。精神の集中が途切れたとき、何もしていない自分に気づいたふりをするのはごまかしだ。いつそのときがやってくるとも思えない。まだそこまで行っていないようだ。意識が時間の経過に追いつけず、言葉が間に合わないようだが、是が非でもそれをやり遂げなければならない。そういう思いこみが墓穴を掘っているわけだ。他に何もできなくなってしまう。結果までたどり着けないのは、無駄に言葉を弄しすぎているからだ。弄んでいるつもりが弄ばれている。それも気に入らないことのひとつなのだろう。だがわかっているのはそれだけではない。それ以外にはやりようのない状況に陥っている。他に何も語ることができない。だから行き詰まっているのではない。何を否定しても無駄だろう。無駄であることを承知しつつも、否定的なことしか述べられないようだ。だから苦しくなり、苦しいから楽しくなる。それは虚しい矛盾だ。君は矛盾を楽しんでいる。自らの愚かさに触れるのが楽しくてたまらない。何かを述べれば述べるほど、よりいっそう自らが愚かに思えてくるらしい。お前はそんなことしか述べられない。それがお前の限界であり、怠惰のなせる業だ。それで楽しいと思うなら、それは限りのない愚かさの表れだ。愚かさがそれらの文章の中に顕在化している。それが楽しくて仕方がない。きっとそれは何かの自家中毒なのだろう。闇の向こう側から虚無が君を呼んでいる。何もないのに誰かの声がする。誰でもないのに君は君自身の存在を信じて疑わず、馬鹿げたことを平然と記しているつもりになる。それが愚かなのだ。わかっているのにそれをやめられない。それでも君のことを述べているのではない。誰のことを述べているのでもなく、そんな手詰まり状況を呪っているのでもなく、雲間から日差しが見えたとたんに何を思いだしたわけでもなく、忘れかけていたことをさらに忘れてしまったとも思えず、よりいっそうその場に留まろうとしているのでもない。ただ時は流れ、人の姿も移り変わり、やがてその場から誰もいなくなってしまうだろう。それが君のねらいというわけでもない。つまらぬ否定の連続をさらしているようだ。それが苦し紛れなのはいうまでもなく、それを否定する限り、君は誰とも出会えないだろう。だが今さら肯定しても無駄だ。すでに遅すぎる。君が相手にしているのは虚無ではない。自問自答が何を意味するとも思えない。言葉を記しているのは君でさえない。意識はどこまでも君から離れてゆき、遠ざかりながらも記憶を自らの内に呼び戻そうとしている。あり得ないことだ。それは冗談のたぐいかも知れないが、信じられない。


12月20日

 意識が何かを拒んでいるようだ。今日の君は問いかけるのが嫌いだ。無駄に言葉を費やしたくない。だがそれを真に受けてもらっては困る。すでにだいぶ無駄に言葉が費やされている。それだけで中身を伴っていないのはいつもの通りだ。目的を見いだせないのもわかっている。そしてまだ昨日の時間帯で停滞している。そんなことを記す以外は何もできない時間帯だ。別にそれでもかまわないが、相変わらず理由を見いだせない。何を理解しているのでもないらしい。それは魂ではない。何も意表を突いているわけではない。振り返るべき過去を知らず、期待すべき未来を思い描けず、今は何もない。そこで挫折してしまう。疲れているわけでもないらしいが、何も思い出せない。それでも何か適当に記しているつもりになり、利いた風な内容からはかけ離れているが、かろうじて何かしら述べているようだ。君はその内容を理解できない。君に関することは何もない。何となくそんなことを述べているが、気が入っていない。もう飽きてしまったらしい。何もやる気がしなくなり、眠たくなって寝てしまう。そんな話ならしない方がマシだろう。しかしそれでも言葉を記し続け、さらに空疎な領域へと意識が近づいてゆく。何かを述べているつもりになれる限り、それをやめようとしない。誰かは焦ることが嫌になってしまったらしい。何を構築しようとしているわけでもないが、そこから何かがもたらされていることを信じるとしよう。君が信じているのではない。なんてすばらしい世界なのだろう。それは誰の台詞でもなく、ただそこにそう記されている。君はどこで何をやっているわけではなく、ただそこに君という言葉が記されている。そしてそれとこれがどこでどうつながっているわけでもない。ひとつの意識が複数の文章を記しているのではない。くだらないと思っているのは君ではない。言葉の組み合わせがおかしい。それはまとまった話とはならず、枯山水から天の川が流れ出でるように、無関係な言葉がいい加減に連なっている。それらが意識の複数性を表現しているとは思えないが、冷静になって物事を順序立てて考えてみるべきではないのかも知れない。たぶん感覚の中で何かがずれている。そこで何を失わなければならないのかわからず、そこがどこなのかもわからず終いになるだろう。妙にひねくれているようだ。そんな言葉が出てくるとは思わなかった。不意に過去の記憶が脳裏によみがえり、うろたえ焦りろれつが回らなくなる。それらの何がその場の状況を示しているのでもなく、どこまでも言葉が迂回しているようで、話の核心を避けて話を終わらせようとする。わけがわからないのはそれが原因だろう。だがそれは誰の見解でもない。君はどこまでも君から遠ざかる。要するに君は誰でもないのだろう。静かな夜が更けてゆく。言葉は言葉でしかなく、言葉以外の何ものとも思えず、幻想から覚めて何もなくなってしまった意識を呪うわけにもいかず、何が幻想なのか思い出せなくなるように、ひたすらそこから遠ざかる。意味がない。意味を見いだせないのは毎度のことのように思われる。きっとそれは何かの気のせいだろう。その何かが何なのかわからないが、原因や理由という言葉が頭に浮かぶ。それらを求めようとしていないのかも知れない。そこからどこまで遠ざかれたとも思えず、相変わらず虚無の近くで無駄に思考を巡らせている。君には答えがもたらされない。誰かはそれが当然のことと思う。何も求めていないからそうなってしまうのだろう。結果として君の思い通りの展開となっている。君には無限の力が宿っている。嘘も休み休みに述べてほしい。わかりきっているのはそんなことではない。わざとわかりづらいことを述べているわけだ。はっきりしたことは何も表明されていない。嘘以外はみんな真実のつもりなのだろうが、たとえそれが真実でもかまわないから、もっとマシな嘘をついてみたら話がおもしろくなりそうだ。やはり意味がわからない。そこから何をどう述べようとしているのかもわからない。先のことは君の知るところではない。どこで誰を陥れようとしているのでもなく、大した罠が張られているとも思えない。罠にかかる予定なのは誰でもない。偶然がそうさせているらしい。その場の成り行きが君をどこでもない場所へと導くだろう。君はそこで途方に暮れるしかなく、そんな文章を記している誰かは、君に関する物語を思いつけないようだ。きっと作り話が苦手なのだろう。それは誰の物語でもなく、何のための文章でもない。誰のために言葉が記されているのでもないようだ。君のためでも彼のためでも誰かのためでもない。今さらながらわかりきったことが記されている。退屈ならそこから消え去ってもらってかまわないが、誰が消え去るわけでもないのだろう。それはただの文章だ。君がそれを記しているのではない。君には明日がある。何もない明日が君の到来を待ちかまえている。そこで君が何をするのでもなく、誰かが何もない光景の中に佇み、何もない風景を眺めているだけだ。


12月19日

 頂上は遙か先のようだ。歩き始めてどれほど経ったのだろうか。そこまで到達していない。さっきから黙って歩いているだけのようだが、それの何がおもしろいのか。少なくともつまらないと思っているわけではない。そこで何を語ろうと、ただの妄想でしかないのだろうが、それでなぜ心が動揺しているのだろう。文章は読む度にすり減ってくるものだ。気がつけばひたすら嘘をついている。自らを偽っているらしいが、答えがなかなか出てこない。焦っているだけではまともなことは述べられない。ならばもうやめてしまったらいい。ただわけがわからないだけで、そんなことはどうでもいいのではないか。話の中で誰がどうなったわけでもないらしい。話が迂回ばかりしている。回り道ばかりでは何を述べているのかわからなくなる。そこに至ることができず、途中で無駄な言葉ばかり記しているうちに、いつものようにわけがわからなくなる。架空の話の中ではそれが誰かの口癖だ。わけがわからないとつぶやくばかりで、一向に話が先へ進まない。なぜそこには架空の君しかいないのか。たぶん誰かは他人との関わりを避けているのだろう。理由がわからないのもいつもの通りか。理由などありはせず、理由にさえなっていないので、いちいちそれを説明する気がしないらしい。そんなわけで君はこの世界に何ももたらせず、ただ何もない空洞の中で途方に暮れている。いったいこれから何を語ったらいいのだろうか。すでに語っているつもりのそれは何なのか。どうやらそれらの文字列は君がもたらしたものではないらしい。誰かはそれを知っている。誰かはそこで何かを語っているようだが、君は他に何を確認したいのか。君が確認したいわけではない。しかしなぜいつまで経ってもそこにたどり着けないのか。そこから話の成り行きがおかしい。何ももたらせなければ何も思いつけない。それは順序が逆かも知れないが、誰かは人間社会の中で自らの役割を見いだそうとしている。何をそんなに待っているのか。気が遠くなるほど待ち続けている。いくら待っても何も誰も現れない。それはどういうことなのか。何ももたらされないというのがそこでの結果らしい。そして君は誰に何を依頼しているのでもないらしい。結果の何が不満というわけでもないようだ。では誰かから君に何が託されているというのか。彼の秘密がどこに隠されているのだろうか。彼はもう死んでしまったのかも知れない。その結果としてこの世界には何ももたらされない。たぶんそれが本当の世界ではないからだ。さらにわけがわからなくなる。君は些細な間違いを気にかけているようだが、これからいつどこで何がもたらされるかわからないだろう。それは気休めではない。気休めよりも遙かに遠い感覚をもたらし、崇高さとともにこの世の何かが驚くべき変貌を遂げるだろう。またいつもの冗談に違いないが、君は誰かが述べていることの意味を把握できずにいるらしい。文章がまだ不完全だ。たぶん頭の中ではわけがわからないままなのだろう。誰かの意識はそのとき何を捉えようとしているのか。それは文章の意味ではない。来るべき時が間近に迫っているようだが、君にとっては何でもないことだ。未来は絶望とともにやってくるかも知れないが、君はそれらの混乱を回避できない。それは君に未来がないからだ。君は未来を奪い去られ、この世界から遠ざかる。現実の時空では存在できなくなってしまい、人類が滅亡する遙か以前に消滅してしまうだろう。それも冗談なのだろうか。少なくとも誰の予言とも一致しない。だが誰が何を語っているのでもなく、崖っぷちから誰かがそれらの光景を眺めている。それはどのような光景なのか。君にはそれがわからない。わからないのにそんな風に述べていること自体がおかしい。やはりそんなこともどうでもいいことなのか。人はいついかなる時でもその場を通り過ぎようとしている。そこで何を感知しているはずもないが、たとえばそれらの映像を眺めながら何を感じたいのか。少なくとも貧困にあえいでいるのは君ではない。これから恐ろしい出来事が起こるかも知れないが、確か昔もそうだったはずだ。実際に恐ろしい出来事が起こった後から、人々はそれを知ることとなる。ではなぜ未来が見えてこないのか。君は予言者ではない。たぶん救世主でもないのだろう。誰にとっても時間が残されていないのかも知れない。ならばそこで君は何を知ってしまったのか。君にとってそれはどのようなことだったのか。なぜ君は壊れてしまったのか。君の何が壊れたというのか。ひっきりなしに耳鳴りがしている。人類は人類が滅亡する話に興味を抱く。君は人類に含まれないのだろうか。危機を切り抜けられるとは誰も思っていない。誰かが死んでほしいそうだ。誰のことを述べているのか。誰も念頭に置いていないようだ。やはり君はそこから遠ざかる。それは時代ではない。過去の歴史が誰を苦しめているとも思えない。何がかまわないわけでもないらしい。君はそこで足踏み状態だ。記しているのは文章ではないのだろう。


12月18日

 相変わらず無駄な問いかけが限りなく続いているらしい。それを読み返すのが億劫になる。精神的なダメージは計り知れないかも知れないが、誰のための継続なのかわからなくなる。曇り空の下で君は何をやっていたのだろうか。それは明日の時間帯に起こる出来事か。何が何だかわからないようだが、昨日は何を考えていたのか。白黒写真の片隅に虚無の実像でも見えているのかも知れない。君が虚無なのではない。君を差し置いて誰が何を述べようとしているのでもない。ただ言葉が記され、それが文章だと見なさなければならなくなる。そんなおかしな具合に事態が進行しているようだが、やはりそれで何を述べているのでもないのだろう。くだらぬ紆余曲折を経てなおそんなことを述べていること自体が我慢がならないようだ。言葉が思考の邪魔をしているらしい。無理矢理何かを記させようとしている。それでわけがわからなくなるようだが、自業自得というものか。しかしノルマとは何だろう。君はそこで何を達成しなければならないのか。まったく理解できない状況に陥っているのかも知れないが、それがどうしたわけでもないと思っている節もあり、事態の進行を深刻に受け取れないようだ。しかし切り抜けようとしているわけではない。さらに深入りしてしまうとも思えないが、事件の表層で言葉を踊らせることは無責任な行為につながる危険性があり、それを推奨している誰かの思うつぼなのかも知れない。まったく誰が何を考えているのか皆目見当がつかない文章の中で、作り話を展開させているつもりの誰かには頭が下がる思いか。ただわけがわからない。いったい何を述べているのだろうか。今さらそれはないだろう。本気になってはいけないようだ。焦れば焦るほど外れていく感じだ。世界が絶えず君を排除する方向で動いているように思えるのは被害妄想かも知れないが、冗談でそんなことを述べているとすると、やはり排除されるべきなのはそんな言説になってしまうかも知れない。君はまだそれに気づいていない。だから当てもなく作り話の中を彷徨い、何を述べているのかわからないようなことをひたすら述べようとしている。しかしそれが自己に対する言及から外れているらしい。述べているのは自己ではなく、自己から外れた誰でもない誰にかについて述べているように思われ、それは勘違いのなせる業かも知れないが、何となくそれで困った風には感じられず、暇つぶしの字数稼ぎに逢着しているように思われる。しかし逢着とは何だろう。それの何がいけないのか。何となく心のバランスがとれていないようだ。それも気休めのたぐいだろうか。原因は他にもありそうだが、何が原因でもかまわないような気がするのは、それも冗談でしかないからか。そこからの転調は容易ではない。ともすればそのまま言葉や雰囲気に引きずられていってしまい、二度と戻ってこられなくなってしまうような気がするのだが、それが危険な徴候だとはまったく思えないことが、逆に取り返しのつかない危険をはらんでいるのかも知れない。たぶんもはや何をどう試みようと無駄なのだろう。安易にそう思わせるような無内容を言葉が奏でている現状が重くのしかかってきて、誰かの思考をがんじがらめに縛り付けている場所には何もなく、そこから先にはどうしようもない言葉がさらに連なっているようだが、君はそこで何をやっているのか。まだ何か述べなければ気が済まないのだろうか。まったく馬鹿げているように思われる。そんな自問自答が自らから外れていってしまい、何もない底なしの虚無へと落ちてゆき、そこでくだらぬ妄想と勘違いの感情が交じり合い、得体の知れぬ言葉の連なりを生み出そうとしている。たぶん誰がそんな風に思っているのでもなく、ただそんなことが記されているだけなのだろう。君はそれを読む気がしない。言葉が何を表象しているとも思えず、心の移り変わりさえも無言の中に収束してしまい、沈黙こそがその場の雰囲気を物語り、決してまともなことを述べているわけではないことが、心の空洞の中で反響し合い。こだまとなって偽りの世界に響いてくる。嘘に決まっている。他に何を断言しなければならないのか。そしてついにそのときが到来したようで、君はその機会を逃そうとしない。今度こそそこから脱出しなければならないと思う。何かを述べることが無駄な悪あがきであってはならないようだ。何とかそこで虚無に立ち向かわなければ、また何もない偽りの状況の中に閉じこめられて、さらなる無駄な回り道に導かれ、当てもなく堂々巡りを繰り返し、いつまで経っても言葉を記し続ける羽目に陥ってしまう。少なくともそれが君の望みではないはずだ。何をやりたいわけでもないようだが、たぶん何を語りたいわけでもないのだろう。何も語らなくてもかまわないが、自然と言葉が連なってしまう現状を何とかしなければならない。無理にそこから意識を引きはがして、どこか別の行為の中に投げ込んでしまえば事足りるのかも知れないが、いったいそれを誰が行わなければならないのか。


12月17日

 それはいつの出来事になるのだろうか。現実の世界では誰が誰を射殺したのか。誰がそれを知りたいわけでもなく、それは自明のことだろう。砂漠の真ん中にさび付いた取っ手のトランクが転がっている。誰かが絵画を眺めている光景がテレビ画面に映し出されている。友情とは何だろう。無二の親友とは危険な関係を共有しているわけか。たぶん現場では楽しくてたまらなかったのだろう。喜び勇んでどこかへ出かけていったらしいが、それがあの世への旅立ちを意味するとは因果なものか。君の心はねじくれている。心がねじ曲がった者は人殺しなどやらない。何をやるのも面倒くさいので、至って平穏な毎日を送っていることだろう。純真な心の持ち主は一途な面を持っていて、それを律儀にやり遂げようとした結果がああいうことなのだ。だからこの世はワンダーランドとなるべきなのだろう。君にとってはどうでもいいことかも知れないが、銃による人間狩りを欲しているハンターには、心躍る瞬間を体験できる絶好の機会がもたらされる。どうやら君は粗雑な言葉の組み合わせに酔っている。実際には相変わらず何を述べているとも思えないが、魅惑の時から遠ざかるためにそんな文章を構成しているわけか。言葉はどこに返ってきているのだろう。心の空洞でこだましているのは誰の声でもない。響き渡っているのは架空の時空からもたらされた虚無だろう。言葉ではない。言葉にならない誰かのつぶやきを聞き取ることなどできはしない。君は難聴なのか。ひたすら音楽を聴いている。ありふれた音楽が二千数百曲連なっている。時間的に聴ききれないだろう。すべてではないようだ。気がつけば心が渇ききっていて、君はその心とは呼べない意識を何に使っているのか。何を否定しているのでもないらしい。別に朽ちかけたトランクからミイラ化した死体が出てくるのを期待しているわけではない。高速道路沿いに投げ捨てられているわけでもなく、団地の押し入れから発見されようとしているわけでもない。それらのすべてがありふれたエピソードの断片でしかない。そのとき人は人ではなく、すでに何かの物質でしかないらしく、君はそんな風に語ろうとして、それを果たせずにいるらしいが、やはりそんなことはどうでもいいことだろうか。どうでもよくないなら、それに対して何か利いた風なコメントを付け加えるべきか。何を付け加えようと現実は現実のままだろう。すでに何かが崩れ去っていて、その何かの廃墟の中から誰かが利いた風な台詞を操りながら、それを見ている人々の注目を集めようとして、悪戦苦闘している最中のようだ。それを冷めた目つきで見下しているのが誰なのだろう。そんなありふれた登場人物など掃いて捨てるほどねつ造できそうだが、君はそれをどうすることもできない。出現しかかっているのが物語の登場人物では物足りないような気がするらしい。では途中であきらめてしまうのだろうか。今はその気がしないようだが、何をあきらめたら楽しい時間を過ごせるだろう。仮の話ではつまらない。もしそこで立ち止まってしまうとすると、残された逃げ道をすべて使い果たしてしまうことになりそうだ。それはあり得ない話ではない。君はそれを超えて前進し続ける勇気に欠けている。蛮勇を振り絞って進むほどの魅力を感じていないのかも知れず、安易に立ち止まって過去を振り返り、お宝を奪取する機会を永久に失ってしまうのだろうか。それは未来ではあり得ない。未知との遭遇の機会でもない。まだそこまで至る必要を感じていないのかも知れない。このまま文章によって何ももたらせなくてもかまわないとさえ思ってしまい、何となくそこで腰砕けとなり、思考停止を許してしまうのだろう。この世のすべては馬鹿げた出来事で構成されている。それらの何を愛しているのでもなく、未来に生まれる人々に希望を託しているのでもなく、良くなる兆しを感じなくても、それなりに暮らしている現状を認めざるを得ないようだ。ならばそれが君のすべてなのだろうか。何を早とちりする必要があるのか。まだまだそこから紆余曲折があるはずだ。そうなることを期待しているわけではないが、たぶん何かの到来を待っているのだろう。空振りに終わってもかまわないが、ひたすら待ち続けるのも悪くないような気がしてくる。君に残された時間などありはしないのかも知れないが、それでもかまわないと思っている。人生は暇つぶしのたぐいだろうか。そのすべては作り話になりそうだ。自らについて本心から語っていない。その自らというのは君のことではないらしい。君は君自身については何も語れない。いつものように嘘をついているのだろうか。作り話なのだから嘘に決まっている。君は君自身に嘘をついているようだ。それもいつものことなのか。本気になれないのはいつものことだが、それ以外には真実でも含まれているわけか。ただつまらないと思っている。誰が思っているのか知らないが、誰が知らないのかもわからない。そのすべては冗談で述べていることであり、冗談というのも嘘なのだろう。


12月16日

 架空の瞳には心に空いた空洞から何が見えているのだろう。またおかしな言葉の組み合わせだ。誰かの意識は何を評価しているのでもないようだ。判断がつかずにいるらしい。感情がそうさせているのかも知れない。どのような感情なのかわかる必要はない。何も悟られないようにしているのだろう。心の隙を突いて何らかの文字列が出現して、それを誰かがメモ帳に書き留めているつもりになる。それは誰にとっても些細な出来事につながっている。言葉を記すことから遠ざかりたいのか。それに関して君は何も思わない。またしても当てが外れたようだ。そこで何を求めていたのでもない。記されているのはただのでたらめに相違ない。感情はどこかに流れ去り、今は足のかゆみに耐えながら何を思っているのでもないらしい。まったく関係のないことだろう。何と何が無関係なのか説明するのが面倒くさいようだ。誰に向かって説明したいのかわからない。何かわかりすぎるくらいわかるような内容がないだろうか。それを文章で示せない。それは誰の話でもなく、君が何を語っているのでもない。君は絶えずでたらめの言葉を保持している。言葉の組み合わせがそうなってしまうのだから、それ以外には何もありはしない。本当にそうだろうか。あり得る組み合わせはすべて試したつもりになっているようだが、何か見落としていないか。心変わりはいつ訪れるのか。時間が経過し続けている。沈黙が長すぎるようで、誰かはそれが気に入らない。君はそこから飛躍した結論を導き出そうとしている。論理的な整合性などまったく考慮に入れず、ただ闇雲に何かいい加減に思考し続け、それで何も考えていることにならないような何かをつかんだつもりになる。まさか涅槃の境地ではあるまい。意味不明だろうか。馬鹿げた言葉が不意に出現してしまったようだ。不在の君はこの世界のどこを旅しているのだろうか。あり得ないことだが、話の中に誰を存在させようとしているのか。そういう前提こそが嘘の徴候を示している。ついでに誰かによって打ち砕かれた夢を再構築しようとしている。それこそあり得ない話になる。架空の話の中では、君にはふさわしい最後などどこにも用意されていないだろう。君が求めているのはそんな結末ではない。そこでは誰と誰が何をやっているのでもなく、戦いなどあり得ない。人々は身勝手な幻想に浸りながら、絶えずどうしようもない現実を忘れようとしている。話の核心などありはせず、その中心を占めるのは空疎そのものだ。空疎の周りに欲望が渦巻き、何か感情のようなものが意識されているだけだ。それに付随して誰かの身体が話の中に構成されているようだが、そこに至っても何を述べていることにもならず、ただ君とは無関係な言葉が連なっているだけらしい。いったい誰がそれを記しているのか。それは何のための説明なのか。不要な説明ならない方がマシだろう。あくびが出てくる。君に心の空洞などありはしない。ぽっかり空いた穴があるとすれば、それは誰のために必要なのでもなく、ただそこに何らかの穴が存在しているだけだ。誰にとっても必要から見放されている。そんなものを読み進めてどうするのか。誰のことを述べているのでもなく、誰も気にしていないようだ。君は絶えずそれ以上を求めており、見果てぬ夢を超える何かをその目に焼き付けようとするが、それは冗談のたぐいだろう。またどうでもいいような嘘をついている。いつものように行き詰まっているようだ。わざとそうなるようなことを述べている。具体的に何をどう説明すれば気が済むのか。誰のための時間が到来しているのだろうか。何もできずに窓の外に広がる景色を眺める。心の中で何か適当な風景を想像している。誰がそのような言葉の連なりを肯定できるだろうか。君は何を肯定しているのでもない。目の前の現実は認識を遠ざける。それは誰の見解でもありはせず、まともな認識からはほど遠い結論を模索しているだけだ。実際に見いだされているのはそんなことではない。何もかもがあり得ないのではなく、そういう認識に至るのが不可能なのだ。文章の内容がかなりくだらないと思われる。無内容に近い。本気になれないのだから仕方がないだろう。利いた風なことを述べている誰かがうらやましく思われる。過去の自分に重ね合わせているのかも知れない。誰かはそこから遠ざかれない。しばらく考え込んでいたようだが、やはり何かを続行するつもりらしく、そんな結論に強引に至ろうとしている。失うものは何もない。そんな思いこみは勘違いも甚だしい。真面目に考えるべきではない。どうでもいいような精神状態を投げ捨てることができないようだ。未だにそんなことを述べている。ねじれた言葉の配置を元に戻すには至らず、延々とわけがわからないままに貴重な時間を浪費する。それが君に課せられた使命だとは思えないが、何かよい手だてはないものか。抜け出すための方策など何も思いつかず、ひたすらそんな言葉の連なりに心が飲み込まれ続け、君が君自身とは無関係であることが証明される。


12月15日

 わからないがそれは愚かな行為だろうか。君はその愚かな行為を説明できない。それとは無関係に、何となくではなく、何かを確信したいらしい。確信したい何かを特定することができないでいるらしい。まったくわけがわからない。だがそれは誰にとっても何でもないことだ。そこから遠ざかれば何も思い出せなくなる。遠ざかるだけの力を持ち合わせていないらしく、気力を補充している最中のようだ。それで何をわかったことになるのか。知りたいのはそんなことではないらしい。不意に出現した虚無に勝てそうもない。それで技巧を凝らしているつもりにはなれない。認識の甘さが命取りというわけでもないだろう。酸味がきついようだ。その味は誰かの好みではない。だが雰囲気だけの語りには飽きているはずだ。具体的に何を述べたいのか。君自身がその場所にたどり着いたわけではない。間違いは誰にでもあることだが、何が間違っているのかわからないのもよくあることか。また言葉の使い方がおかしくなる。余白に何か内容のないことが記されている。紙切れを燃やして炎の色を見る。意味のないことかも知れないが、奇妙な印象を抱く。無駄なやり方を通して勘違いの意味を探っているらしい。すべては蛇足なのだろうか。それ以上何を述べても無駄になる。差し障りのない範囲内で適当なことを述べているつもりだ。あり得ないことかも知れない。テレビ画面に見とれていたらしい。心がこもっていない。人間について否定的なことを述べるのは簡単だ。その否定力によって何を極めようとしているのでもない。久しぶりの現実逃避なのか。わかり得ないことをわかり合うつもりなのか。感覚が欠如している。この世界の何を肯定したらいいのだろうか。冗談でそんな問いかけを繰り返している。たぶんすべてを肯定すべきなのだろう。誰かは犯罪者の言説を知りたいらしい。とりとめのないことを述べていたいらしい。それしかできないのだからそうなるしかない。まったく馬鹿げたことだ。それらの物語が馬鹿げていることを確信している。君は何も覚えていないのか。事の経緯などわかるはずがない。いったいそこで何を目撃したというのか。それは君の記憶ではない。誰の記憶でもありはしない。物語の中ではそれらすべては架空の記憶だ。馬鹿げた話だ。もう何も述べられない。何に誘われているのでもなく、ただ音楽を聴いているだけの時間帯の中に誰かの意識が停滞している。あり得ないことだろうか。語りたいことは何もなく、ため息ばかりでは何を語っていることにもならないのはわかりきったことだが、それ以外に何があるというのか。それは本当に何でもないことなのだろうか。いったい何が停滞の原因として断定されようとしているのか。今日も無意識のうちに否定しうる対象を探しているらしい。それが馬鹿らしい行為だとは思いたくない。まだそこまで到達していない。気分転換の言葉が連なっている。わけがわからないふりをしているだけか。自らの至らなさを認めざるを得ないようだ。誰がやっても同じことのようだ。誰がそれを語ろうとしているのでもない。後は否定あるのみのようだ。ねじれた感情が表情に浮いてこないように、それを隠すための文章が必要とされている。一段落つくはずもない。それで何を示しているつもりになれるのか。文章から遠ざかり、言葉から遠ざかる。実態としては相変わらず何を述べているのでもないらしい。テレビドラマの中で謎が解かれ、次いでコマーシャルが入る。そういう話の終わり方に満足すべきだ。はたして化け物が人間の感情から生まれていいものかどうか。誰がありふれた事件に狂喜する手はずになっていたのか。自分を否定されて何か不都合なことでもあるのかも知れないが、我慢が限界に達しようとしているらしい。それが誰かの思うつぼの展開を構成する。物語とはそういうものだろう。君はそれに感動しているようだ。何がありふれているのでもない。とりあえず時間がない。化け物はどこにでもいるらしく、現にごく普通の人がそうなのだから、そんなことに驚いているほど純真ではない。言葉を間違えていることは承知している。君はどこで道を誤ってしまったのか。誰かはそれに関してありふれた見解を期待している。誰もが納得する見解を披露してほしい。できるわけがないだろう。君に期待しているのではなく、その場の雰囲気が適切な言葉を思いつかせてくれることを期待しているわけだが、そんなことを述べていること自体が不適切のような気もしてくる。そこで踏み外しているのは階段ではない。何とかその場で妥協のための結論を用意しなければならなくなる。凶悪な事件などこれからいくらでも発生するのだろうか。実際に遭遇するのは確率の問題か。人が死に、犯人が捕まり、裁判が執り行われ、誰かが判決を下され、何となく忘れ去られる。記憶はいつも曖昧だ。いったい誰が死刑になったのか。君はそこで誰に同情しているのだろうか。どんな境遇が悲惨だと思うのか。それについての明確な判断基準を導き出せずにいるらしい。愚かだ。


12月14日

 いつものように嘘なのだろう。相変わらず君について語っているのではない。誰かは何を無視しているのだろうか。問い直すつもりはない。あえて間違ったことを述べているのでもない。はたして君に何が託されているのか。救世主でも何でもないだろう。そこで時間が消滅している。馬鹿なことやってしまったものだ。本気でそう思っているわけではない。誰に捧げられた曲でもない。では何を聴いているのだろうか。相変わらず君は忘れ去られている。どこかの海底に生息しているのだろうか。君が魚介類でないことは知っている。君のことを述べているのではないらしい。では何を落胆しているのか。気がついたらまた崖の上に立っている。街は人でにぎわい、一人一人が別のことを考えている。何があり得ないことなのか。文字の表記法が気に入らないらしいが、さっきまでは何について述べていたのか。この世界について何を考えているのだろう。誰を煙に巻いているわけではない。ただ何も思いつかないだけか。文章を通して情報が伝達されていない。君はそこで何を見ているのか。誰が盲目になってしまったのか。突き詰めて考えることができない。一向に主張が見えてこないようだ。なぜそんなことはどうでもいいことだと思うのか。そんなことはわかっているはずだ。人はどこまでも利己的だ。もう馬鹿らしいとは思わない。以前と同じようなことを述べても無駄だとは思わない。いつもそこで行き詰まっている。数日前にも誰かがここまで来たらしい。崖の下はどうなっているのか。生き残れるはずがない。君の話ではない。たぶん行き詰まったままだろう。君はいつまでもそんなことを述べている。企業が利益を追求するのは当たり前のことだ。奈落の底に落ちてゆくしかないらしい。誰かは崖の下で何を考え込んでいるのか。人間はいつまで経っても人間同士の競争から逃れられないだろう。格差がなければ仕事に魅力を感じないようだ。みんな同じでは気が済まないのだ。他人と違う生活を送りたい。それが人並みの生活から抜け出る原動力になるのだろうか。それ以外は何を考えているのかわからない。いったい誰が何を考えているというのか。なぜ悲惨な目に遭うのを覚悟でそんなことを続けているのだろうか。今は世界的に過渡期なのだろう。たぶんいつか誰もがわけがわからなくなるだろう。この世に意味などないということを悟ることとなる。しかしそれの何がわかりきったことなのか。努力した人が報われるという神話を誰もが信じているのかも知れないが、実際には努力しなくてもかまわないのだ。それは何のための努力なのか。すでに働く気力を失っている。そんな気分の時、たぶん君はこの世界に逆らっているのだろうが、世界は君の存在を無視している。それは世界ではないのかも知れず、世界の一面を見ただけで、妄想の中で自らに都合のよい偽りの世界を築き上げようとしている。誰もが貧困から抜け出そうともがいている。そんなはずがないと思っているのだろう。ここに至っても君の話ではない。何かから遠くかけ離れている。この社会を維持するためには競争は欠かせないが、その競争こそが社会を崩壊させる。しかしそんなわかりきったことを述べているのはおかしいのではないか。たぶん成功した例はいくらでもあるのだろう。一握りの成功例が脚光を浴び、その他大多数の失敗例が闇に葬り去られる。人はいつの時代でも使い捨てにされる運命なのだろうか。わかりきったことを述べないでほしいか。それでも誰もがこの社会を維持継続させていきたいのだろう。働く意欲や生き甲斐や人としての誇りなど幻想でしかないが、ないよりはあった方がマシだと考えている人々がいるらしい。それが悲惨なことなのだろうか。つまらない思いこみでもそんな思いこみにすがりつきたい精神を持ち合わせている人もいるらしい。何となくそれは恐ろしいことのように感じられてくる。馬鹿げているように思われてくる。馬鹿らしいがそんな世の中に誰かが存在しているらしい。まるでゴミのような精神を持ち合わせている。ゴミではないのに実態はゴミに近い。そう思っているだけだろうか。すべての人間はゴミに囲まれて生きて死ぬ。それも当たり前のわかりきったことだとは思わないか。誰が思うのか。そんなくだらぬ精神は捨て去った方がいいと思われるが、君は理念を持ち合わせていない。それ以上は何も考えられなくなっているらしい。誰のまねをしているのでもない。そこから先は誰かが考えている領域に違いないが、君はそこまで至れない。至る前に力尽きてしまうらしい。それでも誰かが待っている。そこはどこでもない場所に違いないが、想像の場所ではない。誰もそんな場所にはたどり着けないだろう。君はどこかで失敗しているようだ。間違ってたどり着いてしまったのは君ではないのだろう。誰もそこにはいない。物語ではなく、何の話でもありはしない。たぶんすでに終わっているのだろう。今日も何も語ることができなかったようだ。どうしようもなく馬鹿らしくてどうしようもなく大人げないが、それが誰の台詞だったのか忘れてしまったようだ。


12月13日

 なぜ日付にこだわってしまうのか。馬鹿なことを述べている。複雑な心境だが、その内容にまで踏み込めない。今は冬だ。時間ではない。別の時間帯では尋常でない。常識を外れている。常道とは何だろう。そこで何を遵守しなければならないのか。別に定石を踏んで事を進めているわけではない。何となくくどくなっているような気がする。語っていることが何でもないのだから、そんなのはどうでもかまわないことだ。やがて変更が施される。予定ではどうなっていたのか。追憶に浸っている。まったくのでたらめか。たぶんそこから話が進まない。でたらめではないと思いたいが、何がでたらめなのかわかろうとしている。誰かはそれを知っているようだ。知りたくもないことを知っているはずだ。なぜそんなことまでやらなければならないのだろうか。君が何を述べているとも思えない。ただ思いたくないだけのようだが、ところで何について語ろうとしていたのだろうか。君の主義主張には飽き飽きしている。やはりそんなことにこだわっている場合ではないらしい。状況が以前とは異なっている。誰かはつまらぬこだわりを貫いていることを誇りに思っている。それの何がくだらないと思われるのか。誰がそんなことを思っているわけではない。無意識が誰かの障害として機能している。それはあり得ない真実だ。事実はそうでない。たとえば誰が癌で死のうと、それが誰かの話のネタになることはない。薄れているのは誰の記憶でもない。月が西へ傾いている。それに気づいたのは君ではないが、記しているのも君ではない。記述するのが億劫になる。そんな嘘は通用しないか。もとから興味の範囲外のようだ。もしかしたらすべてが興味の範囲外かも知れず、何かについて述べているのではないのかも知れない。自由とはそういうことらしい。理解不可能なことをわざと述べている。ただのでたらめだろう。それらの人格たちは何に踊らされているのか。文字は死んだ言葉だ。それが誰かの台詞に違いない。死人が棺桶の中で着飾っている。そこで何かの痕跡を発見しなければならない。文章が誰かの生き方を規定している。君は言葉を知らない。そういう嘘をつけるだけの教養を身につけている。どれもありふれた言語表現だ。文字の扱いになれていないようだ。気に入らないなら、虚無の存在理由を示してみるべきだ。真昼の記憶は君のものではない。なぜそれを深刻に受け止めているのか。まだ道半ばだろう。これから努力して、何を語っているのかを文章によって示さなければならない。言葉の配置が君の癖をくみ取らないような案配になっているのだ。簡単に述べるならば、それはどういうことになるのだろうか。言葉の姿形が定まっていないようだ。部屋の中で埃が舞い上がり、庭に雪が舞い降りる。それらの光景に関連を見いだそうとしている。虚無にまみれた結果を想像するわけにはいかないようだ。神は空想の産物だ。それについては何も問い返されていない。詩ではない。誰に捧げられた冗談でもない。君はどこにも存在できない。言葉が君を嫌っている。用済みとなった君は無言を貫き通す。何を無視してしているのか。暗闇の中で考えている。ただ考える対象がない。誰かがそう思いこんでいるらしい。状況は以前と何も変わっていない。昔は何か気の利いたことを述べていたらしいが、今はでたらめばかりだ。抑制が利いていない。そんな風に思ってしまう原因など知るよしもないが、誰のことを語っているのか。もう気づいているはずだ。君は君自身に向かって嘘をついている。戦いの中で敵と味方の間に友情が生まれるはずがない。それの何が嘘なのだろうか。映画なんだから仕方がないだろう。ドラマチックという嘘の本質を君は知っているはずだ。誰かと誰かの関係が理不尽に引き裂かれて、再びかつての結びつきを取り戻そうとする試みが物語を形成する。ギリシアとローマはその後どうなったのだろう。そんな話を誰がしているわけでもないだろう。過去の栄光を懐かしんでいるもの誰でもない。誰かが戯れにそんなことを述べている。他の誰を呪っているとも思えない。それは呪いの言葉ではない。空疎な言葉が空洞の中で反響し合い、何か得体の知れぬ意味不明を形成しているだけのようだ。それの何を肯定すればいいのか。君にはわからない。誰かにも関係のない言葉かも知れない。テレビは何も伝えない。電源を切ってあるのだから、それは当然のことだ。ゴミ捨て場にブラウン管の残骸が散らばっている。人気のない裏道にポリ袋入りの食べかすが投げ捨てられている。誰がそれを拾うのか。人間の本性をとやかく言うつもりにはなれない。君はどこかで心身の均衡を取り損ねているようだ。どちらかに振れすぎているらしい。少しは正気を取り戻してほしいか。まだそんな段階ではないだろう。どこまでもいつまでもそんな具合でいたいらしい。成り行きとしてそうなってしまうのだから、それは君の意志でそうなっているのではない。何か別のことをやるつもりだったらしいが、気がついてみればこうなっている。


12月12日

 そこに何があるとも思えないが、それでも何かがあるとすると、それは何なのか。嘘に決まっているだろう。別に誰が盆栽を愛でているわけでもない。異議があるなら、始めから読み返す必要がありそうだが、それはどういうことなのか。うちひしがれるとはどんなことなのか。誰がどこでうちひしがれているのだろう。誰かが迫り来る何かから逃げようとしている。そんな映画のシーンを見ている。誰が見ているのでもなく、誰かが見ているのを想像している。そんなのも嘘だろう。気分が悪くなり、そこで夢想が途切れる。さっきまで見ていた光景は何だったのか。意識は夢の中ではないはずだ。結果が思わしくないのは誰のせいでもない。説明の途中が省かれている。他人は何を説明しているのだろう。それが映画のシーンだとは思えない。そんな風にして字数を稼いでいる現状がある。他は何が何だかわからない。他意があるとは思えないが、それほどあわてているわけではない。内容は何もなく、文章はどこまでも空疎だ。それはどんな状況なのか。見たまま読んだままの状況なのだろう。それで論理的におかしいとは思わない。ではなぜ感情を優先すべきなのか。目の前の利益を最優先している。しかし意味が通らないだろう。わかっていることを述べているわけではない。ただ何かが狂っている。目算を誤っているわけか。今は何日前の朝なのか。それが見え透いた嘘なのか。嘘でなければ真実なのだろうか。どうやら言葉を間違えているらしい。それが何だかわからない。考えることを放棄しているみたいだ。ある時それは偶然に変容してしまう。その結果ますますわからなくなる。どうしていいのかわからないまま、朝焼けにまみれた外の光景が心の中に滲んでくる。浸透力を見くびっているのだろうか。寒気がするのはなぜだろう。君がどこにいるというのか。朝日が当たって窓がオレンジ色に染まる。まだそんな時間帯の中に心が留まっているらしい。何を焦る必要に迫られているのか。君はそこから遠ざからない。ひたすら空疎なことを述べ続け、虚無の場に留まろうとする。それの何が滞留なのか。どういう経緯でそんなことを述べているのかわからない。それは事実ではないと思われるが、とにかく何かをあきらめなければならない。今や君の述べていることは支離滅裂だ。述べているのが君ではないことが矛盾している。それがおかしいことはわかっているが、何となくおもしろがっているようだ。何がおもしろいのかわからない。君は文章がつまらなくてもかまわないようだ。それが君の文章ではないからか。今さら何を述べてみても始まらない。まだ途中の段階なのだから仕方ない。そこからどう述べようと見え透いている。今は夜の時間帯だろう。何も言い訳できないような状況に追い込まれているらしい。君は何を文章のつまらなさの他に何をもたらそうとしているのか。あるいは何ももたらせずに焦っているのだろうか。まだそこから遠く離れていないようだ。いつまでも誰のことを述べているのでもなく、君のことを述べているのでもない。何も述べられない状態が続いているらしい。しかしそれでも言葉が連なってしまうのは惰性のなせる業か。それについて今さら何を述べようと無駄なのだろうが、そんな水準でいくら言葉を弄してみても、つまらないだけのようだ。君はそれがおかしくてたまらないらしい。誰のことを述べているのでもない文章が君を苦しめている。そんな文章などあり得ない。また話の流れをわざとらしい矛盾に至らしめようとしているらしい。君にはそれが我慢ならない。もっとまともに惨憺たる文章と向き合う必要がある。では絶望しなければならないのだろうか。何に絶望しているつもりになれるだろうか。たぶん君には何もわかるまい。それで誰を馬鹿にしているのでもなく、誰が馬鹿にされているのでもない。君はまだそんなことにこだわっているのか。いったい何にこだわっているのだろう。文章を記し続けることがそんなに大事なのか。何に対しても優先させるようなことなのか。たぶんその辺の問答がくだらない。誰と誰が問答しているのかわからないようだが、君に関しては自問自答に決まっているようだ。それしかないのにそれの何が気に入らないのか。文章にそれしか記されていないところが致命的か。ならば君はそこで死んでいることにしておこう。それで論点をずらすには及ばないらしい。もう手遅れなのだ。誰かが呆れ果ててさじを投げている。誰かはやってられないらしいから、これからは君の好きなようにやってほしいが、肝心の君が行方知れずだ。誰かは君について何を述べているのだろう。ただ無駄に自問自答を繰り返すばかりではらちがあかない。くだらなすぎて沈黙に追い込まれているのかも知れない。たぶんこれ以上は無理なのだろう。だからさっきから同じようなことばかり述べている。少しも話が進展していない。それが何の話なのかわからないが、たぶん話の内容はどうでもいいことだろう。飲んでわめいて憂さを晴らせばそれで済んでしまうことは確かだ。


12月11日

 それが君の限界らしい。何を躊躇しているのか。それは誰の台詞だろうか。君はそこから遠ざかり、どこか得体の知れぬ空間で沈黙する。たぶん君は心配している。自分がどこにいるのかわからない。相変わらずありふれたことを述べているようだ。我々はどこへ向かっているのだろうか。君は我々の中に入らないのか。どこでどう区別をつけているのだろう。我々には関係のないことだが、君にとっても関係のないことなのか。それをどうやって知ることができるだろうか。何を疑問に思っているのか。それを知りたいわけではない。意味を欠いた謎などあり得ない。誰の出生の秘密を知りたいわけでもない。何が秘密だとも思わない。物語とはそういうものだろう。謎や秘密が興味を惹くように文章の至る所にちりばめられている。だから君や我々には興味がない。誰かが知りたいのはそんなことではない。いかにしてそれらの文章は形成されうるのか。それが存在するためには何らかの条件がありそうだ。だがそれをことさら知りたいわけではない。何かのきっかけで不意にわかってしまうときの到来を期待しているだけのようだ。だから今は何もわからないことにしておこう。しかしまったく意味がわからない。何を述べているのかわからない。なぜそんなことはどうでもいいことなのかも知れないが、何を追求しているとも思えない。ただ言葉を並べている。無心でいるわけがない。何もないのにそれはないだろうか。疑問が多すぎる。何もないから疑問に感じているらしいが、それはいつもの成り行きだ。思いっきり欠陥を露呈しているようだが、それは仕方のないことだ。要するにそんなことしか述べられない。別に呪いにかかっているわけでもないだろう。中途半端にまともなことを述べようとすると、とたんに行き詰まってしまう。その辺であきらめなければならなくなる。気になっているのはそんなことではない。このままどこまでやれるかなんてどうでもいいことだ。それが嘘なのかも知れず、いつやめてしまうのか内心びくついている。そう述べれば何だか気が晴れるらしいが、それも自らに嘘をついていることになるのだろうか。実際には深刻に受け止めていて、かなり思い悩んでいるのではないか。そうであったらおもしろそうだ。何がおもしろいのかわからないが、そんな風にして中身の希薄なことを述べていると、何となく先行きが心配になってきてしまうのかも知れない。やはりそんなことはどうでもいいことだ。とりあえずは何か語っていればそれで安心してしまうらしい。それは根拠も理由もない安心だ。しかしそんなところで何を躊躇しているのか。また同じようなことを述べている。戯れに空を飛ぶ鳥はそれについて何を思うだろう。わけがわからない。どこかの水たまりに映る空を見つめながら、流れる雲の動きに興味を抱いているのかも知れない。そのとき君はどこで何をやっていたのか。果てしなく広がっているのは空だけでない。心の中にとめどなく現れる空疎な景色も果てしない。それが何の景色なのか思いつかないようだ。そこで立ち止まってはいけない。誰かがどこかからそう命じているような気がして、そんな架空の命令に従って言葉を連ねているような気もしてくる。だがそのすべては空想の域を出ない話となってしまうのだろう。それで何が不都合なのだろうか。気がかりな点など何もない。心配なら後で文章をよく読み返してみたらいい。たぶんいくつかの誤りが見つかるだろうが、それでかまわないのだ。誤りがなければ、それはただの機械的な作業だ。言葉を記しているのが人間だから誤るのではない。誤ったことを述べているは誰でもない。何をそんなに勘違いしているのだろうか。なぜそこから脇道に逸れてしまうのか。そこは雑木林の中だろう。降り積もった枯葉の他に何も見当たらない。君の眼は節穴か。そんな表現はわざとらしい。ならば何をどう説明すれば納得するのか。誰に説明を求めているとも思えない。状況的に誰が何を語っているわけでもないらしい。君は語るのが面倒なのか。荒廃した雰囲気の中に誰の意識が漂っているのだろうか。荒んでいるのは誰の意識でもありはしない。いくら何を述べてみたところで状況は改善しないだろう。誰の話をしているわけでもない。のどの奥で何かがつっかえている。そんな気がするだけで、本当のところはよくわからず、あまりわかりたがらない性格のようだが、それが誰の性格なのかはっきりしないまま、何を語っているのかわからなくなる。君ではないのかも知れない。誰のことを述べているのでもないのだろう。疲れているようだ。一晩眠って考えようとしている。それで考えていることになるのだろうか。いったい何について考えているのか。何も考えていないからそんなことが述べられるらしい。考えることができないのだろう。考えるための材料が何もない。ならばこの世界のすべてを肯定すべきだ。肯定してどうなるわけでもないが、とりあえずこんな世界がここに存在しているようで、その一部として誰かの意識も存在していることになっている。物語とは何の関係もありはしない。


12月10日

 意味とは何だろう。またそれか。誰かが力尽きて、意識がそこから後退する。たぶん何も語れない。何となくわからなくなる。空が遠くなる。記された文字と文字の間に空隙が生じている。目で見ているわけではないらしい。しかし心で何を感じているわけではない。誰もそんなことは知らない。何とかそれとは違うことを示してみたいが、何が違うのか不明確だ。それとは何なのだろうか。それが意味だとは思わない。言葉がまとまらなくなる。何を見ているとも思えなくなり、知識を得ることが娯楽になってしまう風潮をいぶかしく思い、浅はかな水準に留まることを嫌っている誰かは、時代遅れの思考を持ち合わせているらしいが、たぶんそれを否定しまう感性の方がおかしいのだろう。それが納得できないのはなぜなのか。何やらわかりきった疑念を抱いているようだが、それを疑念とは呼ばないのかも知れない。知らなければならないことを知らずに、知る必要のないことばかりを頭に詰め込まれた人々は哀れだ。そういうことではないのだろうか。成り行き的にそうなってしまうことから宗教が生じてくるのかも知れない。今や知識は暇つぶしの道具となりはて、知識を使って日々の暮らしを豊かにしているような気になるのも、娯楽の一環と考えて差し支えない水準まで来ている。人々には目的がない。目的と思っているそれは目的ではない。いったい君にどんな目的があるというのか。君は目的から逃げている。目的とは何だろう。目的の意味がわかっていない。だから意味とは何だろう。意味もわからず目的について語っている。それがわからない。しかしそういうやり方は卑怯ではないのか。何か堂々巡りのような気がしてくる。娯楽の何が宗教なのか。いったい君たちは何を信じているのだろうか。いったん知識を得ると人はどうなってしまうのか。人々は何のために生きているのだろうか。そこに目的があるとは思えない。いくらもっともらしい目的を設定しても、それらはすべて嘘だと思われる。しかし根拠が何もない。嘘であってはまずいのだろうか。誰が何を目指しているとも思えない。誰もが豊かな暮らしができるとは思わないが、たとえ本を読んで知識を得たとしても、その知識を利用しながら豊かな暮らしにありつけたとしても、それで何がどうなったことになるというのか。たぶん君たちはこの世界を知りたいのだろう。世界の真の姿を理解したい。そこで君は嘘をついている。冗談でそんなことを述べていると思いたい。何をどう思いこめば気が済むのかを知りたいところだ。わざとずれたことを述べようとしている。誰かの思いこみの中に君という存在を確認したい衝動に駆られる。さらに冗談が続いているようだ。そこから話をどんな見解に導こうとしているのか。いつかはそれを知ることができると思いこんでいるようだが、君はすでにそれを知っているのではないか。知らないのに知っているつもりになれるだろうか。それは何かの演技に違いない。何のために演じているのかわからないが、それが目的だとは思えない。社会の制度や仕組みには問題があり、それを個人の力で解決したい気持ちはわかる。協力者を集めて、社会に貢献するための取り組みを模索している人々もいることは確かだが、それで誰の気が済むのだろうか。何かやっていることで、そこから満足感を得たいのかも知れず、実質的な成果を期待し、結果的に成功したら、なおのことうれしくなってしまうのかも知れない。事業とはそういうものなのだろう。何かしら役に立ちたいわけだ。君もそれを肯定すべきなのではないか。君には関係のないことなのか。誰が自らの破滅を望んでいるだろうか。そういう願望は倒錯している。そういうところに快楽の源泉が隠されているのかも知れないが、倒錯者に否定はつきものか。ただの強がりやせ我慢のたぐいでは倒錯者にはなれないらしい。それは技術的な問題だろうか。自らを偽らなければならない。自分に嘘をつき、その嘘を真に受けなければならない。そんなことが可能だとは思えないが、それが嘘の本質なのではないか。そこで信じられないことを述べている自分がいる。自分ではないのだろう。自分であるが、自分だとは思えない。何を思っていないのかわからなくなり、次いでそんなことはどうでもよくなってくる。いったい誰が倒錯者の仲間入りがしたいのか。それより金持ちなら自分の資産をなげうって慈善事業家になるのが自然の成り行きだ。誰が金持ちだとも思えないが、それが君でないことは君自身が知っている。ところで君は嘘をついているのだろうか。君にはそれの何が愉快だと思われるのか理解できない。そこで誰が笑っているのでもないらしい。君はそこから遠ざかり続ける。それは現時点ではないのだろう。すべては過去の思い出に収斂する。あのとき君はどう思っていたのだろうか。何についてどう思っていたのだろう。それから君はどこへ向かって去っていったのだろう。現時点で誰が消え失せることに成功したといえるのか。過去の何を消し去りたいのか理解できない。


12月9日

 そんなことはどうでもいいことかも知れないが、立ち直るきっかけがどこに転がっているわけでもない。何を立ち直らそうとしているのでもなく、誰が立ち直ったつもりになっているのでもない。やる気になっているうちに何かを押し進めてしまわなければならない。それが残された時間だとは思えないが、この際時間にこだわっているわけにはいかないようだ。君は今もどこかへ移動し続けているらしく、そこから常に遠ざかり、遠ざかったついでにそこでの出来事を忘却の彼方へと捨て去ろうとしている。それの何があり得ない話なのか。ただ調子に乗ってありもしないことを述べているだけか。そこから何がわかるとも思えず、わかったところですぐにそれを忘れようとして、架空の意識は偽りの無知を装い続け、さかんに自らは何も知らないと主張し続けるが、誰からも相手にされず、ついには意識をねつ造している自らからも見放されて、行き場を失い、さらにこの世界から遠ざかろうと画策しているらしい。まったくあり得ない話を文章は構成しようとする。誰の意識でもないだろう。誰がそれを記しているわけでもない。気分的には鬱のような気がするだけで、本気でそう思っているとは感じられず、そこから何をどうしようというのでもないらしい。ただ得体の知れぬ誰かがそこでそんなことを述べている。そこがどこだがわかるわけもなく、何を語っているのかも不明のままだ。それで立ち直っているといえるだろうか。きっかけを探しているわけではない。曇り空の下で何に打ちのめされているわけでもない。それらは日常の光景に過ぎず、それを眺めている誰がその場に存在しているわけでもない。光景の中にも風景の中にも景色の中にも誰もない。何だか絵の具によってキャンバスの平面に塗り込まれているような印象があり、架空の意識には現実の現実感を認識することができないようだ。だが理解不可能な現実に遭遇しているわけではない。何もかもがありふれているということは、それは日常の一部に過ぎないということだ。それの何が理解不可能なのだろう。実際にそのように理解しているではないか。理解の仕方が気に入らないというわけか。それらの理解についてもっと魅力的に語ってほしいか。君がそれを求めているとは思えない。たとえば紅葉の季節についてどう思っているわけでもない。何か幻覚をもたらそうとしているのでもない。何も導入不可能だから何とも思わない。そんな見解もつまらない。別に現状をおもしろおかしく表現できなくてもかまわない。小さな墓地の周りで今にも雪が降ってきそうな寒さをどうしようというのか。遠くに見える高圧電線の鉄塔を見てどんな想いにとらわれるというのか。過去には何もなかったところだ。だがそれは君の過去ではない。他の誰の過去でもなく、特定の誰かの過去でもない。念を押すほどの約束などありはしない。君はあのとき何を考えていたのか。今となってはどうでもいいことでしかないだろうが、過去においてもどうでもいいことであったように思われる。すでにそこから遠ざかってしまったので、やはりそんなことはどうでもいいことなのだろう。君にはそれ以上の現実を語ることができない。力不足なのは否めないが、それ以上に何もないのかも知れず、何もなければ作り話となるらしく、それ以上語るには目の前に立ちふさがる退屈に打ち勝つ必要がありそうだ。それ以上はどう述べてもくだらない。あかぎれてひび割れた手の甲を眺めながら、今までの苦労が水の泡となる瞬間に立ち会っているような感覚にとらわれ、それが作られた幻覚だという確信も同時に芽生えるのだが、別の意識にはどちらも嘘だと思われ、冬の畑に烏が群れている光景から遠ざかり、錆びて朽ちた廃車を通り過ぎ、他に何から遠ざかればいいのかわからないが、今さら何を模索しようと、誰の心を揺り動かすにも至らないだろう。たぶん破れかぶれでいい加減に振る舞おうとしているのだろう。しかしそれが君の言葉だとは思えない。心打つような台詞を期待していたわけではない。君自身の中で何かが砕け散っているのだろうか。ただ闇雲に何かを述べようとしていることは承知しているが、それが何になるわけでもないこともわかりきっていて、ならばどうしようというのでもなく、ただそれを続け、そんなどうにもならない現状をやり過ごすこともできず、ひたすら覚めている自らに気づいてみても、そこには何もない。結果とはそういうものだ。それ以上を求めてはいけないのかも知れず、そんな事実の何をどうねじ曲げようと、それを超える認識には至らないような気がする。それ以上を求めること自体が、それ以下の現状に留まっている証となっているのかも知れない。君にはそれがお似合いなのだろうか。無理に言葉を連ねようとしている自らに嫌気がさしてくるが、それの何がかまわないと思うのだろうか。気持ちが散漫のようだ。たぶん答えはどこにもありはしない。風の中に何があるとも思えない。誰の心も君から離れてゆき、そしてそれがどうしたわけでもないと思う。


12月8日

 今日もありふれた日常の中に誰かがいるらしい。昨日の出来事を思い出そうとしているようだが、それは昨日ではない。それとは何だろう。予定調和の疑問だと思う。そこから何が出てくるわけではなく、何ももたらせないことに落胆するばかりか。しかしそれで誰が困っているわけでもなく、困惑の度を深めるほどの成り行きとは到底なりがたい。ただの一日が過去において過ぎ去っているだけであり、それの何がおかしいわけでもない。またどこかで誰かが笑っているようだが、そんな気がするのはどういうことなのか。何か開き直りに至る爽快さを求めている。まったく疑問に対する返答になっていない。それで何をもたらしていることにもならないようだ。ただ意味のないことを述べている現状がある。そう思われるのはなぜだろう。寒気を感じている。何に対してそう思っているのかを明らかにできないが、嘘に決まっているだろうか。そんな風に感じられる機会をどの日付として設定すべきなのか。少なくとも昨日のことではない。何か投げやりに振る舞おうとしているのかも知れない。そんな気分のまま、今日も昨日と同じだと思ってしまう。世の中には暇つぶしのためのゲームが存在しているらしく、それにひたすら勤しんでいる誰かの隣に、君の影が寄りかかってくる。背後で何かの感情が渦巻いていて、思っていることを明らかにできないことからくるストレスによって、誰かは心の病を患っているようだが、そういう成り行きもありふれたことだと斬って捨てるには、誰かの神経はいかれすぎている。それがどんな物語に結びつくというのか。老人をないがしろにしていることに憤るわけにも行かない。それとは関係のないことを述べてみたい誘惑に駆られているだけのようだ。まったくわけがわからなくなるが、それもいつものことに違いない。君がそこから立ち直ることはないだろう。今さら何を批判したいわけではなく、批判の対象を探しているわけでもない。工事現場の片隅に何かが埋められていたらしい。それを掘り起こして過去の気分を味わっている。あり得ない話だろうか。今は君がそれを語り継いでいる。さらにあり得ない話だ。君の意識がそこから遠ざかるにまかせているようで、忘却の彼方から何をよみがえらせようとしているのでもないらしいが、何となくそんなことを述べている自らを呪いたくなってくるようだ。それこそ嘘に決まっているだろう。不意に何か言いたげな誰かの顔が思い出されてくる。暇つぶしのゲームはその後どのような展開を見せているのだろうか。いくつもの人格を設定しなければならなくなる。それぞれの人格からそれ特有の能力を持った人物が形成され、それらの間に友情や対立が関係づけられて、何となくそこから宝探しの物語が生み出され、手に入れようとする宝を巡ってあるときは対決があり、またあるときは何があるのだろうか。人々が望んでいるのは対決だけか。それをおもしろがって眺めている。たぶんそんな君は少年マンガの読み過ぎなのだろう。気がつけばまったく話になっていないようだ。怠惰に流されている。それで気が済むならそれでもかまわないのだろうが、何か目新しい展開を期待するのは無い物ねだりの範疇に入ってしまうわけか。思い過ごしもいい加減にやめてもらいたくなる。そこから唐突に誰かの魂がよみがえってくるのだろう。生きるためのヒントでも忠告してくれるわけか。君はそこから何かをしなければならなくなるわけだ。他の何にまかせているわけにも行かず、自らで決断を下さなければならなくなり、思い悩んだあげくにありふれた答えに行き着くわけだ。今こそ何かをやらなければならない。しかしその何かについて語られることはなく、何かをやっている君の姿も遙か遠くで消え去ってしまうだろう。文章を記している誰かは、そんなことに興味を抱けなくなるらしい。というかそんなことを記すことができないのだろう。たぶんそんなことはどんなことでもなく、そんなことでさえない。それらはすべて言葉の連なりに還元されてしまうだろう。実態が何もない。作り話の範囲内で何を述べても嘘になってしまうらしい。そしてその嘘に魅力を感じなくなっているようで、実際に何かをやっていることと、それについて述べていることとの間に、何の関係も見いだせなくなっている。たぶんそれについて何を述べても現実とは無関係に思われてしまうのだ。それが誰かが直面している予定調和の結果だろうか。言葉を記すという行為がくだらなく思われてくる。わざとそう思っているのかも知れない。そんな今の気分がそれら文章に反映されているようだ。それもあり得ない話だろうか。だがそれ以外に何が見いだされているとも思えない。君自身がそう述べているのではないか。わかりきってことを記さないでほしいか。すでにそれは記されているようで、それを読み返しながら、何を反省するでもなく、ただ読み続けている誰かがそこにいるらしいが、君にはそれが君だとは思えないようだ。何か別の人格をまとった誰かがそうさせているような幻覚にとらわれている。


12月7日

 何となく何も思い浮かばない。誰がどこを向いているわけでもなく、何が関係ないのかもわからなくなってきた。別に何を語ろうというのでもないらしい。ただ黙っている。黙して何も語らないのに言葉を記している。意味がわからないのだろうか。わからないのは意味だけではないはずだ。何を記しているのかわからない。それをそのまま読んではいけないのだろうか。何を述べているとも思えない。何も感じられないと思うなら、何を語る必要があるだろう。いつものようにわけがわからない。犠牲の供物を用意できない。その必要がないからか。神に向かって何を頼んでいるわけでもないだろう。天は何ももたらさない。すべてが空疎なのだ。それがそこでの宿命だ。たぶん自分を慎み相手を敬う心が大切なのだろうが、誰かはそういう調和的な考え方が気に入らないらしい。まやかしの思想に染まっていると思われる。たぶんそれだけでは不満なのだろう。君たちはそこで矛盾を自覚しなければならない。そればかり突き詰めるとおかしくなる。儀礼ばかりが重視され、社会全体が息苦しく感じられるようになる。それはわかっていることだが、ではどうすればいいのだろうか。制度が人を作り、人が制度を作る。たぶんそこから何が出てくることもないだろう。何をどう述べようとそんなことはわかりきっている。そこで行き詰まっていることを自覚せざるを得ない。調和的な未来を追求する試みは必ず破綻し、それは空想的な過去への憧憬を経由して、ご都合主義的な物語を構成させる。今では失われてしまった調和を、過去を夢想することで物語の中へ取り戻そうとするわけだ。しかしそれを安易に批判していいのだろうか。とやかく言う筋合いのものでもないような気がする。それどころかそれはそれで大変けっこうなことなのかも知れず、人はそういう体験によって安らぎを得られるのだろう。いつものようにそれは君には関係のないことだが、物語を味わい楽しむ必要が生じている人もいるらしい。君は絶えずそこから遠ざかり、わけのわからない紆余曲折を経て、疲労とともに何か思索しているような気分を与えられている。天が何を与えているとも思わないが、虚無は君に徒労感をもたらそうとしているらしい。生きているだけで精一杯なのだろうか。何がそれを支えているとも思えないが、社会の仕組みなどどうでもいいことか。いったい何をどうすれば何がもたらされるのか。そんなことを考えていること自体が無駄であることはわかりきっている。ならば君に課せられているのは何なのか。そこで何をしなければならないのだろうか。どう考えてもどうなるものでもないような気がしてきて、何をやっても無駄であるように思われるようだが、無駄である根拠を何も示せない。たぶんこうすればこうなるというものではないのだろう。絶えずそれは違うと思われ、何をやっても違っているようだ。それで何がわかるわけでもない。君自身の置かれている立場ではそういうことしか述べられない。人はどのように生きなければならないというのではなく、ただそんな風に語っている誰かがそこにいるらしいが、そんな存在も作り話の一部かも知れない。意識の実体はどこにも存在しない。誰のことを述べているのでもないらしい。それでも人は絶えず他人の行動に制限を加えたがり、あわよくばその意識を支配したがるものだ。君はそこから逃げなければならない。すべてから遠ざかり、事物の存在を否定して見せなければならない。それが何になるというのか。馬鹿げた妄想に耽っている。それが何に結びつくとも思えず、また無駄で退屈な言葉の並びに嫌気がさす。他に何を否定しようとしているのか。自らのことを述べているとは思えない。さっきから同じような言葉が繰り返し記されていて、それに耐えられなくなっているようだ。現状は退屈だ。それをいつの現実として文章に定着させるべきなのか。そんな心配までする必要はない。今は数日前の時間帯だ。今ではないというわけか。いつでもなく、どこに何が存在しているわけでもない。眠たくなってくるが、夢想しているのはどんな物語でもない。それは現実の一部であり、誰かが絶えず何かを語っている現状があるらしく、君はそれを否定する必要性を感じない。人は人を裏切り、人が作ったつもりの制度を裏切る。そのとき人は何に支配されているのでもないと思いこみ、誰かに向かって勝ち誇って見せ、自画自賛の有頂天状態から抜け出せなくなる。他に何を見定める気にもなれない。誰がそれを目撃しているというのか。たぶん事件ではない。何かの付け足しから論点がずれてきて、気がつけばさっきとはまったく関係のないことを述べているようだが、それでやる気があるとは思えない。何かの限界に突き当たっているようで、そこを突き破ることができない。それでも生きているつもりになれるだろうか。いったいこの世界は誰を生かそうとしているのか。そういう大げさな問題ではない。ただの付け足しでしかないものが、君にとっては悩みの種となっていて、それを避けて通ることができないらしい。


12月6日

 どうも今日という日付を乗り越えられないようだ。それどころか昨日すらも遅れてしまうらしい。行事が入るとそうなってしまう。馬鹿げたことだが、それが現実なのだからどうしようもない。影の背後で誰かが笑っているようだ。見え透いた言葉の組み合わせに呆れているのかも知れないが、君は呆れる理由を知らない。そこには誰もいない。それは何かの決まり事のようだ。意味のつながりを見いだせない。誰が意味を求めているとも思えないが、誰もいないのだからそんな思いにも意味はない。たぶん神が人類の救世主ではないのだろう。過去の出来事のすべては冗談だったのかも知れない。誰かは魔法で何かを解決したいらしい。君は何を笑っているのだろう。では何に関心がなかったのか。たぶん何もできないだろう。予感がまったくない。人は正直に生きなければならないそうだ。誰かはそんな啓示を受けたらしい。それに関して天は何も答えない。誰が納得のいく答えを求めているわけではない。たぶん君は何も知らないのだ。それが誰の言い分かわからないままだ。いつものように誰が何を述べているのでもないらしい。人はいつでもくだらないことにかかりきりにならなければならない。それは時と場所にもよるだろう。その場の成り行きでそうなってしまうだけだ。無駄な時を過ごしている。そう思うならそこから抜け出ようとすればいい。君はどうやって窮地を脱したのか。まだそれに関する作り話が用意されていなかったようだ。どうやら窮地に陥るのが早すぎたらしい。だからどうしたというのか。すべては架空の話のはずだ。架空だからといってそこから抜け出なくてかまわないというわけでもないだろう。ではどうしたらいいのだろうか。そのタイミングで考えていてはすでに遅すぎる。誰かがどこかで敵対する誰かと争っているようだが、君は眠たくてつきあっていられない。気晴らしに何か適当なテレビ番組でも見ているのかも知れないが、それが気晴らしになっているかどうかは明らかでない。そんなことまで文章に記すには及ばないだろうが、すでに無駄なことばかりが記されているはずだ。君はそこから逃げ出したくなる。しばらくそこから遠ざかっていたようだ。目が見えているのだろうか。たぶん目だけではないのだろう。何も見えていないのかも知れない。それは去年の年賀状だろう。何か思い起こすことでもあるのだろうか。星空がきれいだ。やはりそのタイミングではなかったらしい。まだやる気があるとは思えない。沈黙の期間が長すぎたようだ。たぶん機会はやってこない。言葉がそこで途切れている。急激に衰えている。何かの兆しを感じ取っているのかも知れない。壁がひび割れている。そこから何を感じ取っているのでもないようだ。ただ何もやらせてもらえない。そこでしばらく中断してしまうらしい。まったくどうかしている。そこに様々な事情が介在していることはわかるが、君にはどうにもならない成り行きというものがあるらしい。瞬く間に遅れてくる。気がつけば翌日の朝に目が覚める毎日を経験している。それにつきあわされてうんざりしているうちに、そういうことになってしまうようだ。暇なときは眠ること以外は何もできないというわけか。さっきまでテレビを見ていたはずだが、それは昨晩のことらしく、今はそれから一夜明けた早朝になっている。意識が途切れてからひたすら眠っていたらしい。それで何をどうしようとわけでもない。気がつけば言葉を記している。遅れを挽回しようというのだろうか。今さら遅いだろう。焦れば焦るほど内容を見いだせず、結局無駄に言葉を弄するばかりのようだが、それでも何か述べていることを実感したいわけか。それは馬鹿げていることのように思われる。機械の故障箇所が瞬く間に広がっているような感覚にとらわれる。もう何もかもがうまくいかない成り行きに突入しているのかも知れない。そんな精神状態でまともな対応を期待するのは無理というものか。それでも何とかしようとしているのだから、今はその状態をそのまま放置すべきか。何となくそこから結論が出るような気がしてくる。とにかく何とかしなければならないのだろう。他の用事が増えないうちにそれに専念しなければならない。しかし良心が咎めるようで、なかなかそれを全うすることができない。なぜそうなってしまうだろうか。そういうやり方ではだめだということがわかりきっているのに、それを続けているのが気に入らないわけか。だから君の意志でやっているわけではない。とりあえず無意識のうちに危機を回避する機構が働いているのだから、今さらそれを止めることはできない。そのまま突っ走るしかないような成り行きに身をまかせ、心を閉ざして言葉を記し続けなければならない。あり得ないことだろうが、そのあり得ないことを述べ続け、それが嘘でも何でもかまわないと思っているわけでもないのだろうが、それをひたすら実行している現状があるらしい。そんな風にして今までは継続を図ってきたのだろう。今はそれを肯定するしかないようだ。


12月5日

 気まぐれに行動を左右され、自意識がどこかに表出する前に、誰かが抱いている妄想を軽くあしらう。君に攻撃を加えたいわけではない。遠くで誰かの足音を確認する。ありふれた言葉が状況を惑わすために繰り出される。わざとそうやっているのだろう。だが君の目論見がそこで狂ってくるはずだ。他に理由を見いださないでほしい。それは誰に課せられた作業でもない。現状は君が期待していたほどの困難さをもたらさない。それが結果ではないが、そこから遠く離れて誰が何を画策しているわけでもない。それは偶然の成り行きであって、誰の計画でもありはしないだろう。他に何が繰り広げられているとも思えない。また冗談でそんなことを述べているのかも知れない。しかしまるっきりの作り話でもない。少しは事実が混ざっているらしい。君の体験が話に反映している。だが誰かには君が誰なのかわからない。そういう話なのだから仕方がない。それが冗談だと思われるらしいが、すかさずそんなことはどうでもいいと思う。それが何を意味しているのかわからない。なぜそうなってしまうのか。誰かがそこで記憶を集めている。過去を振り返ることで何を忘れようとしているのか。くだらぬ問いかけはやめておいた方がいい。何を問いかけても自問自答から逸脱することはない。それが独白の欠陥を形成している。自らの過ちを告白しているしている時点ですでに宗教だろう。だからどうだというわけでもないが、それで何をおもしろがっているわけでもない。ただ音楽を聴いている。君は寒いのだろうか。他に誰が寒いのか。冬だから寒いのは当たり前かも知れない。寒さに負けて目が覚めたわけでもなく、ただ眠気を振り払っているだけか。眠ってしまう前にやらなければならないことがあるらしい。誰にそれを託しているわけでもない。虚無に誰の代わりができるというのか。そういう代わりをしたいわけでもないだろう。何が意表を突いているというのか。ひたすらどうでもいいような内容に終始している。どこかの誰かはサッカーの試合に熱狂しなければ気が済まない。テレビ画面にそんな誰かが多数映っている。他の誰かがそれを肯定的に受け止める。たぶんそういうことを述べようとしていたのだ。それは何かの思いこみに違いないが、それで誰がしらけているわけでもない。虚無は何も感じない。心が虚無に染まっている。たぶんそんな風に思っているだけで、きっと何かの勘違いなのだろう。君はそこで虚無を否定している。虚無感に浸っているわけではないと主張したいが、それを誰に向かって主張しているのか定かでない。どこかの空洞の中でそれらの声がこだましている。想像力が減退しているのかも知れない。きっと素直になれないのだろう。誰もそこから言葉を導き出せない。そうすることが出口への近道だと思い違いをしている。しかし何のための出口なのだろうか。そこからどこへ出たいのか。目の前にはこの世界しかないようだ。誰が空想の邪魔をしているわけでもない。何を空想しようと、この世界の中で空想していることに変わりはなく、もし君がまだ正気でいるとすれば、それらの空想が現実から生じている事実を認めざるを得なくなる。それ以外の可能性を見いだすことができるだろうか。君が何を否定しようと、誰かはそれらのことごとくを肯定してみせるだろう。そのとき誰かは君の影の部分を構成しているに違いない。影とは君が抜け出ようとしている現実そのものなのだ。理由がわからず、述べていることが理解できない。何の根拠を示せば誰が納得するというのか。影はさらなる意味不明を構成しようとしている。現実には何をすべきか迷っているのではないか。それのどこをどう修正しようと、文章は破綻したままだ。君の文章ではない。誰かがそれらの不完全性を非難しようとしているが、無理を述べないでほしい。なぜ人々は寄り集まって意味のない盛り上がりを共有しなければならないのか。憂さ晴らしなら他でやってほしいか。他でもやっているからそこでやっているのだろう。巷のどこもかしこも憂さ晴らしばかりのようだ。それがどのような現実を構成しているわけでもなく、それ自体が現実そのものなのだろう。まったくどうでもいいことのようだが、それ以外には何もありはしない。誰がそんな現実をなくそうとしているわけでもなく、みんな惰性でそんなことを続けているようだが、そこに実質的な世界が顕在化している。人はいったい何をやったらいいのだろうか。拝金教という宗教以外の何を信仰すべきなのか。中には地球温暖化教という宗教もあるはずだ。はたして人に未来があるのだろうか。それもそれらの宗教から導き出された啓示のたぐいかも知れない。未来がなければ何のために生きているのかわからなくなる人もいるらしいが、強がりの誰かによれば、今この一瞬を体験するために生きているそうだ。サッカーに熱狂することもそれの一環かも知れない。君は何を信じているのでもない。たぶんこの世に様々な事柄が存在することぐらいは信じられるのだろうが、それがどうしたわけでもなく、それと同時に、常にどうにかなっていることもわかっているはずだ。


12月4日

 今さらそれはないと思うが、そんなことを述べて何になるのだろう。何をわかろうとしていないのかわからないが、そういう感じではないような気がする。予感がまったくない。このまま何も到来しないのだろうか。たぶん誰の妄想からも何も生まれないだろう。そんな気がしているわけではない。ただ何でもないことを述べている。何ももたらせないだけだ。言葉が誰かから離れてゆく。たぶんそれは君に限ったことではない。誰もが沈黙せざるを得ない。君は誰でもない。その中に君の存在は省かれているようだ。誰かがフィクションの中で犯罪者になりたがっている。君には関係のないことであり、君は何ももたらせないだろう。それは誰の予言でもない。誰にも何も見えてこないのだ。どこの誰が多重人格を背負っているわけでもないが、何となくそれは君のような気がする。たぶんそれは予感ではない。そこで何を否定しているのかわからないようだ。そう思っているのは誰の意識でもないのだろう。そんな否定の先に真実が待ちかまえている。誰かをあっと言わせたいらしいが、そんな驚きは予定調和だ。しかし何を馬鹿にしているのでもない。その先に話が続いてゆかない。それでかまわないのだろうか。現状ではそういうことでしかない。何をおもしろおかしく述べているわけでもないらしい。それほど意表を突いているわけでもないと思う。君にはできないことは何もない。作り話の範囲内ではそういうことかも知れない。どこかの狭い範囲で思考が限定されているようだ。その狭い範囲内で何かを繰り返しているように思える。ならば言葉は何を突き破ろうとしているのか。君が限定されていると思っているのは行動の範囲に違いない。そこに何らかの制約があるのかも知れないが、画面が暗くなっても動じることはない。それは何かに飽きている鉦だ。言葉の新たな組み合わせを模索している。話にならなくてもかまわないだろう。それがそうすることから生じる宿命なのだ。すでに夜が明け、意識は昨日の出来事を忘れようとしている。人は今日という日に何を再生させようとしているのか。たぶん何を反省しているわけでもないのだろう。馬鹿げたしきたりにつなぎ止められ、それを否定するわけにはいかなくなる。何を批判したいとも思わず、詮索するにも及ばない。何となく当てが外れているように思われる。それでも空は青く晴れ渡り、雲ひとつ見当たらない。誰かはそこで爽快な気分を味わっているようだ。何も思いつかないことは快適な環境をもたらしている。冗談でそんなことを述べているのかも知れないが、それ以外に何も思いつかないというわけでもないだろう。気がつけば遠くに雲を見つけ、雪山に見とれている誰かを空疎な気分が包み込み、さらに風景が流れ、時も流れて場所も移動を繰り返す。そこで何か思い違いをしているのではないか。誰が杞憂を抱え込んでいるのか。まったく行動が伴っていないようだ。何かを心配する以前にその場を動こうとしない。まったく行き先を見いだせない。やはりそこで途方に暮れてしまうのだろうか。彷徨うことが何かをもたらすだろう。あきらめの心は理由もなく地平線の向こうに沈み込み、その代わりに東の空から日が昇ってきたわけでもないだろうが、誰かの無意識の中で意味不明を奏でていることに何の気兼ねがあるだろうか。たぶんそれも冗談で述べていることなのだろう。君はそれを野放しにしている。そしていかれた言葉の組み合わせに満足しているわけか。何となくその先に何を述べたらしっくりくるのか見当がつかなくなり、誰かの予想を裏切って事態が進行していることに落胆するでもなく、それでかまわないと思いつつも、それとは違う成り行きを引き寄せようとしているらしい。たぶんそれでも何かしら述べていることになるのだろうが、なぜそれでかまわないと思うのか理解できないのは当然のこととして、他に何をどう述べたらいいのかわからないのもわかりきったことだが、そんな風にしてその場を取り繕うことにためらいを感じないのはどういうことなのか。すべての問いかけは無効であり、それに対する答えなどどこにもありはしない。誰かはそれを承知でそんなことを述べているに過ぎないようだ。ならばもう少し心に余裕を持ったらどうか。くだらぬ言葉遊びはその辺で終わりにして、何か別の楽しみを追求したらいいだろう。それも冗談で述べていることなのか。そうだとしてもそれはそれでかまわない。当たり前のことを当たり前のように述べているだけだ。人は誰でもその人特有の主張を持っていると思いこんでいるのかも知れないが、案外それは同じような主張でしかないのだろう。また案外ではなく、時には誰もが他人と同じようなことを思っていると思いこんでいるのかも知れず、その場の都合に合わせて、両者を使い分けているだけなのかも知れない。わかりきったことをわかりきったように語ることに慣れすぎているようだ。それ以外には何もないと感じることさえある。個性などという幻想を信じられなくなっているのだろう。


12月3日

 夜の闇があたりを覆っているようだ。闇に紛れて小動物が動き回っている。君にはそれが仕方のないことだと思われてしまう。馬鹿げた成り行きに嫌気がさしているわけではないらしく、むしろそれを利用して、どこか得体の知れぬ場所で何か適当なことを語りたいらしい。はたしてうまくいくだろうか。見え透いたことを語らないでほしい。辺り一帯に見えない糸が張り巡らされているようだが、蜘蛛は冬の寒さにやられて死んでいる。たぶんそういう話をしたいわけではないのだろう。そのときの君の意図を知りたい。何に遭遇しているわけでもない。できないことをやろうとしているだけだ。それで何を断言したつもりになれるだろうか。誰の意識を捕捉したわけでもない。その場の実態は捕捉しがたいようだ。冗談でそんなことを述べている。血の盟約など何の役にも立たない世界だ。唐突な意味不明に誰かが驚いている。浮かれすぎていたのかも知れない。誰の話をしているわけでもないだろう。そこで考え込んでしまったらおしまいのようだ。二度と立ち上がれなくなる。状況は君を排除するように作用している。だからどうしたというのか。架空の存在など誰の眼中にもない。たぶんどこかで誰かが人知れず偉業を成し遂げようとしているのだろう。そんな話をどこかで聞いたことがあるが、そこで君は何を聞き漏らしてしまったのか。やはり冗談でそんなことを述べているようだ。どこまで述べても話の核心に至らない。いつまで経っても何を述べているのか不明のままだ。まったく何も進展しないらしい。そこに誰かの意図が介在しているのかも知れないが、その目的がまったく理解できない。しかし目的とは何だろう。誰の存在に目的が付随しているのか。君は話しに付け足された不在を快く思わない。その存在が希薄なのだろうか。何も語らないだけでは何を否定していることにもならない。否定するには、何か適当な主張を表明する必要に迫られているものだ。それがなければ話など何もありはしない。何かを否定したければそれについて述べなければならないが、未だ何について述べているのかわからない。それは嘘なのかも知れず、簡単に方向転換してしまいそうな気配を感じる。やはりそんなことはどうでもいいらしい。たぶんそのときの君は流行語について語っているのではなく、誰からも見向きもされないような些細な出来事に言及しているつもりなのだろうが、それもだからどうだということにはなりそうもない。それどころかまったく的外れなことを述べていたのかも知れず、それについて今さら何を補足しようと、すでに手遅れなのだろう。もはや過ぎ去った話なのだ。今では誰も覚えていない。かろうじて誰かの文章にその痕跡が見受けられるかも知れないが、なぜかそこから意識が立ち去ろうとしている。語るのが面倒くさいのだろうか。つまらないのかも知れない。馬鹿げているのは毎度のことで、それに上乗せしてつまらないのだ。言葉がそこから逃げている。そして何となくくたびれてきた。馬鹿げた話の最中に何が付け加えられているわけでもないが、誰かの意識がそこで立ち止まろうとしている。眠たくなってきて、語ることに飽きている自らをこの世界の中に探し出す。現実とはそういうものだろう。何事にも限界がつきものだ。そこから飛翔しようとすると、虚無に足を引っぱられて、最悪の場合は地面にたたきつけられる。それが何から生じた妄想なのかわからなくなるわけだ。そのとき君は危険区域に入り込んでいるのだろうか。足を踏み入れているのはどこでもないどこかに違いないが、文章の中ではいかようにも解釈可能な場所かも知れない。遠くに地平線が見えている。何かを成し遂げるためにはそこまで出向かなければならないような妄想にとらわれる。その気になったらそうしようと思うが、今はまだどこかの穴蔵にこもっている最中か。誰がそんなところにいるわけでもなく、誰かがそんなことを述べているだけのようだが、それが馬鹿げていると思うなら、試しに文章中に記されていることを実行してみたらいい。君には何もできはしないだろう。たぶんそれが躓きの原因となり、自らが何をやっているのか理解できなくなるのがオチだ。それ5のすべては嘘であり、嘘でなければ本当なのかも知れないが、そこで何が矛盾していようと、現実としてそんなことを述べている誰かがこの世界に存在しようとしているらしい。だからもはや君の意見など聞きたくはない。君がそれを否定すれば、誰かはそれを肯定するだろう。君が肯定すれば、今度は否定するわけだ。要するに君は絶えずやっていることの誤りを指摘される立場にある。何をやってもそうではないと返される。そうでなければこうでもない。どうやってもそれは違うと取り合ってもらえない。それは君には到底理解しがたい反応なのだ。そんな現実に埋もれたまま、やがて感性が摩耗して、君は何でもないただの人となりはてる宿命だ。だがそういう物語ならいくらでもありそうだ。それらのバリエーションのひとつとして君の存在は肯定されているのかも知れないが、その肯定は無視され否定されることを前提とした肯定だ。そんな現実を前にして君はやりきれない思いにとらわれる。


12月2日

 まったく本筋からかけ離れている。それで本望なのかも知れないが、何となく物足りない印象を受け取っている。たぶん今はそれかまわないのだろう。何か他にやりたいことがあるわけでもない。冗談なら他で述べていればいい。だがそれが他の文章だと思わない方がいい。すべてはそれらの文章の範疇に入ってしまう。君には他の文章などありはしない。だから今ここで冗談を述べなければならなくなる。だがそれの何が冗談なのだろう。まだ何も述べていないのではないか。ではさっさと冗談を述べることにしよう。すでにそれが冗談なのかも知れない。どうでもいいようなことばかりが繰り返される。それがそこでのすべてなのだ。すべてなのだからどうしようもない。本当にそう思っているのだろうか。やはり本気にとってはいけないようだ。何をわかっているとも思えない。もしかしたら冗談ではないのかも知れない。このまま息絶えてしまってもよさそうだが、そんな状況でないことも承知している。生きようと思っているわけではない。ただ死んでいないだけだ。そして言葉を記している。無駄に言葉を記しているようだ。それは堕落の極みに違いない。勤勉さが堕落につながっているのはどうしたことか。わざと矛盾に結びつけたいだけか。わざとそんなことを述べているだけのような気がするが、それでも何かしら述べていることに変わりはなさそうだ。何となくそれがおかしいのかも知れない。眠たくないからそんなことを述べられるのか。何を疑念に思っているわけでもない。疑う対象を間違っている。疑っているのは君ではない。君以外の誰かが無駄な疑いを抱いている。それが気に入らないわけではない。声がかれている。大声で叫びすぎたのか。他に何を想像できるだろうか。ところでマンガの中の争いはどうなってしまったのか。おそらく誰かと誰かが戦っている最中なのだろうが、そんなこととは無関係に、君は相変わらず何を述べているのでもない。何に飽きてしまったのかわかっているようだが、それを無視して言葉をその先につなげる作業を続けているようだ。まったく意味を見いだせない。言葉を繰り出すために必要な背景の前に誰もいないようだ。何を題材としたいのでもなく、どこから何を持ちだしてきているのでもない。ただあたり構わず思い浮かんだ言葉を文として構成しようとしている。はたして現実にそんなことが可能なのだろうか。現にやっているそれは空想上で行っていることかも知れないが、導き出された文章はただの無内容なのか。そこから何か適当な意味を連想してほしいだけかも知れない。それで君は満足しようとしている。それ以外にわかりきったことを尋ねないでほしいか。誰をそこにおびき寄せようとしているのか。君はそれを知っている。宴の後にやってくる倦怠感とは無縁のざわめきを聞き取ろうとしているが、そこは無人の荒野に違いない。誰かは冗談でそんなことを述べている。それがどんな予定調和と結びつくかは他の誰かの想像にまかせるとして、そんな回り道を好まないならば、そこから一直線に虚無に向かって突っ走る以外にあり得ないだろう。誰かはそれが似合っていると勘違いしているようだが、そう簡単に事が運ぶはずがなく、そうならないように罠が張られているようで、そこには決まってわけのわからない障害物が行く手を塞いでいて、それに関して何か適当なことを述べないとその先には進めないらしい。ではいったい何を述べたらいいのだろうか。冗談以外の言説を構成できるだろうか。虚無が直接何かを構成しようとしているのではなく、誰かの意識を介在させながら、何らかの文章を生じさせようとしているらしいが、今のところはそれが何だかわからないままなのだ。しかし何を困惑する必要があるだろうか。何がしかしなのかわからない。君に君以上の何かを抱えているはずであり、現に君を超えて文章が構成されている。それが冗談だと思われるのだろう。冗談でなければ何になるわけでもなく、ただの虚無だと見なせば何でもないことになってしまい、何でもなければ君とは無関係なのだ。それはゲームではない。誰と何を張り合っているのでもなく、君以外の誰がそれを読んでいるわけでもない。君の周囲が闇に包まれ、君がこの世の存在でないことが証明されようと、それは君自身には関係のないことだ。そして君はどこで何をやろうとしているのでもない。ただギターの音色を感じている。それは今その瞬間での出来事であり、時が経てば忘れ去られてしまうことだろう。すべてがどうでもいいことだとは思わないが、それ以外に何があるとも思えない。君は絶えずそこから遠ざかり、この世界から離脱しようと試みる。君ではない他の誰かになろうとしているのではなく、誰でもない誰かとして、不在であり続けようとしているのかも知れないが、それはフィクションの中でのことに過ぎない。そう語ればそうなってしまうだけのことだ。それの何が疑念を醸し出しているわけでもなく、そんな当たり前のことが信じられないならば、君は自らその存在を証明して見せなければならなくなるだろう。


12月1日

 誰かがその意味をわかろうとしている。でたらめだけでは物足りないようだ。しかしこの世界のどこに意味があるのか。わかりきったことを問わないでほしい。そんな問いかけでは意味をもたらせないか。すでに意味が生じているはずだ。符牒とは何だろう。問い合わせている物を手に入れたいらしいが、見通しは立ってない。そこにどんな意味があるのだろう。ほんの些細なことだ。誰もそれには逆らえない。状況がそうさせているのだろう。君はそんな成り行きに流される。止められない流れだ。まったく嫌気がさしてくるが、気を取り直して作業を続けなければならない。君は人の目的を知りたいようだ。人はなぜそれを目指すのか。いったいどうなりたいのか。ひたすら仕事に明け暮れているだけは不満が募ってくる。しかしそういう状況に身を置いているのだから仕方がない。そこから何をもたらそうとしているのではない。ただ言葉を連ねている。この世界には様々な人が生きているらしい。曇り空の上から陽の光が照らしている。何か適当な夢でも見ていたようだ。戦いに明け暮れているのはマンガの中でのことだ。それを何百万もの人が見ていることになる。何となく滑稽に思われる。毎週のように接待ゴルフに明け暮れていた人にとって、それが娯楽の一環だということだが、なぜそんな滑稽な事態に陥ってしまうのか。緊張感に欠けているようだが、人は誰でも独裁を目指すものだ。他に何を知りたいわけでもない。実際に暇がない。何がどうなっているのでもないようだ。気休めの安らぎを求めているのかも知れない。君にはできないことばかりだ。それをやろうとは思わない。何がどうなっているのでもなく、それをどうしようというのでもないらしいが、それが不満のようで、さかんにそれ以外の方法を探っている。何をやっても無駄な状況を何とかしたいらしい。本当に何をやっても無駄なのだろうか。とりあえず現状から学ばなければならない。学ぶだけでは何にもならないだろう。しかし学んだことをもとにして何を実行に移せばいいのだろうか。何を学んでいるのかわからないままだ。表層で語っているばかりで、核心に踏み込もうとしない。それで楽しければそれでかまわないだろう。だがそれがどういう言いぐさになるのだろうか。物事を軽く考えすぎのように思われるが、楽しければそれでかまわないではないか。何を開き直っているのかを知りたくなる。世の中で生じている出来事に目を向けている場合ではない。たぶんそこからずれていってしまうのだろう。何を身近に感じているわけではない。何となく感情的になるのをためらっている。誰が馬鹿なことをやりたがっているわけではない。そのままずっとくだらぬことを述べ続けていると、何がおかしくなってしまうわけでもないだろう。少し茶が濃すぎるようだ。あやふやさの中に留まろうとする君にはそれくらいがちょうどいいのかも知れないが、そんなことを述べている場合でないことはわかっている。滑稽なのは今それを語りつつある誰かに決まっている。手に汗握る状況からはかけ離れているだろうが、そこで何を賭けているわけではない。到底本気とは思えない。君には本気になれない事情がありそうだ。何も語る気が起こらない。そんな状況の中で本気になってはいけないらしい。ただ世の中が馬鹿げていると思っているわけではない。一見馬鹿げていることにもそれなりの事情があるのだろう。そこに至る必然性があるらしい。偶然にそうなったとしてもそうなのだ。そうならならければ別の結果となったとしても、なおそうなる必然性があるのだろう。君が遅れてしまうのにも理由がありそうだ。たとえそれが許容の範囲外だとしても、何となくそれでかまわないのだろう。あやふやな気分のままでいいようで、やはりそんなことに本気になってはいけないらしい。どこかの省庁の高級官僚が税金を無駄遣いしたとしても、それはそれでそういうことでしかない。誰もが娯楽にうつつを抜かして人生を楽しみたいのだ。結果として思いっきり他人に迷惑をかけていようと、そんなことはどうでもいいことであり、成り行き的に外れていなければ、そんな行為も当然のことと思われてしまう。決して周りの状況が見えていなかったわけではなく、状況や情勢を正確に把握していてそうなってしまったのだから、それはそれでそういうことでしかない。そんな馬鹿げたことが簡単にまかり通ってしまうのだから、もともとそういう制度だったと見なすしかない。それが気に入らなければ、制度を変更するしかない。変更したらしたで、またその制度に対する挑戦者が登場するに決まっているのかも知れないが、とりあえず私腹を肥やしたり、自らの思いを遂げるために制度を利用したりするのは、公人としての倫理観より感情の方が勝っている証拠だろうが、いつまでもやりたい放題なことをやっていると、結局ああなってしまうのだろう。だからどうだというわけでもないが、馬鹿げたことをやりいつまでもやり続けられたのだから、それはそれでけっこうなことなのかも知れない。